かみむらさんの独り言

面白いことを探して生きる三十路越え不良看護師。主に読書感想や批評を書いています。たまに映画やゲームも扱っています。SFが好き。

コレジャナイなんて言わないで!今でこそ解る、隣にあり得たかもしれない世界について(グレッグ・イーガン読書会⑲「ゼンデギ」報告)

屋外を自転車で爆走する仕事をしているので、最近の長雨はちょっとばかりこたえている主催です。

みなさまも体調を崩さぬようご自愛ください。

美味しいものを食べ、よく眠り、イーガンを読みましょう!

いつも読書会に来てくださっている方々、お知らせを拡散いただいている方々(いつでも来てね!)、そして山岸先生、いつもほんとうに感謝です。

というわけで、今回の課題本は「ゼンデギ」。

今こそイランが舞台の文学を読むと何かわかるんじゃないか?というのもあり、課題本に選んでみた。

のだけれども、昨今の不穏なニュースを想起させるからか、イーガンにしては評判がいまいちだからか、集まったのは主催入れて3人の既読組。

以前にクローズドで実施した読書会でも、コレジャナイかもと言われがちだった。

そんなことないのになあ…と思いつつ、確かに派手なセンスオブワンダーはなく、どちらかという地味な作品というのは渋々認めるところ。

まあ、単に主催の人を集める力が不足しているだけの部分もあるかとは思う。そこに関しては色々なところに申し訳ない気持ちはある。愛しかないので…。

別に読書会に人をたくさん集めるのが目的な訳ではないんだけど、イーガンの布教がしたいので、広く届いて欲しいとは願っている。

ちなみに、来てくれたのは馴染みのメンツで、発言に気を遣うこともなく大変盛り上がり、主催個人としてはとても楽しい回だった。

主催の満足感だけで言うなら大成功と思っています。ありがとうございました。

もちろん良い作品だから盛り上がったというのも多分にある。今になって読み返して腑に落ちることが多い、という話も挙がった。

単に、昨今のニュースでイランという国について知る機会が多いということだけではなく、主人公マーティンの身に降りかかることは、今の日本社会を見ているからこそ肌で理解できる部分が多くあるからだ。

サイドローディングなどの技術部分についても、AIが身近になかった頃より、最近のAI知識を持って見ることでより分かりやすく、現実感を伴って見えてくる。

もしこの報告を見て、ゼンデギって面白くないとか聞いてたけど、そんなことなくない?と思って頂ける方がいたなら幸いである。何かと力及ばずな主催ではあるけど、細々と布教を続けていこうと思う。

 

って言っても、1部はやっぱりとっつきづらいんだよね。

イランの政治体制についてある程度知識を入れてないと、なかなかキツイ。

しかし、今回来てくれた二人はとても優秀で、イランについてそれぞれ下調べをしてきていた。主催は用語をchatGPTに聞くくらいしか調べていなかったため、「ほえ~」と感心するばかり。

紹介していただいた副読本(動画)としては、「イランの地下世界」と「ユーテラ授業チャンネル」の「イラン史(古代から現代まで)」。


www.youtube.com

民族や文化の話は火種になっても嫌なので避けるが、ペルシャ系とアラブ系の違いであったり、政治の変化であったりを学ぶことで、1部で描かれているイランの姿はより立体的に映るはずだ。

今でこそ、戦場となってしまい、「ゼンデギ」が描いた未来とは180度違ってしまっているが、「高い城の男」などの歴史ifものとして捉えると、より趣深い。

今のイランで「シャーナーメ」が大人気らしいことや、2023年のデモで「ザン、ゼンデギ、アザディ」がスローガンになったことなども、時代を経て本書と現実が繋がった感じがある。

それにしても、「シャーナーメ」は、「ゼンデギ」が無かったら知る機会がなかったと思う。

…んだけど、よく考えたらFGO でも真・女神転生でも、触れる機会はあったんだよね。完全にスルーしていた。

そう考えると作中のゲームが面白いかどうかはともかく、「シャーナーメ」をわかりやすく取り入れて、だいたいの読者に面白いと思わせるイーガンの手腕はすごい。

ちなみに、私は見られていないんだけど、目下アニメが大人気放映中の「天幕のジャードゥーガル」の主人公ファーティマもイラン出身。

舞台はほぼモンゴルなものの、主人公のルーツを知るのはとても大事なことである。

そこからイラン繋がりで「ゼンデギ」にも手を出してくれませんかね?

 

イランを知らなければぜんぜん楽しくない、というわけでは決してない。

むしろ、2部は今の日本が直面している問題でもあるし、それは日本に限った話でもないだろう。

今や、街を歩いて外国人に行き合わない日はない。コンビニ、ショッピングモール、レストラン、外国人店員が一人もいない場所はもうほとんどないだろう。私もとてもお世話になっている。

観光地は外国人が多すぎて大道芸人も英語という話も挙がった。

「ゼンデギ」が出版された当初は、外国人は観光地で見るくらいだったはず。どんな読者にとってもマーティンのオマールへの苦悩はなんとなく遠いものだったのだ。

私も何回も読み直している作品だが、マーティンの身の上が真に迫ってきたのは、今回が初めてだったように思う。

異国の地でマーティンは常にお客様であり、彼のアイデンティティは常に揺れ動いている。

学校で宗教を問われて無宗教だと言い張ったり、病院で観光客じゃない、妻はイラン人だと怒ったりするシーンは、彼の不安を如実に表している。

イラン人がアフガニスタン人に抱く差別を嫌悪し、恩人であり友人であるオマールのことを信じ切ることができない。

イランで生きていくことを選び、住民として胸を張りたい気持ちがある、しかし自分はイラン人ではないという強烈な自覚もあり、そのうえイラン人に対する消すことのできない差別がある。

マーティンがサイドローディングに賭けたというのは、単に息子の将来への心配や、自分が消える恐怖だけではなく、死を間際にして、自身のアイデンティティの確立を何かに求めたかったからだと読める。

コレジャナイ、なんてことはない。イーガンは初期からずっと書いてきたアイデンティティ問題を、「ゼンデギ」でもちゃんと書いているのだ。

帰結としては決してぶっ飛んだ面白さがあるわけではないが、マーティンは彼にしか選べない選択をし、失敗したかもしれないが、かけがえのない彼という人格を最終的に得たと言って良いと思う。

そうやって見ると、マーティンとオマールの最後の話し合いは、あたたかいのにとてもせつない。今の日本で生きる私たちには、オマールの気持ちもわかってしまうからだ。

オマールの発言は、外国人問題を語るときの日本人の姿と重なる。つい最近、似たような会話を何度も目にした。悪いのは犯罪者であって、外国人ではない……。

私たちは、16年かけて、やっと「ゼンデギ」を読む下地ができたのだ。だから今こそ読むべき!と切に思う。

それ以外にも、本書で描かれる、脳マッピングを用いた人工知能の作成や、AI神が理想の世を築いてもらうという思想も、AIが発展してきた今だからこそ楽しめる。

ナシムやキャプランは後者を切り捨ててしまうが、今のAIを考えると、意外と信じたくなってしまう考えじゃないか?と話題になった。

AI研究では実際に人間の脳を参考にする研究者とそうでない研究者で割と対立もあるらしく、面白い。どっちも頑張ってほしい。

また、AIに職を奪われることについても大きな問題として本作で描かれており、最終的にナシムの心を挫く一因にもなっている。

参加者の一人もかなり切実な問題と話していたし、私も他人事ではない。まあ、まだ人件費の方が安いから今のところは大丈夫そうだけれども。

しかし、昨今の状況だと、もう人間は人間である以外の価値がなくなりそうな怖さがあるよね……と思っていたら、AIが全人類を滅ぼす可能性が10%以上という記事が出てきて、ヒョエッとなりました。いやそれなら神になってくれよ。

 

サイドローディングについては、やっぱりサイドだけだとダメだよね、という話に。

マーティンは自分の教育的に良い部分だけを切り取ってアップロードしようとしたが、結局それは失敗だった。

ここへ来て、人間のアイデンティティはほんのわずかな細部に宿る、という話もでてきている。

彼自身が、小学生の息子には教育できるが、成長した息子に対応できる部分を持っていなかったというのも影響していただろうと思う。

本来子育ては、子どもだけでなく、親も一緒に成長していくはずで、成長過程に合わせて教育や対応を試行錯誤していくものである。

サイドロードの人格には成長がなく、変わることができない。現れては消されるだけの幽霊みたいな存在。

不死にしてはあまりにもお粗末な不死なのである。

マーティンが、自分のサイドロードを目の当たりにして、それは自分でもないことを知り、そして、自分はもう死ぬのだという限界を痛感せざるを得なくなったのだと思う。

不死については、最近話題の「ちいかわ」(映画版)の話にもなり、結局「檻に入れて、なんかずっと暗いとこ」にいる不死なんか何の意味もないよね、という話もした。

最近海外の人の価値観を話す動画を見ていて、日本の文化を知って死が少し怖くなくなったという話が面白くて、海外では死の恐怖が強く、宗教によって救いを得るという考え方が主流らしい。あくまでその動画の話で聞いただけだけど。

日本人の死生観、「火の鳥」や「銀河鉄道999」などの不死を求めて右往左往する人々の話から強く影響を受けているんだろうと思う。もちろん「ちいかわ」にも受け継がれている。

不死=地獄の苦しみ、という印象は私の中でもかなり根付いているんだよね。

刹那の美学、有終の美、という考え方も日本古来から連綿と受け継がれているというのもあるよね。

だからこそ私は、イーガンの、いや不死でも元気だよ!楽しいよ!死に方も自分で選ぼう!みたいなのは凄く衝撃だったから好きになったというのはある。

今作はそんなイーガンが人間や医療や科学の限界を描いているということで、それはそれでコレジャナイ感というか、なんだかありきたりに見えるのかもしれない。

でも、それは日本人だからそう感じるというのもあるのかな、と思ったりした。海外の人からみたら、こっちの方が新しいのかも。海外進出したことがない私はわからんですが……。

終盤はそれぞれの死生観を語り合ったりなんかもできて、それも面白かった。

私は死も不死も怖くて、生まれてきたのが悪…みたいなJRPGのラスボスみたいなことをずっと思っていて、たぶんそこから死ぬより苦しいことを描く作品に魅せられるようになった気がするのだよなあ(病んでるわけではないです)

 

そういえば、イーガン作品にしては意外なほど登場人物の話も多かった。

前述したマーティンはもちろんとして、特にナシム・キャプランについての話題が多かったように思う。

ナシムはなんだかすごく居そうなキャラクター、という意見があり、わかる~となった。

1部のナシムを見ながら、自分の10年前を振り返って苦い気持ちになった。若さと傲慢さってほぼ同義みたいなところあるよね。まあナシム程の賢さも才能もなかったけど……。

2部では現実を見据えて大人になり、最終的に様々な人との対話を重ね、サイドローディングの危険を伝える方向に舵を切るのも感動的だ。ナシムもっと頑張ってくれ…!という声も理解できるが、人権を重視するイーガンらしい結論とも思う。

父への葛藤についても、サラッと描かれているものの、肌感覚でスッと理解できる秀逸な描写である。

そういえば、なんか今作はサラッと描かれている割に納得感のある描写が多い気がする。

ジャヴィードの描写も決して多くはないが、リアルな子どもの感じが伝わってくる。両親の死を受けて徐々に成長しているのもわかり、親の立場で読むと涙を禁じ得ないのではないだろうか。

マーティンがマフヌーシュにどう考えても一目惚れしているのも、特に心情は描かれてはいないものの、なんかすぐにわかる。ストーキングし過ぎだし。2部で結婚していても違和感がない。

