かみむらさんの独り言

面白いことを探して生きる三十路越え不良看護師。主に読書感想や批評を書いています。たまに映画やゲームも扱っています。SFが好き。

初期イーガンの傑作は、話すことが多過ぎて大騒ぎでした(イーガン読書会③「万物理論」報告)

イーガン読書会も3回目になりました。題材は、話すこと多過ぎ、「万物理論」。

私は初読。グノーシアの「汎性」の元ネタ、ということで、最近初めて存在を知った。

電子書籍化されてないと、存在を認識するのが遅くなるんだよなー……。早く全部電子書籍対応してください。

さて、今回は私含め7名の参加。未読1名(ただし読書会中に読み終えた模様)

直前まで私の職場がゴタゴタしていたせいで(詳細は前回のブログ参照)開催できるかわからず、ご迷惑をおかけしました。なんとかなって良かったね!

やっと職場のほうも落ち着いてきたので、当時を思い返しながら記録に残していきたいと思います。

 

初期イーガンの傑作とも称される本作、かのテッド・チャンも大絶賛。

順列都市」のようにアイディア出しっぱなしではなく、物語としての伏線として機能していてまとまりがある、イーガン著書特有の難解な概念が少なく読みやすい、とおおむね好評だったように思う。

主人公がジャーナリスト設定で、自ら自分にはわからないと言ってくれるおかげで、難解な概念が理解できなくても良いという安心感もあったとのこと。これはわかる。

イーガンがちゃんとエンタメを描こうとしているのが感じられた、ハードボイルド、サスペンス、ロマンスがちゃんと盛り込まれているという意見も。まあ、ロマンスは幻想になっちまったけども……。

ステートレスの設定や、第一部で語られる未来設定がいちいち細かくて面白いとか、ステートレス侵略時の光学迷彩メカが攻殻機動隊みたいとか、そんな話も出る。ステートレスや第一部のネタだけで本が一冊書けるレベル、という声も。

汎性、女性、男性だけでなくさらに強化・微化という概念があるなど、ジェンダー観の新しさもある。個人的にこのあたりの概念は大変面白かったので、アキリだけにとどまらず、もっと物語に絡んで欲しかった。

万物理論の概念に関しては、「順列都市」の論理の強さってなんだよという問いに対する答えが得られたという参加者も。正しさではなく、証明できることによって宇宙が作り替わることに対して、私も「順列都市」で語られたよりも納得感のある説明がされていると感じた。

順列都市」は集合意識の生命体の証明した論理であったためにより強い論理が出来上がったことや、対話によって人間側が理解したことでTVC宇宙が崩壊に向かってしまうというストーリーが描かれていた、ということだろう、と私は解釈したのだけれども、それでいいのかな……。

本書から影響を受けた書籍はたくさんありそうだが、そういえばあまり意見が出なかった。私がピーター・ワッツの「ブラインドサイト」(主人公が脳切除により共感性を失っている)を挙げたのと、ステートレスの漁師が語る立ち泳ぎの話から、「ハーバード熱血教室」のトロッコ理論の話を思い出したと挙げる参加者がいたくらい。

割と本書を語るときに、セカイ系真っ只中の日本に忽然と現れた新星、つーかハルヒじゃん!と語られることが多い気が個人的にはするのだけど、その話もされなかった。

ていうかそもそもセカイ系真っ只中にいた読者が私しかいないのでは……?とビビッて、主人公のハラキリが、かの「クロスチャンネル」の冬子を思い出すなあというのをオブラートに包んでちょっと話したくらいである(クソオタクなので許してほしい)

まあ、オタクとしては、冒頭に上がっている「グノーシア」がわかりやすく本書の影響を受けているので、興味がある方は触れてみて欲しいというくらいかなあ。

読み終えるとほのかにパロっているのがちょっとわかるのよね。

 

さて、なんとなく良いことを並べてみたので、ここからは読書会で議論が紛糾した事柄や本書への文句についてまとめる。

まず、自閉症の概念古すぎ問題について。これは文句というか……1995年に文句を言っても仕方ないのだが、嘘とわかっても受け入れられない勢の嘆きだったと思う。書いてあることがあまりに嘘過ぎて衝撃を受けた有識者(?)同士が、ワーワー30分くらい喋っていた。どう考えても時間取り過ぎである。

