かみむらさんの独り言

面白いことを探して生きる三十路越え不良看護師。主に読書感想や批評を書いています。たまに映画やゲームも扱っています。SFが好き。

西岸良平って別にノスタルジーだけの作家じゃないんだよという話は100回したい

とある平日に、特に何もやることがなく一人ベッドに転がっていると、久しく会っていない友人からLINEのメッセージが届いた。なんと、東京ソラマチというパリピの聖地みたいなところで、西岸良平展がやっているという。

何を隠そうこの私、小学生時代に西岸良平に惚れ込み、延々と読み漁っていたハイブリッド西岸ファンなのである。

まあ単に祖父の蔵書を読んでただけなんだけれども……。そして鎌倉ものがたりは蔵書になかったのでノータッチなんだけれども……(それでファンと言えるのかとか責めないで!)

この友人は、大学時代に西岸良平が好き!ということで意気投合した友人である。他の趣味はとんと合わないが、西岸良平の良さだけは謎に共有できた。

さて、せっかく紹介してもらったし、ファンだし、そのうち行ってみようかなと思ったら、会期があと3日しかない。そもそも9日間しかやっていない。これは夜勤に行っていたら終わってしまう。

ちょうど予定もなければ夜も夫が飲み会でいないので、慌てて家を出て、東京スカイツリーへと向かう電車へ乗り込んだ。

ということでやってきました、「西岸良平画業50周年記念展 三丁目の夕日と鎌倉物ものがたり~昭和レトロとSFミステリー~」 タイトルが長い。

二大巨頭の鎌倉ものがたり読んでないのに楽しめるのか……?という気もしたんだけれども、大好きなSF短編集や青春奇談シリーズ、蜃気郎シリーズの複製原画や、単行本未収録の短編「ラドン」(なんて挑戦的なタイトル!しかも怪獣もの)の展示もあり、とても楽しかった。やっぱり久美子はいい女だし、ワニ丸は謎の可愛さあるよな~!

実家でゴミに出されてもう見ることはないと思っていた単行本がずらっと揃っていたのも良かった。懐かしくてちょっと涙出た。何で捨てた我が家族よ……。

馴染んだ丸っこい字で書かれたネームも愛らしくて大変良かった。ほとんど絵が描き込まれていないのにも関わらず、ネームだけでも面白いのは、やはり大御所漫画家!人間国宝!(なんたって紫綬褒章授与作家)

昭和レトロということで、昭和期の映像や家具、玩具(誰かブリキの玩具で手裏剣を作って世直ししてくれ)の展示や、西岸良平自身の持ち物であるカメラや懐中時計の展示など。さすがに懐かしむには年齢が足りない私だが、これはこれで良かった。

撮影スポットや、なんか変な仕掛け(ボタンを押すとカレーのにおいがするとか、小窓から家族の姿が見えるとか)が、なんともくだらない可愛らしさがあって、西岸良平ぽくて良かった。

でも、何より良かったのは、年々忘れつつあった西岸良平への熱を思い起こさせてくれたことかな。帰宅後、思わずごちゃごちゃの本棚から西岸良平短編集を引っ張り出してきて読み漁ってしまったよね。

しかし、私が買い直していた双葉文庫の名作シリーズもすでに絶版になっており、西岸良平の短編集は、もはや古本で購入するくらいしか読む術がなくなってしまった。しかも希少なのか、ちょっと高価になっている。とても悲しい。

三丁目の夕日鎌倉物語Kindle入りしているので、その他初期短編集もぜひKindle入り、せめて復刊をお願いしたいところ……。

 

そういえば、西岸良平は、昭和ノスタルジーの作家で知られているのだが、私はぜんぜんそんな風に思っていない。

もちろん、在りし日のうつくしい風景や風俗を描いていることは間違いないだろう。昭和時代の貴重な資料といえる部分は確実にあると思う。

しかし、もし西岸良平の漫画にあるのがそれだけだとしたら、小学生の私に響くわけがない。なんたって私は平成生まれ。昭和の時代なぞ、1ミリも生きていないし、知らないし、興味がなかった。

それでも私は西岸良平の漫画を(祖父の蔵書にある分だけだが)繰り返し繰り返し読んだ。

学年は覚えていないけれども、好きな漫画を授業中にプレゼンするということがあって、「たんぽぽさんの詩」を挙げたのを今でも覚えている。

当たり前だが誰も知らないし誰にもウケなかった。たぶん先生も知らなかった。そりゃあそうだ。当時流行っていた漫画はワンピースだ。周囲で騒がれていたのはデジモンだ。そんな中、私はミステリアンになりたいなあと言っていた。我ながら嫌な小学生だ。

中学に上がっても好きだったし、高校に上がっても折を見て読んだ。大学に行ったら実家の蔵書が処分されてしまって読めなくなったので、社会人になった時に好きな単行本は文庫で買い直した。

何がそれほど私の心を打ったのか。

大人になった今、明言できるものが二つある。それは含みなく描かれる世界の残酷さと、やさしくてうつくしい死生観だ。

西岸良平は、温かく優しい作風だとよく言われるし、何より絵がほのぼのとユーモアがある。しかし、良く読み込むと、そこに現実の厳しさ、残酷さが見え隠れする。

SF短編集などはそれがメインテーマとなる短編が多いし、昭和ノスタルジーで有名な三丁目の夕日でさえそうだ。

今回の西岸良平展の展示にもなっている、先にネームの写真を挙げたおはなし「ホワイトシチュー」も良い例だ。優しい大好きな姉の話だが、その姉は数ページであっけなくお嫁に行っていなくなってしまう。そして兄の嫁として家に来た義姉は料理も下手だし、恐がりで……というおはなしだ。

今となっては時代遅れの考え方なのだろうが、かつては嫁に行ったら帰ってこないのが当然だった。はずだ。私にはわからないけれども。

少年は急に姉を失い、泣いて眠る。そして、その心の変化やケアが描かれるわけでもなく、唐突に兄が結婚し、何の心の準備もできないまま、新しい義理の姉が来るのである。

今回の個人的目玉、単行本未収録の「ラドン」にしてもそうだ。パイロットである父が謎の死を遂げた少年の家は、母がホステスでなんとか生計を立てている。少年は怪獣ラドンこそが父を殺したのだと信じて生きる。そうして年月が過ぎ、母は唐突に新しい父を連れてくるが、少年にはその男がラドンに見えた……。

私の大好きな「ミステリアン」は、地球人よりはるかに優れた宇宙人が地球を調査しにくるおはなしなのだが、1話から地球に魅せられたミステリアンがその能力を駆使して女を遊び捨てるシーンが描かれる。

青春奇談シリーズは、仲睦まじい兄妹と猫又のほほえましい話かと思わせて、この兄妹は血のつながりがなく、妹は兄を恋い慕っているという設定だ。

どれもこれも、ちょっと選択を間違うとエグイだけのつまらない昼ドラになってしまいかねない。

それでも西岸良平の漫画が優しいとか温かいとか言われるし、私もそう思うのは、抜群にリアリティのある話作りと独特でカワイイ絵の魔力であろう。

世界は残酷でも残酷なことだけが延々と続きはしない。代わりに、生きていれば生き続けるしかない。その中で、小さな幸せや楽しみがある。

「ホワイトシチュー」の少年は、しょっぱいシチューしか作れない義姉を、自分がしっかりすることで、かつての姉ととは違う関係性を築こうとする。

ラドン」では、少年が優しくしてくれる男をだんだん好きになり、ラドンに思えなくなっていく。ちなみにオチは、晴れて父と認められた男が「やっとあの子の父を殺してしまった償いができそうだ」と呟き、実はほんとうにラドンだったとわかるシーンだ。

「ミステリアン」では、地球で残酷なことが起こりつつも、うつくしい人間が描かれるし、「青春奇談」では兄妹は何度も危機に陥りつつ、微妙な関係性が決定的に変わることはない。まるでそれこそが家族であるかのように。

世界は決してやさしくないが、残酷だけの現実じゃない、小学生の私には、それがあまりにも新しく、魅力的だったのだ。

まあ、西岸良平の作品の中にも、かなりエグイ、残酷なだけの作品もあるにはある。「地球最後の日」など良い例だ。

地球人は酷いから滅ぼそうと思うんだけど、少し猶予をやってもいい、超能力をあげるから悪と戦え、とか言われるおはなしだ。

しかしその超能力はちょっと物を動かすことくらいしかできず、主人公はなんとか世直しをしようとするものの、結局は職も彼女も失っただけで何もできず、ラストでなんと地球はサラッと滅亡してしまう。

めちゃくちゃなバッドエンドだが、しかし、あの絵なので、なんだか悲壮感がない。

世界の終わりの直前に、幸せカップルのほのぼの日常や、カワイイ雀なんかが描かれるので、この世界もちょっとマシなものがあったのになあくらいな読後感なのだ。

あの独特でカワイイ絵は、どんなものを描いても、どこか人を優しい気持ちにさせる魔力がある。

そういえば、ちょっと前に、魔法少女まどか☆マギカがっこうぐらし!のような、カワイイ絵と残酷な描写を組み合わせた作品が流行ったのを思い出しますね。メイドインアビスとか。

作風や作者の意図は違うかもしれないけれども、これらの源流は、もしかしたら西岸良平作品にあるのかもしれない、と思うのは、私のひいき目だろうか。

 

さて、私を虜にした西岸良平の死生観、についての話もしておきたい。

「ミステリアン」に次いで好きな「青春奇談」シリーズで、たくさんの野良猫を世話していたおばあちゃんが急病で倒れるシーンがある。医者を呼ぼうと言う兄妹に対し、猫又のワニ丸は、このように言う。

ムダだニャ久美子 玄関に赤い犬がいたから…………

もう病人は助からニャーよ

これは他の話でも語られるのだが、このシリーズの世界観では、死ぬ人の戸口には赤い犬がおり、助かる場合は隣に青いアリクイがいるのだ。そしてそれは動物たちしか見えない。

さらに引用を続けよう

動物達は自分の死も 愛する者の死も いつもの少し悲しいまなざしで静かに見つめるだけだ…… 

死を恐れ 苦しみ なげくのは 人間だけなのである

それを人は動物が 死というものを理解していないからだと信じている

だが真実は動物はみな 死を予知する能力を持っているからなのだ

人には見えない赤い犬が彼等には見えるから……

そしておばあちゃんはワニ丸に手を取られ、死後の世界に送られる。一番美しい時の姿になって……

人には誰でも 一生のうち最も美しい瞬間がある

死者はみなそこへ帰り 永遠に時を止めるのだ

……………

私は、幼少期から、死ぬのがあまりに怖かった。怖すぎて夜眠れず、親に何度も「死んだらどうなるの?」と聞いたくらいだった。

そんな私にとって、このおはなしは衝撃的だった。これらの言葉はあまりにやさしく、うつくしかった。一読してストンと胸に落ちた。私のはじめての宗教だった。

死というものは、宿命的に決まっているが、それを人間は決して知り得ない。そして死というものは、決して悪いことではないのだ……。

私は未だに人が死ぬとき、その人の戸口に赤い犬がいたのだと思っている。私が死ぬときも、きっといるのだろう。私のいちばん美しい瞬間がいつなのか、死ぬ間際はそれを考えてみようと思っている。

ちなみに、「青春奇談」シリーズは、他にも死後の世界を描いたおはなしがある。そちらはまた別の死の描かれ方をしている。これらを総合して、このシリーズの世界の死については一つ考察があるのだが、ネタバレが過ぎるので、もし気になった方はぜひ読んでいただいて、私と一緒に考えて欲しい。

 

毎度のことだが好きな物語りは長くなってしまう。

しかし、今西岸良平作品を進めようとしても、膨大な巻数のある三丁目の夕日鎌倉ものがたりしかないのは辛い。大好きな「ミステリアン」も「青春奇談」も古本を買ってくれとしか言えないのは断腸の思いだ。

とりあえず興味が湧いたという方は、今回の西岸良平展の記念として「自選 鎌倉ものがたり+」というのが発売されたので、ぜひそちらを購入してほしい。

www.amazon.co.jp

タイトルにある鎌倉ものがたりは3話しか入っておらず、7話は初期短編集からのものだ。私の大好きな2作品からも1話ずつ選出されていて嬉しい。

こちらはKindle版もあるので、Kindleユーザーの方もぜひ!

