かみむらさんの独り言

面白いことを探して生きる三十路越え不良看護師。主に読書感想や批評を書いています。たまに映画やゲームも扱っています。SFが好き。

マーティンはVtuberになれば良かったかもしれない!?(イーガン読書会④「ゼンデギ」報告)

イーガン読書会4回目。題材はゼンデギ。

年末にディアスポラをやるので、少し軽いものを読んでおこうというのと、今後直交三部作を読むにあたって、初期のころより少しバージョンアップしたイーガンの人間観や倫理観が参考になると思って、ゼンデギを選んだ次第。

私はめっちゃ好きなのだけど、ネットで調べてみたら大変評判が悪いのでびっくりした。そっ、そうだったのか……。

参加者は私を含めて5名。うち、3名が既読。

難しいところがないので、あんまり話し合うことないかな、と思ったけれども、蓋を開けてみたらなんと4時間も話し合っていた。

半分はゼンデギの内容ではなく、現在のテクノロジーとか、物語(主にイーガン作品)の読み方とか、複数作読んできたイーガンの倫理観とか、脱線に脱線を重ねていたわけだけれども……。

不肖主催、楽しすぎて時間を調整することができず。オンラインという場で時間制限もなく、好きなだけワチャワチャ話し合っていました。

酒も入ってないのに、よくこんなに長時間喋れたなあ……(反省してます)

 

さて、主な皆さんの所感としては、万物理論や白熱光などのハードSFの面白さとは少し違うが面白かった、という感じ。

センスオブワンダーはないけれども、万物理論よりもスッキリとまとまって、ぽっと出の人物やテクノロジーがなく、小説としての進歩を感じる。最初の音楽のコピーが失敗するシーンも、ラストの伏線であると同時に、読者にラストの展開を予想させる不穏さに一役買っている。

人物描写も、たとえばオマールが人格者のようにも、人種差別するゲスのようにも描かれるなど、揺らぎのある人間らしい描き方となっており、より人間ドラマがリアルになった。主役のマーティン、ナシムも、前作の主役より共感しやすく、感情移入しやすいと感じる。

私はこの辺は、イーガンのエッセイで書かれているように、イーガン自身がオーストラリア難民政策に関わって学び、変化した部分なのかなあと語った。

これは余談だけれども、順列都市で、無批判に人工生命体の進化を許したことを悔いていたひとが、現実で、様々な政策に振り回されて虐待されたり、死んでいったりする無数のひとたちを、一体どんな気持ちで見つめていたのか……。

イーガンの豊かな想像力と知性を持ってしても、いや、だからこそ(いろいろな意味で)救えない人はたくさんいただろうな、と思うと、なんともかなしい気持ちになります。

と、私の勝手な感傷はともかく。

相変わらず物語の核が現れるのが遅く、ラストが駆け足で、全体的に長すぎる感はみなさん感じた様子。

ゼンデギが現れるの遅すぎ問題は、ネットの感想でもよく見られました(笑)

第一部は、テクノロジーによって革命が成功する、という部分が二部になってテクノロジーを受け入れる国民性に繋がる重要要素なのに、特にそこを強調することがないため、第二部へとうまくつながっていない、読者に意図が伝わっていない、という意見も。

イーガン、万物理論もそうだけど、話の核になる重要なものや人物をサラッと書き流すことがたびたびあるんだよな……。現実では重要なことが何度も出てくるわけじゃないし、色々な物事が繋がって大きなものになることはそうそうないので、そういう意味ではイーガンのリアル志向の結果なのかなあと思わないでもない。

ちなみにこのひと、第一部はジャスミン革命と関係があるのでは?と思ってしまったとのこと。

私は知らなかったのだけど、フェイスブックで拡散された動画によって事態が大きく進んだ、まさにテクノロジーによって革命が成功した例のようですね。

実際は、ジャスミン革命はゼンデギ執筆の後なので、特に関係はないようです。日本語翻訳の時間差で起こってしまった悲劇。イーガンの先見性がすごすぎた。

そういえば、この辺で、作者の意図と自由な読み方・解釈について大論争が発展して、それはそれで楽しかった。ブログでは割愛するけど。

また、既読組は、数年前に読んだ時よりも面白く感じたという意見。私もこれ。

技術が進んで、AIについてなどより身近になってきてリアリティが増した、自身が年齢を重ねてマーティンの気持ちや切実さがわかってきたという意見が。しかし、だからこそサイドローディング技術はまだ随分と先の未来だと思ったという意見も。

私は読んだのは去年なので、身近さはさほど変わりがなかったが、マーティンの選択については、昔よりも解像度高く読めたと思う。この辺は後で詳しく書きます。

初読組は、イーガンの倫理観に感じ入った様子。主観で判断するのではなく、客観性をもって悩み続けるイーガンの誠実さは、理想主義ともいえるけれども、この世界には絶対的に必要なものだと私も思う。