一応私も専門家(発達障害の支援も研究もやっていました)の端くれなので言いたいことがあり過ぎてまとまらず、スマンかった。

自閉症、という言葉がそもそも古臭く、現在は発達障害自閉症スペクトラム障害、などと呼ばれることが多くなった昨今……。

そもそも、本書で称される自閉症は、現在の観点から言えば、アスペルガー症候群ASDといわれる、主にコミュニケーションに障害を持つ方を題材としているといってよいはずだ。まあ、本書でも部分的自閉症者って呼ばれてるから、イーガン自身も違うものとしての認識はあったんだろうね。

そして、本書ではコミュニケーションの障害以外の面ではあまり機能障害がなされていないように思うが、スペクトラムと称されるように、この障害は十人十色。運動機能や情動面に障害がある方や、ADHD学習障害を併発されている方も多い。全員が同じような障害、という時点で、私なんかはウーン……と思わざるを得ない。

それに、発達障害は、確かに脳の機能障害ではあるのだけれども、脳の同じ場所に傷、というのも現在の研究からは否定されている。メカニズムはいまだにわかっていないのだが、おそらくは神経伝達物質の異常だろうという話である。

ていうか、ラマント野なんてなーーーい!完全にイーガンの嘘である。しかし実際にあるが解明されていない障害によくこんな嘘っこ説明を垂れ流せるよな、イーガン。しかもそれをオチに持ってきちゃうなんて……。それはそれで尊敬しちゃうぜ。

どうも本書的には、ラマント野は他者への共感や理解を司る部位みたいだけれども……いやコミュニケーションの問題はその辺だけの問題ではないと思うんだけど……。それにラマント野を切除することで他の機能にバリバリ影響ある気がしてならないんだけど……。うう、延々ツッコミができてしまう……。

そもそも、脳の同じ部位に傷をつけたからと言って、同じような機能障害が起こるというようなことは実際にはなく、実際の脳はめっちゃ複雑だし……。

また、当事者団体に出入りしているひとからすれば、本書で自発的自閉症協会が望む、ラマント野を切除した完全な自閉症化は、実際の当事者からすればあり得ない望み、という指摘もあった。

みな、自分の障害をポジティブに捉えようと話すと怒る、と。

私もそれはなんとなくわかる気がする。私も発達障害支援でよくある、自分に適した職業を選ぶという支援者の話にどうも乗れない。だって、その人たちだって心があるし、やりたいことや理想もあるよな~って思ってしまうのだ。

まあ、自閉症脳科学も全く研究が進んでいない1995年に、ここまで理路整然とそれっぽい嘘を考えられるのは、イーガン先生が精神医学や脳科学をちゃんと勉強していたからというのはありそうなので、一概に非難もできないわけなんだけどね。

自閉症に種類があり、脳の障害、コミュニケーションの障害と見抜いているあたり、1995年では最新知識だったはずだから。

というわけで、自閉症に関しては、色々言い合いがあったけれども、イーガンのそういう嘘、ということで読みましょうということに落ち着く。

 

次に紛糾した議論が、結局このおはなしのオチはどういうこと?ということである。これが結構な大問題で、読了した時点ではなんとなくわかった気でいたのに、実際説明しようとするとわからないことだらけになってしまうのだ。

情報の混合化ってぶっちゃけどういう状況なの?とか、AIが理解して広めた万物理論はなぜ人間の精神を破壊してしまうのか?とかが挙がった。

このへん、結論出なかったけれども、読書会を終えてから、ラスト付近読み直すと、情報の混合化とか、AIが広めたために精神崩壊するんじゃなくて、基石になった人間が唯物論的な孤独感から勝手に狂ってるみたいな書き方だった。

混合化が何故、どのように起こるのかはわかりませんでした……。

ちなみにこの狂いがディストレスの正体で、それに対抗するためにラマント野を無視、あるいは切除し、愛などの幻想を捨て、「他者は理解できず、説明できない」と理解する必要があった様子。

それにより、人々が皆基石となり、参加型宇宙が成立した。まさにみんなで立ち泳ぎし続ける宇宙……。

いや、初読だと全然わかってなかったな……。ていうか、これで合ってますか?