そして、さらに興味を持っていただけたなら、ぜひ古本屋で初期短編集を探してみてほしい。絶対に後悔はさせないから。後悔したら10%増しの値段で私が買い取るから……。

そういえば、西岸良平展は東京ではもう終わってしまったが、3月に京都でも開催されるらしい。詳細はまだ発表されていないが、お近くの方はぜひ見に行ってみてください。

saiganryohei-50th.com

一人でも西岸良平ファンが増えると私は大変うれしいです。昭和やレトロに興味がなくたって、もう断然!面白いんだからね!

今更だけれども、私も鎌倉ものがたりをちまちま買い集める予定……。まあ、絶対面白いのわかってるしね!

鉄道開業150記念JR東日本パスを使って、一人で東北旅行に行ってきたよ!最終日

楽しかった鉄道開業150年記念旅も早くも最終日。もっと休みをおくれ!社会人も大学生の夏休みくらい休みが欲しい。せめて1か月くらい欲しい。

仕事を辞めろという話である(ちなみに退職予定はまだ立っていません)

さて、旅行記1日目と2日目は下記を参照してください。頑張って書いたので読んでもらえると嬉しい。

e-nekomimi.hatenablog.com

e-nekomimi.hatenablog.com

 

3日目、弘前観光と十和田市観光の後、盛岡に降り立った私。次なる目的地は、宮古にある浄土ヶ浜!つまり海!

実は当日まで、遠野観光とどちらが良いか迷っていた。遠野は10年前くらいに一度行ったことがあったのだが、遠野を舐めすぎていて、河童沼と昔語りくらいで終わってしまったのだった。

まあそれはそれで、めちゃめちゃ良かったのだけど……。なんならレンタカーのナビが必ず同じ場所で狂って、ぐるぐる道路を回ったとか、妖怪に化かされたような楽しい経験もしたし……。

ただ、もっと色々行きたかったので、次は遠野の主要観光地をくまなく回って、ジンギスカンも食べようと思っていたのだ。

でも昨日奥入瀬渓流に行ってしまったということもあり、ちょっと山より海気分となってしまった。山寒かったし。レンタサイクル乗り過ぎて尻が痛いし。

ということで遠野は後日として、山田線宮古駅行きに乗り込むことになったのだった。

朝6時32分に。また優雅な朝ごはんは無しである。

これを逃すと次は11時台しかない。普通に観光する人は高速バスに乗るらしい。高速バスは1時間おきくらいに出ているし、電車と同じくらいの時間……ではなく、ちょっと早く着く。

でもそこは鉄道開業記念のパスがあるので、電車に乗らないと損!

ということで、山田線。2時間30分弱で宮古駅まで着くらしい。

割と長いな……。寝ながら行くか……。っとちょいとウトウトしていると……

えっ、何?こんなに綺麗なの?っていうか、天気いいな!

山田線は山を突っ切って海に出るわけなんだけれども、途中車窓から見える山の風景がほんとうにうつくしかった。

車内でも静かな歓声が上がるくらい。空気が澄んだ朝だからこその景色でもあり、早起きした甲斐もあったというもの。

ちなみにお客はほとんど一人客、かつ、鉄道開業記念パス組。謎の連帯感。

基本的にずっと動いてる車窓を撮るのは大変だったんだけど、そこそこ良く撮れたかな、という一枚。ちょっと車内が反射してるけど。

山のほう、綺麗に色づいてました。

山中極まれり、というところから、だんだん海の方に降りていくと、景色も変わってくる。青葉が増えて、川が広くくなり、なんとなく潮風が吹いてくるのがわかる。

車と並走するようになると、ああ山を抜けて人里に来たなあ、という感じ。

 

というわけで、宮古駅に到着。いやあ天気が良くて良かった。

さすがにお腹が空いたので、菓子パンをかじりながら、浄土ヶ浜行きのバスを待つ。こちらは1時間に1,2本あって良い感じ。さすがは観光地。

奥入瀬渓流にも真似してほしいが、まあ、市街地から遠いと、いくら観光地といえど難しいよな……。

着いた着いた!海がビックリするくらい綺麗!ぼくが知ってる海と違う!

海だよね?(海です)

しばらくすると遊覧船が出るらしいので、この綺麗な海を見ながら待ちます。キラキラしている……。

お船が来たぞ!

浄土ヶ浜には2つ遊覧船があり、1つは青の洞窟に行くさっぱ船さんと、もう1つが宮古湾を周遊するうみねこ丸さん。

青の洞窟は興味があったけど、一人で乗るにはハードルが高かったので、今回はうみねこ丸さんに。

www.jodo-yuransen.jp

めちゃめちゃ綺麗なお船だな、と思ったら、なんと、今年の7月から就航した新進のお船だった。以前の船は客の減少や老朽化で、現役を退いた模様。

船内もめちゃ綺麗で大変良かった。お客さんも結構いたよ。

ちなみに、これが青の洞窟。この中に入っていくのもとても楽しそうね。

 

宮古湾には無数の小島があり、ぼうっとそれを眺めながら波に揺られる。

松島みたいだねえ……

しかし、松島の遊覧船にはできないお楽しみがあるのが浄土ヶ浜!何かというと……

こちらを見てますねえ!

そう、ウミネコの餌付け!

ここ、浄土ヶ浜では、ウミネコの餌付けが禁止されていないのである。

松島では、ウミネコの餌付けのためにウミネコが増えすぎてしまい、糞で松が育たないということから、ウミネコの餌付けは禁止になっている。

松島という一大観光地、客も多いし、致し方ない処置だろう。

ていうか、まあ、観光イベントとしての野生動物の餌付けそのものが、賛否両論なのはもちろんわかっているんだけど……。

浄土ヶ浜は松島ほどアクセスが良くないし、子連れで来る人も少なそうなので、そこまで問題にならないのだろうとは思う。

ちなみに餌は船内で買えるウミネコパン。海藻などを練り込んだパンで、ウミネコの体に優しい餌になっているらしいです。写真撮り忘れたけど。

パンを購入し、気が付けば船全体がウミネコの大軍に囲まれている。さあいざ、餌付けタイム!

しかしこのウミネコの餌付け、なかなかうまくはいかないの。

手に持って手渡そうとすると、いい感じに指を食われる。怪我をするほどではないのだけど、割と痛い。

痛いので放り投げて食べてもらおうとするも、今度は海に落ちる。

手をチョキにして挟むとうまく食べてくれるとのことで試してみると、高確率で指を食べられないので良かった。でも不器用な奴は平気で指ごと毟っていきます。

最終的にウミネコを引き付けてから、口に向かって投げるという技を身に着け、指を守るように。そして技術が発達してきたころにパンが終わる。

楽しかったが、思っていたより疲れた。汗かいた。

餌を食べているところを写真におさめたかったけど、当然そんな余裕はなかった。動物を撮るって難しいです。

 

さて、こんな感じで大満足の船旅は、だいたい1時間ほど。

お船に別れを告げ、最近駅のポスターになっていることの多い、表浄土ヶ浜へと向かう。浄土ヶ浜、表と裏があるのだ。違いはわからない。

いやあ、ポスターやパンフレットで何回も見た光景が目の前にあるのは、胸が躍りますねえ!ちょっと雲が出てきてしまったが、あまりにもうつくしい場所。

さながら浄土の如し、と宮古の僧侶さんが称したことから、浄土ヶ浜と呼ばれるようになったとのこと。

私が天国のようだなあ、と思った場所は、知床の高架木道が真っ先に上がるのだけれども、そこに勝るとも劣らない天国感。

何度も言うけど海が本当に綺麗で輝いている。こんなに綺麗な海は東京のほうだとちょっとお目にかかれない。

呆然と座って、ずっと眺めていたい。

当然ここにもウミネコがいる。ミャー!!って言う。ほんとにネコの鳴き声みたいで、カワイイ。

さて、この辺りでそろそろお昼。表浄土ヶ浜の奥には、観光客向けの食堂がある。ここで今日はどうしても食べたいものがあるのだ……。

それがこちら。宮古名物、瓶ドン!

牛乳瓶に海鮮を詰め、ごはんにかけるというスタイル。もともとはウニを海水とともに牛乳瓶に詰めて保存していたことから、このスタイルとなったらしい。

食堂に置いてあったのはサーモンといくらのものだったので、こちらを注文。

まあ、綺麗に盛り付けはできないんですけどね。

でも味はかなり最高だった!

サーモンといくらは良くタレに漬かっていて、甘みとしょっぱみが絶妙。特にサーモンは脂がかなり乗っていて、白いごはんと合うんだコレが。

あんまり米を食べない私も、これにはバクバク食べちゃったね。

一緒に入っていためかぶも、シャキシャキとした触感で歯ごたえが良い。ぬるぬるシャキシャキはなかなか無い体験。

お酒にも合いそうだったのだが、何故か酒は飲まず。後になってからビール頼めば良かったなあと思うが、まあ、しかたなし。

 

そんなわけで、昼過ぎには旅も終わったような気持ちでぼうっとしていたわけなんだけれども。あまりじっとしているのは性に合わないわけで。

駅に戻っても特に他に行きたい場所もなく、お土産品を買うつもりもあまりない。どうしようかな~……。

とりあえず、歩くか。

というわけで、電車までの時間、展望台巡りをすることにした。

さすがに海辺まで来て山歩きをする奴はあまりいないらしく、この展望台探しではほとんど人に出会わなかった。いやあ、人がいないところは楽しいなあ(人間嫌い)

おおお……なかなかの眺めじゃ……。

しかしこの展望台巡り、結構な距離を歩き、浄土ヶ浜から歩いていける展望台5つ全て巡ってみたのだが、正直絶景というには惜しい!という感じになっていた。

たとえば、

さらに、

そう、展望台を作った時よりも木が成長しすぎて、視界を遮ってしまう問題が発生していたのである。結構歩いただけに、これはちょっと残念だった。

まあ、これはこれで良い経験というか、森林浴としては大変気持ちが良かった。単純に知らない場所を歩くのはとても楽しいし、人もいなくて快適だったしね。

ただ、これから旅行に行く方で、映えや絶景を求める方は、浄土ヶ浜からほど近い、御台場展望台くらいにしておくと疲れなくて良いかもしれない。

あと、浄土ヶ浜大橋はかなり開けていて、展望が良いので、そちらに行ったらよいかと思います。眺めはこんな感じ。ゼッケーイ!