マーティンの元彼女のリズの気持ちもよく分かると評判だった。マーティンはめちゃめちゃ頑張っていたのに10年後にあっさり記者の職を失ってて悲しいよね。

そして出世しているベフルーズ。名脇役だった。

そしてそして、いちばん話が盛り上がったのは、なんといっても、キャプランである。

努力家で楽観的で大金持ち。初期イーガンの作品では、彼の方が主人公になっていたよね、今作でも裏の主役では?という話も。なんかちょっと「順列都市」のポール・ダラムっぽいのよね。

健康維持も限界を迎え、サイドローディング事業は失敗し、AI神も作られず、何なら彼がいちばん今作で敗北している気がするのだが、とにかく希望を捨てず、冷凍睡眠やら従業員の引き抜きやらと次の策を打っていく。ある意味めっちゃ格好いい。

たぶん彼は10年後目覚めたときもアッサリと時代に適合し、科学の進歩ヤッターと突き進んでいくんじゃないかな。

いずれ老熟したナシムと全面対決して欲しいものです。

 

読み直すと、最初のレコードをデジタル化するシーンは、ストーリーの全てを端的に説明していて、お見事の一言でしかない。

私は全く音楽に疎い人間なので、デジタル化に失敗したマーティンの絶望は、直感的にはよくわからない。

すごく好きなゲームBGMをYouTubeで聞いていて、好きな曲に不自然ながたつきがあって(仕様じゃなくてミス)も、ちょっと残念だけどまあいいかなと思って聞ける程度の雑な耳である。

ただ、すごく大切なものの細部が傷ついてしまったことで、なにもかもが台無しになってしまった絶望というのは、想像するに難くない。

そして、楽観的に捉えて十分に確認しなかったことへの後悔も、よくわかる。

ここだけを読み返してもいつまでも味がする作品だなと思います。

ちなみにマリアムがマナムになってしまった絶望は、主催ちょっとわかる。

眉村卓の「なぞの転校生」が中学生の頃大好きで、大人になって文庫が新しくて出てたので買い直したら、「次元ジプシー」が「次元放浪民」に直されてて、なんかちょっとショックだったのよね……。

ジプシーが差別用語なのは百も承知で、時代を考えると修正されなければならなかったのはわかるんだけど、ちょっと、その……ダサくないですか……別の単語にならなかったの……?

眉村卓先生は「まぼろしのペンフレンド」が推しです。書いていて、そういえばこれもコピー人間ネタの話だったなと思い直して読み返していました。やっぱり良い話だ……。

調べたら絶版になってて、新しく出ていた青い鳥文庫のやつも、もう中古以外では手に入らないみたいです。

えっ私が持ってるの、昔古本屋で買った、すっごい乱丁があるやつだけなんだけど……(味があるのでかえって嬉しくて取ってある)

イーガン好きに勧めるにはちょっとライトすぎるかもしれないんだけど、読む機会があったらぜひ読んでみて欲しいですね。

さて、次回の読書会は、ちょっと趣向を変え、課題本は特になし!としました。ちょっと忙しくて読む時間が取れないかも、というのと、時期的に年末なので、総清算的な話をしてもいいかなと。

企画としては、イーガンとイーガンっぽい作品について語る交流会&イーガン読書会の今後を考える会です。お勧めしたい作品などあれば1,2冊お持ちいただけると幸いです。

初めての方も、リピーターの方も、イーガン読んだことない人も、イーガンのオタクも、みんなで集まって話をしましょう。

日時は、12月6日(日)15時~。

参加者については、大体1ヶ月前くらいにXのアカウントで募集していますので、ご興味ある方はぜひチェックしてみてください!

質問などある方は、お気軽にリプライとかDMください。当日中には返答があると思います。

では、今回ご参加いただいた方々、ほんとうにありがとうございました!今後ともよろしくおねがいします!

共感できなくても面白いというのは、まさに小説としての巧さだと思う(グレッグ・イーガン読書会⑱「ひとりっ子」&「ふたりの距離」報告)

「アフター・ゼロ」の星雲賞受賞おめでとうございます!令和になってもイーガンの人気は衰えず!ファン層もますます厚くなりそうですね。若い人にも届け〜〜〜

大分までは行けませんが、遠い地から祝杯を挙げるつもりです。

そして、「アフター・ゼロ」の入った短編集および前日譚の「ZERO FOR CONDUCT」の翻訳が読めることを心より楽しみにしています。

この読書会も細く長く続けていきたいですね。参加者の方々どうぞよろしくお願いします。山岸先生もいつも気にかけていただきありがとうございます。

辛いことも多い現在ですが、楽しめるときは存分に楽しんでいきましょうね!

というわけで今回の課題作は、「ひとりっ子」の中から、表題作と「ふたりの距離」。

「アフター・ゼロ」とは打って変わって、こちらはかなり古い作品。「ふたりの距離」なんかは1992年。主催がまだよちよちしていたころの作品だと思うと、驚きを禁じ得ない。

参加者は主催を入れて8名。初参加の方も2名いてありがたいかぎりです!

初読3名、再読5名。ちなみに主催は「ひとりっ子」のみ初読(結構前に挫折し、最近は読書会でやるからいいやと止めていた)

なぜ読まなかったのか?と自分でも不思議だったのだけど、今回読んで理由が分かった。「オラクル」がわかんなさすぎて、関連あるらしい「ひとりっ子」を読まずに止めてしまったのであった。

しかしその意味不明な「オラクル」も、生ネズミと機械ネズミが一緒に乳を吸っている光景だけは衝撃で覚えていたので、やっぱりイーガンはスゴイ。

再読者の中には「ディアスポラ」がめちゃくちゃ面白くて、期待して手に取った「ひとりっ子」が意味わからな過ぎてショックを受けたという方もいて、やっぱりかなりハード目の短編集なんだなと実感。

ただ、昨今chatGPTの台頭から、AIが非常に身近になったので、「ひとりっ子」も「オラクル」もかなり理解しやすくなったと思う。なんなら、チューリングテストなんかもう今のAIはクリアしちゃうよね、という現実がSFを追い越しているという意見もあった。

今回は「オラクル」は課題作にしなかったのだけど、セットで読んで完成する作品だと思うので、「オラクル」の段階で挫折しそうな主催みたいな人は「ひとりっ子」読んでから戻ってみてほしい。

「ふたりの距離」のほうは、主催もともと好きな短編なのでチョイス。とっつきやすいし読みやすいよねって思ってたら、案外ピンと来ない人が多くて驚いてしまった。ただ、とても好きって人もいたので安心。半々ぐらいだったかな?

読書会はそういうことがあるから面白いのよね。「クライシス・アクターズ」の時も面白かったし……。

一人で読んでいると、自分の感覚が全部だと思ってしまうので、集まって話すと色々知ることができていいよね。誤読に気づけたりするし、アウトプットすることで自分の考えもまとまるし。

 

そんなわけで、かなり評価にばらつきがあった「ふたりの距離」。

恋愛小説として非常に秀逸、好きという意見もありつつ、何がやりたいかよくわからなかったという意見もあり……。

主催は初読みのとき、自分がずっと考えていたことの答えをくれたぜと思って沸いていたので、てっきりみんなそうだと思っていた。

ただ、ここまで一つになったら墓までもっていきたいことも知られてしまって困るという意見もあって、自分をかえりみつつ、まあそれはそうかもしらん……とは思う。

夫婦は知れば知るほど、嫌になる。という名言を教えてくれる方もおり……。

いやでもそういう全てを肯定してこその真の愛では……?という潔癖な強迫観念が出てきてしまう人は割といると思うんだよなー中二病なだけなのかな。

それはともかく、ピンと来ないながらも、思考実験として面白いという意見はみんな一致していたと思う。もしも肉体の交換がカジュアルに可能な世界なら?他者の記憶にまでもアクセス可能になった時、人格はどうなるのか?

「宝石」という「ぼくになることを」「ボーダーガード」でも使われているガジェットをうまく盛り込み、一見ファンタジーでロマンティックなネタに、絶望的なリアリティが加味されているのも良い。

「エキストラ」に出てくるクローン人間の倫理問題が、脳死で解決させているところも面白いところ。

相手の体に入ったら自分を見ていなければならずつらかったという下りが面白かったという方も。この後の下りで、シーアンが自分も相手も同じ顔で気が狂いそうになってるのも面白いよね。

体と心が入れ替わるネタ自体はかなり色々なところで目にすると思うんだけれども、自分の顔ばっか見てないで相手に会いたい、という嘆きは見たことない気がする。

主催としては、好きな相手の考えや行動を体験したい、けれども自分はどこか遠くで神として見守りたい、というのを結構考えるので、この体の置換をしてもなんか上手くいかない感はめちゃくちゃ面白いんだよね。

そこから、物理的に一体化したら結局新しい自分が二人できてしまったというオチも、なんとも物悲しくて良い。

リスクの削減を図ったら不確実性という旨みがなくなってしまったという話にもなり、結局人間は永遠に理解できない他者だからこそ求めるのだわ……と染み入る。

「一人きりで永遠を生きたいとは思わない」という言葉が冒頭とラストで意味合いが変わってくるのもシビれる。この一文があることで小説としての完成度がグッと上がっているよね。

オチに対して、イーガンはメタ自我を許さないんだなという意見があったのも面白かった。たしかに「宝石」万能そうなので、記憶を保持したまま統合人格・シーアン人格・わたし人格に分裂するというオチもあったのかなと思うんだけど、そこまで簡単にはいかないよってことなのかも。

今は別れてしまったけれども、今後また別の人格に分化していくため、また恋人になれるのではないかという意見も頷かされた。

そういう長編があっても良い……と思ったけど、かつて自分だった人と恋愛をするか?と言われると微妙なところだなあ。過去の自分を抱けるかっていうと、ぼかァちょっと無理かも……。

関連作品としては、同じイーガンの短編から「祈りの海」、アンディ・ウィアーの「エッグ」、サカナクションの「いらない」が挙がった。

「祈りの海」は性行為で性器を入れ替える衝撃シーンの話が挙がり、記憶媒体をロボットとかに入れる話は多いけど、他者と入れ替える話は少ないねという話に。

「エッグ」は読めば意味がわかるので、ぜひ皆さんに読んでほしい。有志の日本語訳もネットにあるので。

「いらない」もぜひMV込みで見てほしい。めちゃくちゃ「ふたりの距離」の内容を端的に表わしているので……。主催も見てびっくりしました。MV作った人は読んでるだろ。

 

「ひとりっ子」についても、主人公がクレイジー過ぎて感情移入できないという声がありつつ、山あり谷ありで娘が自立するストーリーとしての完成度を高く評価する声もあり、評価はバラバラだった。

主人公のクレイジーさというのは、当然、自分がたくさん分岐することを許せない強迫的なこだわりのことである。割とすんなり腑に落ちる人もいれば、なぜそこにこだわるのか……?となる人もいた様子。

ここに関しては、自分が決断をして良い方向に進んだ(男性を助けに行くことで、嫁もできて人生も上手くいった)ことに価値があったと思いたいという話が挙がり、なるほどという声も上がっていた。

まあ、主人公の真のクレイジーさは、その自分の強迫観念に対して、娘が単一の人生を送れるのであれば幸せなはずだという思い込み、それでほんとにクァスプを作っちゃうことにあるような気もするんだけどね。

ちなみに、クァスプを作ってヘレンを生み出す主人公は無数に存在するはずだが、ヘレンの単一さはどうなってしまうのか、という話もあり、怖い話だ……となった。

親子上手くいかない話としては、そのまま「ゼンデギ」に引き継がれている。

結局のところ自分の最良・最善をただ子どもに押し付けたって上手くいかない、というところが、本作でも「ゼンデギ」でも、余すところなく描かれている。

上手くいかない、といえば、作中フランシーンの視点が皆無で主人公がひたすら独りよがりになっているという指摘も。

フランシーンは多世界解釈の話で絶対に流産しなかった自分を思い描いたよね、という痛烈に切ない話も挙がった。苦しすぎる。もっと妻の傷つきを癒してやってくれよと思わざるを得ない。1ヶ月くらい休み取って旅行とか行ってほしい。

