かみむらさんの独り言

面白いことを探して生きる三十路越え不良看護師。主に読書感想や批評を書いています。たまに映画やゲームも扱っています。SFが好き。

イーガン最新作は優しい世界に祈りを込めて(イーガン読書会新春特別編「堅実性」報告)

前回の読書会で話題になった日本でのイーガン最新作「堅実性」、評判がめちゃめちゃ良く、読書会したら面白いんじゃない?なんて参加者からも言われちゃったもんだから、すぐにその気になっちゃって急遽決まった新春特別編。

年末のバタバタとした中で参加者を募っていたので、人集まるのかな~、そもそも短編1作で2時間喋れるのか?私の独演会にならないか?など、色々不安があったのだけれども、蓋を開けてみたら参加者は私含め10人!

参加者が多かったこともあって、2時間みっちり語り尽くすことができました。

前回の報告でも書いておりますが、正直ちょっと使いづらくなってしまった某SNSの中で、いつも拡散して頂いているイーガンファンの皆さんに、翻訳の山岸先生、ハヤカワ書房さん、本当にありがとうございます。

今回初参加の方もおり、「堅実性」が初イーガンという羨ましい方もいらっしゃいました。私も可能なら一度記憶を消してから「宇宙消失」の凄さをもう一度味わいたい……。

春夏は直交やっているはずなので、その間は固定メンバーになりそうだし、ゴールデンウィークあたりで、また短編を拾って特別編でもやりたいと思っています。

正直、イーガンは短編集もボリュームがある作品が多くて、全部読書会で語ろうとすると結構話回すのが大変なので、多くても2,3作でやっていけたらいいかなと。

まあそんなことはともかく。

今回は、SFマガジン12月号に、ソラリスの漫画と一緒に推されて掲載の「堅実性」!

まずタイトルがいい。「確かなもの」とか変にやわらかい感じのタイトルにならなくてほんとうによかった!ちょっとビジネス書的な趣はあるけど……。

そして、内容も傑作。多層的なテーマを扱い、様々な解釈が可能で、その人の経験や環境、読むタイミングによって受け止め方ががらりと変わる作品で、今回の読書会でも、自分では思いつかなかった意見があったと感想が上がった。

今後イーガンの代表作として語られるだろうし、短編集が出たら目玉の作品になるだろうという話になり、人にも勧めやすい!と多くのイーガンファンが嬉しくなる作品でもある。

イーガンファン、急にディアスポラとか勧めて敬遠されがち(ディアスポラはみんな挫折しがちなので、やめよう!)

イーガンを長年読み込んだ人にとっては、イーガンがネクストステージに進んだという見方もあり、また、現実と地続きの設定や少年の視点は原点回帰にも見えるという感覚もあり。

今までアイデンティティやコミュニケーションについて、丁寧に実験・考察を重ねてきたイーガンだからこそ描けるテーマが盛りだくさんで、そこに量子力学のギミックを重ねたアイディアも、物理学に精通したイーガンならではのもの。

イーガン小説上手くなったよなあという話もあり(ビット・プレイヤーでもそんな話したね)。まあ昔から上手いんですけどね、万人に通ずる上手さになってきたということなんだと思います。

ちなみに主催はキューティの頃から上手いと主張しております。キューティ大好きなので……

作中では人間が入れ替えられてなお世界が成立しており、テセウスの船を連想する方もおり、人間が部品のように入れ替え可能という考え方はIT系っぽい考え方だよね、という意見もあった。

似たテーマを扱う作品としては、山本弘シュレディンガーのチョコパフェ」、小林泰三「失われた過去と未来の犯罪」が上がった。両方とも、世界や人間が急に切り替わった中でどうにか生きていくという話。

両方とも読んだことのない作品なので、今度読みます。

私はマルチバースものとも近い感覚があり、「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」を挙げた。内容は全然似ても似つかないけれども、帰結は似ている気がする。

テーマが近いイーガンの昔の短編を上げるとするなら、「貸金庫」「無限の暗殺者」「ビット・プレイヤー」などでしょうか。特に「貸金庫」は近いような気がするのと、めっちゃ面白いので、みんな読みましょう。

 

さて、私はこのおはなし、1回目はSFマガジン発売当初に読み、イーガンがアイデンティティの話を極めた!という印象があったのだが、つい先日、2回目を読み終えたとき、これは災害の話なのだと思った。1回目はスルーしていたラフィークおじさんがオマール少年を懸命に守る姿や、堅実性宣言に胸を打たれ、泣いてしまうほどだった。