 

そんなこんなで、電車の時間が迫ってきたため、バスで宮古駅に戻る。やはりフリーパス効果で人が多いのか、混雑していた上に少し遅れていた。

ついでに帰りの山田線もそこそこの混雑。平日なのでさすがに立っている人はいなかったものの、座席はかなり埋まっていた。

鉄道開業150年記念というお祭りに、みんなノリノリなんだなあ……。

帰りの電車は15時54分だったので、夕暮れ時の山が少し見えただけで、後は車窓も真っ暗になってしまった。山の中に行くと毎回思うが、昼と夜で全く印象が違う。陽が落ちた後の山はほんとうに暗くて危ない。

電波も途中から消えてしまい、とにかく暇なので、劉慈欣の新作短編集「流浪地球」を読みながら電車に揺られる。「呪い5.0」があほ面白くて笑いを噛み殺したり、「中国太陽」の未来への希望に胸打たれて車内で号泣したりしていると、いつの間にか盛岡駅に着いていた。

劉慈欣「流浪地球」たいへんおすすめです!(唐突な宣伝)

そのうち当ブログでもレビューします。たぶん。

さて、この日は家に帰らなければならないため、盛岡駅にいられるのは1時間ちょっと。こういう時はサクッと……

ビールでも飲みましょう!!

というわけでやってきたのは、ベアレンビールの醸造所直営レストラン、ビアベースベアレン盛岡駅前さん。

www.baerenbier.co.jp

ぴょんぴょん舎で飲んだベアレンビールがたいへん美味だったので、来てみた。

ここでは定番ビールから季節限定ビールまで、様々なビールが樽生で楽しめる。やはり瓶ビールとは鮮度が違う!

……細かい味の違いは実はわかってないけど、個人的には樽生は口当たりが良くて飲みやすい、泡が美味い、みたいな気がしています。

最初に頼んだのはトラッドゴールドピルスナー。アルコール度数も低く、キリっとしてのど越しが良い。水のように飲める。やはりビールも水か……。

旅の疲れも相まって、もう美味すぎて立て続けに3杯くらい飲んだ。ヴァイツェン美味しかった~!

提供されるグラスも可愛くて、良く見たら売っていて買うか買うまいか最後まで悩んで、結局買って来なかった。買えばよかったと今は後悔している。

もちろんビールだけでなく、色々なおつまみもある。

定番のフィッシュアンドチップスはビールに合うナンバーワンの最高さだったし、

特に美味しかったのがこのシイタケをガーリックバターで焼いた奴。シイタケがぷりぷりで食べ応えがあってもう美味いのに、ガーリックバターの風味で天にも昇る心地。雫石産らしい。

雫石、小岩井農場があることくらいしか知らないけど、今度絶対行ってみたいですね。

ちなみに右上のビールがヴァイツェンだったはず。

 

軽く飲めばいいやという気持ちで入った店だったけど、完全に1時間では足りなかったでござる。もっと食べたかったし、飲みたかった……。

しかし次の日からまた社畜に戻る必要があるため、泣く泣くお会計を済ませ、新幹線に。

車内で寝ようかと思ったけど、酔っ払い度が足りずに寝られず。そのわずかな酔いも途中で冷め、ぼうっと夜の明かりを眺めながら新幹線に揺られておりました。

帰りはなんとなくはやぶさじゃなくてこまちの方に乗ったんだけど、こまちのほうが揺れるね。

こうして私の長いようでぜんぜん短かった旅も終わり。交通費的な問題でなかなか行けない青森、岩手を堪能しまくった、たいへん充実した3日間であった。

久々の一人旅だったけれども、もう後1ヵ月くらいは旅できるな……と思った。生活が破綻するので現実には無理だけどさ……。

ちなみに後から交通費を計算してみたら、ちょうど半額くらい得をしていた計算になった。

電車旅でもないのに、このお得さはやはりお祭り。電車メインの旅なら、この何倍もお得になったに違いない。混んでただろうけど……。

いやー、それにしてもあまりに楽しかった。次の日仕方なく仕事に行ったけれども、正直頭がまだ東北にあって、仕事してるのか旅行の夢見てるのかよくわからなかった。

今度弘前のシードルと宮古の瓶ドンとベアレンビールは通販で取り寄せてみようと思っている。八戸で飲んだ最強辛口日本酒、弐拾六も家にほしいな……。

いや酒ばっかりか。

調べてみたら瓶ドンなんかはふるさと納税でも貰えるらしいので、それもアリかなと思っている。

今後も某コロナの状況を見つつ、折を見て一人旅に行きたいな。冬は寒いから、今度は伊豆辺りに。伊豆もどこに行っても楽しいからな……。

旅行記を書くのも思ったより楽しかったから、またそのうち記事を書くと思います。

よければこれからも、どうぞよろしく。

鉄道開業150記念JR東日本パスを使って、一人で東北旅行に行ってきたよ!2日目

鉄道開業150記念JR東日本パスを使って旅した2泊3日旅行記、2日目だよ!

まだ1日目を読んでいない方はそちらから読んでいただけると幸い。

e-nekomimi.hatenablog.com

さて、弘前観光からの八戸グルメ堪能のち、駅前の安いビジネスホテルで1泊。なんだか興奮してあまり寝られず、寝たり起きたりを繰り返しながら、朝5時半ごろ起床。

7時前にバスに乗る関係上、当然朝ごはんを楽しむ余裕はなく(素泊まりなのでそもそも食べられないし)、サッサと準備をして宿を後にする。朝ごはんはコンビニである。

田舎でもコンビニは24時間営業だ。日本の素晴らしさと変わらない美味しさのおにぎりを噛みしめる。夜勤の店員さんありがとう。

バス停が合っているか不安過ぎて、駅前ロータリーをウロウロ練り歩きながらバスを待っていると、時間通りにちゃんと来た。高校生らしき男の子二人と乗り込み、出発。

バスで軽く寝ようかと思ったけれども、知らない土地の風景って、なんでもないところでも妙に面白いんだよね。結局、ぼうっと窓の外を見ながら目的地まで来てしまった。

そんなわけで、最寄り駅まで車で約30分とちょっと、バスだと1時間くらいかかる地、十和田市です。めちゃ天気が良い。

芸術の街らしく、市内にはネコちゃんバスやトーマスバスが通り、休憩スペースがアート作品になっている。

このネコちゃん、昔友人と行った六甲ミーツアートでは常連のアート作品で、個人的にも思い入れがあったのでなんか嬉しかった。

まだ店も開かず閑散とした商店街を通りながら、本日最初の目的地、十和田市現代美術館へ。

おおお……雑誌やネットで見たまんまの姿だ……!

いやー、絶対来てみたかったんだよね。今回の旅のいちばんのメインといっても過言ではない。全然電車もフリーパスも関係ないうえ、バス代が結構高いのだけれども、まあ、自宅から新青森の往復で元は取れるチケットなので、行きたいところに行くのがいちばん良い。

しかし、時刻はまだ8時半になっていないくらい。美術館の開館は9時からである。バスの接続はどうにもならん。

だけれども、この美術館、屋外の無料スペースの展示がとても楽しいので、30分くらいなら余裕で時間を潰せてしまった。

平日だけあって、私以外には男性が一人だけしかいなかった。彼もおそらくはフリーパス組だろう。親近感。

水玉でおなじみ、大人気芸術家である草間彌生の作品。有名なのは直島のかぼちゃだと思うが、私の地元の十日町でも、大地の芸術祭がらみで展示されている。

草間彌生作品を見ていつも思うんだけど、狂気と親しみのコラボレーションの妙なんだよな。天才の世界観と凡俗な感性が混ざり合ってるから、割と田舎の変なところでもスッと馴染んでいく。

これはエルビン・ブルムのファットハウス。家も車が、生物のようにぶくぶく太ってしまっている、社会風刺的な作品。同じものかはわからないけれども、ウィーンでも展示されていたらしいよ。

家の中では映像作品も見られるらしいのだが、やっているのは美術館開館時間のみ。今回は時間がなくて楽しめず。次回またリベンジしたい。

このほかにも、でっかいお化けとか、でっかい蟻とか、色々ある。夜だけの作品もあるらしく、次に行くことがあれば、十和田市内に泊まってのんびり楽しみたいなあ。ちなみに今回はフリーパス効果で、宿は全部埋まってました。残念。

そんなこんなで、開館時間ぴったりに入館。観光客もちょっと集まってきて、一時的に混雑。さすがに有名美術館である。地方の美術館で、しかも平日に混雑するの、見たことないぞ。

この日は常設展に加え、企画展「名和晃平 生成する表皮」がやっていた。観覧料は1800円。受付をしていると、後ろから結構な値段するね、と聞こえてきた。まあ、国立西洋美術館とか、500円で膨大な量の常設展見られるからな……。でも、音声ガイドが無料なのは嬉しい。

さて、十和田市現代美術館といえばこちらである。でっかいおばちゃん。なんと、4mもある。

でもこのおばちゃん、写真で満足せず立体を見ることをお勧めする。造形の細かさがより楽しめるのはもちろん、角度によって怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えるのである。

私も他のお客さんも、ついついおばちゃんの周りをくるくる回ってしまう。そしてなんとなく表情が曇る。人の人生について考えるというのはそういうものかもしれない。

ウォー、塩田千春だァー!この作家もまた人気作家ですね。森美術館でやってた展覧会、行こうとして行けなかったんだよなあ。

これは十和田湖に実際あったお船を使用しているらしいです。上を向くと真っ赤な湖の底に、一緒に沈んでいるよう。船を見ているよりも、天井を眺めている時間の方が長かったな……。なんともいえぬ神秘的な時間だった。

天井にアザラシ突き刺さってんよ~~~。なんだこれ?