ただ、これは主人公が独りよがりなだけであって、作者の独りよがりなわけではない。

フランシーンが傷ついて苦しんでいる描写が直接描かれるわけではないが、ところどころ、主人公の行動への抵抗感を示すシーンがちゃんと引っ掛かりとして描かれている。

いやあイーガン小説上手いなあと思ってこの辺語っていたんだけど、後から考えると、このフランシーンとの絶妙なすれ違いを書くことで、その後のヘレンとの大きな断絶が自然に映るようになっているのかもしれない。

フランシーンとはコンセンサスが取れているよね、と読む方もおり、実際それはその通りだと思う。ただ、納得する自分でいたいから納得するみたいな、主人公が最後に入れてる〈支援者〉のやることをセルフでやっているような感じがする……。

聡明で主人公を心から愛しているフランシーンだったからこそ、なんとか破綻せずにいられたのじゃないかと思う。

それを生まれて間もない娘に押し付けたら、まあ上手くいかないわな。ラストで仲直り出来てほんとうに良かったよね。

イーガン作品の夫婦、上手くいかなかったり死別してたりも多い中、かなり頑張っているよねという意見も。

そういえば、「鰐乗り」も割と夫婦上手くいってない?という話をされて、個人的にはあのラストは夫婦がすれ違う前兆だと思って読んでいたので、アッここでも感覚の違いが!となったりした。

結構夫婦とか恋愛に対して、割と潔癖なところがある主催です。「シルトの梯子」も、愛とは思うけど、別離だとも思っているよ。

「ひとりっ子」自体ではクァスプの意味はあまりなく、「オラクル」があって一つのストーリーになるという意見もあり、今となってはそれな~~と思う。

「オラクル」で挫折したら、一旦「ひとりっ子」を読んでから戻るとまだ理解しやすいのかも……。

「オラクル」を書いた時点で、ヘレンがシングルトンであるという構想があったかどうかは気になるところ。ヘレンというスーパーヒロインを成立させるために考えたのかな?

多世界解釈といえば、色んな作品があるけど面白いのある?ということで出てきたものとしては、ジェイムズ・P・ホーガン「量子宇宙干渉器」「プロテウス・オペレーション」、伴名練「なめらかな世界と、その敵」、乙野四方字「僕が愛したすべての君へ/君を愛したひとりの僕へ」、映画「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」、ゲーム「Alters」が挙がった。

選択の価値、という点では、エブエブは価値のない自分をどう肯定するかという話なので、割と「ひとりっ子」で描かれるこだわりとは対極にあるので、色んな人に見てほしいなと思う。

なめ敵は持っていたので読み返してみたけど、これも決断の価値という点では、かなり似たテーマを扱っている。まあ伴名先生は当然イーガンは読了済でしょうね。

「Alters」は比較的新しめのゲームで、色々分岐した自分と協力したり争ったりするみたいで面白そう。話を聞いていて、自分のクローンと一緒に星を支配した人の話がなかったっけと思い出した。たぶん「ミッキー7」だったと思う。これは多世界解釈じゃなくて普通にクローンなんだけどね。

僕が愛した~とホーガンは噂は知っていても全然読めてないので今度読みます!(こうして積み本が増えていく)

 

それにしても、イーガン先生の小説の上手さはいつ読んでも感服させられる。短編は特に。

「ひとりっ子」はハードな短編集ではあるけど、自他の境界はどこにあるのか?や自分の考えているプロセスはどんなものか?という哲学的な問いに対して、科学を用いて着地点を描き出すのが、すごく面白い。

イーガン作品は利他性がベースにあるので面白いという話も挙がった。

この辺は主催が一番惹かれている部分でもあるんだけど、イーガン先生の描く人間は、環境や状況が許すなら人に対して良いことをしたいっていうのがあると思うんだよね。

先生自身がそういうタイプの人間なんだろうと思う。

ただ、その何か正しい、良いことをしたいというところが、科学によって突き詰められていくというのが最大の面白ポイントなんだよなあ。

小説なんだから正しくて優しい理想のまま終わればいいのに、現実とすり合わせようとするから上手くいかない。それをストーリーとして出してくる。

ということで、次回は親子(父親)上手くいかない決定版「ゼンデギ」にすることにしました!

実は仕事関係で忙しくて、読書会1回休みにしとこうかなあと悩んでいたのですが、気がついたら「ゼンデギ」やろうぜって言ってました。やるからにはキッチリ読みます。研修頑張りながら……ヒィ。

イーガンのイチオシ長編を選べと言われたらこれか直交三部作かなと思っています。ちなみにイチオシ短編は圧倒的に「キューティ」です(過激派)。

世界情勢的としても、今読んでおいて損はないのかな……と思ったりします。将来はまた別の感覚で読むことになるかもしれませんしね。

日時は、何事も無ければ9月6日(日)15時からの予定です。イーガン入門作品としてもお勧めなので、長編初めて読むという方にもオススメです、たぶん……(だんだん自分の感覚が信じられなくなっている)

参加者については、大体1ヶ月前くらいにXのアカウントで募集していますので、ご興味ある方はぜひチェックしてみてください!

お気軽にリプライとかDMくださっても構いません。だいたい当日中には返答します。

では、今回ご参加いただいた方々、改めてありがとうございました!今後ともよろしくおねがいします!

短編の中にも鋭い問題提起!イーガンの描く”奇想”は今なお新しい!(グレッグ・イーガン読書会⑰「ユージーン」&「銀炎」報告)

何とは言いませんが、かなしいニュースが続く昨今です。個人的にもバタバタしていて、全然本が読めずにいます。

でも読書会はのんびり楽しく続けたい…!3ヵ月に1回なので負けずにがんばります。

リピーターの参加者の方、いつも本当にありがとうございます。あなたがいることで会が成立しています。

新規の方もいつでもお待ちしています。イーガンファンの輪が広がっていきますように…。

というわけで、今回の課題本は「TAP」。以前は奇想コレクションシリーズで出されていましたが、そちらは絶版となり、現在は特に冠はなくなってしまった様子。

せっかく可愛い表紙だったのに…。まあ、この表紙もかっこよくはあるけども。

イーガンの作品の中ではかなり初期の作品が掲載されており、これだけ河出文庫ということで、あまり話題になることは少ない気がする。

今回は主催のチョイス(好み)で「ユージーン」「銀炎」を課題作とした。表題作ももちろん面白いんだけど、ちょっとエンタメ色が強くて面白かったで終わりそう…と思って…。

「TAP」については、藤井大洋「マン・カインド」と通ずるテーマがあるなあ…やっぱりイーガンは凄いな…と主催は再読して思っていました(ちゃんと全部の短編読んだ)

参加者は主催含め6名。初読1名、再読5名。表題作だけ読み残していたという声もあって、イーガンの短編集は息切れして1作品くらい積んでしまう現象あるある~。短いのに一個一個が重いんよ。

単純にこの短編集のことを知らなかったという声も。文庫が違うと見落としちゃうよね。

イーガン作品としての難易度は低く、比較的読みやすい作品が揃っていると思う……んだけど、やっぱり視点や世界観が独特なので、凄くとっつきやすいかと言われると悩むところもある。

個人的には医療系の人はとっつきやすい作品が多いかも…?とは思ってる。でもあんまり医療系の人でイーガン好きな人見ないんだよなー。現実が大変で忙しすぎるのもあるんだろうけれども…

主催は「貸金庫」の看護師さんの動きを読んで、作者良く見てるなあというところからイーガン好きになったところがあるので、ハードSF・難しいみたいなのに騙されず?に、色んな人に読んでほしいなと思う。

 

「ユージーン」は、意見があんまり出ないかな?短いし…、と思っていたところ、思いの外話が尽きない時間になり、「銀炎」の話題に移るのが予定より遅くなってしまったくらいだった。

だいたい主催が好きなイーガン短編(大好きなのは「キューティ」と「愛撫」)はハテナマークを浮かべられがちなんだけど、今回は「ユージーン」を課題作に選んだ主催スゴイって褒められて嬉しい。

読むとついついイーガンってこういう話も書いててさー、と友達に話したくなる本作、「10分で読めるイーガン」というほどイーガンのエッセンスが詰まっている。

優生学や遺伝子操作は危険?という話かと思って読んでいると、軽々とその先へ飛び越えてしまう。反出生主義の話も出てだが、この時代ってメジャーな思想じゃなかったよね?という話も挙がった。

ベネターの「生まれてこないほうが良かった」が2006年(日本上陸は2017年)というのを考えると、イーガンどこからその発想を持ってきたんだという。やっぱりSF小説?

ちなみに鬱JRPGで有名な「ドラッグ・オン・ドラグーン」(2003年)でも「賢者は死ぬことを選ぶ。更なる賢者は生まれぬことを選ぶという…」というヒロインのセリフがあって、主催はそれを思い出してました(誰も知らんわと思って読書会で言えなかった)

「星新一の短編みたい」「いやいや藤子F不二雄でしょ」と大御所の名前もでてきた。

「ドラえもん」では、セワシくんが自分たちの境遇を変える為に、自分が生まれる未来が変わるというリスクを冒して(この辺は色々説があるらしいですが)過去改変を試みるというところから、ユージーン=セワシくん説も生まれた。

ユージーンは涅槃に至るために両親のお金を全部奪っていくのに、セワシくんはのび太を幸せにするために行動する…なんて前向きなんだ!

ユージーンが行動原理を説明してくれないのも面白いよね。

科学はHOWを答えてくれるがWHYは答えてくれない、でも、宗教的な話にはしたくない、というイーガンの主張がユージーンのセリフに反映されているという意見が面白かった。

まあ、個人的には子どもを犠牲にして良いことをした気になるなよ、他人に任せて楽するなよというメッセージもある気がする。

だからこそ、両親はつよつよで生まれるはずだった我が子を失い、強運で手に入れた宝くじの賞金も失い、結局またAIに奪われそうな仕事に従事することになってしまうんだと思った。これはやっぱり、悲惨な末路でしょう。

そして、観光ガイドとかゴミ収集車とか、今見るとAIにお鉢を奪われそうだがギリギリ残っているラインを攻めるのがイーガンめちゃくちゃ上手くないすか。これが1990年の作品かよと。

しかしこの両親、善良ではあるんだよね。はじめは自然に任せた方が良いとも言ってたし、あぶく銭の使い方として、世界に善いことをするという選択肢がある。

ただ、選択できるとなったら自分の子どもが世界を救うことを夢見ちゃうあたり、人間のエゴまるだしになってしまうのが恐ろしい。クックに言いくるめられたというのもあるけど…。

昨今の教育ママ問題につながる部分もあるという指摘も。最初はみんな自分の子どもに良い人生を送らせてあげたいという気持ちから始まったはずなのに、教育虐待になってしまうこともあるというのは、かなしいことだよ。

読み直すと、途中で挟まれる宝くじ買う奴は「愚かで、強欲で、まちがっている」という話がちゃんとあるのに、ラジオの広告に乗せられて買ってしまう話が、完全にクックの話に乗ってしまう伏線になっていてイーガンの巧みさに舌を巻く。

うっかり1回大成功しちゃったから調子に乗っちゃったのもあるんだよねえ。

クック=真の主人公では?という声も上がった。クック自体はめちゃくちゃ優秀でノーベル賞他も取っており、世界に貢献して大成功を収めているんだよね。

ただ、成功させたかった研究は上手くいかなかった、と本人は思っているが実はめっちゃ成功していたという。最後の一文が皮肉が効いていて良いということで、みんなで笑った。

主催の解釈としては、クック、なんで自分の子どもで試さなかったの?と思っていて、会の中でもその話をしたんだけど、読み直してみると、夫婦二人共の遺伝子治療が必要そうなので、別に自分の精子だけ遺伝子治療を施したところで無駄だったんだろうと思った。