他の方はどうか、と聞くと、私と同様、災害の話と読む人もいれば、社会倫理の話と読む人、現代社会へのメッセージと読む人、少年のサバイバルものと読む人、と様々。

災害の話と読んだ方は壺井栄「母のない子と子のない母と」がずっと頭に浮かんでいたという意見があった。戦争のさなか、タイトルそのままの状況で、助け合っていく親子の姿を描いた作品とのこと。

Kindle版が280円で売っているので、こちらも今度読んでみたいと思う。

コロナ禍を思い出したと語るこの方は、悲しみの中立ち上がる主人公オマールを見て、自身の家族についても思いを馳せた様子。自分が同じ状況になったらどうするかと考え、子どもたちに幸せを見つけて生きていってほしいと語る姿が印象的だった。

この話の中で、ラフィークとオマールも上がり、二人が親子に見えるかそうでないか、というのも人によって分かれた。

私はラフィークは父親ではない、あくまで優しいおじさんでしかないと思っていて、おじさんは永遠に見つからない息子をずっと探し続けているのだと思っていた。

ラストでラフィークがいないというのも示唆的で、ラフィークはやはりオマールが息子でないことに耐えられなかったのでは?という意見も上がる。

オマールは少年であり、「みんなが同じことをし続ければ良いのに」という純粋な思いを抱き続けている。ラストでも前向きに世界を捉え、未来に向かって進んでいく。

この前向きさがカッコいい!という意見も多かった。中学生という純真さと大人びた意識を併せ持つ年齢で、若々しい柔軟さで世界を渡っていくことができる。堅実性ネイティブという言い方をした方もいて面白かった。

対するラフィークは、堅実性非ネイティブなのである。現実的で他者との関りを重視している。家族を諦めきれず、会えない辛さをオマール以上に痛烈に感じている。

彼らは支えあうことこそできたが、家族にはなれなかったのじゃないか、と私なんかは思うのだが、結局これは家族というものをどう定義するのかにもよるんだろうなあ。私はちょっと家族に対する憧れが強すぎるので……。

これは余談だけど、読書会が終わった後酒飲みながら考えたんだけれども、オマールにとってはラフィークは父親でも良かったし、友人でもよかったんじゃないかと思うんだよね。実際、彼は子供で、庇護者は必要だったわけで。それが他人でも良いというのが子供の強さなんじゃないかと思ったわけです。

ラフィークは、やっぱり実の子どもが死んだわけでもないし、オマールを息子にはできないよなあ…と思う。しかもよく似ているけど確実に違う、なんなら毎日違っていく息子をさ。

親子が引き離されたとき、より辛いのは親の方だろうな、と親が嫌で現地母を作り続けた私などは思います。

 

社会倫理、社会問題の話と読んだ人たちからも様々な意見が上がった。

ゲーム理論的に考え、事態が長期的なものになるにつれ、誠実であることで利益があると読み解く方もいれば、社会から個人性を抜き取ったときに世界がどうなるか?という話だという方に、人と人との繋がりについて、サボってないでちゃんと努力しろという話だという方も。

テクノロジーが成り立たなくなった世界について、某マスクのせいで変わってしまった某SNSについて挙げる方もおり、インターネットの普及に伴い消えていった、かつてのネットの凄いひとという話題にもなった。

そこから、現実での人との関係を大事にしていく必要があるのでは?という話にもなり、年賀状とかもちゃんとやった方がよいのでは?と話が上がって、年賀状大嫌い(めんどくさいから)私としては、耳が痛い話だった。

一つのSNSがだめなら別に移ればいい、という意見もあり、だけれども、移った先ではまた別の人間関係になってしまうよねえ、なんて話にもなった。

現在この読書会も某SNSに頼り切っている状況なのだけれども、たとえばこのグーグル検索に基本的に反映されないブログくらいしかなくなってしまったら、まじで孤島のイーガンマニア収容所みたいになって、あんまりよくないんじゃないかと思ってる。

また、このテクノロジーが成り立たなくなったことに関しては、ミステリ的なガジェットで、テクノロジーが成り立つと話が面白くなくなるから導入された設定という意見もあった。納得いく説明がちゃんとしてあるので、イーガンはやはり丁寧。

私は人との繋がりという面に関しては、アイデンティティ量子論とも絡めて、自分が優しい世界を作ろうとすれば、優しい人が周囲に増え、優しい人は優しい人に入れ替わり、結果優しい世界になっていくという話でもあるのじゃないか?と投げかけた。

すると、イスラム教では困っている人に施しをする義務(ザカート)があるため、登場人物の設定に既に誰かに優しくする義務がすでに盛り込まれているという指摘が。

イーガンはゼンデギでもイスラム教徒のおはなしを扱っており、造詣も深いため、間違いなく意味のある設定なのだろう。

自身のアイデンティティを選択し、堅実性を確保することで、誰かの堅実性を確保し、世界の堅実性を維持していく(自身の望む方向へ収束していく)というのは、決しておはなしの中の世界の話ではなく、現実でも生かしていけることなのではないか。