と、これだけだと何も意味わからん作品。さて椅子の上に上がって、丸い穴から顔をだしてみると……ウォォォ……という。

めちゃくちゃ良い作品だったので、ネタバレはしないでおきます。アザラシ首ちょんぱとかじゃないのでご安心を。もしそうだったら一生のトラウマだったわ。

これもすげーんだわ。最初、遠くから見たら、綺麗な装飾だなって思ってたんだよ。でもな……。いや、皆まで言うまい。じっくり、よく見てくれ。現地で見ると、もっとショックです。

なんかショック過ぎて、この作品見た後、ずっと胸がどきどきしてました。

常設展でいちばん良かったのは、こちら。深夜の高速道路のダイナー。実際にソファに腰掛けることもできる。高速道路は延々と遠く続いているように見えるが、これは目の錯覚を利用しているらしい。

最初入ると真っ暗でふつうに怖い。この写真はiPhoneの夜景モードで撮ってるから明るいように見えるけど、実際はもっと、ぜんぜん、暗いのだ。

そろそろと歩いていくと、高速道路の仄かな明かりで、ようやく何かが見えてくる。どうやらテーブルとソファらしい、調味料が乗っていて、ここは暗く、誰もいない、ダイナーらしいことがわかる。高速道路が見えるが、車は全く走っていない……。

これは客がいないときに一人で入ると最高に良い。開館凸してほんとうに良かった。高速道路が見えたときにマジで息を呑んだし、座っていたら涙が出てきてしまった。

永遠に車が通らない高速道路と、永遠に注文を取りに来てくれないダイナー。まさに世界の終わりである。そういうのが好きな人にはガチでオススメ。

企画展も良かった。写真の撮りようがなかったのでこんな写真しかないけれども、特殊なオイルによって、泡?膜?のようなものが延々と作られていくのがメイン作品「生成する表皮」。ぼうっと見ていられる。

使用しているのがオイルだけなので、触ったらたいへんなことになってしまう。スマホを落とさないか不安過ぎて、へっぴり腰になりながら写真を撮っている私の影が映っている。

名和晃平は、昔リボーンアートフェスのポスターで見たシカちゃんが可愛いというイメージだったのだが、こんな作品も作っていると知れて良かったし、面白かった。

リボーンアートフェス、詳細に計画を立てていたのに、いざ行く1週間前に義父が亡くなり、行くことができなかった苦い思い出。今度行きたいな。

さて、他にもたくさん面白い作品があったが、文字数も多くなってきたので、この辺にしておく。こぢんまりした館内だが、インパクトのある作品がこれでもかと押し寄せてきて、全く退屈しなかった。というか、押し寄せ過ぎて脳がパニックなるレベル。休憩しながら楽しむべし。

別館には、金沢21世紀美術館スイミング・プールで有名な、レアンドロ・エルリッヒの体験型展示もあり、複数人で行くと楽しくインスタ映えできるので、そちらもオススメ。私ですか?自撮りしようと頑張った挙句、絶望しました。

カフェも広くてゆったりできるし、記憶が薄れた頃に、絶対もう一回行くと誓って退館。今日はこれからもう一つ行くところがあるのだ。

 

というわけで、最高なところに来た。かの有名な奥入瀬渓流である。

ほんとうは、バスもあんまりないし、バス賃がかなりかさむし、時間もかかるし、行く予定はなかった。八戸市美術館にでも行こうかなと思っていた。

しかし、なんかどうも、紅葉始まりたてで綺麗らしいとか、天気が良いらしいとか聞いて、うっかりバスの接続を調べてみたところ、やや強行軍だが行けるじゃんという結論になり、はるばる来てしまった。

まあ行きたいところに行かないで、後で後悔するよりは良いだろう。

しかし、バスは奥入瀬渓流の入り口まで。時間はまだ12時過ぎ。お土産屋さんなどがある近くで楽しんで帰るか、十和田湖行きのバスを待つか、レンタサイクルを借りるか。

レンタサイクルだろ。

何故か急にアウトドア心が芽生えて、貸出所へ。しかし電動自転車がスポーツタイプのものしかなかった。後には引けない。まあ、ロードバイク乗ったことがあるし余裕だろ……。

これが大失敗であった。

だいたい、十和田湖まで14キロあり、しかも上り!電動といえどかなりの運動だった。車もビュンビュン走っている。ふつうに自転車向きの道じゃなかった。そのうえ完全に私の身長に対してバイクが合っておらず、尻が痛い。尻の痛みは何日か尾を引いた。3日分の荷物が詰まったリュックを背負っていたのもきつかった。

そして滅茶苦茶寒い!東北の気候を完全に舐めていた。結構暖かい格好をしていたつもりだったが、自転車に乗るには寒すぎた。途中でウルトラライトダウンを着てなんとか凌いだが、それでも手がかじかむレベルだった。

しかも、私はこの時点でアップルパイしか食べていない。携帯食もない。お茶だけは買った。完全なおバカちゃんである。

しかし景色だけはべらぼうに良かった。ほんとうに良かった。最高だった。この滝とか疲労も相まってあまりに綺麗すぎて泣いた。

ただの道もめちゃくちゃ綺麗だし、

渓流は言わずもがな。あまりに最高な時間だった。

喉元過ぎれば熱さ忘れる……今となってみれば、まあ良い経験だったなとも思える。でも次は絶対に車かバスで行き、歩きで散策しようと決意。

そんなこんなで十和田湖にはかなり早く辿り着いてしまった。15時50分が帰りのバスだったが、14時過ぎには着いていた。

十和田湖まで行くと、紅葉が深まっているのと山が見渡せるので、また違った最高があった。散策したいが、もう体力がない。ここで無理をしては明日持たない。

ということで、ごはんを食べることに。

ヒメマスの天ぷらそば。温かいものを食べるだけでかなり嬉しい。ヒメマスも柔らかくて美味しかった。

その後、ちょっとだけ回復して湖周辺を散策する。湖の水がとても綺麗で、波立つとまるで海のようだった。

それにしても遠くに行くまでは無理!ということで、早々にレンタサイクルを返却し、室内でコーヒーを片手にバスを待つことに。

自分の体力の無さに辟易しつつ、さすがにこれはしょうがないだろうと思いながら、リュックを片手にうつらうつらしながら座っていた。そんなこんなしてたら、コーヒーをちょっとこぼして凹んだ。

帰りはバスの車内から、夕日に照らされた木々と渓流、滝をぼんやり眺めながら、もう眠くて夢心地。そこはかとない幸せに包まれていた。

そんなわけで暗くなっていく空を見ながら八戸駅へ戻り、またもや、はやぶさに乗りこむ。今度は盛岡駅まで行く。はやぶさは速いので一瞬だ。

さて……

やっぱこれだよな!

疲れた後のビール、身体に沁みました。普通のビールもあったけど、せっかくなので岩手のクラフトビール、ベアレンビールのクラシックで。これがスッキリした苦みで美味い!瓶もカワイイ!

そして、盛岡といったら盛岡冷麺でしょ!ということで、もはや説明の必要ない有名店ぴょんぴょん舎さんにて、冷麺と焼き肉のセットを頂きました。ぴょんぴょんするんじゃあ~(それは違う)

いやービールと一緒に食べる焼肉が美味い!旅先の一人焼肉最高!色々食べれなくてちょっと残念だけど、それはそれ!

www.pyonpyonsya.co.jp

盛岡冷麺、麺も当然美味しいんだけど、キムチとフルーツが妙に美味くて好き。今回は旬の梨が入っていてウマ!

昔夏に岩手旅行行ったときはスイカが入っていたなあと思い出す。別の店だけど、あれも美味しかった。

さすがに酒をたくさん飲むには疲れすぎているのと、明日がまた早いので、今日はこれにマッコリを追加するに留め、ホテルへと戻った。さすがにこの日はぐっすり眠れた。

いやあ、2日目もだいぶボリューミーな記事になってしまった。大変だったけど、行きたいところに全部行けたので、とても楽しい1日だった。こういう、詰め込み過ぎな旅行がやっぱり好きなんだよなあ。

しかし、十和田市現代美術館奥入瀬渓流、両方とも、季節を変えて、絶対もう一回行きたい場所だった。またそのうち青森行くぞ~!

鉄道開業150年記念JR東日本パスを使って、一人で東北旅行に行ってきたよ!1日目

鉄道開業150年記念というお祭りで、22000円で新幹線とJRが乗り放題だという。そして何故か希望もしていなければ予定もない平日の3連休の出現。

ひとり旅に出るか。

というわけで、三十路女一人で北東北に行ってきた。

ほんとうは宿も取らず、時間も考えず、適当に現地に行って考えようかと思っていたんだけれども、めったにないお祭り騒ぎと全国旅行支援も相まって地方の宿は満員御礼、主要駅の周辺も徐々に埋まっていく。

新幹線も始発から数時間は混み混み状態。3日前にてキャンセル待ち状態。私はなんとか滑り込み予約ができたけど、当日は立ち席の客もそこそこいる状態だった。こういうお祭りチケットの時は、最低でも1週間前には予約を、できれば1ヵ月前には予定を組んでおかないといけないな~という教訓を得た。

平日なのに暇な人間というのは、案外たくさんいるらしいのだ(お前が言うな)

というわけで、結局いつも通りガチガチに予定を組んで行ってくることに。また、乗り鉄メインは混雑したときに大幅に予定が狂う可能性があるため、もったいないな~と思いつつも避けた。

これが結果的に大正解。行きの新幹線以外はほぼ混雑に当たらず、のんびりと観光できた。

三陸鉄道只見線など、有名な列車は平日でもだいぶ混みあっていたらしい。只見線なんて開通してすぐだったからね。私も乗りたいけど、そのうちね。

というわけで、今回私が旅してきたのは弘前→十和田→宮古。宿泊は八戸駅盛岡駅の近く。

せっかくなので、旅行記なるものを書いてみることにした。最近iPhone14にしたので画質もそこそこいいはずだし。

 

1日目は上野駅を6時38分発のはやぶさに乗り、新青森駅までビューン。はやぶさ、まじ、はやい。新青森まで3時間ちょっとだよ。人類の英知過ぎる。

新青森からはJR奥羽本線弘前駅まで、40分くらいだった。11時前くらいに到着。

この日の予定は、弘前レンガ倉庫美術館太宰治まなびの家、弘南鉄道のピンク電車(AOMORI MAPPINK MEMORYという作品)。天気が悪かったので、文化的な一日なのです。

まず、レンガ倉庫へ。綺麗な建物です。

さてともあれ、とにかくお腹が減ったので、隣接する建物で、ゴハン

ちなみになぜお腹が減っていたのかと言うと、新幹線でまったり駅弁を食べようと思ったら、改札内の駅弁屋がやっておらず、仕方なく立ち食いラーメンスタンド(味がイマイチなうえ、高い)でラーメンを食べたという失態を犯したからです。

後から調べたら、改札外の駅弁屋は開いていたという。下調べは大事ですね。

まあそんな失敗はともかく、今日のランチはワンプレートランチとシードル。鉄道旅なので昼から酒も飲める。まあ、車を運転することはないけど……。

ここは日替わりシードルを出しており、この日はもりやま園のテキカカシードルという、クラフトシードルだった。すっきりしていておいしい。プレートも酒に合うものばかりでよかった。

しかしクラフトシードルなんてもの、初めて知りました。いろんな酒があるのね。

レンガ倉庫では「もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?」展という、美術館になる前のレンガ倉庫で、弘前出身の有名画家である奈良美智の展示会を行った際のドキュメンタリー展がやっていた。

展示のメインは、昔の展覧会のポスターやグッズ、来館者の写真など。そして、関わった地域の人たちのインタビュー映像。インタビューはメイン展示で、たくさんあって映像も長い。全部見切れなかった。

いやあ、地域の人たちの力がすごい強いな、という印象。あまり美術関わりない人たちが、なんか面白そう!ということで集まって、懸命に作り上げたのだそう。

奈良美智が最後の作品を創り上げて出てきたところを、天岩戸に例え、盛大に祝った話とかを聞きながら、もう神様じゃないか、と笑ってしまった。

私はこういう地域のつながりみたいなのが嫌で田舎を出てきたところがあるので、感心すると同時にちょっと引いてしまう部分もある。なんだけど、どうしても惹かれて、インタビューを長時間見入ってしまった。