卵子を採取して治療にかければ良くない?というのも、作中で卵子は採取が難しく、サンプルに乏しいのがちゃんと書いてある。精子はいっぱいあるのにね。

つまるところ、クックは一緒に子どもを作ってくれるパートナーが得られなかったということなんだろう。いたらやってたと思うもん、この性格だと。

と思うと、ビルもアンジェラが最後に言い争いをしたり、離婚したりしないというのは、実は素晴らしいことなのかもしれないね。愛は失わなかったんや…。

自分の子どもが大谷翔平だったら、自分の子どもと思えないと思う、という意見もあり、そやな…となった。この二人、子どもがいない人生に戻って、かえって良かったのかもしれない。

 

「ユージーン」がストーリーの面白さで盛り上がったのに対して、「銀炎」は、現実社会と照らし合わせた話で盛り上がった。

コロナ禍のはじめも、コロナに罹ろうとする人がいたよね、という話から、医療者も情報がなさ過ぎて確定情報が出せず、主人公のように今までの蓄積で粛々と対応するしかなかった、死んだ人に意味を見出す動きに抵抗感があった、などなど……。

新型コロナウィルスと銀炎ウィルスを比べ、銀炎ウィルスは余りに致死率が高く、人類全体から見たら新型コロナのほうが怖いのではないかという話も。

御存知の方も多いと思うが、致死率の高いウィルスは流行規模が小さくなりやすい。宿主を早急に殺してしまうからだ(+他にも色々理由はある)

宿主を殺せばウィルスも死ぬので、銀炎ウィルスは本来なら世界的パンデミックになりずらいはず。

ただ、「銀炎」では、〈喜びの旅路〉を歩むため、自ら望んで感染し、広げていく……という恐怖のシナリオが描かれている。

この非科学的な宗教的思想に対し、主人公は成す術なく敗北していく。

科学や論理で動かない人々に対して不合理だと感じる人も多いと思うが、恐怖に対処できない人々が救いを求めてコミュニティを作るのは、寧ろ合理的だと話があった。

そもそも、人間というのはそうやって生き延びてきたはずだ。

作中では、主人公は宇宙は人間に無関心だと繰り返し語る。しかしこの言葉は同時に、愛する者を失った人々にあまりに無力だった。

結局、人は物語がないと生きていけない。それが例え勘違いであったとしても、生きる意味を知って救われる生き物なのである。

主人公はおそらくラストで銀炎に罹患し、隔離され、家族に会えないまま死んでしまうだろう……と話が挙がった。

その時、「ねえ、娘ってこのイヴェント行ってない?」と話があったのが怖かった。

〈喜びの旅路〉コミュニティに属する人たちは、決して教育水準が低いわけではない。これはラストで、医学生が医療の知識を駆使して銀炎ウィルス患者を運んでいることで明らかだ。

主人公の娘のローラは、冒頭で科学に対する不信感をちゃんと表明している。しかし、主人公はローラに向き合わず、夫もローラは大丈夫だと勝手に断じている。自分たちの娘がまさか激ヤバ宗教にハマるとは露と信じていない。

「洗練されていて魅力的である」からと言って真実に変わることはないと……。

しかしそれを真実だと思って行動しているのが〈喜びの旅路〉コミュニティなのであり、若い世代が、笑顔で、陶酔するダンスで受け入れてくれるのだ。

このおはなしは、主人公は見知らぬ地で隔離され、何も知らないまま死に、自分を殺したコミュニティに所属している娘を助けられなかった……というものなのかもしれない。恐ろしすぎる。

主人公が銀炎ウィルスに罹患した人々とその家族を見る目はとてもやさしい。善良な人だ。しかし、〈喜びの旅路〉の思想を信じる人びとに対し、彼女は歩み寄る気はさらさらない。わたしの世界じゃないと終始パニックを起こすばかりである。

主人公が旅路の中で、イヴェント参加者としっかり向き合っていたら、結末は違っていたのかもしれない。もし最初から娘としっかり向き合っていたら、おはなしそのものが全く違ったものになったのかもしれない。

そう思うとめちゃくちゃ遣る瀬無い気持ちになるんだよなあ。

また、若い世代は本当に人類として変容しているのではないか、という話もあった。

作中で演説している扇動者は、なんだかんだ金のためとか名誉のために騙している人たちが多いのではないかと思うが(それが最も憎むべき存在というのはマジでその通りです)、最後の医学生とかは完全にマジなんだよね。

世代が変わると理屈が変わる、という例で、リベラルな思想を持っているのに淫夢語録で会話する若者、というのが出てきて、これには主催もオウ……となってしまったね。

でもたぶん、全く理屈が違う人たちとどう対話をするのか?というのは、すごく大切な事なのだと思う。

ちなみに、SNSもないのにこのイヴェントがめっちゃ広まるの凄くない?というような話も挙がった。さしものイーガンもSNSの流行は予測できなかったか……。

SNSがまったく悪とは思わないけど、誤った情報の拡散やアルゴリズムによるエコーチェンバー効果はどうにかならんかな……。

冷笑的な部分があるおはなしというところで時代を感じるという意見も。現在はもう冷笑してられないよな……ということで、「銀炎」から「クライシス・アクターズ」や「アフター・ゼロ」に繋がっているという話にもなった。

論理や科学が通用しない相手を社会が、あるいは個人が、どう対応していくのかについてのイーガン先生の回答をもっと見ていきたいものです。

 

そういえば、似ている、あるいは影響を受けている小説というのが今回あまり出てこなかったなあ……。

「ユージーン」の話の中で芥川龍之介の「河童」の話になったくらい。主催は中学生くらいの時に読んで大好きでした。生まれたくないよう!と主張できるの羨ましすぎ!と思ってた記憶があります。

先に話した「ドラッグ・オン・ドラグーン」もほぼ同時期ハマってたんで、うーん、よっぽど生まれたくなかったんですかね……笑

割と読書会で紹介されて知って読む本は多いので、色々教えていただけると主催は嬉しいです。SF初心者なので……。

今回の二つの短編は、どちらも親子の話だったね、と最後にまとめてもらい、これは話してみないとわからなかったことだなあと思いました。読書会やると発見が多くて楽しいです。

親子繋がりで、というわけではないのですが、次回は6月7日(日)に「ひとりっ子」から2編選んで課題作にしたいと思っています。

今回は表題作は確定です。

何故かというと、実は主催、イーガンファンを自認しながら、「ひとりっ子」の表題作だけ積んでまして……。長いからとなんか読まずにいたら何年も経ってしまった……。でも新鮮な気持ちで読めて嬉しい!

というわけで6月には、晴れてイーガン作品の邦訳は全読破となる予定です。ワーイ。

参加者については、大体1ヶ月前くらいにXのアカウントで募集していますので、ご興味ある方はぜひチェックしてみてください!

では、今回ご参加いただいた方々、改めてありがとうございました!今後ともよろしくおねがいします!

ハードSF部分だけで判断しないで…人間への観察眼にも圧倒される傑作なんです!(グレッグ・イーガン読書会⑯「順列都市」報告)

毎回人集まるかな…とドキドキしながら主催している読書会ですが、なんだかんだ、毎回新しいひとが来てくれて嬉しい限りです。

私生活の忙しさもあって、あまり宣伝できていない主催ですが、細々と続けることで何かしらでイーガンファンの輪を広げていけたらと思っています。

最近グノーシアがアニメ化しているので、「汎性」の元ネタあたりから、「万物理論」をはじめとしたイーガン作品に興味を持ってくれる人が増えないかなあなんて話をしました。グノーシア面白いもんね!

いうて、ありそうであまりない設定ですよね。自身の選択として汎を選ぶっていうのも、今でこそ真に迫るテーマだし…。イーガン先生にはジェンダー的なテーマもずっと取り上げてほしいものです。

それはともかくとして、今回の課題作は「順列都市」。

集まってくれたのは、私含め7名の再読組!イーガン初心者の方も来られれば…とは思ったけれども、まあ、上・下巻あるしハードルは高いよね。

イーガン読んでみたいって方、いつでもお待ちしています。

しかし、読書会を機に久しぶりに(15年とか、26年とかも!)再読をしてくれた方が多く、やったー良かったー!という気持ちもある。

みんな口々に言っていたのは、昔読んだ時はSFガジェットに目が向いており、こんなに人間ドラマが面白いと思っていなかった、再読したら凄く良い作品だったと気づいた、ということ。

私も約3年ぶりに再読したわけだけれども、改めて、この小説…ストーリーがめちゃ面白くないか!?と驚いてしまった。

実はクローズドで3年前に読書会をやっているんだけど、その時のまとめを見たら、私全然イーガンを理解できていないじゃないか!!とショック。

いや今も理解できている気は一切しないんだけども……。

丁寧に読んでみると、ピー・ケイトの関係とダラム・マリアの関係(とトマス・アンナの関係もかな)が対比構造になっていたり、現実世界ではみすみす死なせてしまったダラムを、TVC宇宙ではマリアがしっかり救うという美しいストーリーになっていたり。

セカイ系という話も出ており、そうかもしれない……としみじみ。最終的にはきみとぼくの選択という話でもあるのよね。ぼくは国家レベルで分裂するかもしれないけど。

以前読んだ時はトマスがアンナを壁にガンガンぶつけてるところが強烈に印象に残っていたけど(参加者の一人はめっちゃ壁から降りてくピーだったらしい)、凄まじい傑作だったのだな……と思わされた。

年を取って色々な人間の在り様を見てきたことで、作品や登場人物の深みを感じやすくなったのではないか、という話もあり、確かに若いころは自分と似た人間(主催にとってはトマス)のことしかわからなかったな……としみじみするなどした。

下巻のTVC宇宙を発進して、ランバート人とのファーストコンタクトになってからが本番で、めちゃくちゃ面白い!という話も上がって、そうそうそう!となった。

正直、初読だと上巻のハードな部分でおなか一杯になってしまうのは仕方がないと思う。わけがわからなくなって挫折した、ストーリーが目に入らなかった、は全然あると思う。

でも、できればそこで諦めず、少し時間を経てから、何回か挑戦してみてほしいんだよな。

まあ何回読んだからといって難しい科学理論が理解できるようになるわけではないけれども、なんとなく本質を掴んでスルーする力はつくし、そうすると色々な楽しみ方ができるようになる。

高校物理すらやったことない主催が言うのだから間違いない。イーガン作品は噛めば噛むほど味がするスルメみたいな作品だから……やめ時わかんなくなるから……!

