かみむらさんの独り言

面白いことを探して生きる三十路越え不良看護師。主に読書感想や批評を書いています。たまに映画やゲームも扱っています。SFが好き。

イーガン好き達が初期短編集を読むと、話が広がり過ぎて楽しい(イーガン読書会⑥ 「しあわせの理由」報告)

今回から知り合い以外の参加も募集したイーガン読書会第6回。まあ実質初回っス。

新しい人もお招きするということで、初心者向けイーガンと名高い「しあわせの理由」を課題本とした。

かの猫町俱楽部さんでも「適切な愛」が取り上げられたらしいし。

しかしまあ、蓋を開けてみたら来てくれたのは大のイーガン好きばかり!

もちろん(?)すぐに話は直交やらビットプレイヤーやらへ飛び、遠くへ行ってしまいがちな話し合いになった。合言葉は「しあわせの理由の話しましょ~(笑)」

参加してくれたのは、私含め7名。うち、3名がニューフェイス

ワタクシ割と緊張しいなので、時間になるまで楽しみと不安が戦ってたんだけど、良い人たちばかりで良かった。

初読は2名のみ。しかし、再読組も数年~十数年ぶりの再読の方が多く、新たな発見があった様子。

私自身、どうも10年近く前に読んだきりだったので、忘れていたおはなしも多くあり、再読して「こんなんだったっけ!」となったりしていた。

ちなみに一番人気の短編は、やはり表題作の「しあわせの理由」、次点で「ボーダーガード」でした。

私は過去も今も「愛撫」がイチオシなんだけど、私以外に推してる人はいませんでしたね……。

いや、変態でホラーの気持ち悪いおはなしだけど!魅力はそれだけじゃないのよ!ちなみにその話もちゃんとしました。

 

いちばん最初に議題に上がり、最後まで話し続けたのは、これはエンタメなのか?エンタメではないか?というところ。

イーガン最新作のほうがエンタメしている!という方もいれば、初期イーガンはエンタメしてるなあ、と感じる方も。これは意外だった。

確かに、今作はイーガン特有の難しい理論や現実とかけ離れた世界のシミュレーションは少なく、現実と地続きの話でわかりやすいという点に置いて、エンタメと呼ぶにふさわしいような気もする。

しかし、不死になった人間の典型的末路や金持ちが倒されるスカッとストーリーは描かれていない。つまり、読者側が期待する展開が描かれている作品はほとんどないのだ。

だからこそ、Amazonレビューあたりでは、ストーリーが希薄とか、キャラクターに魅力がないとか言われがちだ。

そういう意味では、「闇の中へ」がいちばんエンタメに感じる、という意見も出た。災害が出現し、それを振り払うという期待通りの展開に、ワームホール概念も比較的読み(飛ばし)やすい。ゲームみたいだったと話す方もいて、確かに!と思った。

「闇の中へ」はイーガンが作家デビューして間もない作品であるため、セオリー通りに書いているのでは、という話も面白かった。

また、人間の根幹を揺るがすようなテーマ(自分とは何か?自分の感情はいかにして作られるか?)を描きながら、そこに答えを出すことがない。

SFをあまり読まない読者にとっては、深く考えたくない問題を突きつけられ、答えがない、すっきりしないというのは不親切に映るだろうし、エンタメとは程遠い読み味になるのは想像に難くない。

ここに関して、普通のストーリーに対するアンチテーゼが描かれていると感じた方もおり、そういう意味ではエンタメ、とはやはり言い難いのではという話も。

さらに、テーマ性についても、「道徳的ウイルス学者」では道徳と宗教がごちゃごちゃになっているなど、最近のイーガン作品より練られていない、深みがない、という意見もあった。

新しイーガン、特に「ビット・プレイヤー」は小説が上手くなっているとのこと。私も既読だが、確かに同意だ。

しかし、小説は上手くなったが、同時に難解になった。読者を選別しているようにも見える。ちなみにここから白熱光難しかった!という話になり、なぜあれが1回目だったのかという話になり……(白熱光を初イーガンにしてしまった方すみませんでしたw)

結論としては、「ビット・プレイヤー」で新しイーガンを読もう!という話に。次回の課題本になりました(もともと最有力候補だったので即決定)

後は、エンタメといっても色々な見方があり、一面でしか面白みを感じられないのはもったいない、世界が狭い、と。

この話し合いで、個人的に思ったことがある。

最新の科学技術や新たな世界をシミュレーションした小説を書こうとしたとき、面白いストーリーを描こうと思えば思うほど嘘を付かなければならなくなる。その嘘をいかに巧妙につくかというのが作家の一つのあり方だが、イーガンは嘘をつかないシミュレーションで面白くすることに特化していったのではないか、と話した。

「ボーダーガード」で、オアシスに着いたら水を飲む→ラストで川に入るという、美しい小説的なテクニックを使っているのを見ると、イーガンは絶対小説が下手なわけではないと思うのだ。

イーガンは、他の作家とは異なるやり方を求め、書き続けながら自分のスタイルを確立し、より洗練されていった。だからこそ、新しイーガンのほうがエンタメ!小説上手くなった!と感じる人もいるのではないか。

 

次回の課題本も決まったところで、次の議題は、やはりイーガンの最大の持ち味、自己同一性について。

「移相夢」は、コピーの消える間際の夢というような話で、特に自分のコピーは自分か?これは夢か、実在の死か?のようなテーマで読者を惑わせる。

「無限の暗殺者」や「僕になることを」、「順列都市」でもこんなテーマがあるという話になった。初期イーガンでは、切り離せない重要なテーマだ。

そういえば、前回の「ディアスポラ」読書会では、延々とコピーが作られていくことについて、どうしてるんだこれ怖い……という話もあった。

このテーマに関しては、決してシミュレーションができず、シミュレーションが本番という面白さがあるという方も。

さて、ここで私の「愛撫」推し、炸裂である。

主人公は、強化薬によって自身の精神に混乱が生じているが、さらに連れ去られて体を変化させられてしまう。もう自分がどこにあるか分からない状態で、しかし自分の意志で体を戻し、前の自分であり続けると頑張っている。

それが良いのよ!

これには同意してくれる方も多く、苦しくても自由意思を重視することが、イーガンの考えだよね、と言ってもらった。

順列都市」読書会でピー派かトマス派か別れた、懐かしい話をしてくれる方もいた。柔軟に自分を変えていくことを厭わない人もいれば、自分というものを規定し縛り続けることを求める人もいる。

イーガンはどちらの目線にも優しいよね。

かみむらさんは、「しあわせの理由」で他人の報酬系に従いたくない!派だよね、と言われ、それはまじでそう!と思う。たとえ、好きも嫌いも神経伝達物質のバランスだったとしても、それを選ぶ自分が大切なんです、私。

「ボーダーガード」のマルジットの、傷を消さないことで自分を保ち続けるという意志もこれだよな、という話にもなった。

彼女は社会正義を背負っている部分があり、少し違うかもしれないという意見もありつつ、それでも、同世代の人たちが未来人に溶け込んでいったり、グループを作って固まったりしていく中、この意志を貫くのは容易ではなかっただろうと思う。

そう考えると、このラスト、とてもいいですね……。としみじみ言う方も。わかる!