根本的には、こういう人と人が協力して何かを創り上げる、ということが羨ましいんだよな~……。

私は人と何かを創り上げるとかに全く向いていない人間で、とにかくその手の成功体験に乏しい。文化祭?サークル?人と喧嘩した記憶しかないよ。

そんなわけで、ちょっと涙目になりながら倉庫内を辿る。一人なので誰も慰めてくれない。

それはともあれ、展覧会についての展覧会はあまり見たことがなかったので、なかなか新鮮で面白かった。常設している奈良美智の犬も可愛いし、建物自体が一つの大きなアート作品なので、機会があったらまた来てみたい。

これは乗って遊べる犬。

レストランの犬。カワイイ。

 

次は、少し歩いて太宰治まなびの家。

良さげな民家です。

ここは何かというと、太宰治弘前大学に通っていた際に、下宿していたおうち。嬉しいことに無料で見学できる。ちょっと市街地から離れていて、人もぜんぜんいなかった。私は1時間くらいのんびりしていたが、客は間違えて迷い込んだおじさん一人だけ。レンガ倉庫はそこそこ人がいたので、非常に快適だった。

ちょっとギシギシするけれども、太宰が住んでいた部屋がしっかりと残っている。

太宰は下宿先の息子と仲良くしていたらしく、その息子の太宰について記した日記や、太宰からもらった手紙(だいたいさびしいよーと嘆いている)なども保管されている。

太宰が高校時代に執筆した小説も読める(まあ全集に乗っているやつだけれども)し、制服のレプリカもある。物理の公式を記した落書きまで見られる。

偉人にプライバシーはない。

館内では穏やかな物腰の女性が出迎えてくれ、色々と説明をしてくれる。

「この部屋が太宰がはじめて自殺をした場所なんですよ」

とか言われて思わず吹いてしまった。そんな、はじめてのおつかいみたいに言わないでくれよ。

これがはじめて自殺した場所兼太宰のお気に入りの場所。小さいながら素敵な一間です。

はじめての自殺は、異世界失格という、太宰が異世界転生する漫画でも良くネタにされている、カルモチン睡眠薬の大量服薬だそうな。かの芥川もこれで自殺している。ので、芥川大ファンの太宰としては芥川のように死にたいという思いもあったのかなあ。

友達には数学のテストを受けたくないから自殺を図ったんだろうとか言われているらしいけれども。

余談だけれども、異世界失格、なかなか太宰ファンとしては面白い漫画なので、オススメです。

ここには、様々な場所で行われている太宰展のパンフレットとかも展示されていて、そちらものんびりパラパラ捲っていた。

その中で、町田康が太宰について語っている部分があり、おおマチコがどんな風に語っているんだ?と思って読んだところ、こんなことが書いてあった。

人間には唯一性があるのだが、それを認識したら世間に受け入れられない。太宰はその唯一性に拘り、それを文学として描いている。だから太宰を読む人は、そこに自分が書いてあるように思うのだ。

要約すると、こんなようなことである。

いや、わかる~~~!

私、割と太宰治は好きで、結構作品数も読んでいるので、とても腑に落ちた。太宰の面白さを、こんな素晴らしく言語化できるというのは凄いな……。町田康、やはり凄い。

レンガ倉庫で他者や集団とのつながりを持てないことを嘆いた私への大変な慰めにもなった。私もおそらく、唯一性というものに、つい、拘ってしまうのだろう。作家でもないし、なんとも生きづらい。

しかしまあ、なんというか、私は私らしく生きるしかあるまい。私以外にはなれないので。

 

さて、次は弘南鉄道に乗って黒石駅へ。アート電車の時間を待つ。

弘南鉄道は150周年チケットの範囲外の私鉄なのだけれども、まあ得とか損とか考えてたら旅行は楽しくないし、あんまり考えないことにした。

天気が悪くて岩木山を眺められないのが残念だったけれども、それでも広大な田んぼと果樹園、そしてうっすら遠くに見える山々、なんとも悪くない。

秋真っ盛りだから、果樹園にはリンゴがポコポコなっていて良かった。天気が良かったらリンゴ狩りという手もあったんだけどなあ。弘前城にも行っていたんだけどなあ。まあそれはまた今度ということで。

黒石駅はとりあえず来てみただけだったので、散策する時間はないので、とりあえず駅近くのカフェでアップルパイを食べることにした。アップルパイって、そんなにすごく好きでもないんだけど、有名だしな、ということで。

というわけで、特に期待もせずに頼んだのだけれど……。

これが!とても!うまかった!!

パイ生地がサックサクで、バターがすげー香り良くて、リンゴがジューシーで、なんか別の食べ物みたいだった。おれが今まで食べていたアップルパイはなんだったんだ。多少小ぶりだけれども、満足感がある。普段スイーツ系はさほど食べない私は、一個で大満足。

珈琲はブレンドにしたんだけれども、これまたスッキリした苦みで、アップルパイに合う。たいへん美味しかった。

ちなみにこのアップルパイ、値段見ずに買ってしまったけど、メッチャ安くて300円くらいであった。他のケーキも300円前後くらい。焼き菓子が200円前後。安ーい!

お土産にバウムクーヘンとアーモンドチュイールを買って帰ったけれども、こちらも美味しかった。

BOCOLABO(https://twitter.com/bocolabo1)さんというお店。アップルパイ以外のケーキや焼き菓子も充実しているので、黒石に来ることがあればぜひ。

近くにあれば絶対通うのにな~!また行きたいよ~!

 

さて、すぐに時間が経ってしまったので、今日最後の目玉、AOMORI MAPPINK MEMORYを見に行く。車体からすでにピンクの片鱗が見えてワクワク。

しかし……ン??

人多くね???

よく見たら、サラリーマンと学生さん。帰りの時間だった。通勤・通学の時間に見事当たってしまったのだった。

オウ、そんなの考えてなかったよ!写真、撮れへんやん!ヒエーやっちまった!

ということで、真っピンク電車の中はほぼ満員。みんな、めっちゃピンクだけど大丈夫??と思ったけど、ぜんぜん動じていない様子。もう慣れてしまったのか。それはそれで強いな……。

しかし、なんか、不思議な時間だった。どこからどう見ても異空間、ビックリ現代アートなのに、もはや日常として消費されている。これはこれで、アートの一つの形としてありじゃん?という。

そういえば、去年行ったいちはらアートミックスも、展示のいくつかが駅に常設されていたり、なんならトイレだったりしたなあと思い出した。

かつては貴族の遊びだったアート鑑賞、段々と一般人も楽しめるようになり、ついには日常に溶け込んでいくのだなあ……。

弘前駅で人が降りてから、やっと少し写真が撮れた。非常に面白いアート空間である。でも、学生とサラリーマンがたくさん乗っていた瞬間がいちばん面白かったなあと、帰ってきてから、思う。

ちなみにこのアート電車、11月13日までやっております。期間はあとわずかですが、駅やレンガ倉庫でやっている地域住民のインタビュー映像も結構面白いので、合わせてどうぞ。

 

さて、1日目の詰め詰めの予定ももう終わりです。次の日十和田に行く関係で、またもや新青森からはやぶさに乗り、八戸駅へ。

新幹線、はやい!快適!たのしい!普通の旅なら躊躇してしまうけど、今回はチケット1枚で乗れて素晴らしい。

とはいっても、さすがに暗くなってから八戸駅に着きました。駅近くのビジネスホテルにチェックインして、さあ……。

酒盛りじゃ!

とくに何も考えず入った居酒屋で、利き酒セットを頼んだら、秋田と福島と福井の辛口セットが届いた。これが美味いのなんの。辛口好きにはたまらないセット。マジで水みたいに飲める。実質水。

そしてウニ!カキ!サバ!と各種おつまみ!

ウニがもう最高。全く臭くなくてとろんとろんで甘い。カキのオイル付けもぷりぷりで、小さいのに食べ応えがある。〆サバも肉厚で、嫌なサバ臭が一切なくてうまみだけ。美味すぎて脳が溶けるかと思った。最高過ぎてちょっと泣いた。

そういえば地酒頼んでねーやと思って、青森の酒も頼む。ちゃんと八戸のお酒。辛めですっきりして、これまた美味ーい!

まあ値段は張りましたが、大満足で帰宅。

ちなみに、こんな最高なお店は、日本酒居酒屋 松膳さん。

tabelog.com

八戸駅から徒歩数分なので、何かで八戸に寄った方は、ぜひ一杯どうぞ。

 

それにしても、1日目にして既に最高を極めていて、メッチャ楽しかった!

天気が悪くても、一人でも、楽しめるところはたくさんあるなあ~と思った一日でした。

そういえばこの日は、酔っぱらっていたせいか、旅の興奮が過ぎたせいか、あまり眠れなかったけれども、まあ、そういうこともあるよね。

二日目は八戸駅から十和田市に向かい、現代美術館と奥入瀬渓流という、またキツキツの日程で遊びました。

こちらもとても楽しかったので、後日また旅行記を書こうと思います。

最近読んだ老神介護とソラリスについてネタバレなしで語ってみた

とくに書くことがないな……最近読み込んだおはなしもないしな……。

と思ってたら、ちょうど、今週のお題「最近おもしろかった本」というのがあったので、軽く最近読んだ本二冊の感想でも書いてみようと思う。

ほとんど作品紹介のつもりでネタバレを避けているので、興味を持ったらぜひ手に取ってみて欲しい。どっちも面白いから。

老神介護 劉慈欣

待ちに待った劉慈欣の新作短編集である。そらもう喜び勇んで買った。

同時発売の流浪地球のほうも、もちろん購入済みだけど、なんか色々忙しくてまだ読めていない。

90年代~2000年代初期くらいの短編が5編収録されている。

前作の円に比べ、ボリュームは劣るものの、内容の濃さは敗けず劣らず。三体や詩雲のようなぶっ飛んだセンスオブワンダーもちゃんと味わえるので安心。

私の好みは表題作の「老神介護」と「白亜紀往時」。

「老神介護」は、人類の創始者を名乗る老人たちが突如地球に現れ、家族と飯をくれと訴えてくるおはなし。老人たちは数千年の寿命と高度な宇宙船を持つが、ぬくぬく生きてきた結果、技術も知識もぜんぜんない。死なないただの衰えた金食い虫を養うしかない人類は、やがて彼らに辛く当たっていく……というのがあらすじである。

もうこれだけで単純にネタとして面白いし、劉慈欣らしい人間は愚か節が存分に楽しめるのだが、ラスト付近で、これまた劉慈欣らしいびっくりオチも持ってくる。とにかく読んでいて飽きない。

それにしても、中国の、しかも2005年の作品でありながら、日本の現状を風刺しているようにも見えるのが凄い。バリバリ高齢者社会で生きる我々にこそ突き刺さる強烈なテーマである。

とくに、(良い意味でも悪い意味でも)先の見えない老人の介護現場を知っている者にとっては、わかりみがゆえに胸が痛くなるのではないだろうか。

白亜紀往時」は、劉慈欣の大好きな恐竜と蟻(他作品でも良く出てくる)がたくさん出てくる、童話のようなたのしいおはなし。しかしここは劉慈欣。ちいさい生き物とおおきな生き物は手を取り合って楽しく暮らしておりました……とはいかない。

