かみむらさんの独り言

面白いことを探して生きる三十路越え不良看護師。主に読書感想や批評を書いています。たまに映画やゲームも扱っています。SFが好き。

アキコ14大元帥っていう名前からして最高なんだよね(パラダイスキラー紹介記事 ほぼネタバレなし)

定期的に推理ゲームがやりたくなる。そんなめちゃくちゃ得意というわけでもないのだけど。アハが欲しいのだ、アハが(そういえばアハ体験てもう古くて知らない人も多いのかな)

現実的なのもいいけど、奇抜な奴もいい。ルールの中で論理を組み立てるのが楽しければ、密室首切り殺人でも、死なないはずの龍が殺された!でも、ゲームの登場人物という設定でも良い。

と思って、今回見つけたのがこちら、「パラダイスキラー」。


www.youtube.com

奇抜も奇抜、なんならどういうゲームなのか何もわからない。パラダイスは死んだ!誰が殺したのか!とか言われても、パラダイスって何、人??という感じである。

ちなみに公式のあらすじがこれである。

現実離れした島。死んだ宇宙人を蘇らせようとする悪質な人間たちの文明。密室殺人。

パラダイスは数千年ごとに再生する島だ。そこではエイリアンを崇拝する者たちが堕落した神々に力を与え、いつの日か復活させるべく宇宙に向けてサイキックパワーを放っている。だがその力は各島を崩壊させようとする悪魔たちの興味を引いた。その悪行は議員が新たなリアリティを創生するまで続く——。

システムは完璧ではないが、いつか——次の島、パーフェクト25になれば完璧なものになるだろう。だが再生の前夜に議員が殺害され、パラダイスも殺されてしまう。

そのあおりを受けて、捜査オタクのレディ・ラブ・ダイが犯人捜しのために亡命先から呼び出された。これはあらゆる犯罪を終わらせるための犯罪なのだ。

事実とは何なのか? 真実とは? 二つは同じものなのだろうか?

待って。

わからないことが多すぎる。あらすじがあらすじになっていない。エイリアンとかサイキックパワーとか、悪魔とか議員とか、んん??

このあらすじを読んで頭が痛くなる人にはこのゲームは向いていない。なぜならゲームが始まっても万事この調子だからだ。

しかし、ナニコレ面白そう、と思う人なら絶対に楽しめる。そういう人は先のPVも、なんかよくわかんないけどカッコイイ、と思っているはずである。

そういう人はすぐにsteamかswitchかPS5でこのゲームを買ってプレイすると良いと思う。

かくいう私も、このわからなさがハマった。PVを見て、軽く情報を調べた結果、物語はやっぱり何もわからなかったが、オープンワールドの殺人事件捜査ゲームでアクションありということがわかった。

全キャラが容疑者で、証拠集めと尋問を繰り返して進むらしい。裁判は任意のタイミングで始められ、真相を無視して罪を擦り付けるということもできると。

シルバー事件やキラー7などのいわゆる「須田ゲー」にもインスパイアされているらしい。

おおっ、自由度が高くて面白そうじゃないか。須田ゲーはやりたいと思いつつ結局やらずに生きてきてしまったが……。

あと、足湯に入ると2段ジャンプができるようになるらしい。何それ、イカス!

メッチャ面白そうなので、即ダウンロード、プレイ。

主人公、レディ・ラブ・ダイ(名前もいちいちイカス!)はかつて悪魔に魅入られて犯罪を起こした結果追放された捜査官で、300万日ぶりにパラダイスに戻ってきたとのこと。300万日て。いくつだよ。導入である主人公の設定から訳がわからんが、まあ捜査大好きグラマラス美人を動かせるということでOK。

そして、超高所からのスーパーダイビング!からのタイトルコール!バチバチにキマッたBGM!うお~かっけえ~!!

しかし、すぐに激しい3D酔いで2時間ほど寝込んだ。初めての経験でショックだった。塊魂でも酔ったことないのに。デフォルトの設定だと完全に酔ってしまうため、すぐに設定を変更。

PCでやる場合、モーションブラーを切って、マウス感度を下げて、画面を小さくすると割と解決するので、もし私と同じように酔ってしまった人は参考にされたし。

 

さて気を取り直して、プレイ続行である。

相変わらず誰も説明してくれない世界観だが、やるべきことは明確に提示される。どの容疑者がどこにいるかもわかる仕様。しかし捜査する順番はプレイヤーにお任せで、謎解きはほぼヒントなし。親切なんだか、不親切なんだか。

ただ、ファストトラベルは金がかかるのは間違いなく不親切。まあ、ファストトラベルしなければならないほど難解な地形かというと、そこまでではないので、とりあえず許せる。次回作でもっと島が広くなったらタダにしてほしい。

そんなこんなで、よくわからないまま崖から落ちて、よくわからない人の死体を見つける。誰この人?とにかく序盤は何をやっても何もわからない。そのため、とにかく探索をしてアイテムを探すことから始まるのだ。

アイテムはとにかくたくさん落ちている。アイテムはほとんどが事件に関連するものではなく、収集要素なのだが、アイテムを収集していると、なんとなく世界観がわかってくるようになっている。

この世界は現実とは離れた世界。シンジケートと呼ばれるほぼ不老不死(殺されると死ぬし、自殺もできる)の人々が神を蘇らせようと島を作り、現実世界から人間を連れてきて崇拝させている。同時に、悪魔も島に入り込んでしまい、悪魔に憑かれた人間が毎回犯罪を起こし、結果島が毎回ダメになってしまう。

ダメになるたびに、庶民はみんな殺してエネルギーとし、新しく島を作るということが24回繰り返された。そしてこの24島目もまた悪魔憑きのために終了することとなったのだが、25号島への移行の際、島の管理を務めるシンジケートの議員たちが全員殺されてしまった……。

どうも、あらすじはすべてほんとうのことのようだ(そりゃあそう)

ちなみにここまでの基本世界設定がわかるまで、大体2時間程度の探索が必要だったと思う。でもこの世界観が徐々に見えていき、キャラクター同士の、もしかして別の言語を喋ってるんか?翻訳が間違ってるんか?というやり取りの内容も意味がわかっていく。えーめちゃめちゃ楽しい~!

そのうえ、探索がとにかく楽しい。微妙に日本ナイズドされたマップは細かいところまで凝っているし、アイテム一つ一つの説明が洒落ている。大切なことなので再び述べるが、足湯に入ると2段ジャンプができる。空中滑走もできる。素晴らしい。

アイテムだけでなくBGMもマップに落ちているので、探索すればするほど、新しいBGMが流れまくって脳汁が溢れる。

私はギリギリ90年代生まれなので良く知らないのだが、80年代ジャパニーズ・シティ・ポップをオマージュしているらしい。作者、どうもかなりの日本通の様子。

そしてそして、魅力的なのは、世界観やアイテムだけではない。

キャラクターもたいへん魅力的なのだ!

