今回から知り合い以外の参加も募集したイーガン読書会第6回。まあ実質初回っス。
新しい人もお招きするということで、初心者向けイーガンと名高い「しあわせの理由」を課題本とした。
かの猫町俱楽部さんでも「適切な愛」が取り上げられたらしいし。
しかしまあ、蓋を開けてみたら来てくれたのは大のイーガン好きばかり!
もちろん(?)すぐに話は直交やらビットプレイヤーやらへ飛び、遠くへ行ってしまいがちな話し合いになった。合言葉は「しあわせの理由の話しましょ~(笑)」
参加してくれたのは、私含め7名。うち、3名がニューフェイス!
ワタクシ割と緊張しいなので、時間になるまで楽しみと不安が戦ってたんだけど、良い人たちばかりで良かった。
初読は2名のみ。しかし、再読組も数年~十数年ぶりの再読の方が多く、新たな発見があった様子。
私自身、どうも10年近く前に読んだきりだったので、忘れていたおはなしも多くあり、再読して「こんなんだったっけ!」となったりしていた。
ちなみに一番人気の短編は、やはり表題作の「しあわせの理由」、次点で「ボーダーガード」でした。
私は過去も今も「愛撫」がイチオシなんだけど、私以外に推してる人はいませんでしたね……。
いや、変態でホラーの気持ち悪いおはなしだけど!魅力はそれだけじゃないのよ!ちなみにその話もちゃんとしました。
いちばん最初に議題に上がり、最後まで話し続けたのは、これはエンタメなのか?エンタメではないか?というところ。
イーガン最新作のほうがエンタメしている!という方もいれば、初期イーガンはエンタメしてるなあ、と感じる方も。これは意外だった。
確かに、今作はイーガン特有の難しい理論や現実とかけ離れた世界のシミュレーションは少なく、現実と地続きの話でわかりやすいという点に置いて、エンタメと呼ぶにふさわしいような気もする。
しかし、不死になった人間の典型的末路や金持ちが倒されるスカッとストーリーは描かれていない。つまり、読者側が期待する展開が描かれている作品はほとんどないのだ。
だからこそ、Amazonレビューあたりでは、ストーリーが希薄とか、キャラクターに魅力がないとか言われがちだ。
そういう意味では、「闇の中へ」がいちばんエンタメに感じる、という意見も出た。災害が出現し、それを振り払うという期待通りの展開に、ワームホール概念も比較的読み(飛ばし)やすい。ゲームみたいだったと話す方もいて、確かに!と思った。
「闇の中へ」はイーガンが作家デビューして間もない作品であるため、セオリー通りに書いているのでは、という話も面白かった。
また、人間の根幹を揺るがすようなテーマ(自分とは何か?自分の感情はいかにして作られるか?)を描きながら、そこに答えを出すことがない。
SFをあまり読まない読者にとっては、深く考えたくない問題を突きつけられ、答えがない、すっきりしないというのは不親切に映るだろうし、エンタメとは程遠い読み味になるのは想像に難くない。
ここに関して、普通のストーリーに対するアンチテーゼが描かれていると感じた方もおり、そういう意味ではエンタメ、とはやはり言い難いのではという話も。
さらに、テーマ性についても、「道徳的ウイルス学者」では道徳と宗教がごちゃごちゃになっているなど、最近のイーガン作品より練られていない、深みがない、という意見もあった。
新しイーガン、特に「ビット・プレイヤー」は小説が上手くなっているとのこと。私も既読だが、確かに同意だ。
しかし、小説は上手くなったが、同時に難解になった。読者を選別しているようにも見える。ちなみにここから白熱光難しかった!という話になり、なぜあれが1回目だったのかという話になり……(白熱光を初イーガンにしてしまった方すみませんでしたw)
結論としては、「ビット・プレイヤー」で新しイーガンを読もう!という話に。次回の課題本になりました(もともと最有力候補だったので即決定)
後は、エンタメといっても色々な見方があり、一面でしか面白みを感じられないのはもったいない、世界が狭い、と。
この話し合いで、個人的に思ったことがある。
最新の科学技術や新たな世界をシミュレーションした小説を書こうとしたとき、面白いストーリーを描こうと思えば思うほど嘘を付かなければならなくなる。その嘘をいかに巧妙につくかというのが作家の一つのあり方だが、イーガンは嘘をつかないシミュレーションで面白くすることに特化していったのではないか、と話した。