恐竜は小さな蟻の働きのおかげで医療やテクノロジーを発展させているが、蟻としては奴隷のように使われているだけなのでたまらない。ストライキを繰り返し、反撃を企てている。実は、蟻は恐竜の大きな脳から生み出される発想のおかげで豊かな生活をしていられるのだが、当然そんなことは考慮に入れないわけである。

さて恐竜は恐竜で、同種同士で争い、高度になり過ぎたテクノロジーを持て余し、時は冷戦真っ只中。蟻のストライキを気にしながらも、そんなに構っていられない。さて、蟻の企てはちゃくちゃくと進むが……?というあらすじ。

これはもう、ただただ世界観がメッチャ面白い。まあ、この二つの生き物同士が上手くいくわけがないのですよ。

動物に知性が備わり、人類に代わって文明を築くといえば、手塚治虫の「火の鳥未来編」で描かれたナメクジ文明がパッと思いつくのだけれども、読み口は少し似ている気がした。

どちらも、描かれているのはこの上ない悲劇なのに、ビジュアルがあまりに喜劇的なので、共感や感情移入はなく、ただ強く印象に残るのだ。

今回紹介した2編の他に、「老神介護」の続編である「扶養人類」や、中国で国語の教科書にも採用された「彼女の眼を連れて」、地球を縦断するトンネルで意味わからんビックリテクノロジーが披露される「地球大砲」の3編が収録されている。

余談だけど、「彼女の眼を連れて」、あまりに新海誠っぽいおはなしだったので、「ほしのこえ」じゃん~と笑っていたら、新海誠が活躍する前に書かれたおはなしだったので真顔になってしまった。

しかも本人はウケるものを書き、決して自分の書きたいSFじゃなかったと語っているとか。

私は三体Ⅱを読んで以降、劉慈欣の恋愛観マジ新海誠と思っていた(だって本人が影響受けたとか好きだとか言ってるんだもん)んだけれども、今回のことで色々考え直さねばならんと思うようになってしまった。素で発想が新海誠なのか、大衆にウケるネタだと思って新海誠になっているのか……。

まあ、三体の登場人物について問われたときに、あんなの実際にはいませんよとかいう人だからなあ……。インタビューだと単にひねくれてるだけなのかもしれない。

劉慈欣、日本に来て講演とかサイン会とかやってくれないかな。中国語まるでわかんないけど、来日したら絶対そっとお姿を拝見しに行くんだけどな……(チキン)

ちなみに円のように全作品レビューをするかどうかは、現在検討中です。需要……あるのか??

ネタバレ感想書きたい気持ちはあるんだよなー

 

ソラリス スタニスワフ・レム

2作品目は、意味が分からない、ということで有名なレムの代表作品。方々に影響を与えた大作である。有名どころだと、森見登美彦の「ペンギン・ハイウェイ」とか。二度の映画化もされている。

ずっと読もうと思ってはいたのを、やっと今回読んでみた。

ちなみに前情報は一切なく、あえて言うなら友人の「レムはいいよ!」という言葉だけ。ネタバレ厳禁なひとなので(?)何がいいのかは説明してくれなかった。

さて一体どんな複雑怪奇なおはなしなのかと思っていたら、案外普通のおはなしだな、というのが読み始めての第一印象。

ただ、読み終わってみれば、いや全然普通じゃないやん……、という。

あらすじをまとめると、主人公は惑星ソラリスにある謎の「海」の研究のため、ソラリスのステーションに降り立つ。しかし、同僚の研究者は酒浸りと引きこもりで様子がおかしく、親交のあった同僚は自殺している有様。明らかに何かおかしいことが起こっているのだが、なぜかは教えてくれない。なんとか現状を探ろうと、ステーションを探索していると、次々奇妙なことが起こり始め、ついには、自分が自殺に追いやってしまったかつての恋人が立ち現れる……!?

と、おはなしだけなら、ホラー、サスペンス、ミステリー、あるいはラブストーリーのように読める。実際、これらの要素は作品の中にふんだんに含まれている。しかし、この作品、このようなジャンル小説を期待して読むと、ただただ困惑して終わってしまうだろう。

ではこのおはなしはどういうおはなしなのか?

あえて言うならば、これはソラリスの「海」研究日誌である。

ソラリスの「海」は、生命のようにも、機械のようにも、自然現象にも見える奇怪な現象を繰り返す。この現象の記述と研究者の解釈が、この本の半分くらいを占めていて、とんでもなく膨大で緻密なのである。

奇怪と書いたが、並みの奇怪ではない。気が狂いそうになるレベルに奇怪なのだ。

そしてその奇怪な現象の一つとして、主人公の物語は語られている。だから、このおはなしには、まとまりのある起承転結や迫力のあるシーン、アッと驚くどんでん返しは、無いに等しい。

読者は主人公や同僚たち、そして「海」を観察し、研究者たちの解釈を読み、最終的には自分なりのソラリス像を掴んでいく必要がある。そこに答えはなく、なんなら暗い闇のような無理解さ、意味不明さが広がっている。

しかしそれは、案外、飼っている犬の真意を知ることがないようなもの、あるいは、家族のほんとうの気持ちを知ることがないようなもの、なのかもしれない。

やだあ、こわい……。

と、なんかこわいことばかり述べたけれども、おはなし自体は決して難しいものではなかった。難解な物理学や生物学なんかは出てこないし、読みにくい部分はほとんどソラリスの研究資料の部分である。多少読み飛ばしても問題なく読める。

起承転結などなどがないと書いたけれども、おはなしが面白くないわけではない。主人公にも感情移入しやすいし、彼の心の動きを追うだけで感情が揺さぶられる。風景描写などもとても鮮やかで、二つの太陽の光によって見え方が常に変化する部屋や空はとにかくうつくしい。

ちゃんと上手い、面白いおはなしなので、安心されたし。

ただ、複雑。私は読み終わって、何を思えば良いのだろう、と思った。突きつけられたものに対して、考えることが多すぎて、フリーズするしかなかった。今はちょっと時間が経ったので、解説などを読みながら少しずつ考えている。

何かいい形で語れるようになったら、ネタバレありでブログに書いてみようかな。

ちなみに、良く知らないで買ったのだけれども、今回読んだのは新訳のほうで、旧訳版は、「ソラリスの陽のもとに」とタイトルが若干違う。

旧訳は、ロシア語から訳したものであり、検閲されて1割くらい削られていたため、新訳ではポーランド語から全文訳したという話らしい。

と、考えると新訳版の方が完全版という気がするんだけれども、旧訳のほうが良かった、読みやすかった、という人も多数いるみたいで、機会があれば旧訳版も読んでみたいなあと思う。

 

さて、肩の力を抜いてサラッと語ってみたが、誰かの興味を惹いたら幸いです。

しかしSFばっかり読み過ぎてて、純文学とか全然読んでないなあ。昔は純文学ばっかり読んでたんだけどねえ……。

読みたいSF作品がどんどん積まれていくのが悪い。

そのうち、ブログで最近の純文学作品にも触れてみたいとは思っています。誰か最近面白かった純文学作品とかあれば教えてください。できれば新しめのやつで。

マーティンはVtuberになれば良かったかもしれない!?(イーガン読書会④「ゼンデギ」報告)

イーガン読書会4回目。題材はゼンデギ。

年末にディアスポラをやるので、少し軽いものを読んでおこうというのと、今後直交三部作を読むにあたって、初期のころより少しバージョンアップしたイーガンの人間観や倫理観が参考になると思って、ゼンデギを選んだ次第。

私はめっちゃ好きなのだけど、ネットで調べてみたら大変評判が悪いのでびっくりした。そっ、そうだったのか……。

参加者は私を含めて5名。うち、3名が既読。

難しいところがないので、あんまり話し合うことないかな、と思ったけれども、蓋を開けてみたらなんと4時間も話し合っていた。

半分はゼンデギの内容ではなく、現在のテクノロジーとか、物語(主にイーガン作品)の読み方とか、複数作読んできたイーガンの倫理観とか、脱線に脱線を重ねていたわけだけれども……。

不肖主催、楽しすぎて時間を調整することができず。オンラインという場で時間制限もなく、好きなだけワチャワチャ話し合っていました。

酒も入ってないのに、よくこんなに長時間喋れたなあ……(反省してます)

 

さて、主な皆さんの所感としては、万物理論や白熱光などのハードSFの面白さとは少し違うが面白かった、という感じ。

センスオブワンダーはないけれども、万物理論よりもスッキリとまとまって、ぽっと出の人物やテクノロジーがなく、小説としての進歩を感じる。最初の音楽のコピーが失敗するシーンも、ラストの伏線であると同時に、読者にラストの展開を予想させる不穏さに一役買っている。

人物描写も、たとえばオマールが人格者のようにも、人種差別するゲスのようにも描かれるなど、揺らぎのある人間らしい描き方となっており、より人間ドラマがリアルになった。主役のマーティン、ナシムも、前作の主役より共感しやすく、感情移入しやすいと感じる。

私はこの辺は、イーガンのエッセイで書かれているように、イーガン自身がオーストラリア難民政策に関わって学び、変化した部分なのかなあと語った。

これは余談だけれども、順列都市で、無批判に人工生命体の進化を許したことを悔いていたひとが、現実で、様々な政策に振り回されて虐待されたり、死んでいったりする無数のひとたちを、一体どんな気持ちで見つめていたのか……。

イーガンの豊かな想像力と知性を持ってしても、いや、だからこそ(いろいろな意味で)救えない人はたくさんいただろうな、と思うと、なんともかなしい気持ちになります。

と、私の勝手な感傷はともかく。

相変わらず物語の核が現れるのが遅く、ラストが駆け足で、全体的に長すぎる感はみなさん感じた様子。

ゼンデギが現れるの遅すぎ問題は、ネットの感想でもよく見られました(笑)

第一部は、テクノロジーによって革命が成功する、という部分が二部になってテクノロジーを受け入れる国民性に繋がる重要要素なのに、特にそこを強調することがないため、第二部へとうまくつながっていない、読者に意図が伝わっていない、という意見も。

イーガン、万物理論もそうだけど、話の核になる重要なものや人物をサラッと書き流すことがたびたびあるんだよな……。現実では重要なことが何度も出てくるわけじゃないし、色々な物事が繋がって大きなものになることはそうそうないので、そういう意味ではイーガンのリアル志向の結果なのかなあと思わないでもない。

ちなみにこのひと、第一部はジャスミン革命と関係があるのでは?と思ってしまったとのこと。

私は知らなかったのだけど、フェイスブックで拡散された動画によって事態が大きく進んだ、まさにテクノロジーによって革命が成功した例のようですね。

実際は、ジャスミン革命はゼンデギ執筆の後なので、特に関係はないようです。日本語翻訳の時間差で起こってしまった悲劇。イーガンの先見性がすごすぎた。

そういえば、この辺で、作者の意図と自由な読み方・解釈について大論争が発展して、それはそれで楽しかった。ブログでは割愛するけど。

また、既読組は、数年前に読んだ時よりも面白く感じたという意見。私もこれ。

技術が進んで、AIについてなどより身近になってきてリアリティが増した、自身が年齢を重ねてマーティンの気持ちや切実さがわかってきたという意見が。しかし、だからこそサイドローディング技術はまだ随分と先の未来だと思ったという意見も。