マーティンの傲慢さを感じた方の、教育ってこういうのじゃないだろ、というツッコミも面白かった。ジャヴィードを自分のクローンにしたいのか?と思ったとのこと。

マーティンがやろうとしたことは、切実だし理解できるけれど、確かにグロテスクでもあるよなあ。

結局、あまりにも高度なものを作ろうとし過ぎて失敗するという、イーガンのバランス感覚が良かったとのこと。

しかし実際、この試みが成功して、マーティン・クローンが存在し続ける未来はジャヴィードにとって幸福かどうかっていったら、やっぱりきついよね、という話もあがった。私もそう思う。

ジャヴィ―ドの幸福というところについては、オマール家族に育てられるのがいいよね、という話もした。お金もありそうだし、生活力もあるし。マーティンはオマール家族とは違う、自分の必要性を常に探していたのかも、という意見はちょっと切なかった。

 

サイドローディングのアイディアに関しては、現在似たような技術として、ニューラルネットワークディープラーニングが挙がった。絵を描いたり、小説の続きを書いたりするAIや、グーグル翻訳で使われていたりと、最近たいへん身近になってきた。

あまり詳しくないけれども、この辺りの研究が始まったのは2005年くらいらしいので、イーガンはやはり先見性が凄まじい。

今後発展していくであろう新しいものにすぐに目をつけるまでは他の人でもできるかもしれないけれども、それを小説に落とし込んでしまえる人のなんて、他にいるか?神様なの?

しかし、本書で描かれているAI(っぽい奴)になるまではまだかなり遠いなーという話し合いもした。意識を持っていると勘違いできるほどのAIまで行くには程遠い。まだ暴動も起こらないしね。

ただ、この話し合いの中で、岡田斗司夫氏(主催がよく本や動画参考にしてる)が以前言っていた、Youtuberはキャラクター商売だから、AIに職業を乗っ取られるというような話や、以前森美術館で見たAI美空ひばりなどを思い出した。

キャラや個性の学習により、本人より本人らしい動画や音楽、絵などは今後作成できるようになっていくだろう。そしてそいつらは、人間と違って、年齢や環境で劣化することがないのだ。

そんな話をしたら、他の参加者も、すぎやまこういちのAIができて曲を作って、何も知らずに聞いたら本人のものともう見分けがつかないだろう、と言っていた。

たぶん本書のヴァーチャル・アジミも、そんな感じで、本人より本人っぽい動きができるのだろう。

ゼンデギで書かれている世界は、当時考えた近い未来像としては、びっくりするくらいリアルで的を射ている。

未来像としては、医療に関してもそう。自家培養した肝臓を移植するという部分では、今話題のiPS細胞の話が挙がった。

実際、ある参加者の親戚が再生医療研究に協力して、左足の腱を提供したとのこと。それはどうも地震でだめになってしまったみたいだけど……。

軽く調べてみたら、大きな臓器はまだ実用化していないけれども、表皮や軟骨はすでに実用化しているみたい。未来だわね。

しかし、それにしても、肝臓を移植したところで五年生存率が30%、マーティンの場合はかなり末期で延命しても1年くらい、というのは、イーガンやはり医療がわかっているな、という感じがする。なんで病院に勤めてただけでそんな知識があって、妥当な未来を予測できるのイーガンは。

イランの政治や神話についても、メチャ調べ上げてるし、ほんとイーガンは知見が広くて信頼に足る。

 

ゲーム「ゼンデギ」に関しても色々な意見が挙がった。

私は昔読んだ時、つまらなさそう~という一言でしかなかったのだけれども、最近VRchatという世界を知って、コミュニケーションを求める人にとっては、このゲームはめちゃめちゃ面白いだろうな、と思った。

私はオンラインゲームがぜんぜんハマらなかったひとなんだけど(コミュニケーションも競争もあまり……)、小学生とコミュニケーション取れるのは面白いよ!と言われて、確かに世代を超えて一緒に遊べるのは利点だよなとは思った。

でも別に私は小学生と一緒にゲームしたくないからなあ……戦闘中にリア友が来たからと抜けられたら困ります……。心が狭いので……。

また、本書のゲームが面白くなさそう問題は、マーティンが幼児向けを選んでいるからじゃないかという意見に、それはそうかもなと思った。ゲームの進行も、マーティンが誘導している部分、だいぶあるし。

この辺に関しては、先述したマーティンを傲慢と言った人は、父親とやるゲームが面白いわけない、息子が父親を接待している、と言っていて笑ってしまった。確かに。

ゲーム内容はともかく、ゲーム世界に入り込める技術はいつ実用化するんだろう、という声も上がった。

これに関して、私はヴァーチャル・アジミ実際にあったら、本当にやりたいか問題を提唱。ゲームでサッカーやるなら普通に外でやったほうが良くね?という。

ゲーム世界と現実が連動する技術はすでにあるが、別に現実で走らなくてもボタンを押して走るだけで十分リアル感を持ってゲームに没入できる人は多い。

実際、ドラゴンクエストソード(剣のコントローラで戦える)はあまり売れなかったらしいし。ゲームがどんなにリアルになろうとスマホゲーの方が売れるし。

ただ、前述したVRchatはかなり市場を広げているし、リングフィットアドベンチャーはバカ売れしているし、やり方次第では面白いものにできる可能性は大変高いよな……と終わった後に思いました。