前述したように主人公も名前はカッコイイし、見た目も超イケてるし、声も口調もとてもカワイイ。

しかし、他のキャラクターも負けず劣らずイケている。というか、見た目のインパクトで言うと、主人公は全然普通である。シャツを羽織った赤い骸骨とか、ヤギの頭のアイドルとか、黄金髑髏頭の入れ墨男とか、人物像や過去を分かった今でも、ええ……とちょっとビビる。

そのうえ、庶民の幽霊やら、ばかでっかい神様やら、名前だけの登場なのにめちゃめちゃキャラ濃い奴とか、急に出てきてどうしたのみたいなキャラとか、色々いてほんとうに楽しい。

 

さて、数いるキャラクターの中で、私がいちばん推しているのがこの子、アキコ14大元帥である。

カワイイ。単純に見た目が好き。名前と作者の性癖的にたぶん日本人。

アキコは、大元帥という名の通り、島の軍部を預かる強く高潔な女性。何かと母国語(多分日本語)で暴言を吐き、主人公のことを<アバズレ>とのたまう。色々と強い女なのである。いや~とってもかわいいね(個人の感覚です)

主人公のことを蛇蝎の如く嫌っており、親密度を上げても全然仲良くなれない。ずっと「I kill you!」とか言われ続ける。

そんなアキコは部下をなにより大切にし、ついでに恋人にもしている。おまえがアバズレじゃん……と思ったら、割と実際にそうだった。

かわいそうなことに、自分はシンジケートの一員だから、島が終わっても死なないのだけれども、軍部の部下たちは庶民なので、島が終わればみんな死んでしまう。恋人も死んでしまう。

アキコはそうやって毎回、部下を失い、恋人を失い、失ってはまた作り、そして失って……を繰り返してきた。いやあ、なんて愚かでカワイイ女なんだ!

本編の重大なネタバレなので詳しくは伏せるけれども、アキコは犯行の早い段階で関わっており、真相を少しでも解明しようとすると、どんな道を辿っても有罪になってしまう。

ほとんどのプレイヤーはアキコに会ってすぐに、こいつは嘘を吐いているとわかってしまう。

何を聞いても、明らかにでっちあげの犯人を、こいつが犯人だと言い続けるし、証拠を付きつけられても、<アバズレ>とか暴言吐きまくって大した言い訳もしない。たぶんできない。この嘘の吐けなさと語彙力のなさがまたカワイイんだけど……(個人の感覚です)

この子は、普通の推理ゲームなら、序盤で自爆して自白する噛ませキャラといったところだろう。まあ、このゲームでもそれは変わらないのだが……。

しかし、このゲームでは、なんと、アキコを無罪にすることが可能なのだ。

ていうか、プレイ開始当初に証拠もなしに裁判を始めて、何にもわからないよ~って言って不起訴で終わらせることもできる。すげえゲームだ。

もちろん、証拠が揃っていても、自分の好みに合わせて有罪にするキャラクターは調整できる。有罪になると有無を言わせず殺されてしまうので、つまりは生存ルート、生還エンディングがプレイヤーの好みによって可能ということである。

この自由度の高さ!アッパレ!推しキャラの罪を、特に罪のないキャラにおっ被せよう!もしくはよくわかんなーいって言って適当に不起訴にしよう!やったー!最低だ!

まあ、アキコは部下をシンジケートに入れてやると騙されて行動しているので、他のがっつり罪を犯しているキャラよりは同情の余地はあるんだけどね。

ちなみにこれは他のキャラでも同様で、極悪人だけど推しだし言ってることはわかるから助けよう、ということが可能である。

そんなわけで、無罪にしてみました!くらえ!これが俺の真実だ!

イエーイ!ふつうに推理してやってると、見られない画面です!

そして裁判が終わると後日談的に無罪になったキャラに会いに行くことができ、ちょっとした会話がある。ついでに証拠は不十分だがどうしても殺したいというキャラを私刑にすることも可能。やりたい放題なのである。

まあ、どんな道を辿ろうと、基本的には汎用台詞(証拠不十分でも見逃しでも同じなのでそれは少し残念なのだ)だから、あまり期待していなかったのだけれども……

あれ???このゲーム百合ゲーだっけ???ふたりはプリキュア???(かみむらさんは百合を憎み合いの美学だと思っています)

絶妙に状況と台詞が嚙み合ってて、アレコレ今後の想像ができる素敵な展開でちょっと良かった。アキコにはなぜか見逃されたことに悶々としながら、次の島で主人公の活躍を見守っていってほしいね……!主人公もたまに意味なく会いに行っては不穏なこと言いながら親友でしょ?って嘯いてほしいね……!うわーかわいいね……!(嫌な性癖ダダ洩れでスイマセン)

まあ、続編があるとして、たぶん真相エンディングの先となるので、この子はいないのだろうけれども……

それでも私は推しキャラが生きてるifがあるだけでうれしいよ!

ちなみにアキコを有罪にする真相ルートだと、恋人っぽい部下から恨み言を言われます。割とつらいけど、これはこれでエモい。

 

そんなわけで、パラダイスキラー、たいへん面白いゲームでございました。続編があると嬉しいなあ……。

今回、物語のネタバレはせずに書いてみました。世界観以上に謎解きと真相解明が面白いゲームなので、よければ皆さんプレイしてみてください。

そして推しキャラを無罪にしたり、無罪のキャラに濡れ衣を着せたり、真相を冷酷に突きつけたり、自分だけの真実を見つけてください。

現在、Steam、switch、PS4,5でプレイできる模様。インディーズゲームで価格も安いし、実績をコンプリートしても20時間いかないくらいで終わる手軽なゲームなので、お忙しい方にもおすすめです。

初期イーガンの傑作は、話すことが多過ぎて大騒ぎでした(イーガン読書会③「万物理論」報告)

イーガン読書会も3回目になりました。題材は、話すこと多過ぎ、「万物理論」。

私は初読。グノーシアの「汎性」の元ネタ、ということで、最近初めて存在を知った。

電子書籍化されてないと、存在を認識するのが遅くなるんだよなー……。早く全部電子書籍対応してください。

さて、今回は私含め7名の参加。未読1名(ただし読書会中に読み終えた模様)

直前まで私の職場がゴタゴタしていたせいで(詳細は前回のブログ参照)開催できるかわからず、ご迷惑をおかけしました。なんとかなって良かったね!

やっと職場のほうも落ち着いてきたので、当時を思い返しながら記録に残していきたいと思います。

 

初期イーガンの傑作とも称される本作、かのテッド・チャンも大絶賛。

順列都市」のようにアイディア出しっぱなしではなく、物語としての伏線として機能していてまとまりがある、イーガン著書特有の難解な概念が少なく読みやすい、とおおむね好評だったように思う。

主人公がジャーナリスト設定で、自ら自分にはわからないと言ってくれるおかげで、難解な概念が理解できなくても良いという安心感もあったとのこと。これはわかる。

イーガンがちゃんとエンタメを描こうとしているのが感じられた、ハードボイルド、サスペンス、ロマンスがちゃんと盛り込まれているという意見も。まあ、ロマンスは幻想になっちまったけども……。

ステートレスの設定や、第一部で語られる未来設定がいちいち細かくて面白いとか、ステートレス侵略時の光学迷彩メカが攻殻機動隊みたいとか、そんな話も出る。ステートレスや第一部のネタだけで本が一冊書けるレベル、という声も。

汎性、女性、男性だけでなくさらに強化・微化という概念があるなど、ジェンダー観の新しさもある。個人的にこのあたりの概念は大変面白かったので、アキリだけにとどまらず、もっと物語に絡んで欲しかった。

万物理論の概念に関しては、「順列都市」の論理の強さってなんだよという問いに対する答えが得られたという参加者も。正しさではなく、証明できることによって宇宙が作り替わることに対して、私も「順列都市」で語られたよりも納得感のある説明がされていると感じた。

順列都市」は集合意識の生命体の証明した論理であったためにより強い論理が出来上がったことや、対話によって人間側が理解したことでTVC宇宙が崩壊に向かってしまうというストーリーが描かれていた、ということだろう、と私は解釈したのだけれども、それでいいのかな……。

本書から影響を受けた書籍はたくさんありそうだが、そういえばあまり意見が出なかった。私がピーター・ワッツの「ブラインドサイト」(主人公が脳切除により共感性を失っている)を挙げたのと、ステートレスの漁師が語る立ち泳ぎの話から、「ハーバード熱血教室」のトロッコ理論の話を思い出したと挙げる参加者がいたくらい。