私は読んだのは去年なので、身近さはさほど変わりがなかったが、マーティンの選択については、昔よりも解像度高く読めたと思う。この辺は後で詳しく書きます。

初読組は、イーガンの倫理観に感じ入った様子。主観で判断するのではなく、客観性をもって悩み続けるイーガンの誠実さは、理想主義ともいえるけれども、この世界には絶対的に必要なものだと私も思う。

マーティンの傲慢さを感じた方の、教育ってこういうのじゃないだろ、というツッコミも面白かった。ジャヴィードを自分のクローンにしたいのか?と思ったとのこと。

マーティンがやろうとしたことは、切実だし理解できるけれど、確かにグロテスクでもあるよなあ。

結局、あまりにも高度なものを作ろうとし過ぎて失敗するという、イーガンのバランス感覚が良かったとのこと。

しかし実際、この試みが成功して、マーティン・クローンが存在し続ける未来はジャヴィードにとって幸福かどうかっていったら、やっぱりきついよね、という話もあがった。私もそう思う。

ジャヴィ―ドの幸福というところについては、オマール家族に育てられるのがいいよね、という話もした。お金もありそうだし、生活力もあるし。マーティンはオマール家族とは違う、自分の必要性を常に探していたのかも、という意見はちょっと切なかった。

 

サイドローディングのアイディアに関しては、現在似たような技術として、ニューラルネットワークディープラーニングが挙がった。絵を描いたり、小説の続きを書いたりするAIや、グーグル翻訳で使われていたりと、最近たいへん身近になってきた。

あまり詳しくないけれども、この辺りの研究が始まったのは2005年くらいらしいので、イーガンはやはり先見性が凄まじい。

今後発展していくであろう新しいものにすぐに目をつけるまでは他の人でもできるかもしれないけれども、それを小説に落とし込んでしまえる人のなんて、他にいるか?神様なの?

しかし、本書で描かれているAI(っぽい奴)になるまではまだかなり遠いなーという話し合いもした。意識を持っていると勘違いできるほどのAIまで行くには程遠い。まだ暴動も起こらないしね。

ただ、この話し合いの中で、岡田斗司夫氏(主催がよく本や動画参考にしてる)が以前言っていた、Youtuberはキャラクター商売だから、AIに職業を乗っ取られるというような話や、以前森美術館で見たAI美空ひばりなどを思い出した。

キャラや個性の学習により、本人より本人らしい動画や音楽、絵などは今後作成できるようになっていくだろう。そしてそいつらは、人間と違って、年齢や環境で劣化することがないのだ。

そんな話をしたら、他の参加者も、すぎやまこういちのAIができて曲を作って、何も知らずに聞いたら本人のものともう見分けがつかないだろう、と言っていた。

たぶん本書のヴァーチャル・アジミも、そんな感じで、本人より本人っぽい動きができるのだろう。

ゼンデギで書かれている世界は、当時考えた近い未来像としては、びっくりするくらいリアルで的を射ている。

未来像としては、医療に関してもそう。自家培養した肝臓を移植するという部分では、今話題のiPS細胞の話が挙がった。

実際、ある参加者の親戚が再生医療研究に協力して、左足の腱を提供したとのこと。それはどうも地震でだめになってしまったみたいだけど……。

軽く調べてみたら、大きな臓器はまだ実用化していないけれども、表皮や軟骨はすでに実用化しているみたい。未来だわね。

しかし、それにしても、肝臓を移植したところで五年生存率が30%、マーティンの場合はかなり末期で延命しても1年くらい、というのは、イーガンやはり医療がわかっているな、という感じがする。なんで病院に勤めてただけでそんな知識があって、妥当な未来を予測できるのイーガンは。

イランの政治や神話についても、メチャ調べ上げてるし、ほんとイーガンは知見が広くて信頼に足る。

 

ゲーム「ゼンデギ」に関しても色々な意見が挙がった。

私は昔読んだ時、つまらなさそう~という一言でしかなかったのだけれども、最近VRchatという世界を知って、コミュニケーションを求める人にとっては、このゲームはめちゃめちゃ面白いだろうな、と思った。

私はオンラインゲームがぜんぜんハマらなかったひとなんだけど(コミュニケーションも競争もあまり……)、小学生とコミュニケーション取れるのは面白いよ!と言われて、確かに世代を超えて一緒に遊べるのは利点だよなとは思った。

でも別に私は小学生と一緒にゲームしたくないからなあ……戦闘中にリア友が来たからと抜けられたら困ります……。心が狭いので……。

また、本書のゲームが面白くなさそう問題は、マーティンが幼児向けを選んでいるからじゃないかという意見に、それはそうかもなと思った。ゲームの進行も、マーティンが誘導している部分、だいぶあるし。

この辺に関しては、先述したマーティンを傲慢と言った人は、父親とやるゲームが面白いわけない、息子が父親を接待している、と言っていて笑ってしまった。確かに。

ゲーム内容はともかく、ゲーム世界に入り込める技術はいつ実用化するんだろう、という声も上がった。

これに関して、私はヴァーチャル・アジミ実際にあったら、本当にやりたいか問題を提唱。ゲームでサッカーやるなら普通に外でやったほうが良くね?という。

ゲーム世界と現実が連動する技術はすでにあるが、別に現実で走らなくてもボタンを押して走るだけで十分リアル感を持ってゲームに没入できる人は多い。

実際、ドラゴンクエストソード(剣のコントローラで戦える)はあまり売れなかったらしいし。ゲームがどんなにリアルになろうとスマホゲーの方が売れるし。

ただ、前述したVRchatはかなり市場を広げているし、リングフィットアドベンチャーはバカ売れしているし、やり方次第では面白いものにできる可能性は大変高いよな……と終わった後に思いました。

VR体験した人は、バイクのゲームでメッチャ速い!と思ってたらスタッフがウチワで仰いでいた、案外人間は騙される、というような話もしていた。

どのみち私にとってはNot for meなのでは……?と思うのだけど、こうやって新しい技術に乗っからないでテクノロジー音痴になっていくのはヤバい感もあるので、私もVRゲームくらいは嗜んでおきたい次第。

 

結末の展開については、私が今回一番メインに読んだので、一生懸命話した。

私はマーティン・クローンは大失敗だったと思っていて、初読時、結構なショックを受けた思い出がある。今回はそれはなんでだったのか、をずっと考えていた。

結果思ったのは、マーティン・クローンは、マーティンのある一部分を正確に読み取り過ぎてしまった結果だったんだろうと思うんだよね。それは、マーティンが心に閉まって、見ようとしていなかった部分で、自分でも暴力的で理不尽で不快だと思っている部分。

誰でもそういうのあるでしょ。怒りも、暴力的な衝動も、暗い欲望も。

しかしクローンはそれをも正確に読み取り、反映してしまい、しかも対処行動を取れなかった。マーティンにとっては、存在してはならない、しかし明らかに自分である像がそこにあって、それはものすごくショックなことだったと思うんだ。

個人を個人足らしめるのは、非常に些細な部分という話が本書では語られている。マーティンの個性は、命乞いをした人を殺した人間への怒りとトラウマを、差別や理不尽な暴力に対する苛烈な信念や思想を、他者との交流や生活の場で上手く制御し、折り合いをつけ、表現していく部分にこそあった。

だから、マーティンは、クローンを削除するしかなかったのだと思う。クローンは自分であって自分ではないし、パッチを当てたら、今度は別物になってしまうか、また別のところで不具合が生じるに違いないから。

こんな話を自分に置き換えたりして懸命に話した。みんな静かに聞いてくれてうれしかった。

このおはなしは死を前にしたマーティンの自分探し、と言っていた参加者がいて、それはまさにその通りだと思う。失敗作を見せつけられることで、マーティンはやっと、自分を確立して、オマールとコミュニケーションが取れたのだ。

というわけで、私はこんな感じで話していたのだけれども、ここまで大失敗と捉えている人は私くらいだった。

こんな命のやり取りをする場面は現実ではそうそうないだろうし、閉鎖的で限定的な空間でなら、父親として遜色ない接し方ができるだろうし、残しておいても良いのではないかという意見も。

そして、めちゃくちゃ面白かったのが、本人の姿ではなく、目玉親父みたいなリアリティを下げたアバターだったら、多少暴力的になっても大丈夫なんじゃない?という意見。

確かに、目玉親父が「お前は無価値な糞の塊だ!」と言うのと、マーティンのそのままの姿で言うのとでは、かなり感じ方に違いがあるはずだ。

本書は映画「アバター」よりも前の作品で、振り返ってみると、自分を全く別の形でネットに放り込むというのは、当時はあまり普及していなかった。少なくとも、Vtuberバ美肉おじさんのような、全く自分と似ても似つかない姿のアバターの方がより自分らしいみたいな感覚を持つ人はかなり少数派だったはず。

さしものイーガンもさすがにそこは予想外だったようで、アバターについては触れられてはいるものの、ほとんど内容に関係しない。

ということで、当読書会の結論としては、マーティンはVtuberになっていれば良かったかもしれない!ということになった。

えーなんじゃそら、という結論だけれども、案外的を射ているし、未来の在り方かもしれないと思う。だんだんと、しかし確実に、持って生まれた自分の外見や身体性が重要視されない社会になってきているのを感じる。

とりあえずイーガンにはバ美肉おじさんについて書いてほしいよね(そうか?)

 

さて、随分と長く書いてきたが、触れられなかった面白い意見がまだたくさんある。

AI意識は結局見る人の問題の話や、結局はこれもアイデンティティについての話だよなとか、革命時のモブやファリバなどの描き方が人間と同じ扱いで大変フラットだ、とか。

なぜトーキングヘッズに注釈がなくてメタリカにあるのかとか、シャーナーメ面白いと思ったらほぼイーガンの創作やんけ!とか(笑)

マーティン側に比べ、ナシム側の話はほとんど出なかったが、黒幕であるロロの意見に納得させられてしまうあたりが面白いという話などが挙がった。

全体的に、色々な視点、色々な解釈で話が深まり、たいへん面白い読書会になりました。長くて疲れたと思いますが、お付き合いいただいてありがとうございました。

次回は12月にディアスポラの読書会を行う予定。

さてついにディアスポラ!イーガン作品の中でも1,2を争う面白さ!スリル!センス・オブ・ワンダー!何書いてあるかわからないけどわかるような気がする!ヤチマかわいい!

イーガン作品の神髄とも言える作品なので、今から楽しみです。私は既読ですが、もう一回読めてみんなで話し合えるなんてサイコー!と思っています。

無事終えたらまたブログにて報告を書こうと思います。また楽しくおしゃべりできるといいな。

だからにこはデルウハに選ばれない(Thisコミュニケーション ネタバレ考察)

祝!Thisコミュニケーション7巻発売!いや~今回も面白かったですね!