「しあわせの理由」も、最後の最後でごみ溜めのようだけど、自分の選んだ住処というところに落ち着くのが、苦しくもあるけど良いなあ!と思います。

 

話し合った大きなテーマはこの2つだが、その他にも色々と語り合えた。

似ている作品やつながりを感じる作品は、あまり話し合えなかったが、「適切な愛」から白井弓子の「WOMBS」を思い出したという声や、「愛撫」の頭が女、体が豹は、五十嵐大介の「ディザインズ」でも描かれているという声があった。

私は全然知らない作品だったので、今度読んでみたい。

テーマとしては、伊藤計劃の「虐殺機関」「ハーモニー」などはかなり繋がりがあるという話も。こちらは私も既読なので頷けます。

また、この短編集が書かれた時代は、かつてタブーであったトランスヒューマニズムが肯定的に描かれつつあったのかなという話も。

大衆の中で身体改造がまだあまりポジティブに考えられていなかった時代だからこそ、これらのおはなしが書かれたのだと思うと面白い。

時代を感じる言葉(ISDNだとか、想定した近未来が2023年とか)や状況(携帯電話がない、ネットで絵の検索ができない)が多くあるにもかかわらず、今読んでも新しい、遜色ないというのは凄いという話もあった。

むしろ、「血を分けた姉妹」や「道徳的ウイルス学者」などはコロナ禍を経験した今読むとより馴染みやすいという意見も。

今となっては広く、様々なジャンルで描かれているテーマが書かれており、色々な作家に影響を与えているという指摘もあった。現代のSF作家で、イーガンに影響を受けていない人はいないだろう、という意見には大いに同意!

宗教を馬鹿にするような作品が多いのも初期イーガンの特徴だよね、という話もした。「チェルノブイリの聖母」では全く馬鹿にするわけでもなく、イーガンの良心が垣間見えるよね、という意見も。

「適切な愛」は、金がなくて仕方ない選択、というシビアさが描かれているところから、初期は保険や金の問題もかなり扱っていたね、という話もあった。「順列都市」でもたびたび描かれていたしね。

この短編集は人間しか書いていない、という話から、いやデータ化人類は人間じゃないの?という話になったのも面白かった。

データ化を人類からの逸脱と取るか、単なる居住地の変化か?とか、7千歳の人間とは自分達と同じ人間とは言い難い気がする、むしろ7千年経って今の人類と考え方があまりにも同じ過ぎるのでは?とか。

この辺は自己同一性の話の流れでうやむやになってしまったので、機会があればもう一度語り合ってみたいところ。

人格をデジタル化する時代に突入したら、みんなやりたい?という投げかけがあったのも面白かった。

ここで、やりたい!やりたくない!とすぐに飛びつかないのが、イーガン好きのグループっぽくて良い。環境と状況によらない?とかいう話が真っ先に出る。

順列都市」の世界なら嫌だ!とか、ムリヤリ連れていかれるのは嫌だ!とか、近しい人の影響もありそう、とか、肉体が老いてきたらやるかも、とか、デジタルと現実を行き来できるなら、とか。

永遠には生きたくないよね、自殺も嫌だしなあ、という意見に対して、それは死する我々だからそう考えるだけで、きっとデジタル化したら生と死の感覚も変わるのでは?とか。

私は、「移相夢」とか考えると怖すぎるので、基本的にはやりたくない立場だけど、でも死ぬ前に選択しろって言われたらやっちゃうかも……と答えた。

こちらも時間的にあまり話し合えなかったけれど、色々な意見があってとても面白かった。

あと、個人的に面白かった意見としては、「しあわせの理由」で、精神をコントロールできるなら強いと思ったのに、こんなにちまちま考えなきゃいけないなんて人間は無力だな、と思ったという意見。

その方は、この短編集全体が、科学技術に対して人間が追いついていない感じを受けたとのこと。

この辺りも、初期イーガンと新しイーガンの違いかもしれないな、と思う。短編など、年代ごとに比較すると面白いかもしれない。

 

知り合いだけで始めたイーガン読書会を、しかしもっと多くの人と分かち合いたい!というノリで外に広げたが、初回にしては大成功という感じで終わって良かった。

こんなにイーガンを好きで読んでる人の中にいられて良かった、久しぶりに再読できて良かった、など、嬉しいお言葉も戴きました。

イーガンはSF好きでも貸すのためらうよね~という話にも、わかる~!と答えられるメンツばかりで、なかなか布教できない辛さをわかちあったり……。

懇親会でも、イーガンの話題やSFの話で盛り上がり、話も尽きぬ感じでとても楽しかった。

次回はまた3か月後、6月あたりで「ビット・プレイヤー」を課題本に読書会をしたいと思います。近くなったらまたついプラで告知しますので、みなさまどうぞよろしくお願いします。

あ、あとたぶん次回もZoomでやります。対面だと遠い人来れないし、何より場所代が割とかかるので……。

ボーダレス・アートミュージアムNO-MAの「静かな夜にことばを浮かべる」展について書く

結局、あんまり話したくないことを書くことにした。

真面目くさったことを言うのが嫌いだし、自分の仕事に関わることを表立って言うのは恥ずかしいというか、マジになっちゃっている自分がなんだか妙に恥ずかしい。

たとえ私を知る人の全員に私の生真面目さがバレているとしても、むしろだからこそ、不真面目なフリをしていたい。無理なのわかってるけど……。

それでもここ数年、自分の考えを話すことを諦めないようにしようキャンペーンを自分の中でやっているので、少し思い切って書くことにする。

というわけで、先週の旅行楽しかった話ではなく、ボーダレス・アートミュージアムNO-MAに行ってきた感想をブログに残そうと思います。

旅行はまじで楽しかったス。遊んでくれた人、どうもありがとうございました。コミュ障な私にとって友人というのは貴重なので、大変かけがえのない時間でした。

初めて琵琶湖を見たり、大阪城に行ったり、キーウィとウォンバットを見たり、めちゃめちゃ楽しかった。一人で鮒寿司(思ったより酒飲みのおやつだった)で飲んだくれたり、近江牛を堪能したりも良かったけれども、友人と楽しむ食事はやはり格別でした。

そんな中で、単に面白かったとばかり言えない展示で、ずっと心に引っかかっていたのが、前述した、ボーダレス・アートミュージアムNO-MAの「静かな夜にことばを浮かべる」という展示。

www.no-ma.jp

実はこちらを観に行ったわけではなく、林田嶺一の特別展があるというので喜び勇んで行ったのだった。たまたま同時開催だったので、ふーんこっちも見ていくか、くらいの気持ちだった。空いてたし。

衝撃だった。

こみ上げるものを堪えきれず、2階にちょうど休憩スペースがあったので、とりあえず座り込み、わけもわからずしくしく泣いた。

近年涙腺が緩んでいる(年ですね、わかります)が、それにしても、こんなに身も世もなくさめざめと泣いたのは久しぶりだったと思う。

落ち着くまで結構かかった。林田さんの展示を見るどころじゃなかった。

誰もいなかったので良かった……けど、逆になんで誰もいなかったんだ……。静かな~の方はちょいちょい人入ってたのに。一緒に見ていけよ。300円やぞ。

立ち直ってから林田さんの展示も楽しくじっくり見させていただいた。こちらは期待通り、たいへん面白かった。作品の裏側に残るメモや、彼とやり取りした手紙なども鑑賞できて、以前青森で見た時よりも解像度高く楽しめた。

そういえば林田さん、最近お亡くなりになったようで、ご冥福をお祈りいたします。

芸術としても歴史的資料としても、大変価値のある作品だと思うので、今後もいろいろなところで展示されていってほしいところ。

 