割と本書を語るときに、セカイ系真っ只中の日本に忽然と現れた新星、つーかハルヒじゃん!と語られることが多い気が個人的にはするのだけど、その話もされなかった。

ていうかそもそもセカイ系真っ只中にいた読者が私しかいないのでは……?とビビッて、主人公のハラキリが、かの「クロスチャンネル」の冬子を思い出すなあというのをオブラートに包んでちょっと話したくらいである(クソオタクなので許してほしい)

まあ、オタクとしては、冒頭に上がっている「グノーシア」がわかりやすく本書の影響を受けているので、興味がある方は触れてみて欲しいというくらいかなあ。

読み終えるとほのかにパロっているのがちょっとわかるのよね。

 

さて、なんとなく良いことを並べてみたので、ここからは読書会で議論が紛糾した事柄や本書への文句についてまとめる。

まず、自閉症の概念古すぎ問題について。これは文句というか……1995年に文句を言っても仕方ないのだが、嘘とわかっても受け入れられない勢の嘆きだったと思う。書いてあることがあまりに嘘過ぎて衝撃を受けた有識者(?)同士が、ワーワー30分くらい喋っていた。どう考えても時間取り過ぎである。

一応私も専門家(発達障害の支援も研究もやっていました)の端くれなので言いたいことがあり過ぎてまとまらず、スマンかった。

自閉症、という言葉がそもそも古臭く、現在は発達障害自閉症スペクトラム障害、などと呼ばれることが多くなった昨今……。

そもそも、本書で称される自閉症は、現在の観点から言えば、アスペルガー症候群ASDといわれる、主にコミュニケーションに障害を持つ方を題材としているといってよいはずだ。まあ、本書でも部分的自閉症者って呼ばれてるから、イーガン自身も違うものとしての認識はあったんだろうね。

そして、本書ではコミュニケーションの障害以外の面ではあまり機能障害がなされていないように思うが、スペクトラムと称されるように、この障害は十人十色。運動機能や情動面に障害がある方や、ADHD学習障害を併発されている方も多い。全員が同じような障害、という時点で、私なんかはウーン……と思わざるを得ない。

それに、発達障害は、確かに脳の機能障害ではあるのだけれども、脳の同じ場所に傷、というのも現在の研究からは否定されている。メカニズムはいまだにわかっていないのだが、おそらくは神経伝達物質の異常だろうという話である。

ていうか、ラマント野なんてなーーーい!完全にイーガンの嘘である。しかし実際にあるが解明されていない障害によくこんな嘘っこ説明を垂れ流せるよな、イーガン。しかもそれをオチに持ってきちゃうなんて……。それはそれで尊敬しちゃうぜ。

どうも本書的には、ラマント野は他者への共感や理解を司る部位みたいだけれども……いやコミュニケーションの問題はその辺だけの問題ではないと思うんだけど……。それにラマント野を切除することで他の機能にバリバリ影響ある気がしてならないんだけど……。うう、延々ツッコミができてしまう……。

そもそも、脳の同じ部位に傷をつけたからと言って、同じような機能障害が起こるというようなことは実際にはなく、実際の脳はめっちゃ複雑だし……。

また、当事者団体に出入りしているひとからすれば、本書で自発的自閉症協会が望む、ラマント野を切除した完全な自閉症化は、実際の当事者からすればあり得ない望み、という指摘もあった。

みな、自分の障害をポジティブに捉えようと話すと怒る、と。

私もそれはなんとなくわかる気がする。私も発達障害支援でよくある、自分に適した職業を選ぶという支援者の話にどうも乗れない。だって、その人たちだって心があるし、やりたいことや理想もあるよな~って思ってしまうのだ。

まあ、自閉症脳科学も全く研究が進んでいない1995年に、ここまで理路整然とそれっぽい嘘を考えられるのは、イーガン先生が精神医学や脳科学をちゃんと勉強していたからというのはありそうなので、一概に非難もできないわけなんだけどね。

自閉症に種類があり、脳の障害、コミュニケーションの障害と見抜いているあたり、1995年では最新知識だったはずだから。

というわけで、自閉症に関しては、色々言い合いがあったけれども、イーガンのそういう嘘、ということで読みましょうということに落ち着く。

 

次に紛糾した議論が、結局このおはなしのオチはどういうこと?ということである。これが結構な大問題で、読了した時点ではなんとなくわかった気でいたのに、実際説明しようとするとわからないことだらけになってしまうのだ。

情報の混合化ってぶっちゃけどういう状況なの?とか、AIが理解して広めた万物理論はなぜ人間の精神を破壊してしまうのか?とかが挙がった。

このへん、結論出なかったけれども、読書会を終えてから、ラスト付近読み直すと、情報の混合化とか、AIが広めたために精神崩壊するんじゃなくて、基石になった人間が唯物論的な孤独感から勝手に狂ってるみたいな書き方だった。

混合化が何故、どのように起こるのかはわかりませんでした……。

ちなみにこの狂いがディストレスの正体で、それに対抗するためにラマント野を無視、あるいは切除し、愛などの幻想を捨て、「他者は理解できず、説明できない」と理解する必要があった様子。

それにより、人々が皆基石となり、参加型宇宙が成立した。まさにみんなで立ち泳ぎし続ける宇宙……。

いや、初読だと全然わかってなかったな……。ていうか、これで合ってますか?

面白かったのは、このあたりのオチを、仏教の話と語る参加者がいたこと。主人公が悟りを得て、衆生に救いが訪れる、と読んでいた。

仏教は、仏陀を崇めることで救われるのではなく、仏陀の教えからそれぞれが悟りを目指すということ。と考えると、主人公の幻想を捨てるという教えを得た人々が主人公同様悟り、ディストレスから脱する、というように読める。

悟りを得られなかった900万人死んでるので、私はこの世界が救われたとはあまり思いたくないけど……。まあ、悟った人にとって、主人公の教えは救いに繋がった、とは言えるだろう。

宗教に対してあまりポジティブな書き方をしない、それこそ幻想のように扱うイーガン先生が、幻想を排することで宗教的なものを書いてしまうというのは面白いですね。

また、この900万人死んだ件に関しても、「何か変化があった時に、それに乗れないひとがいる。農耕を始めた時に狩猟を頑なにし続けた人がいると思う」と意見した参加者も面白かった。私はすぐに「LINEができなくて社会に適応できないおじさんですね!」とか酷いこと言った。今思い返すと酷い。

他の参加者はどうかわからないが、私はこの話を聞いて、900万人の死が急に身近で理解できるものに感じた。つまりは、彼らは環境に適応できずに死んでいったのだ。

この辺、気が狂って生き続けるひとはおらず、みんな自殺させてしまうというあたり、イーガン先生の知性への信頼が厚過ぎ、という話にもなった。

そういえば、幻想の話から、本書のエピソードは、すべて幻想への対抗とも読めるという話になった。性別や社会、国、生と死、人間性……。第一部の、一見物語には関係しないような世界設定にも、メタファーが敷き詰められている。

と思い出して、ふと思ったけど、イーガン先生、知性というのも幻想じゃないんですかねえ……??