 

今回、一番話題になったのは、イーガン作品にしては珍しく登場人物や関係性についての話だった。

いつもキャラ読みはしない方も、ピーのこじらせ感にハマったとのこと。

ピーについては、死に方がめっちゃ世知辛いとも話題に。条件がクリアできなくて保険が下りないのは普通に今の世でもありそう。

ああいう死に方をしたからこそ、自分を変えることに抵抗がなかったという考え方もあり、コピーになった時点で大分アイデンティティがクライシスだったんだよなーと思った。

ケイトとの関係性も良いよね~と盛り上がる中、でもケイトは若干都合が良い存在では?という声も。ケイトの視点がないので、なぜあんなにピーに好意を寄せていたかは確かに疑問はある。

結局きみとぼくの世界になったら愛するしかないよね、とTVC宇宙に発進してからは思うんだけど……。

でもなんだかんだ、ピーみたいなかわいそうな男を放っておけないタイプなだけなのかもしれない。

二人のラストが凄く印象に残っているという声もあった。理想郷の崩壊の中、ふたりぼっちで取り残され、永遠に減速していく。あまりにもロマンティックで美しい。

しかし読み直してみると、ケイト的にはこれで良いのか?という疑問もなくはないかも……。いやでも、なんだかんだ、一番良い在り方なのかもしれない。セカイ系だ。

マリアと母についてもかなりたくさん話が挙がった。

マリアの境遇に自分を重ね、身につまされると意見もあり(フリーランスしょんぼりあるあるが詰まっているとのこと)、炭になったホウレン草を投げるシーンのリアルさに沸いた。

実家で家族が宗教にハマっているのも妙なリアリティがあって嫌な感じだ。「万物理論」ほどアンチではないけれども、やはり感じる新興宗教許すまじの念。

母にコピーを執拗に勧めるくせ、自分はコピーを拒否する、ある意味人間らしさの極みのような描写を自然に織り込んでくるあたりも評価が高いポイントだった。

母のためと言いながら、結局は自分が救われたいだけ。母に甘えっぱなしのマリア。

でも自分がマリアでも同じことをする、という話もあり、強い愛があるとかえって自分勝手になるのだなあと思わざるを得ない。

イーガンの世界観、神はいないけど親はしっかり描かれるよね、という話も面白かった。

恋人の頭を壁ドンでおなじみ、トマスについても話が挙がった。何を隠そう主催のイチオシである。

トマスの最期は、残念ながら目が覚めず助けることもできないというシーンで終わっている。

どう解釈したらいいのか?というところでは、ランバート人からの干渉を受けたことで、固定された自身の世界が崩れたことで救急車を呼べたが、トマス本人のアイデンティティとして崩壊してしまったため、世界が終わりを迎えた、というのが妥当な読みではないかと思う。

ちゃんと救急車を呼んだことで、ある意味今までの思いが報われ、罪を清算できたと読むこともできるし、自分自身の力では解決できなかったと読むこともできる。

生きている間に裁かれていたら、何かが変わったのかもしれないという意見も。

たとえ一時の夢でも、救急車を呼ぶ自分と未来に出会えたのは良きことなのではないかとは思うけどね。

アンナはマジでトマスのこと好きだったの?という話も上がったけど、それは……まあ……。

そういえば、ダラムの話はあまり挙がらなかった。最後の最後で自分を変化させて人間から遠のいていったね、というくらい。

これ見よがしに浴室で自殺したのは、それでもやっぱりマリアに見つけてほしかったのかな、とか、誰もダラム本人のことを気にしてくれなかった中、マリアはずっと真剣に向き合ってくれたから依存していたのかな、とかそういう話をすればよかったな、と今になって思う(主催はダラムも好き)

 

当然ながら、トンデモおもしろ塵理論についても、多く話に挙がった。

塵理論については、イーガン自身もインタビューであまり本気にしていないというだけあって、割とサラッと書いてある。

ただ、それまでのオートヴァースのしつこいまでの説明(個人的にはミュートースの話は割と好き。筆が乗っちゃったんじゃないかという意見もあった)やら、リアリティのある生活描写やらで、塵理論についても、まあそうなんだなあと思わせる迫力があるのが凄いところ。

「SFマガジン2014年7月号」で東浩紀氏が塵理論の解説をしているらしく、なにそれめっちゃ読みたい!ということでさっそく中古で取り寄せ。とりあえず受け取ったけど、めちゃくちゃ分厚くて夢が詰まっている雑誌だ…イーガンの未収録作品もあるだと…早めに読みます!

(山岸先生からご指摘いただきましたが、ビット・プレイヤーに改題されて収録済みでした!なるほど今まで気付いてなかったわけだ!)

塵理論に連なるアイデンティティ問題も当然話題に。

可能世界論の議論では、どんな世界に行っても自分だvsそれは自分ではないというものがあり、感情を自身で切り替えたらそれは自分か?薬を飲む前と飲んだ後の自分は?自己嫌悪というが、それでは自分は嫌悪する側・される側のどちらにいるのか?などなど。

他人は全部環境が変わっただけの自分、という見方もできる。

貴志祐介の作品で、意識が一つしかないという話(おそらく、「我々は、みな孤独である」?)があり、まさにピーが体現した人間観そのものである。

でもやっぱり、ピーにもケイトが必要だったように、誰かしら他者は必要なんだよね。

しかしまあ、例えば20年くらい前とかになると、自分が全く理解できない他者のように見えることもあるし、二次創作だと同キャラのカップリングが地味に流行ることもあるし、今・ここにある・自分以外は全部他者なのかもしれないな……。

この話の流れから、塵理論は輪廻転生の話をしているのと同じなのではないか、という話も面白かった。

この世の不条理は全て輪廻転生で説明がついてしまうが、その包容力(というのが適切かはわからないけど)が塵理論にも確かにある。

以前「万物理論」でもラストがまるで悟りのよう、仏教的と話題になったが、宗教を嫌っているイーガン先生の突き詰めた先が宗教的になるというのは面白いよね。

イーガン作品はどれも希望に満ちたラストが多く、それも相まって宗教的に見えるのではという意見もあった。

私は直交三部作の、それでも科学を学べば人は上手くいくんだ、より良く生きられるんだという信念のあまりの美しさでいつも泣いてしまうんだけれども、それは、それ相応の覚悟や犠牲が必要というのを前提にしているからなんだよね。

新興宗教やその信者(あくまでイーガン先生が想定するものだけど)はそれに比べると、あまりに自分勝手というか、子どもの遊びのように見えてしまうのかもしれない。

まあ、個人的にはたとえ子どもの遊びのようなものだったとしても、それはそれで必要なものなんじゃないか、とは思うんだけどね。

そういえば、我々は全員死んだことがないので、死んだ後にまた目覚めるのではないか、と思うのを否定する材料はなく、必ずしも非科学的な考えとは言えない、という考え方も面白かったな。

自分がまた目覚めるとわかって死ぬのは、果たしてしあわせなものなんだろうか。ダラムに聞いてみないとわからないことである。

 

今回、想起される他作品が比較的多く出た印象がある。

塵理論の繋がりでボルヘスの「バベルの図書館」、野崎まどの「ハローワールド」、エリュシオン人とコピーたちとの関係性から、同じイーガン作品の「ボーダーガード」、光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」はこのストーリーを裏返したものではないか、という意見もあった。

今年の初めに取り上げた新馬場新の「春2050」も話に挙がった。

こうやって考えると今年初の読書会が「順列都市」オマージュ作品で、今年最後の読書会が「順列都市」なのはなんか運命を感じる気もする(特に狙ってはいませんでした)

冒頭あたりで語られる台風被害の話も、新しイーガンの「クライシス・アクターズ」や「アフター・ゼロ」に繋がってくる。

イーガン先生、割と昔から環境問題のことを考えていたんだなあ……と。新しい作品を見た後だと旧い作品の見方も変わるね。

「順列都市」で描かれていることに現実が近づいてきた、という話も挙がった。

現在AIが爆裂に流行っているが、そのせいで電力需要が爆増してしまい、電力が不足して大変らしい。金でリソースを奪い合う世界がやってくるのか……というか、実感的にはもうかなりそうなっている。世知辛い~~

作中に出てくる「ラクダの目」に近いサービスも最近実装されている。まだこちらの気分を伝えたり、返信したりまではいってないけどれども、メールを要約してくれるだけでも割とありがたいサービスだ。

面白かったからXでもポストしたけれども、スパコンでマウスの大脳皮質を再現した記事の共有もあり、コピーが現実になる時代が来たか!?とも話題になった。

ちなみにコピー関係だと、意識を失った後にPCの中で目覚めるというのは、意識が継続してるか分からないじゃんという話から、シームレスに意識をPCに移そうという計画もあるそうな。

どんどんSFに近づいていく現実がとても楽しみな昨今である。

将来イーガンを読んだら、現実が追い越したなとニヤリとする日が来るのかもしれない。

 

私の「順列都市」初読は、それこそ10年くらい前で、SF読みたいということで「宇宙消失」とセットで読んだという記憶があります。

なんだかよく分からないけど面白い、何かしらわかるようになりたい。そういう気持ちで生きてきたら、いつのまにか、読書会を主催して16回もやっているようです。

三日坊主になりがちな私が、こんなに楽しくやっていけているというのは、参加してくれる皆さまのおかげだと思います。まとめも褒められるから書いています。褒められると伸びる子です。

ほんとうに、いつもお付き合いいただき、ありがとうございます。

さて次回ですが、「銀炎」をやりたいよ~と思っていたら、参加者の一人が「銀炎めっちゃいいですよね!」とも言ってくれたので、即決定しました。

というわけで、次回の読書会は3月1日(日)で課題本は「TAP」!なぜかこれだけ河出文庫から出ています。kindle版もあるので買いやすいはず。

あまり話題になることがない短編集ですが、「新・口笛テスト」や「ユージーン」、「銀炎」など面白いおはなしが目白押し!

取り上げる作品は、「銀炎」だけでも2時間は語れると思うのですが、せっかくなので2作品くらい取り上げたいところ……。只今考え中です……。

参加者については、大体1ヶ月前くらいにXのアカウントで募集していますので、ご興味ある方はぜひチェックしてみてください!

では、今回ご参加いただいた方々、改めてありがとうございました!今後ともよろしくおねがいします!

イーガン作品は小ネタも見逃せない!先生それで1本書いてください(イーガン読書会⑮「プランク・ダイヴ」報告)

イーガンの短編集、買ったはいいものの「なんか長い&難しいからちょっと後回しに…」と思って飛ばした結果、読まないで何年か経ち、読んだつもりになっている作品が、実はちょこちょこあるんです…。

いやー、っていうか、そもそも短編集自体そういうことないですか?アンソロジーとか特に…。

私は短編を複数作一気に読めないタイプなので(脳が混乱する)、短編集は読むのに下手したら長編より時間かかるんですよね。

イーガン読書会主催としてはあるまじき状況ですが、ずっと言ってるように愛だけはあるので、今後もよろしくお願いします。

というわけで、今回は「プランク・ダイヴ」。

電子書籍化しておらず、すでに文庫も絶版のため、下手したら今後手に入らなくなってしまう不安もある。なんとかして、せめて電子書籍にならないものだろうか…。

メインで扱うのは「クリスタルの夜」と「暗黒整数」の二つに絞ってみた。

「クリスタルの夜」は個人的に一番印象に残った作品だったのと、イーガン初心者にも親しみやすいかなあと思って選んだ。「暗黒整数」はイーガンの短編の中でもかなり好き、という参加者の声で即決定。

実は決めた時点では「暗黒整数」が「ルミナス」の続編であったことを知らず…。そんなのあったっけ?と思って読んだら、例によって読まないまま数年経っていた作品の一つだった。

「ルミナス」は既読だったので、むしろ何で読んでいなかったのか、我ながら疑問なんだけども、そもそも「プランク・ダイヴ」は「ワンの絨毯」を読むために買ったのと、そのころはここまでイーガンに対する熱意がなかったんだと思う…。

ちなみに、今回も例によって再読の参加者がほとんどだったのだけれども、昔読んだけどほぼ覚えてない、という意見も割と上がった。

「しあわせの理由」や「祈りの海」などに比べて、ちょっとキャッチーなわかりやすさが薄いのかもしれないよね。あまり初心者向けではない感じ。

面白かった作品を聞いた時も、満場一致でコレ!というのがなく、かなり人気が分かれていた。

ただ、「エキストラ」は1票も入らなかったなあ。個人的には結構好きなんだが。というか、イーガンの、頭は良いけどアホで強欲な金持ちが不幸になるおはなしは、奇妙な納得感があって基本好きです。

 

そんな感じで、私としては「クリスタルの夜」も、金持ちが不幸になるおはなしの1つとして読んでいて、その不幸の描き方が、単純に勧善懲悪というわけではなく、納得感のある自滅なのが面白いなあ~と思っていた。

ダニエルが何がやりたいかわからないとストレスを感じた参加者もいたけれども、冒頭からして考え無しとはっきり言われているし、まるで反省しないで雇う科学者もとりあえず別に誰でもいいというところから、ダニエルの計画の浅はかさ・愚かさは提示されている。