善性・知性を選択したい、こうなってほしいというイーガンの祈りのようなものが感じられるという方もいて、それはほんとうにそうだな、と思う。

マルチバース的には世界は無限にあるので、酷い選択をし続けて、周囲の人も急にモヒカンに変わるみたいな、マッドマックス的な世界になる可能性もあるわけで、それは嫌過ぎという話もした。そういうのも誰か書いてくれると面白いかもしれない。

 

アイデンティティ量子論的なギミックに対しても多数意見が上がった。

シルトの梯子ではクァスプという、環境に影響されない選択をするためのスーパー技術について描いていたイーガンが、今作では自我は環境に影響されることが当たり前のように描いているという指摘があり、確かにと思わされた。

アイデンティティについて様々なアプローチで描けるイーガンの想像力の広がりには頭が下がる。

アイデンティティとは動的平衡、つまり、自我や身体はそもそも流動的なものであるため、一定のバランスが取れてさえいればアイデンティティ足り得るのではないかという話も上がった。

ラフィークの入れ替わりはショックではあるが、小さな差異があるからといってラフィークはラフィークとして成立している。まさにテセウスの船、スワンプマンである。

ここから、今回の場合は記憶の共有ができないところにしんどみがあるという話も出た。未来はいつか共有できるかもしれないという期待はあるが、この世界では、基本的に過去の共有はほぼできないのだ。

隣にいる家族が、たとえば、一緒に旅行に行った記憶がないのは(あるいは行った場所や見たもの、そして持っている写真や映像が違うのは)とても寂しいことだなあ、と思う。それでも隣にいる人は自分が愛したその人足り得るのか?という問題提起でもあるのかもしれない。

量子論的ギミックについては、やはり観測方法をオマールが実験していくところが面白い、煉瓦に文字を刻む、石を置く、ロープでつなぐなど様々なアイディアが連発する面白さも話題となった。

イーガンは細部まで丁寧で、ビデオの録画を見るときに、実験対象の人間だけでなく自分すらも入れ替わっているというのが凄いという意見も上がった。読んだときはあまり気にしていなかったけど、確かに!

反面、何故石や煉瓦は動かないのか?どこまでのパーツが入れ替わり対象なのか?そもそも観測って誰がしてるねん、という疑問も上がる。

詳しい方からは量子もつれじゃないかなんて話も出て、アッそれ前に勉強したやつだ!とちょっと騒ぐなどした(理解はしてない)

イーガンは一つの法則性をしっかり考えているのだろうが、自分の頭ではわからない……と苦悩する方も。

まあ、これもイーガンファンの宿命ですね。少しでも汲み取れるよう、頑張っていきましょう。

 

それにしても、140枚程度の中編で、よくもこれだけ語り合うことができるよね。イーガンやっぱりすごいなあ。

これだけ内容が濃い話なので、人によってはもっともっと別の見方もあるんじゃないかと思います。

私は最後にこの世界って(重度)認知症の方の世界に似てる、という話をした。彼らは古い過去だけを持ち、周囲を認識できなくなり、人も環境も移り変わっていくように感じている、という話。

私はだから、老人ホームのような新たな世界での人生の再開が必要だと思うんだよね。

結構面白がってくれる人が多くて、なんか嬉しかったです。介護現場を知る人が、介助者が優しくてニコニコしてると利用者も優しくなるという話も出て、先に語った私の優しい世界論とも繋がるね、なんて話もできて良かった。

というわけで、今回も最後の最後まで話が止まらず、非常に楽しい読書会となりました。二次会も盛り上がっちゃったぜ。長々とお付き合いありがとうございました。

今回は特別編だったので、次回は、正式に10回目の読書会になります。お題は当然直交2作目「エターナル・フレイム」!

直交三部作は全部好きだけど、なんだかんだ、私がいちばん好きなのはこの作品かもしれない……。難しいけど、みんなで読んで少しでも理解できるように頑張りましょう!

日程はおそらく4月7日(日)15時になるかと思いますので、参加をご検討の方は予定を空けていただけると幸いです。

最初に書いたゴールデンウィーク特別編は、やるなら5月5日(日)かな……?私はゴールデンウィークの無いので、日曜日しか確定休みがないので許して下さい。

新しイーガンを読んだので、無性に古イーガンも読みたくなってますんで、「祈りの海」あたりから2,3作を考えています。良かったらこっちもよろしくね。

では、今回ご参加いただいた方々、重ね重ね、ありがとうございました!次回以降も楽しくやっていきたいと思いますので、よろしくお願いします。