この辺に踏み込んだ著作を読んでみたくもあります。もしかしてもう書いてたりして。

 

最後に、物語に対する真っ当な文句をいくつか。

冒頭で読みやすいと触れた本書だけれども、いやいや読みづらい!という意見も多かった。実は私もこちら側。

参加者の一人が的確に説明してくれたけれども、ポッと出の登場人物が多すぎる、第一部が物語の本質とほぼ関係ない、という点。

序盤は恋人になるのか?というような交流をしていたインドラニ・リーが中盤で突如姿を消す、重要な話をしてくれる人間が数ページでいなくなる(主流派ACのトップ?や立ち泳ぎの漁師やコレラの医師など)

かと思えば重要キャラクター(?)であるカスパーは最初に出てきたきり匂わせもなく、終盤突如として現れる。「誰??」と思った人、多数。わかる。

ヴァイオレット・モサラもあっけなく死んでしまうし、かと思えば全然人格を掘り下げていないセーラが首謀者として現れる。

これはほんとうに読んでいて疲れる。やはりまだ物語としてはこなれていない初期イーガン感がありますね。

また、第一部は、世界観の説明とのちのちの伏線になる概念がメインで、それ自体は成功しているのだが、密度の濃さと長さに辟易する人が多かった。

面白いんだけどね!アイディア多すぎて疲れるんだよね!という意見、多数。

プロローグがインパクトの割にほぼ無意味なシーンだったり(読もうと思えば生と死という幻想のメタファーに読めるけど……)、嫁の仕事や実験素材料理とかが長いわりに特に必要ないのでは……?というネタだったり。

笑ったのは、もし映像化されるとしたら第一部はほぼ削られて、回想シーンでちょっと出て来るだけになるだろうね、という意見があったこと。納得の削除。

そういえば、物語の文句というほどではないけど、主人公がディストレスの取材したくない、気分転換したい、という理由でセーラの仕事を取り、そこから物語が始まることにかんして、こんなせこい理由で話が進んでいくと思わなかった、という意見もめっちゃ笑いました。たしかに、せこい。

 

いつものごとくだいぶ長くなりましたが、今回の読書会は、大体こんな感じ。

まとめに入っていない部分でも面白い話があったけれども、まとめきれない、自分のメモが理解できない等の理由で泣く泣く削除。自分の能力の限界を感じる。

読書会終了後は、職場のことで心が弱った私と雑談してもらい、たいへん救われました。人と喋るっていいなあ……。

次回は9月にゼンデギ、12月にディアスポラを題材に、引き続きイーガン読書会を開催していく予定です。

しかし、もうずっとオンラインでも仕方ないやね。希望を持つのはやめよう。オンラインでも十分楽しいし。

個人的にも直交三部作の最終作を読んでおり、しばらくイーガン漬けな生活が続きそうです。推しがいて人生幸せです。

愛想の尽きた職場で新型コロナクラスターが起こった話(日記)

こんなことなら、さっさと辞めておけばよかった。

こんにちは、逃げ時を失ったかみむらさんです。

職場がついにクラスター化しました。福祉施設なので逃げられません。入所しているのは、重症度の差こそあれど、皆、一人にされてしまったら生きられないひとたちなので。

これだけ増えてしまった今、クラスター化は仕方のないことだと思うし、その点で恨み言を言う気は一切ありません。私だっていつ罹って広げてもおかしくないので。

看護師という仕事を選んだ以上、多少のオーバーワークも仕方ないと思ってます。もともと、突然の呼び出しや必要時の残業なども、大した苦にはなりません。

みんなで頑張って終息に向けて働いていくつもりです。

 

いやでもさあ!!

休日に急に電話が来て、クラスターが出たからゾーニングなどの手伝いをしてほしい、まあそれはわかるよ。

一応感染委員会で仕事をしている手前、自分で色々勉強はしているわけなので。

死ぬほど腰が痛いのに仕事行かされるのも仕方ないと思うよ!これは私の不摂生でもあるし(ワインがぶ飲みして寝た結果やった)

しかし、職場に着くなり、やれ対応方法考えろ、やれマニュアルを作れ、やれ指導しろ、はないんじゃない???

おい上司!それはお前の仕事や!!!丸投げすんな!!!

そもそも私は感染委員会はやってるけれども、管理者がメインでやってる新型コロナ専門の会議には出てないし(委員会のトップの看護師は出てる)、基本的には自力での勉強と、そこから降りてきた書類しかもらってないぞ。

だいたい、例のコロナ会議で作ったクラスター発生時のマニュアルとかあっただろ?私もこないだもらったやつ。

いやー2年もあったんだから色々対策作ってるだろ?

……。(マニュアルペラペラ)

ほぼ他病院や他施設、厚生省の出した指針や市の基準について書かれた基本的なもの+「その後は関係者各位に指示を仰ぐ」

オーーーーイ!!!!

関係者各位って誰だよ!!!!

俺か!!!!!俺なわけないだろ!!!!

くっそー管理者を呼べェ!!!!一番上の上司はどこへ行った!!!

コロナでソッコーダウンしている!!!!電話はめったに繋がらない!!!!

何イチ抜けしちゃってんの????しかも軽症だって、熱もないって。

電話くらい繋がれ!!!!

ちなみに後日聞いたところ、上司たちの間で揉めたがためにふてくされて電話をあまりとってくれなくなったらしい。

えっ??ここ大学生のサークルだっけ??いくらなんでも幼稚すぎるだろ。

その他、信じられないような幼稚な対応をいくつも受け(あまりにひどいので書けない)、なんでこんなクソ職場辞めなかったんだろう……と絶望。

さすがにこの時は、発狂して隔離されたコロナ部屋に行って私も罹ってやろうかと何度も思いました。

しかし別に罹りたくないので、同様に勝手に関係者各位にさせられた別部署の看護師と連携し、休みを返上してマニュアル作りに励み、半泣きで職員に内容とどうにかこうにか頑張ろうと伝えているところ。

無理して働いているので、腰痛がずっと治らないけど、まあコロナには罹らずに来ています。というか、この状況で私が罹ったら完全に職場が崩壊するので、コロナ部屋の対応どころか、入所者との接触もできるだけ減らしています。

えーん、なんのために働いているんだよお!

ちなみに休日出勤、残業、これ、全部金が出るかまったくわかりません。っていうか、たぶん無償奉仕です。

真顔。

でも仕方ない、2年も勤めているので、入所者に愛着と責任があります。そんなくだらないものと、良心と善意で戦っています。

私の知る限り、医療従事者というのは、そういう馬鹿が多いものと思います。

いや飛びてえ~~~飛ばないけど……。

損な性分なもので、投げ出したりはできそうにありません。どうせ、損しながら、たいした報いも無く、人生過ぎ去っていくのでしょう。

せめて元気に生きよう。終息したら絶対辞めてやるんだ……。

 

でも、こんな中でも、鬼のように仕事をして、ちゃんとイーガン読書会やれたのがほんとうに励みになりました。心が弱っていたので、少し延長して雑談にも付き合ってもらい、たいへん助かりました。

読書会まとめも、いつ上げられるかわからないけど、そのうち書こうと思います。

むつは子どもデルウハだと思って読んでみる(Thisコミュニケーションネタバレ考察)

Thisコミュニケ―ション6巻面白かったですね!