さて「静かな夜にことばを浮かべる」、とても詩的でエモいタイトルが付けられているが、これは決して詩的表現ではない。

静かな夜というのは、盲ろう、つまり、見えない・聞こえない方の世界を指している。

この展示は、盲ろうの方と支援者が、立体的に描かれた絵画作品を対話しながら鑑賞するというものになっている。

作品は3つある。動きを表現するため、たくさん足やしっぽがある犬。真っ白な猫が眠っている姿。ムンクの叫びのレプリカ。これらはカーテンに隠した状態で置いてある。

鑑賞者は、VR機器を装着し、目が見えない状態で係員に手を引かれ、カーテンの中へと入っていく。係員さんが「怖いですよね~」など逐一声かけてくれる。優しい。

そして、目の前にあるらしい絵画作品に手を置き、VRにて映像がスタート。

映像と言っても、対話の文章が目の前に浮かび、その読み上げが聞こえてくるだけである。つまり、鑑賞者は、対話の中の盲ろう者側と同じ経験をすることになるのだ。

しかし、同じ経験が、同じ想像、同じ言葉を生み出すことはない。

私は正直、3つの作品とも、何が描かれているのかさっぱりわからなかった。対話を聞いてすら想像ができない。VR機器を外して、初めて、ああこういうものだったのか、と思う。

対して、対話の中で盲ろう者の方は、「この耳は犬ですね?」とか「この絵には猫しかいないから、作者は猫好きでは」とか言っている。

彼はそのうえ、色や明るさにまで言及している。「この猫の模様は白と茶色だと思います」「ここは明るい。ここは暗い」

盲ろう者の語るものが、実際の絵と違う部分もある。そこを、支援者側が説明していく。そうやって、見える・聞こえる世界と、盲ろう者の世界を繋いでいくのだ。

ちなみに私もそれを聞きながら必死に作品を触ってみるが、脳内には!?しかない。なるほどここがしっぽ……などと思ってはみるものの、部分的にわかっても全体像がまるで見えない。最終的には諦めの境地である。そしてVR機器を取り外し、改めて、盲ろう者の理解の正確性に驚かされるのだ。

鑑賞しながら、ふと、盲者に色の感覚があるというのを、大学の講義で聞いたことがあることを思い出した。

講師として来てくれた盲の方は、自分にも好きな色があり、自分の服は自分で選んでいるという。時折、変な色合いになることがあり、友人から指摘を受けるという。

大分昔のことだが、衝撃だったので、よく覚えていた。

すごいなあ、と思ったのだった。その世界はどんなものだろうと思った。素直に。

よく覚えていたが、忘れていたのだった。この時まで。自分は見えるし、聞こえるので。

すべての展示が終了すると、主催者側の説明というか、思いが書かれた文章を見ることができる。そこでまた、さらに衝撃を受けた。

そこには、「もやもやしている」と書いてあった。この展示を通じて一つの正解に辿り着いたが、それでもこれが正しいのかわからない。主催側に優位性があるのは明らかだ。そんなことが滔々と述べられている。

ここまでのことをやってなお、主催者には苦悩があり、葛藤があるのだ。

また、その中で、通訳を通して伝えられる言葉の限界についても触れられているのも印象に残った。言葉の意味を直接伝えられないことがもどかしい。しかしここで諦めることは、盲ろう者に対して簡単な言葉しか使えなくなってしまうことだ、と。

これらを読みつつ、なんだかとても苦しくなってきてしまった。会場では鑑賞者が感想を書くメモも用意されていて、何かを書こうとも思ったのだが、結局書けずじまいになった。

動揺していたと思う。呆然と2階に上がり、座布団に座った瞬間に涙が溢れてきていた。なんで泣いているのか、自分でもよくわからずにいた。

うわあこんなん偽善者じゃん、と思った。こういうので泣くの格好悪いんじゃないか、と思った。それでも涙は止まらなくて、これを書いている今も涙ぐんでいる。

 

ブラックジャックによろしくという漫画に、かわいそうな人が好きなんでしょ、というセリフがある。

漫画の内容は結構忘れてしまったけれども、この一言だけは胸にこびりついて、離れない。

私は看護師である。大した実力もキャリアもないが、真面目にだけはやってきたはずだ。真面目さくらいしか取り柄がない私がいうのだから、確かなはずだ。

それでも、ときどき、かわいそうな患者・障碍者を助けている自分という快楽に酔っている時がある。看護的な支援が成功し、感謝されたことを、自分の手柄だと感じてしまう時がある。

自分でそれに気付くときもある。昔はその方が多かったし、確かに悩んでいた。

でも、そこそこの年数を経て、気付くことが少なくなった。もはや、そもそも、考えないことも、多い。

私は病者を食い物にしていて、それに慣れていた。

大切なことを忘れていくことばかりだ。

最初は単純に、障碍者の、特に精神障碍者の方の世界が知りたいと思っていた。看護師になれば、何かが分かるような気がしていた。

彼らは何かできないことがあって苦しんでいたし、困っていた。それはかわいそうだから助けてあげたいと思った。

かわいそう、と思う気持ちを否定する人もいるが、私は大切な気持ちだと思う。支援とは、そこからしか始まらないからだ。

何かできないことや困ったことがある?でもそれが彼の世界だ。彼は彼で楽しいかもしれないし、かわいそうがるのは失礼だろう。

うん、そういう人もいる。それは一つの解決策で、正しい在り方なのかもしれない。尊重の形なのかもしれない。でも私はこれは一つの悪だと思う。なぜならそれは、容易に無関心に変わるから。何もしない人は、すぐにそういうことを言うから。

誰かを支援するとは、究極のところ、自分が良かれと思ったことを押し付けることである。それは自分にとって普通なこととか、楽しいことを享受してほしいという思いだ。

だからコミュニケーションが必要なのだ。相手の世界と自分の世界の擦り合わせは出来ているか?相手の求めるものに、自分の支援は合致しているか?

このコミュニケーションがなくなると、支援というのはたちまち自分勝手で邪悪なものに変わってしまう。かわいそう、という思いはかんたんに、ずっとかわいそうであって欲しい、つまり、思い通りに私を満たす存在であってほしいという気持ちに変わってしまう。これはやはり、悪だ。

私は、やっぱり、どちらの悪にもなりたくない。

でもそれはとても難しいことだ。なぜならそれは、ずっと苦しまなければならないから。苦しいのは嫌だ。だから忘れていく。

自分は他者になれない。他者の気持ちを知ることは、永遠にできない。ほんとうにこれで良かったのか?と自分に問い続けて、その答えは絶対に出ないのだ。これが苦しくないわけがない。何をしたって、ほんとうのことはわからないのだ。

私はたぶん、少しばかり悪だったし、それが楽だった。

「静かな夜にことばを浮かべる」で泣き腫らしたのは、この辺りのことを一気に考えて、あまりに誠実に立ち向かっている展示主催者たちに敬意と劣等感を感じて、辛くなってしまったからなんだろうなあ、と思う。

主催者側の、盲ろう者の世界の感じ方を知りたい、絵画について分かち合いたいという気持ち、そしてその正解を希求し、葛藤する思い。それは私が忘れていたもので、忘れたくないものだった。

かつて悪であった自分、そして、これから悪になりそうな自分が、私は泣くほどいやなのです。

 

自分の心のあり様を説明できて、少しスッキリした。

というわけで、心を入れ替えて苦しむかあ、と思った。その方が、いつか死ぬときに、後悔しない気がする。

結局、看護師以外の仕事をする気は、自分にはないのである。

4月からまたお仕事が始まるので、真面目にやっていきます。それしかできないし。

長々と書いてしまったが、興味を持ってくれた方がもしいたら、ぜひ自分で「静かな夜にことばを浮かべる」体験をしてほしい。

なんと無料である。同時開催の林田嶺一のポップ・ワールド展も、たった300円で見られる。ちょっとおかしい値段設定である。

近江八幡市という、関東民にはちょっとアクセスの悪いところにあるが、関西在住の方は割とすぐ行けると思うので、ぜひとも行ってほしい。気持ちが分かる人は、一緒に泣こう。

ボーダレス・アートミュージアムNO-MA、非常におすすめの美術館です。また絶対に行きます。よろしくお願いします。

そして、全国でコロナ対策という名で無くなってしまった「さわる」展示が、そろそろ復活しますように。アルコールでウィルスは死ぬ上、接触感染はメインの感染経路ではないので、対策は比較的容易かと思います。手を消毒して、みんなで鑑賞したいものです。

仕事辞めたよ!という近況報告

仕事辞めたよ!