面白かったのは、このあたりのオチを、仏教の話と語る参加者がいたこと。主人公が悟りを得て、衆生に救いが訪れる、と読んでいた。

仏教は、仏陀を崇めることで救われるのではなく、仏陀の教えからそれぞれが悟りを目指すということ。と考えると、主人公の幻想を捨てるという教えを得た人々が主人公同様悟り、ディストレスから脱する、というように読める。

悟りを得られなかった900万人死んでるので、私はこの世界が救われたとはあまり思いたくないけど……。まあ、悟った人にとって、主人公の教えは救いに繋がった、とは言えるだろう。

宗教に対してあまりポジティブな書き方をしない、それこそ幻想のように扱うイーガン先生が、幻想を排することで宗教的なものを書いてしまうというのは面白いですね。

また、この900万人死んだ件に関しても、「何か変化があった時に、それに乗れないひとがいる。農耕を始めた時に狩猟を頑なにし続けた人がいると思う」と意見した参加者も面白かった。私はすぐに「LINEができなくて社会に適応できないおじさんですね!」とか酷いこと言った。今思い返すと酷い。

他の参加者はどうかわからないが、私はこの話を聞いて、900万人の死が急に身近で理解できるものに感じた。つまりは、彼らは環境に適応できずに死んでいったのだ。

この辺、気が狂って生き続けるひとはおらず、みんな自殺させてしまうというあたり、イーガン先生の知性への信頼が厚過ぎ、という話にもなった。

そういえば、幻想の話から、本書のエピソードは、すべて幻想への対抗とも読めるという話になった。性別や社会、国、生と死、人間性……。第一部の、一見物語には関係しないような世界設定にも、メタファーが敷き詰められている。

と思い出して、ふと思ったけど、イーガン先生、知性というのも幻想じゃないんですかねえ……??

この辺に踏み込んだ著作を読んでみたくもあります。もしかしてもう書いてたりして。

 

最後に、物語に対する真っ当な文句をいくつか。

冒頭で読みやすいと触れた本書だけれども、いやいや読みづらい!という意見も多かった。実は私もこちら側。

参加者の一人が的確に説明してくれたけれども、ポッと出の登場人物が多すぎる、第一部が物語の本質とほぼ関係ない、という点。

序盤は恋人になるのか?というような交流をしていたインドラニ・リーが中盤で突如姿を消す、重要な話をしてくれる人間が数ページでいなくなる(主流派ACのトップ?や立ち泳ぎの漁師やコレラの医師など)

かと思えば重要キャラクター(?)であるカスパーは最初に出てきたきり匂わせもなく、終盤突如として現れる。「誰??」と思った人、多数。わかる。

ヴァイオレット・モサラもあっけなく死んでしまうし、かと思えば全然人格を掘り下げていないセーラが首謀者として現れる。

これはほんとうに読んでいて疲れる。やはりまだ物語としてはこなれていない初期イーガン感がありますね。

また、第一部は、世界観の説明とのちのちの伏線になる概念がメインで、それ自体は成功しているのだが、密度の濃さと長さに辟易する人が多かった。

面白いんだけどね!アイディア多すぎて疲れるんだよね!という意見、多数。

プロローグがインパクトの割にほぼ無意味なシーンだったり(読もうと思えば生と死という幻想のメタファーに読めるけど……)、嫁の仕事や実験素材料理とかが長いわりに特に必要ないのでは……?というネタだったり。

笑ったのは、もし映像化されるとしたら第一部はほぼ削られて、回想シーンでちょっと出て来るだけになるだろうね、という意見があったこと。納得の削除。

そういえば、物語の文句というほどではないけど、主人公がディストレスの取材したくない、気分転換したい、という理由でセーラの仕事を取り、そこから物語が始まることにかんして、こんなせこい理由で話が進んでいくと思わなかった、という意見もめっちゃ笑いました。たしかに、せこい。

 

いつものごとくだいぶ長くなりましたが、今回の読書会は、大体こんな感じ。

まとめに入っていない部分でも面白い話があったけれども、まとめきれない、自分のメモが理解できない等の理由で泣く泣く削除。自分の能力の限界を感じる。

読書会終了後は、職場のことで心が弱った私と雑談してもらい、たいへん救われました。人と喋るっていいなあ……。

次回は9月にゼンデギ、12月にディアスポラを題材に、引き続きイーガン読書会を開催していく予定です。

しかし、もうずっとオンラインでも仕方ないやね。希望を持つのはやめよう。オンラインでも十分楽しいし。

個人的にも直交三部作の最終作を読んでおり、しばらくイーガン漬けな生活が続きそうです。推しがいて人生幸せです。