何ケ月前の話をしてるんだ(2022年4月4日発売)というか、1ケ月後に新刊出るやないかい……

ということで、7巻が出る前に、今日はむつについて話をするよ。

ほんとうは6巻を読んですぐにこの話をしたかったのだけれども、なんか色々あってできないまま来てしまった(4月に心を打ち砕く事件も起こったし)

流石に時期外れな感じもあり、もういいかな……とも思ったんだけど、先日全巻読み直したらやっぱり面白かったので、作品応援のためにも書いておこうかなと……。

まだ読んでいないという不届きな人間もいるらしいので、私なんぞでもワーワー言うことで作品の知名度を上げることに繋がっていったら嬉しいしね。

 

それにしても、いや、カワイイよね、むつ。

ハントレスたちの中で一番末っ子なのに、おそらくは最弱(人間よりは強いんだろうけれども)で、コミュ障で、コミュニティに入れず、いつも隅っこで膝を抱えている。

何の因果か、むつだけは死んでも記憶が保持されているという地獄仕様で、誇張でなく死ぬほどの痛みを忘れることができない。かわいそう。

そんなこともあってか、基本的に子どもの考え方や行動が目立つハントレスたちの中で、子どもっぽい感情の発露や競争心が乏しい。むつが露わにするのは、痛みに対する怯えくらいである。

みんなが死んで巻き戻った分、1時間ずつ大人になっていくと考えると、そうならざるを得なかったのかなあという気もするし、むつ自身がそもそも知能が高いというのもありそう。

むつは、戦場における現状での最適解を考えられるし、デルウハが記憶操作のためにハントレスたちを殺していることもいち早く気付くほど、知的な能力が高い。ハントレスたちの能力もかなり正確に把握している。コミュ障だから性格までは考慮できないけど……。

それがむつ自身の能力なのか、身体能力の強化がイマイチで、その分知能が強化されてしまったのかわからないけれども、脳細胞が残存していれば記憶が保存できる特殊な脳の作りを見ると、後者なのかなあと思う。

そんなむつの願いは「(ハントレスの)みんなと仲良くすること」そして「自分の進言をみんなが聞いてくれること」

これは、1巻の179ページで、むつ自身が語っている。

私は…皆ともっと仲良くなりたいんです

正しいことを言っているのに誰も何も変わってくれない環境はもう…いや

そしてこの願いは、デルウハが指揮を執ることによって解決することとなった。

デルウハによるハントレス殺戮記憶操作が功を奏し、ハントレス全体のコミュニケーションは改善され、むつもハントレスたちに馴染むことができるようになったのだから。

実際、3巻第8話、デルウハの凶行がバレて、ハントレスたちが反旗を翻すシーンで、みんながむつの進言を聞いている。そのうえ、むつの作戦通りの行動をとっており、完全に指揮官ポジションとなっていた。

前回、よみの考察で、よみの願いはデルウハが来たことによりもう叶っていると説明したと思うが、むつの願いも既に叶っているのである。

ところが、やったね、めでたしめでたし、というわけにはいかない。

何故かというと、先にも述べた通り、死ねないからこそ、むつは死ぬほどの痛みがメッチャ怖いからである。

むつは デルウハに対し怒りは感じていない

ただ恐れているだけなのだ 死ぬほどの暴力を振るわれることを

彼への感情は野生動物に対するそれである 気まぐれに自分や仲間を殺す熊…

「罠にかけて弱らせ いずれは駆除をしなければ」

5巻冒頭のシーンである。

デルウハが来たことによって、むつは、イペリットから殺される痛みと、デルウハから殺される痛みの両方を恐れなくてはならなくなった。いくらみんなと仲良くなれたと言え、気まぐれに殺されてはたまったものではない、ということだ。

しかしハントレス全員で立ち向かっても、デルウハには勝てない。そのため、むつはデルウハの身体を欠損させ、戦力を削いで駆除しようと、二本足のイペリットの元へ向かわせる……

そうして迎えた6巻。

デルウハは意外な解決策を用意してむつを驚かせることになる。

それは脳細胞だけ殺しきる薬。脳細胞が死ねば、むつは記憶を失えるようになる。もう痛みを記憶し続けることはない。

これからは死ぬほどの苦痛を覚えていなくていい

「何を覚えていて何を忘れているはずか」に気を付けてビクビクしながら話す必要もない

思うまま 好きに振るまえ!

そう来たか~~~!!と声に出してしまった読者も多いのではないだろうか。私も思わず声が出ました。

むつは、このデルウハの言葉に今までの苦労を思い返し、涙を流して仲直りを受け入れる……。

みんなと仲良くなったうえ、痛みの記憶という部分でも解決を得た。もはやイペリットにもデルウハにも怯える必要がない。

いやー、これは完全に落ちましたね!知能が高いとはいえ、むつの情緒は子ども。デルウハの本性を知りつつも、やさしくされてコロッといってしまったか……。

むつ本来の能力を発揮できるし、もうデルウハに首ったけのズブズブだ!

 

と思うじゃん?

素直に読むとこの流れは正しいように思えるんだが、今回これで終わりにするつもりは毛頭ない。

タイトルを見てほしい。むつは子どもデルウハだと思ってその行動を追うと、見え方がどうも不穏に変わってくるのだ。

むつがデルウハに似ているという話から始めよう。

これは、1巻の第2話にて明示されている。しかも、よみとデルウハの二人からそう思われているのだ。

デルウハの特徴とは何だろう。ずば抜けた頭脳と合理的な思考、倫理観の欠如、情のなさ、そしてパンとサラミへの執着。

数個挙げただけなのに、一瞬で最悪な奴とわかる。ちょうかっこいい(個人の感想です)

さて、むつはどうだろうか。

むつの倫理観と感情は、やはりどこか壊れていると言わざるを得ない。

1巻でよみを助けに行った際も、どこか他人事のようにブツブツと、「私だと効率が悪いから一回帰る」「よみちゃんなら6分は持つと思う」。仲良くなることを心底望んでいるはずのハントレスの皆が目の前でデルウハに殺されても、微笑みながら「倫理的な部分を考えなければ効率がいいと思う…」である。

今読み返したら、このシーンのデルウハめっちゃドン引きしてて笑った。デルウハにこんな顔させるのはむつくらいだろう。

むつはさらに、皆と仲良くするということに強く執着を持っている。そんなだから、デルウハに共犯になれと言われて(結局デルウハの嘘だったけれども)ニコニコと快諾するのだ。

自分が皆と仲良くなれるのであれば、彼女らがいくら殺されてもかまわない。これも、デルウハがパンとサラミを食べられるならなんでもするのと似ている。

ある意味、倫理観も情もなく、めちゃめちゃ自分勝手な奴である。いやーかわいいね(個人の感想です)

というわけで、基本的にむつは最悪最強なデルウハと、あんまり変わらないわけなんです。1巻から明示されているということは、今後も重要な布石になっていくと考えていいと思うんだよね。

子どもデルウハ、と書いたのは、むつがコミュニケーション経験不足で、まだ他者の性格や感情まで計算に入れられないからである。そんなだから、皆も話せばわかってくれる、みたいに思ってしまったりする。

また、銃や大砲の構造など、知らないことも多い。3巻のデルウハ戦では、銃が水に濡れると使用できなくなると勘違いして戦略を間違えている。デルウハから教わらないとわからないこともまだ多いのだ。

子どもはいつか大人になる……かどうかはわからない。6巻以降はデルウハの記憶操作が効くようになるから、他のハントレスのように成長を阻害される可能性は高い。

ただ、大人より子どものほうが、残酷だったりするんですよね……。それを思うと、このことがむつにとって吉と出るか凶と出るか、可能性は無限大である。

 

少し脱線したので話を戻す。

むつを子どもデルウハだと思って、まず4巻184ページからを開いて読んでほしい。イペリット化した吉永が、むつにデルウハについて教えるシーンである。普通に読むと、ここでむつが記憶を保持していることが明かされる。

皆と仲良くなれたから あの恐い人は倒してしまって恐い思いをしないようにしようとしたの でも… 強すぎた

それに思ったの(中略)誰も欠けずに 全員が納得した形で 倒す必要がある

5巻冒頭で語られており、先にも引用したが、むつはデルウハに対して怒りは無い。怒り無く、淡々と、恐い思いをしたくないからデルウハを倒すと話している。

しかも、むつは皆と仲良くすることに執着しているので、「全員が納得した形」で倒すというのである。

それにしてもデルウハのおかげで皆と仲良くなれたようなものなのに、仲良くなれたからもういらない、というのはなんともサイコパスっぽい思考なんだよなあ……。

むつはさらに語る。「万全のあの人に完全に勝つことは不可能」なので……

集めればいいんじゃないかと思ったの 

指とか 引き金が引きづらくなるでしょ 目でも 手でも 足でも

デルウハ(あの人)の体を集めていけば いつかいい形で勝てるんじゃないかと思ったの

これがむつがデルウハを倒す方法である。これ、この子、子どもデルウハだと思って読むと、たぶんガチのマジで実行するつもりなんですよ。

ヒェッ。そう思った方は6巻も並べて開いてください。冒頭すぐ、むつがデルウハの右目を潰すシーン。

このシーン、怒りに我を忘れて突撃するも、デルウハを殺す勇気が出ず、目を抉るのみで終わったように見える。

でも、むつの狙いって、そもそも最初からデルウハの目を奪うことだったのでは?