というわけで、先週に無事最終出勤を終え、絶賛有給消化に入ったかみむらさんです。お疲れ様でした。

辞めるまでの期間の嫌だったこと、嫌だったこと。あまりに嫌すぎてめちゃくちゃ風邪ひいたからね。2週間くらい長引いて、でも夜勤ばっかりで休めないし、もう地獄かと思った。

まあ、喉元過ぎれば熱さを忘れる。今は穏やかに過ごせています。

次の仕事も無事確定して、4月からなので少しだけ無職期間があります。税金とか色々面倒だけど、プータローしてのんびりしたかったのよ。

いやあ、ほんとうに辞めて良かった。

去年の始めくらいから辞めようと思っていて、何度もタイミングを逃し、うまいこと言いくるめられて辞められなかったからな~。

ちょっとタイミングを逃すと、もうちょっとでボーナスだからな、とか、○○さんの穴が埋まったら、とか考えて辞められなくなるわけだよ。

仕事を辞めたい皆さん、ほんと気を付けてね。病気になる前に辞めよう。

辞めたい!辞める!と思った時に辞めないと、結局後になってから損をするんですよ。

そりゃあ、一時的に嫌なことがあったから辞めるというのは早計かもしれないけど、例えば、昇給がないとか、優秀なスタッフが次々辞めていくとか、職場環境が酷いまま放置されているとか、上司が部下の言うことに耳を貸さないとか、終わってる職場はさっさと辞めた方が身のためだと思う。

ちなみに前職場は満貫でした。いや、満貫どころか倍満くらいだったわ。

もちろん仕事をしなければ生きていけないので、次の職の目途は立てていった方が良いとは思うけど、案外なんとでもなるんじゃねえか、とも思う昨今。昔と違って、転職するなんて当たり前の時代だからねえ。

ブラック企業なんか人がいつかなくなって、どんどんつぶれていったら良いのになあ。

自分に優しく生きましょうよ。

最低限の常識だけ持ってな。バックレは良くない。辞めさせてもらえないなら、出るとこ出てお金をふんだくるんだ!

 

そんなわけで、しばらく仕事もないしのんびり……と思ったんだけど、案外忙しく過ごしています。

しかし、本を読んでいるわけでも、ゲームをしているわけでもなく……。

家の掃除をしているのであった。

我が家(といっても賃貸)は移り住んで早8年。フローリングは若干剥げてきたけど、まだまだ快適で住み心地の良いおうち。

のはずなのだが、とにかく汚い!汚くて発狂する!というのがここしばらく続いておりました。

私も夫も、物を収納するのが大の苦手。

まあ、そんなに物をたくさん買うわけではないので、テレビに出るようなごみ部屋になるわけではないのですが。

何が発狂って、本と仕事の書類が散乱していることだよね。

私は完全に電子で買えるものは電子に移行しているので、近年はそこまで増えていないつもりだったのが、仕事の本はKindleで読むわけにもいかず、また、電子書籍化されていない本は物理で買うしかない……。

いつのまにか本棚には本がパンパン、机の上に資料ぼわぼわ、置ききれないので床に本が積まれていく……。そして埃が……。

イヤーッ!!

というわけで、仕事を辞めたのをいい機会に、大掃除大会を一人で開催しています。電子書籍で買い直せる奴は、相当のお気に入り以外全部売ることにしたで!資料もいらないのはとにかく捨てて捨てて捨てまくる!

そんな感じで、今日で本と資料関連がほぼ終わったので、後は汚れた床とか棚とかを徹底的に綺麗にするつもり。

心に余裕ができると、今までやれなかったことができてイイネ!家が綺麗になっていくと、自分の気持ちも綺麗になっていく気がする。

昔同人やっていたころに狂って買っていたもの(詳しくは聞かないでくれ)もある程度処分させてもらって、過去も整理できたし。

基本的に買った本は大体読んでいるつもりだったのに、割と積んでいた本がたくさん見つかって、うわー読まなきゃ!となったりしたし。

ついでに前の家から使ってたカーテン(10年もの?)も買い替えたり、本をどかして広くなったスペースに棚を導入しちゃおうかなと考えたり、色々やってみています。

というわけで、しばらくは忙しくなりそう。

お掃除、やり始めると楽しいのよね。

 

そんなわけで、私生活がばたばたしていて、ブログに書くようなことが逆になかったので、近況報告だけして終わりたいと思います。

掃除が終わったらちゃんと本を読もう~~~!

あ、来週になったら関西をちょっとフラフラする予定なので、もしかしたら今月末は軽い旅行記を書くかもしれません。

イーガン読書会も3月5日(日)に決定したので、3月の記事はまずその報告になるかな。

よろしければ、またお付き合いくださいませ。

神父の死にざまがめちゃめちゃエモい理由について語る(Thisコミュニケーション ネタバレ考察)

Thisコミュニケーション8巻発売おめでとう!!(例によって遅い)

ついに本誌派に移行してしまった昨今です。

まあ、どちらかというと、界隈で打ち切りの危機が囁かれていて、これはマズイと毎月本誌を買ってアンケートに答えよう!というのが目的なんだけど……。

でもこのブログでは本誌のネタバレはしない予定なので、安心して読んでね。

いやあ、8巻もまた、内容盛りだくさんでした。

デルウハコピーとの戦い、そして神父(二本足)との決着。生き残りの環境破壊グループ皆殺し回を挟みつつ、因果応報的にデルウハの暴挙がバレ、2回目のデルウハVSハントレスが始まってしまう、という流れ……。

やはり見所は初っ端デルウハコピーによみをぶつけてスタコラサッサと逃げるデルウハに、「死ぬ刻は一緒のようだな」と格好いい言葉を吐きながら内心はハントレスを自分のために使い潰す気満々のデルウハ、暴挙がバレた際によみは俺の側に付くと確信して助けを求めるデルウハ、あたりの最低最悪コンボですかね。

なにが「俺たちで…またやり直そう…!」だよ!

しかし、デルウハ、やはり世界を救う!とか言っちゃったあたりがほんとうに失言だったのね、というのがよみちゃんの反応でわかる。

あんなこと言わなければ、皆殺しにしてくれるポテンシャルがよみちゃんにあるというのもエモエモだね。「檻の中ならあんたを守ってあげられるよね…?」痺れたわ。

e-nekomimi.hatenablog.com

これ、昔書いた考察なんだけど、やはりよみちゃんの中でハントレスたち<デルウハが進んでいる感じは間違いないなと思ったし、よみの望みが「デルウハがいること」なのも確かだと確信。案外的を射たことを言っているじゃないかぼくは。

しかし、戦いが激化し過ぎて、デルウハが世界を救うとか言って死んじゃう恐怖、というのが大きくなってきたことまでは読めなかったな。よみちゃん、強くなり過ぎてデルウハに頼る必要がなくなってきちゃったのね。

こりゃあ、デルウハに対して「殺さないでくれ」って言うよりも、「デルウハを殺さないで」って何者かに哀願する率のほうが高いんじゃないか?