そのうえ、彼は他者とのコミュニケーションをほとんど取ろうとしない。彼の世界では彼と部下(というか奴隷)しかおらず、対等な他者はいない。他者の意識を認めず、ただ手段として使っているのである。

いやしかし、経営者とか医者とか割とこういう感覚で喋っている人いるよね。アッ今人間扱いされてねーなと腹立つことある。

「ご自分の世界にお友達はおられないのですか?」とプリモに言われてしまうシーンが印象に残っているという方もいた。いなさそうだわね。

そんなダニエルが、中途半端にファイトたちに罪悪感を抱いてしまうというのが面白い。

それを倫理と呼ぶのか道徳と呼ぶのかはわからないけれども、残酷さを取り除きたいと思う、ある種まっとうな心の動きが、しかしそれこそがボタンの掛け違いを引き起こしてしまうのも、物語として上手いなーと思う所だ。

このあたりは、言語とコミュニケーションがあること=意識がある気がするというところにも繋がっている。「ワンの絨毯」でもそんな感じに描かれていたよね。

この話、突き詰めると、じゃあChatGPTには意識があるのか、アプリを終了するのは虐殺か?という話になるし、カントの批判哲学の話になってしまう。

それはそれで議論すべき話題なんだろうけど、今作では、ダニエルの取った行動が、(自分も望む)不死にしてあげる+増え過ぎたら困るから繁殖制限というとんでもないこと(でもダニエル的には善いこと)だったというのが肝なのかなーと思う。

この辺は、「ディアスポラ」で肉体人を強制的にデータ化したりとか、「プランク・ダイヴ」でコーディリアをコピーしたこととか、そういうところと似ている部分もあるなと思う。結局人間は己の思う善きことしかできないよなーと。

ただ、それでも正しいらしいことはあるわけだよね、と考えると、やはりダニエルに足りなかったのはお友達とコミュニケーションなんじゃないかなと思う。

ダニエルが最後に全く反省せず、また奴隷を欲しがってる救いのなさが面白いなと思っていて、こうなるなよ、というイーガンのメッセージなのかなとも思います。

AIの人権を扱うという視点で、テッド・チャンの「ソフトウェアオブジェクトのライフサイクル」が似ているとも話があった。今の時代こそ切実なテーマではあるよね。

ちなみに、今作の話し合いで一番盛り上がった部分は、P21にある「0~三歳児向けSNS」って何!?というところ。

普通に考えたら親向けのコンテンツだろう、いや、0~三歳児「向け」ってちゃんとなってるから子が使うんじゃないか、この時代の子は発達が早いという示唆なのか、いやいや、言葉に拠らずイメージなどで繋がるのではないか、などなど多数意見が出、いやもうイーガン先生このネタで話作ってくれよ、となった。

序盤過ぎてスルーした人が多い中で、コレ何!?と目を向けたその方の着眼点は素晴らしい。

ちなみにWiddulHands.comというらしいんだけど、意味すら分からん…。Wideと何かの言葉の掛け合わせ?それともWiddleの誤字…?さすがに誤字ではないか…。

 

「暗黒整数」は、個人的にこちらから読んで、「ルミナス」を読んで、再度読み直すのがオススメの1作。

「ルミナス」は、面白いけど結構とっつきにくかったという印象があり、「暗黒整数」の方がなんとなく数学戦争が直感的に理解しやすい感じがある。

個人的には、向こう側の大使的な存在であるサムが、前からいましたよみたいな顔でいるのがちょっと気に入らない。思わず「一人っ子」を開いて「サム」で検索かけてしまった。いなかった。

「ルミナス」を再読して確認していた参加者もおり、私同様「いないじゃん!」となっていた。

「ルミナス」では相手が異質で怖かった分、なんか会話や交渉できちゃっている残念感もあった。イーガンらしい知性観ではあるんだけど。

ただ、会話は出来ているけど通じ合ってはいないという指摘もあり、確かに主人公側が情報を渡さないという、駆け引きをしようとしているのは、イーガン作品の中では案外珍しいシーンなのかもしれない。

サム以外の人間関係的な部分は「ルミナス」を踏襲しているため、読んでいるとラストの一文の感動はひとしおになるから読んでほしいという声もあった。それは確かにそうだと思う。途中でケイトがアリスンに嫉妬しているシーンも理解がしやすい。

アリスンとの絆の方が深いんじゃないか、という感じはありつつ、それとは別にケイトを選ぶ、ちゃんと説明をするというのが良いという話も。

それにしてはケイトの扱いが雑な気はするんだけど…。置いてけぼりのシーンはちょっと酷過ぎるし…(Xでバズってる置き去り彼氏じゃんという意見があって笑った)

イーガン作品の恋人とか夫婦は割と破局するんだけど、すれ違いの会話が妙にリアルだよねという話も上がった。そんなわけで、私はてっきりケイトとも破局するのかと思っていたんだけど、ちゃんとケイトが冷静に話を聞いてくれたのでちょっと意外だった。

それはそれとして、アリスンとブルーノの関係性は、「ルミナス」では恋人関係だったものの、今作では二人の仲に色恋沙汰はないものの、確かに絆があって、絶妙だよね。

性的な関係はあるものの、友情にも愛情にも寄り過ぎないバディ関係みたいなのは、イーガン作品では多数語られており(シルトの梯子や万物理論など)、イーガン先生のこだわりというか、エモを感じる。

ストーリーとしては、ハリウッド的という意見が多かった。その分、正しい選択を続けていき、ひっかかりがないというのはある。

「ルミナス」とも全然テイストが違うため、2作目で話が変わるのもハリウッド的という意見も挙がって笑った。

ハリウッド的なのに、絵面が地味で映画化してもあんまり面白くないのではないか、という話もあり、確かにずっとパソコンの画面見てるだけだもんな…となった。

小説ならではのストーリーであり、さらにイーガンでないとここまで納得感のあるものは描けないだろう、という意見に頷かされる。

読者に対し、飛行機が落ちたり衝突事故が起こったりする状況よりも、世界の基礎である数学が揺らぐ恐怖感の強さを印象付けるというのは、なかなかできるものではない。

ネットで時々流行る数学面白話としての、コーヒーカップとドーナツは区別ができないとか、1=2の証明とかが、現象としてマジになってしまうと思うと、それはまともに生きていけないよな。

90年代によくあった、魔法で社会がめちゃくちゃになるストーリーを数学でやっているという指摘もあった。あのころは魔法vs科学みたいなのもよくあったよね…と思ったけど、割と今もあるのかな。

 

今回はエンタメよりの作品二つだったので、他の作品も話せるかなあと思っていたんだけど、普通に時間なかったですね。何回も言ってますが、短編2つで2時間語れてしまうイーガン作品の奥深さはほんとすごいなあと思っています。

二次会では他作品の話もでき、今回も充実した読書会になりました。参加いただいた皆様のおかげです。いつもありがとうございます。

さて、次回は12月7日(日)15時~、「順列都市」の読書会を行う予定です。

クローズドの頃に読書会を行っていましたが、3年以上前なので、まだイーガン初心者でよくわかっていなかったなあと振り返ります。今読んだら色々分かることも増えるかも…と思うと、再読がとても楽しみです。

有名な作品なので、イーガンオタクはもちろん、イーガン初心者の方、イーガン読んだことないけど挑戦したいという方、様々な方にご参加いただければ幸いです。

Xのアカウントで募集していますので、ご興味ある方はぜひご参加ください!

では、今回ご参加いただいた方々、ありがとうございました!今後ともよろしくおねがいします!!

トンデモ論理展開の裏に、イーガン理想の社会が見える(イーガン読書会⑭「万物理論」報告)

前回クローズドで取り上げたときから、早3年だそうです。

3ヵ月に1回というペースではありますが、よく飽き性の私が読書会を続けられているなあと思います。これも参加してくれる方のご協力があってこそ。科学知識も論理的思考力も乏しい私にいつもお付き合いいただき、ありがとうございます。

今後とも細く長く、続けていきたいと思っています。

そんなわけで、今回の課題本は「万物理論」!

電子書籍になれ~と念じていたら、まさかのつくみず先生が期間限定表紙を描いてくれている!

www.tsogen.co.jp

イーガンファンとして、もちろん購入。こういう地道な支援が身を結ぶと信じて…。

今年のみの期間限定での発売なので、機になる方はお早めに!

さて、今回は私含め8名の方が参加。なんと、全員再読組!

つくみず先生効果で初読の方やイーガン初心者の方が来てくれたらいいなあと思っていたのですが、まだまだ私の宣伝不足ですね…。

とはいえ、2名も新規の方も来ていただけてとてもありがたいです。主催がめっちゃ喋る、読書会としては変な会ですが、思い思いに喋ったり聞いたりして楽しんでもらえたら幸いです。

再読ですが、つくみず先生表紙の方をちゃんと買ったよ!という方も多く、そちらも嬉しい限りです。イーガン業界盛り上げていきましょう。

表紙自体も評判は上々。ストーリーのラスト、主人公が基石となるシーンを視覚的に表わしており、わかりやすい。

もうちょっと主人公はオッサンなのでは…?という気もするけど、若い子はこういうテイストの方が手に取りやすいかもしれないよね。

よく見るとアキリのだぶだぶの黒いTシャツの、光点が不規則に浮かび上がっているらしいところも再現されてて細かい。

「万物理論」は舞台設定も映えるし、エンタメとしての見せ場も多く、ハリウッドで映画化されるならこの作品だよなあ、という話もあり、このイラストの感じでアニメにするというのもいいよねという話も上がった。

内容的にも全然今読んでも古さは感じない。30年前の本とはとても思えない。

模擬人格AIのカスパーは、チャットGPTなどのAIを使うのが普通になった今ですら、ああ~こういう動きするわあと納得感がある。ていうか今こんな感じで使ってるよ、という話も。

新興宗教団体の考え方や共鳴する人々についても、むしろ陰謀論などが身近になった今、より理解しやすくなった印象がある。

私も数年前に読んだ時はトンデモ宗教を信仰する人ってこんなんなんだろな、くらいだったけれども、今読むと、こうやって思って行動する人いるわ…とちょっと恐怖すら覚えた。

この作品でイーガンにハマった方や、昔好きすぎて再読が怖かったという方もいたのだが、昔は人間宇宙論や科学やガジェットの描き方に目が向いていたが、今読むと社会の描き方に注目したという話をしていた。

イーガンが描いた未来の社会に、現実の社会が追い付きつつあるのかもしれない。さすがイーガン先生!まあ、さすがに2055年にこの社会が来るのは難しそうだけど…。

好きなキャラクターとしては、案外ハラキリに定評のある主人公、アンドルーくんが人気。もっと話聞けよという意見もあったけど、最初の死後復活があまりにもショック過ぎてああなったのも仕方ないよねという意見もあり、確かになあと思った。

あの死後復活を冒頭に持ってきて、読者をドン引きさせつつ惹きつけるの、冷静に考えるとなんともテクニカル。これだけで1冊書けそうなものだけども…。

そういえばイーガン作品、ギスギスしたカップル多くない?という意見もあり、イーガン先生の自己投影?という話も出たのだけど、完璧でない人物を主人公にすることで感情移入しやすくさせるというテクニックではないかという意見もあった。完璧じゃない感の演出に、離婚は使われやすいツールのよう。確かにドラマ描きやすいよね。

個人的にも、イーガンは私生活をストーリーに反映させるのはあんまりやらないんじゃないかなあとは思う。男性の主人公は情けない奴多め、女性の主人公は強くてカッコ良い奴多め、という印象はあるけども。