可能なら、足も……(すぐに医者に診てもらわないと足を失うというデルウハの発言から)

この時、デルウハはかなり負傷しており、身体のどこかを奪うには絶好の機会だったはずだ。

しかし、むつはデルウハと直接対決はできるだけしたくない。これはおそらく、デルウハを傷つけたことでの仲違いを防ぐためと、自身の目的に気付かれないようにするためだろう。

そう考えると、この怒りは完全な演技ではないにしろ、ある程度打算を持っていたのでは……?という気がしてしまう。

地雷を踏んだ、ということにすれば、不意を突いて確実にデルウハの欠損を狙える。

デルウハ的には反抗ではなく事故として処理されるだろうし、そのうえ、今後少なくともむつのいるところではハントレスたちを殺し合わせることは避けるだろう。

今回は脳細胞を殺し切る薬で記憶を消されてしまったが、これがなかったとしても、反省して謝罪し、デルウハを基地に連れて帰り、関係修復を図ることは十分可能だ。

だいたい、むつに、こんな壊れた子に地雷なんかあるのか?たぶんデルウハに地雷がないように、むつにもないんじゃないか?という気はする。

むつが目を狙ったことも、ある程度正気を保っている証拠になりはしないだろうか。

だって、4巻にの方に戻ってほしい。むつはこんなことを言っている。

手袋のデコボコを目に入れられるのは本当に痛かったから……

この……の後に続くのは、「最初は目を奪いたい」という言葉なのではないだろうか?

さらに恐いのは、6巻のデルウハが脳細胞を殺し切る薬について説明し、関係修復を図るシーン、むつはデルウハの握手を断ったのである。

だって、別に、握手したっていいじゃん。握手してもしなくても、成り立つ流れなのだ。

しなかったということは、仲直りを受け入れることを断ったと考えるのが妥当だ。むつにはまだ、デルウハを欠損させて、いつか「いい形」で勝つという目論見があるからということではないだろうか。

そして、断ってむつが何をしたのか。それは吉永のことを教え、デルウハを更なる遠征に行かせることである。

これももちろん普通に読むと、デルウハのやさしさに心を打たれ、罪悪感から教えたように見えるが、それを逆手に取って、この状況ならデルウハとの関係を壊さずに遠征までさせられるという打算的な判断があったのでは?とも思える。

デルウハへの説明が絵で表現されて、実際どこまで真実を話しているかわからないのもどうも怪しい。直後にデルウハが「俺と殺り合わせるために‼?」と言っているので、少なくとも欠損云々の話はしていないのでは……。

こうやって考えていくと、むつが記憶を失えるようになって涙を流して喜んだ、といううつくしいシーンは、どういう意味を持つのだろうか。

嬉しかったのはその通りだろうし、痛みへの恐れが減ったのもその通りだろう。しかし、それが、デルウハと仲良くすることとイコールにはなっていない。懐柔されていないのだ。

今までのむつの行動を見る限りでは、デルウハに恩を受けたから恩を返すとか、やさしくしてくれたから信頼するとか、そんな子ではないように思えて仕方がない。

そうなると、デルウハは地雷も分かって関係修復もできて理想的な結果と思っているが、実際は全然別で、むつの罠にハマったうえ、むつの萎縮だけが治った、という結果になっているかもしれない……。

いやあ、不穏になってきた。面白くなってきたぞ。

これは徐々にデルウハが欠損していくフラグ……!?その裏でほくそ笑むカワイイむつが描かれるかも……!?

ぶっちゃけ物語を追うごとに、デルウハがだんだん身体を欠損していったらちょっと私のフェチ的に美味しいというか、性癖をくすぐられるというかなので、ちょっと楽しみにしていたりもしています(趣味が悪い)

 

長くなったのでここでおしまい!よみと同じく、むつも将来が楽しみなキャラクターですね!

もちろん、この考察は作者のむつ像と180度異なる可能性も高いし、むつはもっと純真でいい子のはず、と解釈している方も大勢いると思う。

あくまで、こうだったら楽しいな、という私の妄想なのであしからず。欠損進むフラグも完全に趣味だし……。

この通りにならなくても(むしろならない可能性の方が高いし)もちろん買い続け、応援し続けます。

でも、こんな風に考えると、記憶操作によって時に足元を掬われているデルウハに対して、もう記憶の齟齬を気にせず思うまま行動できるむつという対比構造で物語を描いていくこともできるはずで、それはそれで面白そう~と思う。

しかしまあ、ちらっと聞く限り、むつは続刊でちょっと大変なことになっているらしい?(Twitterのネタバレを微妙に踏んでしまった)ので、私のこんな考察なんか超えてくる面白いものが出てくるのもメッチャ期待しています。

他の、まだスポットが十分当たっていない女の子たちの動向もとても楽しみ。新しく何か知見を得たら、正しかろうが間違っていようが、ガンガン記事を書いて、にぎやかしの一端になれればと思います。がんばる~

うつくしすぎる美ケ原の話をする(長野県旅行レポート)

某疫病もそろそろ落ち着いてきて、旅行を解禁したという方も多いと思う。

実際には落ち着いたというには微妙なところだけれども、このへんで落としどころを考えるレベルにはなってきているとは思う。まだまだ対策はしつつ、高齢者や持病持ちの方は引き続き警戒をしてほしいところ。

まあそんなことはともかく。

5月の終わりに夫と長野旅行に行ってきたのだが、美ヶ原ハイキングがあまりにも良く、1か月たった今でも忘れられないので、いっちょレポートでも書いてみようかなと思う。

 

美ケ原を散歩したいというのは、初めて行ったビーナスラインに魅せられた10年前から思っていた。

ただ、山の天気は変わりやすいというのはマジで、美ケ原付近に行くと雨が降ったり、雷が鳴り始めたりで、ろくに散策できないまま年数だけが経って行った。

特に夏。夏の長野は怖い。天気がすぐに変わる。それが楽しくもあるけれども、私が見たいのは晴れ渡ってアルプスがすべて見渡せるうつくしい風景の美ケ原なのである。

秋も良いが、緑が多いほうがいい。秋空と雲海、紅葉もかなり美しいのだが、ちょっと違う。

冬になると雪が降ってしまって、そもそも普通の装備だとたどり着けない。それはそれで絶景らしいのだが、当方雪国生まれで雪には嫌な思い出しかなく、まだそこは乗り越えられていないので行かない。

さて、そこで今回、新緑を狙った。地上は初夏だが、山の上は涼しく、萌え出した緑で染まっている。ついでに、まだアルプスのほうは雪が残っている。完璧な季節である。空気の澄んだ朝から散策できたら絶対に最高に違いない。