そういえばむつちゃんも、やっぱりまだ諦めてなくて、これも私の予想が当たった結果になりました。あんなに絆されてた感じだったのに、デルウハを倒すためのとっておきをちゃんと考えているなんて、なんてサイコパス!(誉め言葉)

さあさあ、これからの展開がとても楽しみですね……本誌読んでちょっと知ってるから不安でもあるんだけど……。

そしてお腹が減らないので殺されるコピーちゃん、謎の可愛さ。

まあ初回でも、もう飯が食えないと判断して自殺しようとしていたし、飯を食う楽しみ>>>生き延びることなんだろうね。

しかも味を楽しむというよりは、単に空腹を満たすという活動が好きっぽいぞ。

イーガンの「ディアスポラ」でデータ人類になろうと、排泄の快感は手放さないと言っていたおじちゃんと似たようなもんなのかね(急に全然畑が違う作品持ってくる)

デルウハだけ1巻から延々とブレないまま、最低最悪さだけ更新していくので、ほんとうにいいキャラだなあと思っています。

いつまでこのままなのか、とても楽しみ。

 

さて、8巻の最大のエモいシーンは、やっぱり神父だったんじゃないかなと思う。

まさかこの私が神父に心を打たれるとは……。

ということで、今回はスナッフビデオ大好き吉永神父について語っていこうと思う。

もともと語ろうと思っていたいちこは、実はこのちょっと先の展開で、より語りやすいシーンが出てくるので、そこをどうしても踏まえて語りたいので、延期です。

いちこもいちこでデルウハにクソデカ感情抱いててマジでイイ!んだよなああ。早く語りたいけど、本誌のネタバレはしないんだ……まだ……今のところは……。

そんなわけで吉永なんだけど。

今回、決着が着くことは予想していたものの、まさかデルウハを自らの意思で助けたうえ、あんなに満足そうに逝かれるとは思いもしなかった人が多いんじゃないだろうか。

作者自身も予定外の出来事だったっぽいし、こういうのが俗に言う、キャラが勝手に動いたというような感じなんだろうね。

これは予想だけど、作者的には、吉永にデルウハが正しさを説いて納得させる流れを考えていたんだと思う。だから、「俺を救ってくれよ吉永…‼」の部分が描かれていなかったんだろう。

いやこのシーン、初読の時、こんなこと言ってた!?と思って遡って探しちゃったんだよねえ。そして、このシーンがあらかじめ描かれていないのは、この作者らしくないと思った。だって、ミステリ的には描いていてしかるべきだもん。

ただ、正しさなんかで動く吉永ではない、っていう今までの蓄積が、ラストを捻じ曲げてしまった。

そんな、吉永とは、どういう人間だったのだろう。

たぶん、読者の多くはこう答えるだろう。合理的なことがわからないおバカちゃん、と。デルウハも、正しいからいいだろうと言って誠実さを放棄していると指摘している。

読者の大半はデルウハに感情移入している関係で、神父むかつく~くらいに思っている人も多いと思う。私もそうだった。

しかし、今巻の神父があまりにエモかったので、神父登場シーンをあらかじめ読み直したところ、案外こいつ、デルウハに並ぶくらい思考がブレてない男だな……と思ったので、解説していこうと思う。

いや、まあ、でもおバカちゃんはおバカちゃんなんだけどね。

 

Thisコミュニケーションのキャラクターは、たいていの場合、本人の望みが明確に描かれている。たとえば、デルウハが飯、むつがハントレスたちと仲良くすること、など。

吉永も例外ではなく、彼の望みははっきりと描かれている。

テレパシーの能力が信じられること、そして、能力によって誰かを救うことである。

後者はたびたび吉永自身が言っているので説明不要かと思うし、前者はよく読めばしっかりと書いてある。一番わかりやすいのは3巻の144ページと181ページだろう。

今思えば初めてだったんだ

この研究所で僕の能力を信じてくれたのはいちこが…

僕には能力があるのに…

何故信じてくれないのですか?

の2つのシーンである。このセリフから吉永が自分のテレパシー能力を信じてくれることを強く望んでいるとわかる。

研究所の人間は憎いと語り、所長の言葉に一切耳を貸さない彼が、ハントレスたちに並々ならぬ愛着を感じているのも、この思いが強く関わっている。

もちろん、デルウハ=悪を自分の能力で倒せるかもしれない、という期待も一つあるが、そもそものところ、むつなら自分の能力を信じてくれそう?という期待から、ハントレスへの愛着が始まっている。

その期待は、4巻の187ページからのむつとのシーンで、実際に報われることになる。むつの信頼の裏には、自分の能力を信じてくれた、望みをかなえてくれたということが大きな一因としてある。

さて、吉永のこの望みは、いつ形成されたのだろうか。もちろん、幼少期のバースデイである。3巻105ページ。

この子 超能力があるわ!

将来はスーパーヒーローになっちゃうかも…!

ああ……こんなことをママンが言わなければ、吉永はもっとまともな人生を……歩めなかっただろうなあ……ばかちゃんだもんな……。

悪口を言うために引用したのではなかった。私が言いたいのは、吉永は、このときのまま、幼いまま成長してきてしまったということだ。

ふつう、幼少期の夢はいつか終わりを迎える。しかし、17の二度目のテレパシーの時も、吉永は真っ先に警官に能力で見たものを伝えてしまうし、ついに人を救うのかなどと心情を語ってしまう。

おい、お前、11年もテレパシーなかったのに、まだママンの言葉を信じてたんか!!

びっくりするほどのばかちゃん……純粋と言えなくもない。単純で、人の言うことを疑わなさ過ぎる。そのうえ、全然知らない警官の言うことを聞いて、長野の山奥まで行ってしまう。

そして幾星霜の月日が流れ……テレパシーの頻度は10年くらい、という話だったので、吉永が今50代近かったとしても(実際は30~40くらいだろうけど)、研究所に来てから多くて3回くらいしかテレパシーを経験していないはずだ。

それなのにまだ超能力にこだわってんの!!?ばかちゃん過ぎんか!?

吉永の幼さは、そもそもが幼い気持ちのまま青春を過ごし、成長すべき青年期すら研究所という隔離された場所で失ってしまったというところにある。

彼はそのまま、研究所で憎しみに苛まれながら、それでもまた研究をしてもらえるかも、と期待を抱いて(それもまたすごい話である)自分を信じてくれる誰かを待ち望んで生きてきた。

こう書くと不幸なようだが、夢や希望を持ち続けてブレない人生を送っているという意味では、デルウハと然したる変わりはないようにも思えるのである。

 

そんな吉永は、イペリット化しても、当然ブレない。永遠に彼の夢は変わらないし終わらないのである。そしてばかちゃんなのも変わらない。

6巻、7巻の美坊子編で、吉永は柿を盗んだ葉のために、研究所に柿を取りに行く。

お前、葉ちゃんがまじで柿が欲しいと思ってたの?ってみんな思わなかった?

私だってあんな状況であんな記憶見えたら、「盗人扱いされてつらかったね」くらいは言うぞ!

あの時 僕は 葉の素朴な願いに応えて 柿だけを取って去るべきだった

じゃねーんだよ!!(これは8巻の冒頭ですね)

しかもついでにデルウハの脳を取ってしまったことを「なのに―――思い出してしまったんだ」と後悔しているけど、これ、臓器のコピーがあるっていうことを思い出しているシーンの裏に、むつの体を集める云々の話を思い出したっていうのも、たぶんあると思うんだよね。にこを殺そうとした時も思い出してたし。

つまりこいつ、デルウハを倒すのに、彼の体を集めるのが効果的だっていう言葉を鵜呑みにしちゃっているんですよ。

いや~……あまりに単純すぎる!なにもかもがあまりに幼くて……つまりとても、ばかちゃんなんだこいつ!!