「ボーダーガード」で、オアシスに着いたら水を飲む→ラストで川に入るという、美しい小説的なテクニックを使っているのを見ると、イーガンは絶対小説が下手なわけではないと思うのだ。
イーガンは、他の作家とは異なるやり方を求め、書き続けながら自分のスタイルを確立し、より洗練されていった。だからこそ、新しイーガンのほうがエンタメ!小説上手くなった!と感じる人もいるのではないか。
次回の課題本も決まったところで、次の議題は、やはりイーガンの最大の持ち味、自己同一性について。
「移相夢」は、コピーの消える間際の夢というような話で、特に自分のコピーは自分か?これは夢か、実在の死か?のようなテーマで読者を惑わせる。
「無限の暗殺者」や「僕になることを」、「順列都市」でもこんなテーマがあるという話になった。初期イーガンでは、切り離せない重要なテーマだ。
そういえば、前回の「ディアスポラ」読書会では、延々とコピーが作られていくことについて、どうしてるんだこれ怖い……という話もあった。
このテーマに関しては、決してシミュレーションができず、シミュレーションが本番という面白さがあるという方も。
さて、ここで私の「愛撫」推し、炸裂である。
主人公は、強化薬によって自身の精神に混乱が生じているが、さらに連れ去られて体を変化させられてしまう。もう自分がどこにあるか分からない状態で、しかし自分の意志で体を戻し、前の自分であり続けると頑張っている。
それが良いのよ!
これには同意してくれる方も多く、苦しくても自由意思を重視することが、イーガンの考えだよね、と言ってもらった。
「順列都市」読書会でピー派かトマス派か別れた、懐かしい話をしてくれる方もいた。柔軟に自分を変えていくことを厭わない人もいれば、自分というものを規定し縛り続けることを求める人もいる。
イーガンはどちらの目線にも優しいよね。
かみむらさんは、「しあわせの理由」で他人の報酬系に従いたくない!派だよね、と言われ、それはまじでそう!と思う。たとえ、好きも嫌いも神経伝達物質のバランスだったとしても、それを選ぶ自分が大切なんです、私。
「ボーダーガード」のマルジットの、傷を消さないことで自分を保ち続けるという意志もこれだよな、という話にもなった。
彼女は社会正義を背負っている部分があり、少し違うかもしれないという意見もありつつ、それでも、同世代の人たちが未来人に溶け込んでいったり、グループを作って固まったりしていく中、この意志を貫くのは容易ではなかっただろうと思う。
そう考えると、このラスト、とてもいいですね……。としみじみ言う方も。わかる!
「しあわせの理由」も、最後の最後でごみ溜めのようだけど、自分の選んだ住処というところに落ち着くのが、苦しくもあるけど良いなあ!と思います。
話し合った大きなテーマはこの2つだが、その他にも色々と語り合えた。
似ている作品やつながりを感じる作品は、あまり話し合えなかったが、「適切な愛」から白井弓子の「WOMBS」を思い出したという声や、「愛撫」の頭が女、体が豹は、五十嵐大介の「ディザインズ」でも描かれているという声があった。
私は全然知らない作品だったので、今度読んでみたい。
テーマとしては、伊藤計劃の「虐殺機関」「ハーモニー」などはかなり繋がりがあるという話も。こちらは私も既読なので頷けます。
また、この短編集が書かれた時代は、かつてタブーであったトランスヒューマニズムが肯定的に描かれつつあったのかなという話も。
大衆の中で身体改造がまだあまりポジティブに考えられていなかった時代だからこそ、これらのおはなしが書かれたのだと思うと面白い。
時代を感じる言葉(ISDNだとか、想定した近未来が2023年とか)や状況(携帯電話がない、ネットで絵の検索ができない)が多くあるにもかかわらず、今読んでも新しい、遜色ないというのは凄いという話もあった。
むしろ、「血を分けた姉妹」や「道徳的ウイルス学者」などはコロナ禍を経験した今読むとより馴染みやすいという意見も。
今となっては広く、様々なジャンルで描かれているテーマが書かれており、色々な作家に影響を与えているという指摘もあった。現代のSF作家で、イーガンに影響を受けていない人はいないだろう、という意見には大いに同意!