問題は天気である。晴れたら絶対に美しい。しかし、曇ったらたぶん何も見えない。山の上でガスに飲まれて「うっひょ~何も見えねえ!」と、けらけら笑いながら嘆いた経験がある山好きの方はさぞ多かろうと思う。

天気ばかりはギャンブルだ。当日までわからない。しかし悲しいかな、人間のサガ、天気予報を毎日睨みつける生活が続くのだった。

晴れろ~晴れろ~

そんな私の祈りが通じたのかは知らないが、突然天気予報が晴れに変わった。3日目は微妙だが、少なくとも1,2日目は快晴で、気温も爆上がり猛暑ということであった。

やったー

というわけで、私の長野旅行は最高の天気で幕を開けたのである。

そして天気ばかり気にしていた私は、大切なことを忘れていた。特急の指定席を取っていなかった。

東京から長野に向かう特急あずさorかいじは、数年前から自由席がなくなり、座席未指定券というクソ……あ、いや、ちょっと初心者(何の?)に優しくない仕様に変わっており、購入のない指定席に座るか、誰も座っていない座席をジプシーするか(これはあまりやらない方が良いらしい)しかなくなってしまった。

やってしまった。平日ならまだいい。大変だ、今日は土曜日だ。しかも天気がいい。すこぶる良い。

当然、席が空いているはずもなく、私と夫はデッキで地べたリアンをしながら2時間以上の移動を耐えるしかなかったのである。

誰だ自由席やめようって言った奴。これを読んでいるみなさんもお気をつけあそばせ。

乗車中はやり場のない怒りと憎しみを抱えていたが、快晴の松本駅が思ったよりきれいだったので、早々に怒りとかは忘れた。忘れたほうがいい。

レンタカーを借りて、その日は松本~安曇野周辺をドライブし、わさび農園と廃線ウォーキングでもう夏?ってくらいの鮮やかな緑を堪能。夜は松本駅近くで地酒を飲んで早々に就寝。

そして朝6時前に起床し、ホテルの朝食をもぐもぐする。焼きサバとパンが美味かった。どんな組み合わせや。

そして美ケ原高原美術館まで約1時間ほど車を走らせると……。

天国かな??無加工ですが、実物はもっともっと綺麗。

見えている山は多分北アルプス。いわゆる飛騨山脈のあたり。まさに私の見たかったアルプスが見渡せる絶景。思わず見入ってしまう。

ここは、美術館から15分ほど木道を上った先にある、牛伏山の頂上。下から見ると牛が伏せている形に見えるためにそう名付けられた模様。ちなみに木道自体もめっちゃ綺麗。

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基本的に道は整備されていて、急な登り等もないので、スニーカーでも問題ない感じ。ただ、所々岩がごつごつしていて歩きづらいところがあるので、登山靴だと快適に歩けそう。我々は一応登山靴で行きました。

さて、着いて早々目的は達成されてしまったのだが、私にはひそかにもう一つ目的があった。

牛である。

美ケ原高原は牧場の役割も担っていて、だいたい5月から10月にかけて、下界から避暑目的で牛が連れて来られる。その数なんと300頭ほどとのこと。

何を隠そうこの私、牛が大好きなのである。

まだ記憶もほとんどない幼少期に、牛の絵でなんかの賞を取っていたりする。いやなんも関係ないけど。

牛はのんびりしていて良い。生まれ変わったら牛になりたい。

ちなみに長野は高ボッチ高原長門牧場で牛を愛でた。さて美ケ原の牛はどんなもんだろう。遠くに豆粒ほど見えるのが牛かな?

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ということで、ここから約30分ほど下っていくと……。

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牛だー!!

ブォォーと唸り声を上げて近寄ってきてくれたのは、黒毛和牛でした。ぶっちゃけちょっと怖い。写真だとわからないけど、よだれがスゴイし、走ると速い。全然のんびりしてなかった。食われそうだった。草食だけど。

怖かったので、終始夫に「いつか我々の食卓に並ぶかもしれないから優しくしてやろう」と言い続けてた。謎の食物連鎖頂点のプライド。

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ホルスタインは近くに来てくれなかったけど、遠くにちゃんといました。のんびりしてた。カワイイ。

しばらく牛を眺めながらゆっくりしつつ、ここからはまた緩い登り。若干道がガタついているので、登山靴で良かったねと言いつつ登る。牛が遠くなる。また会おう牛。

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30分弱くらいのんびり登ると、山頂である王ヶ頭に着く。相変わらず北アルプスが綺麗である。下に見える町は松本市。松本だったら移住していいな……と常々思っている。

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王ヶ頭にはホテルと、長野放送の送電塔がある。赤い屋根がホテル。山の上のホテルだが、とてもキレイ。

景観を損ねるという意見もあるみたいだが、個人的にはカッコ良くて好き。

まだ昼には早かったので、ここから20分ほど歩いて王ヶ鼻に向かう。軽いアップダウン。そしてここらへんになってやっと新緑の木が出てくる。ほんのちょっと、森林浴である。

美ケ原は昔から牧場利用のために、人工的に草原ばかりにしているので、木がない。今までの写真もなかったでしょ。人間に征服されたお山なんだなあ……。

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さて、王ヶ鼻。めっちゃ綺麗。

ここまで全然体力も使わずに来られたので、なんというか、人類の開発に感謝という感じしかない。

美ケ原は一応日本百名山の一つで、下から登ることもできるらしい。そのうち登ってみたいね。

ここはかなり開けた場所で、北、中央、南アルプス八ヶ岳が全部見えます。なんと、日本百名山の半分近く、41座が見られるとのこと。昔登った蓼科山も見えて、なんだか感無量。

天気がいいと富士山まで見える。見えた。写真だと写らないかな~と思いつつ、拡大するとうっすら◯したところに見えます。

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王ヶ鼻でぼうっとしているとだんだんお腹が減ってきたので、王ヶ頭ホテルへ引き返すことに。

ホテルでは私がアラビアータ、夫がビーフシチューを注文。山の上の食事なので全く期待していなかったが、めちゃめちゃ美味しかった。美味しすぎて写真を撮り忘れた。

ホテル内に売店もあって、お土産品も買える。ただ、トイレは山らしく有料。山の上では水は貴重品なのだ。

ちなみにこの王ヶ頭ホテル、人気で全然予約が取れない。今回の旅行も宿泊を考えたが、1ヵ月前では取れなかった。まあ、旅行し始める人が多いし、当然と言えば当然。

ここに泊まってご来光を見るのも楽しそう。冬はスノーシュー体験などもあるようで、いつか泊まってみたい。

そんなことを考えながらソフトクリームぺろぺろ。これまたちゃんとした牧場のソフトクリームでメッチャ美味い。写真はあるけど夫ががっつり映ってるので載せられない。

そんなわけで、美ヶ原散策も終盤である。

帰りはアルプス探訪ルートという、例によって北、中央、南アルプスを見渡しながら歩けるというルートで戻ってみた。

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ちょっと危ない。比較的風もある。滑り落ちたら死ぬ。でも、歩道はかなりしっかりしているので、気を付けて歩いていたら落ちないので大丈夫。

昼過ぎになると人も増えてきて、すれ違う時だけ少し怖い。犬を連れた人も多かった。どの犬もはしゃいでいてカワイイ。

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この景色の中を歩いているだけでたまらん。加えて、絶壁の崖になっているところや、岩場もあって飽きない。

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崖は先端まで行けるようになっていて、ちょっと覗いたらメッチャ怖かった。注意喚起の看板もあるくらいだから、ほんとに危険なんだと思う。