そりゃあ、むつに「もういい」なんて言われたらキレちゃうよね……。

さあ、こんな純真無垢でわかりやすい男、何かに似ています。もうおわかりでしょう、ハントレスたちです。

つまりは、デルウハの格好の餌食ってこと。

デルウハは、おそらく吉永のこの人格や望みなど、とうに見抜いていただろう。だからこそ、たびたび説得、対話という手段を選んだ。それが自身の勝利に繋がると確信して。

デルウハは7巻の180ページで、嘘を携えて吉永に対峙する。そして吉永はまんまと乗せられ、デルウハの心に浮かんだ質問にも答えている。

おそらく、デルウハは、ここで吉永の超能力の内容について、意図的に探っている。そのうえ、結論にも達している。だから、「なるほど、入力”も”できるのか」なのである。

ちなみに、これは私が読み解いた吉永の超能力の全容なのだが、その時思い浮かんだ記憶と心の声がわかること、その際、少なくとも顔(=脳?)が見えている必要があること、二本足の力を用いれば、自身の心の声や記憶の入力もできることが挙げられる。

デルウハ、7巻の途中まで超能力を一切信じてなかったわけだけど(53ページ参照)、それでも能力の可能性を疑って探りにくるあたり、隙がないよなあ……かっけえ……。

そして、8巻に至る。

何回も説得に失敗しているのにも関わらず、デルウハはまた吉永の説得にかかる。デルウハには、今度こそ成功するという打算があった。

1つは、ハントレスたちについて語り、自分なりの正しさを説くこと。もちろん記憶も意図的に見せている。

そしてもう1つが、吉永に救ってくれと心の中で呼びかけること。当然、真正面から、顔を見て。

どちらかは、あるいはどちらも吉永に刺さるだろう、と確信していたはずだ。そして後者が、吉永にはクリティカルヒットだったわけですね。

つまり、デルウハはなにもかも意図して吉永を攻略しにかかったわけである。他のハントレスたちと同様に、吉永をも仲間に加えたのだ。

小さいコマなのでわかりづらいが、194ページで、ちゃんと「満足させた上に首を落とした神父」と語られている。デルウハは無意識下で救ってくれなどと呼びかけたのではなく、これも戦略のうちだったのである。

まあ、吉永自身も、デルウハの意図には気付いていたはずだ。

でもこの男、過剰に純粋なので、今までの諸々はかなぐり捨てて、自分の能力を信じてくれたこと、その能力を使って誰かを助けられること、の嬉しさが勝ってしまったんだよね。

吉永春は、この時、人生賭けた夢を叶えることにした。

そんな夢なんか捨ててたら勝てたのに、正しいことも悪を裁くことも全部できたのに……。

しかし、彼はそれで満足だったわけだ。そうだね、何も成せなかったけれども、スーパーヒーローにはなれなかったけど、少なくとも人生全部、報われたもんね。

最後の最後まで、ほんとうに、ばかちゃんで、ブレない、格好いい男でした。

ずっと この力で誰かを救うのが夢だった

まさかその「誰か」があなたのような人とはね

デルウハ殿―――…

 

まさかこの私が神父なんかにこんなに時間を割いてしまうとは……Thisコミュニケーションとはかくも恐ろしい……。

いやあ、考察をするときは少なくともキャラクターが登場してるシーンを全部拾って何回も何回も読みこむんだけど、Thisコミュニケーションも早8巻。なかなかきつくなってまいりました。

しかし、読み込めば読み込むほど、ストーリーの整合性の取り方が半端じゃなく、ほんとうにこの作者すげーなと思う次第。

キャラクター一人一人の描き方も、凄く丁寧だし、魅力的。神父なんか全然好きじゃなかったのに、ここしばらく死ぬほど神父の顔を見たよ。飽きなかったよ。

なんでこの漫画打ち切りの危機とか言われてんの???みんなばかなの???見る目がないの???もっとメディアで取り上げてもよくない???

タイトルがあんまりキャッチ―じゃなくて略しにくいくらいしか欠点がないんだけど……。

とりあえず、しばらくはこの漫画のために生きてるので、毎月せこせこアンケートを書く次第です。1冊じゃ足りないかな……。

グッズももっと出ていいと思うんだな~……前回のアクキーは買い逃したし、東京ドームも行けなかったけど、次出たら絶対買うから……(ちょっと前は単行本買っておけば打ち切りなんかならないだろ人気作だろって思ってた)

みなさん、好きなものは存在しているうちに最大限応援しましょうね。コンパイルが倒産したときの悲しみを20年経っても覚えている者より。

では、また次巻が出たら、今度こそいちこについて書きます。この記事が少しでもThisコミュニケーション界隈の賑やかしになりますように!

遅いあけおめと今年の抱負

あけましておめでとうございます(遅)

ほんとうは年末年始でもっと記事を上げるつもりだったのだけど、ちょっと色々と忙しくてサボ……お休みしてました。

去年の推し本とかも挙げたかったけど、もうストレスフル過ぎて本が読めないし、文章が書けないし、とりあえず美味いもんを酒と流し込むくらいしかできないみたいな有様だったわけです。

まあ元気がない時に食欲が落ちないのは私の利点ではあります。たぶん太ったけど。

正直今も十分に元気かと言われればそうではないけど、一応月2のブログ作成は続けていきたいので、近況報告だけ……。

まあなんで元気がないかというかはめちゃめちゃ簡単な話で。

俺の職場、ヤバイ

という一言に尽きるわけです。

もうヤバすぎてここに書けないことがたくさんあり、今も仕事に行くだけでメンタルがゴリゴリ削れます。無理過ぎて無理。

こんな中でちゃんと毎日社畜している自分が偉すぎて、とにかく自分へのご褒美ばかり与えている日々です。だから太るんだって。

いやもともと辞めようとは思っていたわけだけど、もうとにかく、すぐ辞めよう!早く辞めよう!とやっと決意できた年末年始だったわけです。

ということで、辞めます。イェイ。

春からの仕事先も早々に決まりそうなので、そっちで頑張れたらいいなあと思う次第。今度は土日祝の休みも取りやすそうなので、読書会やらイベントやら、今よりもっといけたらいいな。

 

ちなみに昨年度の目標は、月2のブログ更新、イーガンの直交三部作を読んで記事を書く、頓挫している小説を書く、読書量を増やす、の4つでした。

月2のブログ更新はできた!大したことない目標だけど、定期的に続けていくのがいちばん苦手分野だから、頑張ったと言ってくれ。

そしてイーガンの直交三部作、これは読みました!が、記事は書いてないので半分達成って感じ。大変難しかったけど、とにかく最高過ぎて、今年こそ何かしら記事を書いていくはず。

また、目標とは特に関係なく、イーガン読書会(去年は知り合いのみのクローズドな会だったけど)を定期で実施し、記録も残せたのは自分としては頑張ったなと。

小説はちょっと今は保留だなあという感じ。長編じゃなくて、短編をちょっと書くところから、再度始めていくのはアリだなあと思うので、何かしら書くきっかけがあるといいなあくらいに思うことにします。

そして読書量。これはヤバイ。とにかく増えない。年々減っていっている。漫画すら読んでない。あかん。これはゆゆしき問題です。イーガンばっかり読んでたのもあるかもだけど……。

やっぱり夜勤をやっていると読書量が減るんですよ。夜勤ありの仕事、日勤のみの仕事、両方やっていたけど、明らかに日勤のみの方が本を読んでいた。

夜勤明けは休みくらいのメンタルだけど、実際は疲れているのだなあと感じた次第ですね。

今後は一応日勤のみのお仕事らしいので、さすがにもっと読めるのでは……これで読まなかったらもしかして年……いやそんなことは信じたくない。

そんな今年の目標は、少なくとも去年より読書量を増やす、イーガン読書会の定期的な運営と報告、月2以上のブログ更新、なんか新しいことを一つやる、あたりにしようと思います。

あともっと映画みたいね。美術館や博物館もたくさん行きたい。ずっと言ってるけど、楽しく生きよう。

 

ちなみに去年の推し本は、今更だけど、イーガンのクロックワークロケット、劉慈欣の流浪地球でした。今度、なんかしらでレビューしよう。

あと、33歳になりました。うぉーアラフォーまでもう少しじゃん。健康にもそろそろ気を使おうね。

イーガン読書会の参加者を募集しています

今年1年知り合い同士のみで続けていたイーガン読書会ですが、メチャ楽しいのでより多くの人とも共有したいと思い、参加者を広く募集することにしました!