VR体験した人は、バイクのゲームでメッチャ速い!と思ってたらスタッフがウチワで仰いでいた、案外人間は騙される、というような話もしていた。

どのみち私にとってはNot for meなのでは……?と思うのだけど、こうやって新しい技術に乗っからないでテクノロジー音痴になっていくのはヤバい感もあるので、私もVRゲームくらいは嗜んでおきたい次第。

 

結末の展開については、私が今回一番メインに読んだので、一生懸命話した。

私はマーティン・クローンは大失敗だったと思っていて、初読時、結構なショックを受けた思い出がある。今回はそれはなんでだったのか、をずっと考えていた。

結果思ったのは、マーティン・クローンは、マーティンのある一部分を正確に読み取り過ぎてしまった結果だったんだろうと思うんだよね。それは、マーティンが心に閉まって、見ようとしていなかった部分で、自分でも暴力的で理不尽で不快だと思っている部分。

誰でもそういうのあるでしょ。怒りも、暴力的な衝動も、暗い欲望も。

しかしクローンはそれをも正確に読み取り、反映してしまい、しかも対処行動を取れなかった。マーティンにとっては、存在してはならない、しかし明らかに自分である像がそこにあって、それはものすごくショックなことだったと思うんだ。

個人を個人足らしめるのは、非常に些細な部分という話が本書では語られている。マーティンの個性は、命乞いをした人を殺した人間への怒りとトラウマを、差別や理不尽な暴力に対する苛烈な信念や思想を、他者との交流や生活の場で上手く制御し、折り合いをつけ、表現していく部分にこそあった。

だから、マーティンは、クローンを削除するしかなかったのだと思う。クローンは自分であって自分ではないし、パッチを当てたら、今度は別物になってしまうか、また別のところで不具合が生じるに違いないから。

こんな話を自分に置き換えたりして懸命に話した。みんな静かに聞いてくれてうれしかった。

このおはなしは死を前にしたマーティンの自分探し、と言っていた参加者がいて、それはまさにその通りだと思う。失敗作を見せつけられることで、マーティンはやっと、自分を確立して、オマールとコミュニケーションが取れたのだ。

というわけで、私はこんな感じで話していたのだけれども、ここまで大失敗と捉えている人は私くらいだった。

こんな命のやり取りをする場面は現実ではそうそうないだろうし、閉鎖的で限定的な空間でなら、父親として遜色ない接し方ができるだろうし、残しておいても良いのではないかという意見も。

そして、めちゃくちゃ面白かったのが、本人の姿ではなく、目玉親父みたいなリアリティを下げたアバターだったら、多少暴力的になっても大丈夫なんじゃない?という意見。

確かに、目玉親父が「お前は無価値な糞の塊だ!」と言うのと、マーティンのそのままの姿で言うのとでは、かなり感じ方に違いがあるはずだ。

本書は映画「アバター」よりも前の作品で、振り返ってみると、自分を全く別の形でネットに放り込むというのは、当時はあまり普及していなかった。少なくとも、Vtuberバ美肉おじさんのような、全く自分と似ても似つかない姿のアバターの方がより自分らしいみたいな感覚を持つ人はかなり少数派だったはず。

さしものイーガンもさすがにそこは予想外だったようで、アバターについては触れられてはいるものの、ほとんど内容に関係しない。

ということで、当読書会の結論としては、マーティンはVtuberになっていれば良かったかもしれない!ということになった。

えーなんじゃそら、という結論だけれども、案外的を射ているし、未来の在り方かもしれないと思う。だんだんと、しかし確実に、持って生まれた自分の外見や身体性が重要視されない社会になってきているのを感じる。

とりあえずイーガンにはバ美肉おじさんについて書いてほしいよね(そうか?)

 

さて、随分と長く書いてきたが、触れられなかった面白い意見がまだたくさんある。

AI意識は結局見る人の問題の話や、結局はこれもアイデンティティについての話だよなとか、革命時のモブやファリバなどの描き方が人間と同じ扱いで大変フラットだ、とか。

なぜトーキングヘッズに注釈がなくてメタリカにあるのかとか、シャーナーメ面白いと思ったらほぼイーガンの創作やんけ!とか(笑)

マーティン側に比べ、ナシム側の話はほとんど出なかったが、黒幕であるロロの意見に納得させられてしまうあたりが面白いという話などが挙がった。

全体的に、色々な視点、色々な解釈で話が深まり、たいへん面白い読書会になりました。長くて疲れたと思いますが、お付き合いいただいてありがとうございました。

次回は12月にディアスポラの読書会を行う予定。

さてついにディアスポラ!イーガン作品の中でも1,2を争う面白さ!スリル!センス・オブ・ワンダー!何書いてあるかわからないけどわかるような気がする!ヤチマかわいい!

イーガン作品の神髄とも言える作品なので、今から楽しみです。私は既読ですが、もう一回読めてみんなで話し合えるなんてサイコー!と思っています。

無事終えたらまたブログにて報告を書こうと思います。また楽しくおしゃべりできるといいな。