ちなみに私の好きなアキリはそんなに話題にならず、ちょっとさみしい。ちょっと嫌なキャラではあるからなあ。

遺伝子組み換えサバイバル男ネッド・ランダーズが印象に残ったという声もあった。第一部、再読するとめっちゃ面白いし、実は先の伏線になっている箇所がたくさん出てくるから、全然いらなくなかったなと思う(前回の読書会では削れる部分として話題になったけど…)

分かって読むとセーラ・ナイトも黒幕としての動きをしっかりしているし、必要以上に書き込みが細かいだけで、イーガン先生めっちゃ構成考えてるんだよね。

また、前回の読書会では、ぽっと出のキャラクターが多すぎるという意見もあったけど、ぽっと出ですごく良いことを言うのが良いという意見もあり。

いやでも、ステートレスの人たちはともかく、インドラニ・リーとかは使い捨てでもったいないな~という感はあるかな…。デ・グロートとかもキャラ立ちしてきたころに消えちゃったし…。ここらへんはミステリの感じも狙ってたんですかね…。

 

なんだかんだ、一番時間を割いて話したのは、話の大オチである、主人公が基石となり、アレフが起こるシーンについて。

会の中でも色々話して、やっぱりわからん状態になっていたんだけど、その後色々考えた結果、私の解釈としては、

モサラのTOEがカスパーに伝わり、TOEを説明することで基石になりかける(宇宙の終末も予言)

→カスパーは機械知性なので「ひとつの精神がその他の精神を説明し得るか?」という議題に答えられず(機械知性は自我がないため?世界観が画一的だから?)不完全な混合化、つまりディストレスパンデミックが起こる(機械知性の世界観を人間に共有・強制し、人間がTOEの説明を垂れ流す機械のような状況)

→アンドルーがカスパーの説明したTOEを解釈し、おそらく自閉症である自分の経験から、「他者の精神は説明できない」と悟り、人間みんなでTOEを共有し、完成させる。その過程で他者理解が不可能であることが真実となり、そこに適応できる人間(自発的自閉症を選択できる人たち)が生き残った。

ということなのかなあ、と思っている。

いやでも、この辺かなり早足で詳しい説明もないままなので、人によって色々な解釈がありそう。

私は全然意識して読んでなかったが、アンドルーが理論を組み立てる科学者で無く、大衆に伝えるジャーナリストであることに意味があり、ラストで生きてくるという意見があり、確かに!と思った。

アンドルーはかなり優秀であることが冒頭からも示されてるし、なにより真実を伝える責任感が強いから、ラストの部分が違和感なくハマる。

また、前回の読書会同様、悟りによる救いという仏教に近いものを感じたという意見もあった。

面白かったのは、悟りを開いて他に広めるというのがよくわからない、悟りを開いたのであれば死を選ぶのでは?という意見が続いたこと。エピローグでは900万人が自殺したと語られているが、むしろ900万人しかいないのか、となったとのこと。

この辺はそもそも人間の認識自体がアレフ以後でまるっと変わってしまって、悟りを開いた新しい人類が通常モードになるから問題にならないのかもしれない。

この辺り、「幼年期の終わり」にも似ているという意見もあり、「新世紀エヴァンゲリオン」を彷彿するという意見もあった。

再読してしみじみと思ったけど、他者と混じり合うとかいう帰結をとらず、他者理解が不可能でも理解しようとする実践が重要である、愛も幸せもちゃんとあるんだよ、というのがすごく良いなあ…と思う。

作中、みんなで立ち泳ぎをする社会というのが印象的に語られているけれども、まさにイーガンの思い描く最良の社会の形なのかな、と思います。

 

最良の社会と言えば、作中の部隊であるステートレスの社会についてもかなり話題が挙がった。

無政府状態にもかかわらず、住民一人一人が自力でより良い決定を下すことができる社会。

作中での大きな物語は前述した人間宇宙論による世界や人類の変容だが、それとは別に、小さな島が災害に対処する様子が小さな物語として丁寧に描かれている。ステートレスの住民は常に冷静に攻撃に対応し、部外者であるアンドルーくんにも優しく接してくれるし、命も助けてくれる。

改めて読むと、最近の作品である「堅実性」で描かれている世界観によく似ており、このころからイーガンが描きたい理想はある程度形になっていたんだなあと思う。

最近のSFであればステートレスを宇宙に置くが、現実と地続きの場所で描いているのが印象的という声も。確かに、あくまで人間が作る社会にこだわっている感がある。

ダイビングのシーンが印象的だったという方も多かった。自らの住む島の構造を理解して感銘を受け、ステートレスの一員として理想の社会に加わる。

部族の一員として受け入れられるために必要な通過儀礼的な役割も担っているという指摘もあった。マサイ族がライオン倒すみたいなやつだね。

そう考えると宗教的なようにも感じるのだけど、この人たちは凄く論理的に感銘を受けていて、いわゆる神秘体験とは似て非なるものとして描かれている。

しかし、こんな楽園のように描かれるステートレスだけど、人々があんまりにも知性的すぎることや、知性と善性が結びついていることで、危うさを感じるという声もあった。

ステートレスの社会はダイビングで島の構造を科学的に理解できる人しか受け入れられないのだ。

初期イーガンに特徴的なことではあるが、作中に知性的でない人は全然出てこない。大体説明は理解してくれる。

話が通じないのは、カルト教団の変な演劇をやっている人々くらいであるが、その人々について掘り下げられることはない。特に馬鹿にした描き方ではないにしろ、モサラが痛烈な批判を浴びせている。

作中で批判されているカルト教団のほとんどの人はラストで自殺を選んだのかな…と思うと、私としてはなんか納得いかないものがあるのである。まあ、自分で選択できる分、エンジニュイティの虐殺よりはマシかもなんだけど。

そういう意味では、最近のイーガン作品は、知性というものに対して、少しだけ描き方が変わってきた感じがあるんだよなあ…と思うんだけど、どうだろう。また「堅実性」の読書会やりたいね。

 

アンドルーくんが生物兵器で人工コレラに罹患したシーンが印象的、という声もあった。

めちゃめちゃ苦しみながら、精神と肉体は分かちがたく、互いに影響を及ぼしていると気づくシーンは、少し宗教的ですらある。

ステートレス・ダイビングが宗教的な行事でないのであれば、こちらが宗教的な啓示を受けているシーンではないかという指摘もあった。

アンドルーくんは何回ものハラキリ(プラス病気とか他者との不和とか)を経て、生きている実感を得、物理法則に囚われている自分自身を強く感じることになる。

それとともに、作中何回も無知カルトに心惹かれるシーンも多くあるんだよね。

しかし、そのアンドルーくんが最後に選び取るのが幻想を捨て去ること、というのが意味があるのかなあという気がする。

読書会の中で自我とは何かについても話題になり、状況に応じて変わるものではないかという話が挙がった。

立場が変われば自分自身の行いや考え方が変わる、自我も変わる。かの有名なスタンフォード監獄実験でも証明されている。

と思って調べてみたら、この実験は看守役に研究者側の指導がかなり入っていたり、囚人役に対する実際以上の非人道的な扱いがされたりと問題が山積みな実験だった様子。

結局分かったことと言えば、人間は実験とかやると研究者の望む行動をとりがちという程度のことのようだ。

うーん、昨今、数々の心理学実験のお粗末さが露呈していて(吊り橋効果とか…)、人間の心理なんかそう簡単にわかんねえよ感が逆に出てきてしまっているなあ。

ただまあ、実際、状況が人格を形作るというのはそれはその通りだし、立場が変われば考え方なんてすぐに変わってしまうし、特に選択肢のない極限状況(作中で言えばコレラで死に瀕している状況)では自我とかどうなっても不思議ではないよね。

しかしそういう、苦痛への反応とか強制されたことへの順応とかではない部分で、自我というのものはあるんじゃないのかなあ…というのも思うわけである。

だからこそイーガン先生は、クァスプとかいう潔癖過ぎるシステムを盛り込んだり、脳をデータ化したりして自我というものをどう捉えるか、を考えているのじゃないかな。

でもステートレスのような知性的立ち泳ぎ世界が理想だったら、ぶっちゃけ自我とかない方が社会は上手くいくよねーーという気もする。イーガン先生、知性と善性と自我が結びつき過ぎなんだよな。

でもそれを必死でやり続けていく先生がだいすきです。人間の魅力って、知性と善性と自我が無くなったら、あともう無いもんな、わかる(大先生に向かってなんという言い草)

 

というわけで、読書会のまとめというよりは、私の感想が前面に出てしまった感もあるけど、たまには(?)そういうのもいいよね。

読書会をしなければ私もこんなに考えたり、読み直したりはしなかったわけで(まとめを書きながらちょこちょこ読み直してるのでめちゃくちゃ時間がかかる)、それがほんとに有り難いなあと思う次第です。

そう言えば今回は、似ているタイトルは出なかったものの、最初の死後復活と似たものとしてラリイ・ニーヴンの「時間外世界」という小説を教えてもらいました。

また、人間宇宙論の原型である人間原理やコペンハーゲン解釈とかの話をしている時に「ウィグナーの友人」という思考実験、「銀河の片隅で科学夜話 物理学者が語る、すばらしく不思議で美しいこの世界の小さな驚異」という科学エッセイ、自我や認知の話の流れで動物の感覚・認知について描かれた「動物には何が見え、聞こえ、感じられるのか」をお勧めしていただきました。

読みたい本が多くて困っちゃうぜ、仕事忙しいのに。ですが、小説以外はお勧めされないと読まないので、どんどん勧めてほしいです。

さて次回ですが、短編集が全然扱えていないので、「プランク・ダイヴ」を課題本にしたいと思っています!

短編集は全編やると時間が足りないので、2、3編メインで扱うものを選んでやりたいと思っています。「クリスタルの夜」は私が好きなので入れたいし、「暗黒整数」は参加者の方の推しなので入れたいなあ…(多分この二つ話したら2時間一瞬だろうな…)

時期的には地獄の夏を乗り越えて、9月ごろを予定しています。たぶん何もなければ、9/7(日)かなーと思っています。

夏休みもあることだし、短編だし、イーガン作品に触れてみたい!という方にもオススメ!

最近イーガンだいすきクラブみたいになってるけど、作品に対する好意的な意見も批判的な意見も全然オッケーなので、お気軽にご参加いただけると幸いです。

Xのアカウントで募集していますので、ご興味ある方はぜひご参加ください!

では、今回ご参加いただいた方々、ありがとうございました!今後ともよろしくおねがいします!!

世界の未来を語る珠玉の逸品!すぐ読めるから何回も読もう!(イーガン読書会⑬「アフター・ゼロ」報告)

みんなで話すにはちょっと短編過ぎるかな?と思ったものの、短編の方が参加しやすいという声もあり、間が持たないんじゃないかというドキドキを抱きつつ始まった今回の読書会……

思ったよりも全然意見や解釈が分かれ、短編1作だけでほぼ2時間語り尽くしました!これはスゴイ!

なんなら、慌てて「陽の光が届かなくなった年」のプレゼンをした結果時間オーバーしました。プレゼンした過ぎてごめんなさい。

いつものことですが、イーガン作品はほんとうに強いな……と思います。小説が面白いのはもちろん、読者の想像をかき立て、その作品のテーマを考えずにはいられない。

ちょっと重いのがたまにキズですが……。

そんなわけで、今回の課題作は「アフター・ゼロ」(SFマガジン2025年2月号収録)!

2025オールタイム・ベストSFやら、書下ろし短編やら載っており、かなりお得な雑誌。もう4月号が出てしまったので書店では回収されているかもしれないけど、Amazonならまだ買えるので、興味がある方はぜひ!

参加者は私含め10名!初めての参加者もいてありがたかったです!