イーガン読書会とは、グレッグ・イーガンの書籍をみんなで読んで面白さを分かち合う、グレッグ・イーガン専門の読書会です。

だいたい3か月おきくらいにやっていたので、今後もそれくらいの周期で実施することになるかと思います。

参加資格は課題本を読了していること、参加上のルールは、他者の意見や価値観を否定しないこと。参加者全員が楽しくお話しできる会にしたいです。

また、イーガン先生は難解な理論や物理学・数学について書かれていることが多いですが、それらに関する深い議論は、残念ながら主催の理解が追いつかないため、困難です。ご了承ください。

基本的には、作品のストーリーやテーマについて話し合っていくのがメインになるかと思います。

イーガンって興味があるけど、難しい……と思っている方、ぜひご参加いただき、イーガンの面白さを少しでも感じていただけたら嬉しいです。

ただし、難解な理論に関して、全く読み飛ばすというわけではなく、解説サイトや参考書籍を駆使しながら、「それってこういうことかしら!?」と話し合っていけるのはとても嬉しいです。もしやさしく解説していただける方がいたら、そちらも大歓迎です。

参加の方法ですが、今回新しくTwitterアカウントを作成しました。

twitter.com

ご興味を持っていただいた方は、ぜひこちらのアカウントをフォローしてください。今後は、開催の詳細や、参加申し込みをこちらで行っていきます。

おそらく、ツイプラなどを利用していくことになるかと思われます。

次回は2023年3月に課題本は「しあわせの理由」の予定です。日時、場所に関しては、詳細が決まり次第、Twitterで告知します。

ちなみにオンラインか対面かはまだ決まっておりません。コロナの状況次第となります。

オンラインであれば参加費は無料、対面での実施であれば、会場費や飲食費を別途いただくことになります。

対面の場合、東京都内某所まで来られる方が対象となりますので、ご了承ください。

また、オンラインで利用するアプリはZOOMですので、あらかじめインストールをお願いします。

では、みなさまのご参加をお待ちしています!よろしくお願いします。

 

ちなみに、クローズドだったころの読書会で何を話していたかは、逐一ブログに参加報告がありますので、下記に貼っておきますので、ご参照ください。

e-nekomimi.hatenablog.com

e-nekomimi.hatenablog.com

e-nekomimi.hatenablog.com

e-nekomimi.hatenablog.com

e-nekomimi.hatenablog.com

 

イーガンの魅力の集大成!面白さにみんなひれ伏せ!(イーガン読書会⑤「ディアスポラ」報告)

イーガン読書会、5回目。5回もやってりゃ、最後までやれるだろうという気楽な心構え。目指せ直交三部作!

今回は年末総仕上げということで(まあたまたまだけど)イーガンファンの中でもとびきり評価の高い傑作「ディアスポラ」。

とびきり面白いわけだけど、作中の架空理論や学術的な記述もとびきり難解。しかしさらに難解なシルトの梯子と比べれば、まだまだ理解しやすい本作。

というか、内容が9割わからないのに何となくあらすじがわかる、というのは、逆にイーガンの天才っぷりが窺えるのでは……!?

ということで、今回の参加者は私含めて5名。うち、既読が3名。既読の方が多い会は珍しい(5回しかやってないくせに)

やはり、全体的に面白かったと評判が高かった。

既読組からは、再読を期に、タウを計算したという人もいて、おお、すげえ……。となった。私はタウ表があるけどフーンとしか思っていなかったよ……。

こういう、まだわかりやすい(しかも対応表まである)ところからイーガンの世界観に触れていくのはとても良いですね。

文章に注目して再読し、理系ギャグ的なおもしろ(?)ジョークが結構あると気付いたという人も。「ほとんど理解していないゲームを、考える気にもなれない高額の掛け金のためにプレイしている気分だった」とか。

なんて長いし的を射てるのかよく分からない比喩!言われてはっとしたけれども、確かにイーガン作品、この手のちょっと意味の取りづらい比喩、わりとある。そこに着目して読むのも面白いかもしれない。

未読組からは、面白いけど難解!という声が。特に真理鉱山とコズチ理論。巻末に用語集や物理学の簡単な説明があるけど、まあ、これわかったら物理学の教授になれるよね。板倉先生の解説ブログを頼ってすら無理筋。

これがわかる物理学マニアは幸せだろうな~という意見も出て、それには激しく同意!

でも今までイーガンを読んできた蓄積によってわかったという声もあり、読書会を開いてきて良かったな~と思った。

ちなみに私も既読だったわけだけれども、再読に際しては、未来の人間たちの在り方や考え方に着目して読んでいた。特に、初読の時にショックを受けたトカゲ座ガンマ線バーストのところは、かなりじっくりと読んだ。

地球の肉体人の暴力的な批判や頑なさ、しかし議論を通じて少しずつ分かりあえて、ここからどう肉体人を守るのかな?と思ったら成す術なく地球ほぼ全滅!さらにこれで良かったのか!?と不安と恐怖を煽る強制的な移入!

そして畳みかけるように、色々とヤチマの世話を焼いてくれたイノシロウが永久に価値ソフトを走らせ別人と化してしまう……。

昔は、こんなショックなことある!?って思ったし、こういうのイーガン作品に望んでないって思ってたけど、今は考えが変わって、こういうのもっと書いてほしいと思っている。

イーガン作品は、ハードSF部分だけでなく、人間存在に対しても圧倒的なリアリティを誇っているということが、段々とつかめてきた昨今である。

 

さて、私はトカゲ座がいちばん印象的だったが、読書会の中語られた印象的な場面としては、第一部のヤチマ誕生と五次元ヤドカリ編、が挙げられた。

ちなみにワンの絨毯も面白かった!という声が多かったが、面白過ぎて深掘りすることがなかった(笑)高位宇宙に行くにあたって、コピーして持っていってやれよ!という声があったくらい。しかしそれは生態系を保存したことになるのか……?