宗教を馬鹿にするような作品が多いのも初期イーガンの特徴だよね、という話もした。「チェルノブイリの聖母」では全く馬鹿にするわけでもなく、イーガンの良心が垣間見えるよね、という意見も。
「適切な愛」は、金がなくて仕方ない選択、というシビアさが描かれているところから、初期は保険や金の問題もかなり扱っていたね、という話もあった。「順列都市」でもたびたび描かれていたしね。
この短編集は人間しか書いていない、という話から、いやデータ化人類は人間じゃないの?という話になったのも面白かった。
データ化を人類からの逸脱と取るか、単なる居住地の変化か?とか、7千歳の人間とは自分達と同じ人間とは言い難い気がする、むしろ7千年経って今の人類と考え方があまりにも同じ過ぎるのでは?とか。
この辺は自己同一性の話の流れでうやむやになってしまったので、機会があればもう一度語り合ってみたいところ。
人格をデジタル化する時代に突入したら、みんなやりたい?という投げかけがあったのも面白かった。
ここで、やりたい!やりたくない!とすぐに飛びつかないのが、イーガン好きのグループっぽくて良い。環境と状況によらない?とかいう話が真っ先に出る。
「順列都市」の世界なら嫌だ!とか、ムリヤリ連れていかれるのは嫌だ!とか、近しい人の影響もありそう、とか、肉体が老いてきたらやるかも、とか、デジタルと現実を行き来できるなら、とか。
永遠には生きたくないよね、自殺も嫌だしなあ、という意見に対して、それは死する我々だからそう考えるだけで、きっとデジタル化したら生と死の感覚も変わるのでは?とか。
私は、「移相夢」とか考えると怖すぎるので、基本的にはやりたくない立場だけど、でも死ぬ前に選択しろって言われたらやっちゃうかも……と答えた。
こちらも時間的にあまり話し合えなかったけれど、色々な意見があってとても面白かった。
あと、個人的に面白かった意見としては、「しあわせの理由」で、精神をコントロールできるなら強いと思ったのに、こんなにちまちま考えなきゃいけないなんて人間は無力だな、と思ったという意見。
その方は、この短編集全体が、科学技術に対して人間が追いついていない感じを受けたとのこと。
この辺りも、初期イーガンと新しイーガンの違いかもしれないな、と思う。短編など、年代ごとに比較すると面白いかもしれない。
知り合いだけで始めたイーガン読書会を、しかしもっと多くの人と分かち合いたい!というノリで外に広げたが、初回にしては大成功という感じで終わって良かった。
こんなにイーガンを好きで読んでる人の中にいられて良かった、久しぶりに再読できて良かった、など、嬉しいお言葉も戴きました。
イーガンはSF好きでも貸すのためらうよね~という話にも、わかる~!と答えられるメンツばかりで、なかなか布教できない辛さをわかちあったり……。
懇親会でも、イーガンの話題やSFの話で盛り上がり、話も尽きぬ感じでとても楽しかった。
次回はまた3か月後、6月あたりで「ビット・プレイヤー」を課題本に読書会をしたいと思います。近くなったらまたついプラで告知しますので、みなさまどうぞよろしくお願いします。
あ、あとたぶん次回もZoomでやります。対面だと遠い人来れないし、何より場所代が割とかかるので……。