もう発売から1か月経ってしまったけれども……。

今回の面白ポイントは、やっぱりデルウハの目が治っていたことが発覚したところ。

私ちょっと前にむつ考察で、むつはまだ諦めていないのでは?と書いたわけだけど、いやもう臓器のストックがあるとか、むつの希望完全に絶たれたやん……という感じ。強く生きてくれむつ……。

そして私の欠損好きという性癖が満たされることもなくなってしまった。いや、五体満足に越したことはないはず。欠損することで弱点が増えるし、作戦の幅も狭まってしまうしね。

しかし、首もくっついたし、研究所すげー!何でもありだな……。1巻のころから思ってたけど、所長がいちばんヤバい奴なのでは?

そしてむつが意外とまともだった。いや、でも、むつは倫理観がバグっているだけで、痛いのも怖いのも嫌な子だから、ループに耐えられないのは割と仕方ないとしか……。

「あなたはもういい」は割とサイコパスっぽい発言だし、ぼくはまだむつ諦めてない説は推しますよ(物理的に不可能になったけど……)

しかし、デルウハ、オスカーの時も思い違いをしていたなあと思い出す(4巻の終盤あたり/オスカーを殺さなかった理由について)

戦闘力や弱点についての正確さはずば抜けているけれども、気持ちや心の部分での計算は時々狂う様子。まあ、ハントレスに関しても、殺してやり直す以外の解決策が乏しい男だからなあ。

オスカーの時はいい感じに惚れてもらえて良かったけれども、今回は最悪な結果につながってしまったわけだし、いつか絶妙な計算違いで足元を掬われる日が来るのが楽しみなところ。苦しむデルウハが見たーい!

で、最後はデルウハの脳のスペアから作り出された、デルウハクローンとの対決!面白くなってきました!というところでおしまい。

引きが最高過ぎるだろ!次巻の発売が待ち遠しすぎる!

本誌見ればいいじゃん、という感もあるのだけど、この待ち遠しい時間が楽しい、何も知らないまま1巻分を楽しめるという、コミックス派の利点も捨てきれないのだな…。

でもツイッターで「人間が一つのことを習得するには1万時間かかると言われている。」のいちこがバズっていたり、今月もデルウハ殿は最悪だった、最悪を常に更新している男、とか言われていたりすると、つい心がぐらついてしまうね。

 

さて7巻でいちばんスポットが当たったハントレスは、にこちゃんだったかと思う。

ハントレスの中では次女に当たり、明るい性格だが、他者を挑発するような発言が多いとプロフィールに書かれている。

多い、というか、彼女の言動はほぼ他者を挑発するものである。いわゆるウザいタイプ。うーん、ウザカワイイ。

今回は、そんなにこについてちょっと考察してみた。

まあ、と言っても、考察するまでもなく、にこちゃんとても分かりやすい性格をしているんだけど……。

まず、にこの起爆スイッチは「嘘」である。

7巻冒頭で、世界を救うなんて言っていないとしらばっくれるデルウハに対し、にこは「最ッ低」と体が吹っ飛ぶほどのビンタをかましている。

その後に現れた吉永にもキレてしまって、我を忘れたように殴りかかっている。

どいつもこいつもだよ!!!

嘘つき! 嘘つき‼ 嘘つきばっか‼

にこは嘘を吐かれると、異常なほどに狼狽し、パニックに陥ってしまうのだ。

これは7巻冒頭だけではなく、5巻、7人目のハントレスの殺害が発覚した時も同様だった。

何が「俺じゃない」「死体は見てない」よ‼

この…嘘つき‼ 結局他の奴らと何も変わらないじゃない‼

喋らないで 触んないで‼

その後、よみと揉み合ってデルウハを崖から突き落としてしまい、

あんな…あんな嘘つき!人殺し‼ 死んでいればいい!

助けになんて行ったら殺されるのよ! あの子みたいに‼

人殺しの前に、まず嘘吐きが来るあたり、にこの怒りは、明らかに人殺しよりも嘘つきに向けられている。

さらに、この場面の「あの子みたいに」というセリフは、数ページ後に再び使われている。

デルウハが私達を殺しに来てるんだわ‼

一人ずつ殺されて捨てられるのよ! あの子みたいに‼ あの子みたいに―――

「あの子」というのは、おはなしの流れから考えると、7のことのように取れる。

しかし、35年以上前に瓶詰され、3日前に成長・失踪した7に、にこと交流があるわけがない。それに、前述したように、にこは7の殺害よりも嘘を吐いたことに対して怒っている。ここでにこが7に拘るのは不自然だ。

にこが現状パニックで正常な判断はできていないと考えると、「あの子」とは別の誰かを差すと考えた方が自然なように感じた。

ここから予想するに、この「あの子」とは、過去に、にこと関係が深かった何者かを指すのではないか。

にこは、「他の奴ら」と変わらない、とも語っている。にこは研究所生まれであるため、「他の奴ら」はまず確実に、研究所の研究員を指すだろう。

そういえば、4巻冒頭、よみが電力塔を壊した際も、

あんな大事な物壊したよみをみーんな遠くから見てるだけ

なえたっつーかぁ 皆死ねば?って感じ

と、周りの研究員たちに対して、かなり辛辣だった。

「助けに行ったら殺される」「一人ずつ殺されて捨てられる」という言葉も関係あると推測すると、にこと関係の深かった「あの子」は、ハントレスになれなかった少女と考えるのが妥当だろう。

まとめると、にこは、供出された少女の一人と深い関りがあったが、研究員に何らかの嘘を吐かれたまま、助けにも行けず、その子は殺されてしまった。というストーリーが浮かんでくる。

このような背景があったと考えると、にこの不必要な他者煽りや、嘘に対するパニック、常にイライラに苛まれ、ストレスに弱い性格も納得がいく。

しかしにこは他者を強烈に必要としている。2巻で、家族だけが人間関係ではない、と言ってくれたデルウハに縋りついたことや、今回7巻での「次はちゃんと私に向き合ってよ…」というセリフに、それはありありと現れている。

にこは常に、嘘を吐かない誰か、依存できる誰かを常に求め続けているのだが、トラウマにより、他者を傷つけるような発言しかできないのだ。

 

さて、こんな風に語ってくると、あるキャラクターが被ってくる。

よみちゃんである。

よみもまた、強烈に他者から必要とされたい、認められたい、と感じているにも関わらず、他者に受け入れられなかったトラウマから、乱暴な発言ばかりしている。弱点は心が弱いこと。

よみはにこと似ている。よみはたびたび、にこに対して自分の強さを誇示するし、にこも、よみより強いと嘯く。5巻でも二人は大げんかをしている。

しかし、デルウハはよみを選んだ。

ここらへんは去年の12月のよみ考察で書いているので参考にしていただきたい。まあ、よみ一人だけを伴侶として選んだわけではなく、自身の生存のために最も必要な駒の一つとして、だけれども。

それでも、よみがデルウハに依存することをデルウハは許している。7巻でもよみの進化動向について常に気を配っている。よみを殺せなくなる未来を、デルウハは常に憂いているのだ。

対して、にこはどうだろうか。

まず2巻、縋りついてきたにこを、デルウハは容赦なく打ち抜いた。

俺は別にお前とそういう関係になりたいわけじゃない

俺に入れ込んで付きまとわれちゃあ困るんだよ

距離は適切に取ってもらわねぇとな

いやあ最悪な言いようである。にこの不安定さに気付き、精神的なケアが必要だと言っているにも関わらず、決して依存されたくないという強い気持ちを感じる。

にこに対する興味関心度も、よみのそれに比べるとあまりに薄い。よみに対しては、依存させるために言うべき言葉を探し、実践しているのに対して、にこが嘘に強く反応することを7巻時点になるまで気が付いていない。

7巻で仲直りするタイミングでも、イマイチ気が付いているのか、そうでないのか曖昧なままだ。にこに対して考察をするような独白もない。

そもそも、にこに対する興味があれば、デルウハなら5巻のにこのパニックで気付いてもおかしくない。

明らかに、デルウハはにこに対する関心が薄い、あるいは、優先度が低い。

なぜか。

それはそのまま、デルウハの望みと関連している。デルウハがにこへの関心が薄いのであれば、それは、デルウハ自身の生存に対する貢献度が低いということである。

デルウハはそう判断している、ということだけれども。

ハントレスたちは、ある程度武力派と頭脳派で分かれている。みちはまだ能力の詳細が詳しくは描かれないが、現在わかっているところでは、武力派はよみ、にこ、いつか、頭脳派はいちこ、むつと言って差し支えないだろう。

その武力派の三人のうち、明らかに最強の描かれるのがよみ、最弱に描かれるのがにこなのである。

よみやいつかに比べ、にこは戦闘中で唯一性のある技を披露するシーンはなく、頭脳で活躍するシーンもない。5巻で覚醒したらしきシーンはあるが、ドロドロで制御ができていない様のみ描かれていた。

にこもいつかも(ついでにみちも)、よみが覚醒したら束になっても敵わない。

よみを依存させておけば、失敗したときに他のハントレスを皆殺しにできるが、にこはそうできない。にこは当然、人間よりも強い。感受性も強く、他者の心の動きの機微に敏感である。7巻の雪山編を見ても、頭は決して悪くない。だが、それだけ。

にこの能力は、中途半端なのである。

そのうえ、分かりづらい地雷を多数抱え、ストレスに弱く、たびたび感情的になって場の空気を乱す。こと心の問題には疎いデルウハにとって、扱いづらいことこの上ない。

どんなにコントロールしようとしても地雷一つで計算が狂ううえに、うまく扱ったからといって、大して役に立たない。おそらく、デルウハにとってにこという存在は、こんなところだろう。

よみは一人だけデルウハに選ばれているわけではない。けれども、にこはデルウハに選ばれてすらいない。

だから、にこの望みは今のところ、叶う見込みがない。

 

ただまあそれは今のところの話で、これから外部勢力が絡んだり、まだ不明な「あの子」が登場したりすれば、にこちゃんの立ち位置も変わってくるのではないかと思う。

デルウハに振り向いてもらえない不憫カワイイルートに行っても個人的にはいい。それはそれで、そういうキャラも物語には必要なものなので。

でも、外部勢力に騙されて闇落ち覚醒とかしたら、いちばん映えるキャラでもあるんだよなあ~。

いやあ、デルウハの世界救う発言その他もろもろが、マジの嘘だと知ったら、にこちゃんはどうなってしまうんでしょうね、という。

これからどう転んでも面白いキャラだと思うので、今後の展開がとても楽しみですね。トラウマの背景が私の妄想なのかそうでないのか、期待しながら待っていようと思います。絶対そのうちまた来るでしょ、にこ回!

しかしこうやって書いてみると、デルウハがいかに最悪かよくわかるよね。私がデルウハだったらまず真っ先に、にこちゃんみたいな子から攻略するんだけどなあ……。

まあ、速攻刺されるオチかもしれないけどさ。

さて、次巻でいちこにスポットが当たるということで、次巻が発売されたらいちこ考察あたりをやろうかなと思ってます。ああ待ち遠しい……。完結まで頑張って生き延びないとな……。

みちのことがまだよくわからないから、早くデルウハのかわいい大作戦やってくんないかな……楽しみだな……。