読書会始まった当初から興味を持っていただいていたようで嬉しい!皆様のご協力のおかげで、あっという間に13回目の読書会となりました。

全体的なストーリーとしては、主人公が地球温暖化に対抗する技術を作り、売り込みに苦戦し、陰謀論に苦戦し、最終的には遂行できたが世界は?というのを年月を追って描くおはなしで、至ってシンプルな構造となっている。

解説でも書かれていたが、アフガニスタンの自宅から出ずに世界や社会に関わる話が進んでいくのが面白い。短編として無駄がなく、話の軸がブレることがないため非常に読みやすい。

空白の期間を上手く使っていることや、最終的に世界がどうなるか?は描かないことで解釈の幅を広げ、非常に深みがある話になっている。家族で過ごす個人的なシーンで〆るのもうつくしい。

イーガン作品は最後は個人の意思や選択に帰結するところが面白い、というのは以前ある参加者が言っていたことで、それはほんとうにそうだと思う。

そしてやはり注目すべきは、スキャッタラーという技術を巡る対立の描き方。火星移住という魅力的な策に退けられ、時間を巻き戻すという非科学的な陰謀論に負け、それでも奮闘する主人公の姿に、今まさに現実でも直面している問題が描かれている。

理系の方にお聞きしたところ、この技術は理論的には可能だが、光を散乱させることができたとして、散乱した先をコントロールできるかという問題が生じるとのこと。散乱させたけど結局地球にいっちゃったーじゃ意味がないもんね。

ちらっと調べたところ、現実でも似たような考案はあるらしい?ただL1は長期運用難しいみたいなことも書いてあった。スペースデブリも危険じゃない?という話も。

今回地球を救う完璧な技術、というわけではなく、延命がちょっとできるかもしれないくらいの、弱弱しい技術なのである。しかも見た目では効果がよくわからんし、全て主人公側の視点なので、客観的な成功率の話なども出ない。

でも実際、自分や子が生きている間なんとかしたい、やれることは小さなことでもやる、というのは、非常に重要なことだよなあという話にもなった。

シンプルな構造であるだけに、こんな大切なことを民間に任せて国は何をやってるんや、イーガンは政治を信じてなさすぎる、マーケティングに興味がなさすぎて考えが浅い、技術者がマーケティングする必要なくない?という意見もあり、ベンチャー企業経験者から見ると眉をしかめてしまう部分も多々ある様子。

私も医療系の適当な描写に関しては眉をしかめるタイプなので割とわかります。逆にちゃんとしててスゲエ~というのが評価ポイントになることもある。

また、60代女性が主人公だけれども、初読では気づかなかった、高齢者描写がなさすぎるという意見も。今の60代がいかに元気と言えど、衰えは確実にあるだろう。

高齢だからタイム・ポータルを支持する層の考え方がよくわからなかったり、最後は認知症で料理が作れなかったりしているのではないか?、あるいは未来の技術で老いも克服しつつあるのか?というのもあるんだけど、分かるように書いてないんだよな~!

こういうの適当だから、イーガンは人間を書くのが下手とか興味ないとか言われちゃう!そんなことないけどな~と思いつつ、こういう細かい人物造詣を重視する読み手は結構多いから仕方ないんだよね。

イーガンは、個人については割と短い文章や小さなシチュエーションで語るタイプの書き手なので、それが面白く読めるよう読み手も頑張らなきゃいけないんだよね。読書会に参加してくれた方がより面白みを感じられるよう、主催もプレゼン力を鍛えていかねばと思った。

 

おはなしのテーマ部分では、以前に扱った「クライシス・アクターズ」に通ずるものがあったという意見があり、私もその通りだと思う。

陰謀論を信じている、あるいは逃避している層をどう捉えたらいいのか?どう対応したらいいのか?という話である。

誤って進んだ人に対して、その誤りを正すのはコストがかかりすぎる。

「アフター・ゼロ」の世界ではまた、寄り添って正していくような時間もない。

しかし、そういう層は確実に存在するし、また、いつ自分がその層になってしまうかわからない。

会の中でも自分は大衆側であり、デマに流されタイム・ポータルを信じてしまうタイプだと思うと話が挙がり、ほんとうにそうだよな…と暗澹たる気持ちになる。あまりにもたくさんの情報が氾濫している今、生半可な経験や知性では太刀打ちできない。

断言しない弱弱しい科学より、強く断言して誰かに勝ち誇れる(誰かを馬鹿にできる立場というのは魅力的だよね)デマのほうが安心できてしまう。不安で誰かに縋りたい、その結果デマや詐欺や陰謀論に引っ掛かってしまう、というのは誰にでも起こり得ることだ。

そして、ピュアに誤ったことを信じてしまった先、たとえそれが妥当でないとわかったとして、今までかけた年月が無駄だったと認めることは容易ではない。

こんな世界とどう付き合っていくか?今作はこの恐ろしい問題を真摯に突き付けてくる作品なのである。

このことについて考える作品として、参加者それぞれから、漫画「カモのネギには毒がある」や「フェイクニュースを哲学する」、映画「どうすればよかったか?」という作品が挙がった。

陰謀論で世界が駄目になる話として、映画「ドント・ルック・アップ」も出た。

主人公たちはマンガやアニメを作った方が良かったのでは?という意見もあり、面白かった。難しいものほど単純化・エンタメ化するのは有効だと感じる。私も大半のことはエンタメから学んだような気がする。

最近出たマーダー・ボット・ダイアリーシリーズの最新作「システム・クラッシュ」でもドラマを作って人々に真実を報せるシーンがあり、感極まったのを思い出す。

今作では、話が通じなくなってしまった人々に対し、更なる陰謀論をぶつけて票を分散させるという手法を取っている。これが有効かどうかはその後の空白期間の解釈次第であるが、私はそんなにうまくいかなかったんじゃねえかなあと思っている。

ここに関して、インテリで能力があってお金を持っている人が弱者に嘘を言って制御するというのはヤバいのでは、と語る方もいた。このままその手をつかうことで、ナショナリズムを煽るのにも使えてしまうのではと。

イーガンが対話を諦めて、私たちのような大衆は見捨ててしまったんだな……という方も。

イーガン先生がどう思っているかはわからないけれども、個人的には、上記の意見を肯定しつつ、それでも弱者と共存していく、あるいは守っていく方法を、それこそインテリで能力があってお金を持っている人は特に考えていかなければいけないという強い意志も感じる。

何とはあえて言わないけれども、詐欺的行為で弱者を食い物にし、支持を得、金を儲けている小賢しい奴等があんまりにも多すぎる。そんな悪に対して、対話とか甘ぬるいやり方では敵わないんじゃないだろうか……とも思う。

個人的には、これ何度も言ってるけど、適応できない人類をぶっ殺してたイーガン先生が、共存をちゃんと考えているのは、ちょっと嬉しみもあるのです。

 

ラスト付近、7年間の空白期間がある。この空白期間を経たラストシーンの解釈は、人によってかなり様々だった。

私としては、スキャッタラーの稼働に7年もかかってしまい、遅きに失したのだと解釈した。だからこそ、家族で少しでも幸せに過ごそうというラストなのだと思った。つまり、バッドエンド的な解釈をしていた。

そもそもこの世界自体が先がない絶望的な世界という意見もあり、初めから手遅れでしかないが、やれることをやるしかないという悲痛な話という解釈もできる。

この分岐では世界は救われませんでした、という話なのではないか?という意見も。

ここに対し、いや理論から7年で稼動は頑張った、順当に社会を説得できたのだという意見もあり、少なくとも孫の生きる期間くらいは持つかなという希望のラスト、うっすらハッピーエンドとして解釈する方もいた。

イーガンはテクノロジーに対して楽観的であるため、素直に上手くいったと捉えていいんじゃないかという話も。

また、私が面白いなと思ったのは、主人公の会社は、結局資金調達や大衆の説得のために、どんどん別のものになっていってしまい、本来の目的からズレていってしまったのではないか、最終的に目的改善世界とあんまり変わらないものになったのではないかという解釈。

確かに、スキャッタラー自体は36年前の理論だし、成功率も語られてないし、なによりラストシーンで技術として完成はしたが、地球温暖化防止に貢献したかは語られずに終わる。

そして、ラストの一族が一堂に会する場面で、この一族だけが豊かな食料を独占しているような書き方をしている。

トラックをもっと稼働させられないかと訴えるシーンを読む限り、もともとラティファは一族の中である程度偉い立場ではあったようだが、スキャッタラーを推し進めた結果、自身の一族だけが得をするようにできた?と解釈することもできる。

社会のために進めた計画が、結局私腹を肥やすために使われてしまった、と解釈するとなんとも物悲しい。

イーガンをずっと読んできた者としては、技術的にはわずかかもしれないが成功を得、成功したことで報酬を得て、最後には自分自身の幸せを掴んだという話として素直に読む方がイーガンらしいのかなとは思うが、このように解釈する余地があるという時点ですごく面白い。

私は看護師なので、代替療法もある程度勉強しているのだけど、そっちの方向に進んでしまう医療者も多く見ている。始めはあくまで代替療法だったものが、自分が自分のセールストークに乗せられてしまうのか、「〇〇があれば治る!」みたいに言い始めてしまうのも見てきており、この解釈はあり得るなあと業界を振り返って思ったりした。

そういえば、「クライシス・アクターズ」もインテリ科学者が陰謀論に染まってしまう様を描いた作品であることを考えると、このような解釈もイーガンは想定したのでは??だったらあまりに凄すぎる。

 

いやはや、今回も色々な意見や多様な解釈が聞けて、非常に充実した会になりました。

私が若干無理やり話題にした「陽の光が届かなくなった年」についても、少しだけ意見が聞けて良かったです。

「陽の光が届かなくなった年」は「アフター・ゼロ」の後に置くことで、まさに陽の光に照らされているような、なんか救われる気になる作品ですので、まだ読んでいない方は早く読んでください。

最後の感想戦でSFマガジンの字がちっちゃい!というクレームが出たのも面白かったです。もしこのブログを読んでいる関係者の方がいらっしゃったら、厚かましくて申し訳ありませんが、妥当なクレームだと思うのでなんとかしてください笑

もしくは早く電子書籍化を……(電書になったら定期的に買うんだ、といつも思っています)

また、「アフター・ゼロ」の前日譚「ZERO FOR CONDUCT」についても読みたい!!という声が多数。翻訳は大変かと思いますが、何卒よろしくお願いします。

ちなみに私は電書で購入して、Google翻訳を活用して頑張って読んだのですが、バス停でラティファがファテマにキスを拒絶されるあたりしか理解できず挫折しました。(何故このシーンだけ読んだのかというのは、百合っぽくて性癖に刺さったから)

ラティファがファテマに次は何を持ってくればいいんだ?と聞いて、「The Truth」と答え、それに対して「I'll try」とラティファが言うシーンはマジで胸熱。

それを読んでからラストシーンを読むと、ラティファがファテマのところに戻ってきて、曾孫にキスして終わる、というのは前日譚と繋がっていてとても良いなあ……としみじみできました。

というようなことを読書会で言ったら、他の参加者も、前日譚読んでからの方がラストが深く印象に残るのではないか?と思ったそうです。

早く……とまでは望まないので、いつか何かで翻訳された「ZERO FOR CONDUCT」が読めたらいいなあ……。その暁には読書会やりますので!!

次回は、せっかく期間限定カバーが出たのに読書会やらないなんてとんでもない!と思っていた「万物理論」をやりたいと思います。

予定としては、確定ではないですが、たぶん6月1日(日)15時からになるかと思います。

すでに旧文庫を持っている方も、余裕があればイーガン応援の為、つくみず先生のカバー付きのものを購入いただけたら幸いです。東京創元社の創立70周年フェアのものです。

www.tsogen.co.jp

開催店舗が限られているため、近くの店舗を探してから買いに行ってください!ネットで買うとカバー付かないみたいなので注意!

Xのアカウントで募集していますので、ご興味ある方はぜひご参加ください!

では、今回ご参加いただいた方々、ありがとうございました!今後ともよろしくおねがいします!!