ヤチマ誕生は、自我が生まれるまでのシミュレートが面白いという意見が多数。他者認識から自我を獲得する過程は、実際の幼児にも当てはまる部分でもある。他者認識ができない状態(障害)として、心理学で有名なサリーアン・テストを挙げてくれる参加者もいた。

また、その参加者より脳科学の参考書として、養老孟子監修の「ブレインブック みえる脳」という新しい書籍を挙げてくれた。私も昔は脳科学をちょっと勉強していた時期があるので、せっかくだし買ってみようかなと思っています。

自我が芽生える前ってどんな状態なんだ?(アイコンはどうなっているのか?)という議論や、自我を得られなかった孤児はどうするんだ問題なども面白かった。

若干眉唾ものではあるが、言葉をかけずに赤ちゃんを育てる実験を行ったら、幼児のうちに死んでしまうという話から、自我を得られなかったら死んでしまうのでは、いやいやさすがにサポートプログラムがあるだろう、そもそも孤児って必要?など。

また、自我問題に関しては、話全体のテーマでもあり、コピーがどんどん作られていく中で、自我に対する考え方は変化せざるを得ないのではとか、自我の同一の自我を求める層は環境に適応できず自殺を選んでいなくなっていったのでは、など、色々と作中の社会についても想像を膨らませていた。

私は自我が希薄になっていく感じを抱いたが、それは私が自我に同一性、唯一性を求める人間だからなんだろう。未来で生きていくのは無理そうだ。

 

五次元ヤドカリは、もう単純に存在が意味わかんなくて面白いよね、という感じ。全くわからん五次元ビジュアル、洞穴っていうけどどうなってるの?とか、生態系の安定さの謎気になる!とか。なんでトランスミューターの姿を聞かなかったの?とか。

この辺が膨らんで、実はトランスミューターは彫像を作った後戻ってきた姿なのでは!?という話になって大変面白かった。戻ってくるという発想はなかった。

いやいや、あれだけの宇宙を超えたトランスミューターがヤドカリで我慢できるはずがない、彫像作って満足したから一人くらい戻ってきていてもおかしくない、明らかに自然発生的な安定性を越えているし……などなど、楽しく話し合った。

また、オーランドの選択のシーンと合わせて面白いという声が多かった。五次元ヤドカリとの邂逅は、作中で唯一、他の生命体とコミュニケーションを取った部分であり(指摘されてハッとした)オーランドは架橋者としての使命を作中ただ一人、完璧に全うしたのだ。

また、現代の我々と最も近い精神であろうオーランドは、読者としては一番感情移入しやすい存在として描かれている。そのため、彼の葛藤と決意、そして統合という元肉体人らしい選択はひときわ胸を打つ。

オーランドは読者と作品をも架橋してくれた、そんな意見もあり、胸がキュンとしました。

 

冒頭で私が着目していた人間の在り方という部分に関しても、様々な意見が挙がった。

本作では、移入した後の人類、地球に残る肉体人、グレイズナー・ロボットなど様々な人間の形態(?)が語られる。その中でも、ヤチマのような孤児や、肉体人に憧れを抱くイノシロウ、トカゲ座バーストのために移入せざるを得なかったオーランド、オーランドの息子として教育されたパオロなど、生き方、在り方はさらに多様である。

無限の資源を持つポリスの人々は、考え方の違いはあっても戦争などはない。しかし、肉体人は暴力的にヤチマやイノシロウを排除しようとする。

読者側としては、移入すれば良いのに、と思う部分もあるが、肉体人側からすれば移入は死と同じかそれ以上の冒涜、屈辱である。自身の選択が正しいと信じて生きてきた彼らは、他の選択をした人々への羨望もあり、より排他的にグレイズナーや移入を憎むのではないか、という意見もあった。

たとえ移入したとして、適応できるとも限らないという話も上がった。適応できなければ、結局は自殺を選ぶしかない。ヤドカリ部分でも触れたが、オーランドは適応にだいぶ苦しんでいたし、地球の人格では自殺を選んでいた。

元肉体人のオーランドは、家族を重視し、それは息子のパオロにも引き継がれている。対し、ヤチマは孤児であり、家族という考えが希薄だ。そこから、ヤチマとパオロの考え方の違いが浮き彫りになっていく、という話もあった。

ヤチマは平気でパオロに酷いジョークをかまし、パオロは何億年も時を移動してなお、ヤチマと子供を作る気にはなれない、と話す。この考え方の違いの描き方、そして、二人に対するイーガンの目線のフラットさが面白いと話題になった。

自我問題の部分でも自我に対する考え方の変化を書いたが、このようなコピーが多発する時代、だんだん家族というのは意味をなくしていくだろう。全体の考え方はどちらかというと徐々にヤチマ寄りになっていくのが自然なのだろうと思う。

また、話し合っていくうちに、このおはなしは、永遠の生命を与えられた人間が終わりを希求する物語ではないか、という話になった。

ヤチマのすべては数学という選択。最後まで家族に拘りつつも、自身の望みを完遂したパオロ。イノシロウの価値ソフトを走らせる選択も、確かに彼自身が選んだ一つの終わりだし、オーランドも架橋者として終わりを迎えた。ブランカはコズチ理論を完成させ、無限の可能性の中に溶けていった……。

まあヤドカリになったかもしれないけど、トランスミューターも、最終的に彫像を作るという選択をした。

ヤチマの選択は、大絶賛の参加者もいたし、私は家族というものを永遠に理解できなかったんだな、と思う。オーランドの選択がムネアツ!と思う人もいれば、ネット上では悲しい選択、と書く人もいた。人によって様々な意見が上がるだろう。

イーガンの小説は毎回この話になるのだが(私がいちばん魅力に思っているところだからというのもある)、色々な価値観がある中で、そのどれにも必要以上に寄らない、フラットな描き方をするのは、やはり大きな魅力の一つである。

でも、コズチ理論が間違っていてしょんぼりした後出てこなかったガブリエルは、ちょっと不憫じゃない?

 

その他にも、ポリスのハードウェアのメンテナンスはどうしてんの問題が挙がったり(非知性体がメンテナンスしている説、バックアップが無数にあるから問題ない説などがあった)、トカゲ座のことは他生命体に聞いて終わっちゃったけどいいの?とか、マクロ球を移動するのに何兆もコピーできて怖い!とか(白熱光でやってたみたいに消してたんじゃないの説が挙がった)、色々話し合った。

トランスミューターが残したのが中性子!というのは凄いという話をしつつも、相変わらず知性がある種しか辿り着けないんだねえという、知性への信頼が厚すぎる、いつもと同じ安定のイーガンさんという話も出た。

ふつうのSFだったらみんなマクロ球に避難して助かりました!で終わりなのに、トランスミューターを追って900億年も時を駆け、どんどん発展していくストーリーが魅力的という意見にも深く同意。

今回も、参加者の方々のご協力によって、楽しい会になりました。いつもいつも長くなっちゃって申し訳ない。

そして、どれだけ興味を持っている方がいるかわかりませんが、次回以降、知り合い同士でやっていたこのイーガン読書会、外部からも参加者を募集したいと思います。

理由としては、単純にもっと多くの人にイーガンを読んでもらいたいというのと、知り合いだけの間だとどうしても閉塞感が出るからというところです。

あと、これだけちゃんと(というか労力をかけて)まとめているので、そろそろ誰か興味持ってる人いないかな??というのもあります。

もしご興味ある方は、今後開催概要をこちらのブログの方に載せる予定なので、そちらをお読みください。また、同時にTwitterアカウントも作成する予定なので、合わせてフォローいただくと幸いです。仕事の合間に作るので、もうちょっと待っててね。

ちなみに、次回開催は「しあわせの理由」を題材に、2023年3月を予定(日付はまだ決まってないです)しています。対面かZoomかは、コロナ状況を見ながら決めていく予定です。

「しあわせの理由」は、イーガンの短編集のなかでも大変読みやすくわかりやすいものなので、ご興味ある方はぜひどうぞ!ご質問やご意見はブログにコメントを寄せていただいてもかまいません。後日返信させていただきます。

私としては、イーガンについてメッチャ喋れる会を作って、色々な人がイーガンを読んで難しい部分はあるけど面白いな!と思っていただければ、それに勝る幸せは今のところないです、いやまじで。

あ、欲を言うなら、劉慈欣とThisコミュニケーションも読んでもらえると嬉しいです(推し作家は全部読んでほしい)

ではでは、ぜひ、今後ともイーガン読書会をよろしくお願いします。