そんな感じで1時間ほどのんびり散策すると、牛がいたところまで戻れる。

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牛の数がちょっと増えていた。牛もやっぱり朝は寝ているということなのか、それとも下界から新たな牛が連れてこられたのか。

牛も多いが人も多い。牛がいるところまでは車で入れるので、おしゃれ着でデート中のひとも多かった。牛を見てのんびり散歩して帰るのもまた良い。

しかし我々は美術館に車を置いているので、微妙に登りが待っている。

登山ほどの疲れはないものの、そこそこ歩き疲れている。私は比較的元気だったが、暑さもあり、夫がばてていた。

夫は昔宮城の滝で熱中症になったことがあるので、水分を取らせながらゆっくり歩く。こういうのを見ると看護師で日夜問わず走り回っている自分は割とつよい。

と思ったけど、強すぎる日差しでアレルギーを起こし、気がついたら手の甲が湿疹だらけだった。よわい。

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30分ほど登って、牛伏山に舞い戻り、絶景と牛に別れを告げる。後は下りの木道なのでとんとんと下り、これにて美ヶ原高原ハイキングは終了。

散策を始めたのが8時過ぎ、駐車場に帰ってきたのが14時くらい、ということで、計6時間くらいの散策になった。とはいっても、牛や景色を眺めたり、ご飯を食べていたりするので、実際に歩いていたのは4時間ちょっとだったと思う。

いやー天気が良かったのもあり、とにかくうつくしすぎて圧倒されるばかりだった。

残雪が眩いアルプスの山々、広大な草原でのどかに草を食む牛たち、林立する送電塔の異様な白光り、眼下に広がる新緑の山々と静かな街並み。どれを取っても、下界では絶対に見られない光景で、最高が積み重なって脳がバグりそう。

ここの景色を覚えちゃったら、自宅近くの山の景色とかが霞んでしまいそう。しばらくは絶対比べてしまうな……。目が肥えてしまった。

この日はビーナスラインを下り、蓼科のお気に入り旅館「たてしな薫風」に泊まる。歩き疲れた体に温泉がとても気持ち良かったし、いつもより多くご飯が食べられた(それでも少し夫に食べてもらったけど……)

ここももう10年近く通っているけれども、サービスや食事など色々移り変わりがあって楽しい。一度料理長が事故って夕食がなくなった事件があって大変だったけど、全額無料になってそれはそれで神サービスだったな~。

3日目は、ゆっくり宿を出て、旧中山道付近をドライブして、お気に入りの五一わいんを購入してから帰路に就く。ここはここでたいへん綺麗だったのだが、前述したとおり目に美ヶ原の風景が憑りついているので、美ヶ原の話ばかりしていた気がする。

まだ今年は半分しか経っていないけれども、間違いなく今年行って良かったところNo.1である。

ちなみにNo.1が更新されたらまたブログにレポート載せる予定。

拮抗する可能性があるのは、8月に予定している燧ケ岳登山かな~。行ったことのあるフォロワーさんが素晴らしい景色と絶賛していたので、今からとても楽しみです。

劉慈欣短編集「円」全作レビュー完結編(カオスの蝶、円円のシャボン玉、二〇一八年四月一日、人生、円)

やっと完結編である。

正直、前回の「栄光と夢」解説で終わりでよくない?という気はしているのだけれども、せっかくここまできたので、全作語っておきたい。

ということで、今回の残った5編のレビューですっきり〆たいと思う。

 

さて、さっそく、今まで避けてきた「カオスの蝶」に行こう。結局現実は落ち着いていないけれども、やはり自分の中に熱があるうちに、歯を食いしばって語るしかない。

こんなほぼ見られないようなブログですけど、頑張っています。

「カオスの蝶」はバタフライ効果を利用して、半人工的に悪天候を引き起こし、空爆を止めるために奔走する父親のおはなしだ。

このおはなしは、コソボ紛争真っ只中で、戦火にあえぐユーゴスラビアをモデルに書かれたという。この紛争時、私は幼く何も覚えていない。ミリタリーに詳しくもないので、現実との関係については何も語らないでおく。

主人公アレクサンドルは、悪天候を引き起こすために計算された敏感点を探すため、妻と娘を置いて国を出ることとなる。アフリカ、琉球、果ては南極まで、夢と希望を抱いて果敢に出かけていく。

はじめは計算通り天候が変わるのだが、結局アメリカの邪魔が入り、スパコンが手に入らなくなった結果、この試みは失敗。守りたかった家族は死に、アレクサンドルも自殺してしまう……というのがあらすじだ。

劉慈欣らしく、相変わらず救いがない。

救いがない上に、突き刺すような辛いフレーズが執拗に繰り返される。

妻は「あなたは救世主じゃなかったのね」と繰り返し、最愛の娘は、父親が必死に曇天を引き起こそうとしているにも関わらず、最期まで「お天気の日が好き」と繰り返す。絶望の繰り返しである。

アレクサンドルの、”苦難の渦中にある祖国のため、わたしはいま、蝶の翅を羽ばたかせる……”という印象的なフレーズも、たびたび繰り返される。実際に天候が変わることで、一時は魔法の詠唱のようなイメージを抱いた人もいるはずだ。

しかし、最後の最後、全てを失ったアレクサンドルが自殺するシーンで唱えられることによって、その魔術的な意味合いは消し飛んでしまう。やはり、絶望の繰り返しなのである。

物語の冒頭とラストシーン手前で、カオス理論の象徴する”釘が抜ければ蹄鉄が落ちる……”という詩が繰り返されるのも、なんとも皮肉だ。戦争に抗うために利用したカオス理論だったが、結局徒労に終わり、”負けりゃお国も何もない”という文とともに、ユーゴスラビア連邦は消えてしまうのだ。

フレーズを繰り返すこと自体は、内容を強調したり、イメージの変化を楽しむという、ありふれたテクニックだ。しかし、このあまりに執拗なフレーズの繰り返しには、やはりそれ以上の意味があると思う。

戦争というもの自体を象徴し、皮肉っているのだろうか。悲しみが繰り返される人類の歴史を物語っているのだろうか。それとも、マザーグースのような、楽しくコミカルだが何となく恐ろしい効果を狙っているのだろうか。色々な解釈ができる。

非常に完成度が高く、カオス理論の使い方の面白さや、シーンやフレーズのせつなさが心に残る作品であった。まあ今はあまり読みたくないけれども……(何回も読んで結構ダメージ)

ところで、このおはなしのオチは、NATOの祝勝パーティーで、アメリカ軍人ホワイト中佐がかのウェズリー・クラークに対し、気象予報が外れ、空軍気象情報システムの予算割り当てを問題視され、どうも大事になりそうだ……と打ち明けるシーンで終わる。

このオチ、長らく意味が分からなかったのだけれども、よくよく読んでみたら、軍人が気象センターの中佐と恋仲にあり、予算を使って遊んでいたのがバレちゃうんだワ!ということだったのね、ということがわかった。

つまり、戦争の犠牲とかを全く視野に入れず、醜聞のみに終始する人間の愚かさが、ラストの余韻を突如ぶち壊すつくりになっているのだ。

同じ戦争の元で、あまりに悲劇的なアレクサンドルと、喜劇的なホワイト中佐という対比。そして、有能な科学者は理解されずに死に、不倫してまともに予算も使えない軍人が楽しく生きる対比。まあ罰は受けるんだろうけどさ……。

「地火」とも通ずるこの構図、しかしより悪趣味だ。どうも劉慈欣という人は、こういうことをしないと気が済まないらしい。流石である。

……まあでもこういうところが好きなんだよなあ。

 

さて、次に、この短編集の中で、異様なほどに爽やかでうつくしい「円円のシャボン玉」に移ろう。

初めて読んだ時は、こ……これはなんだ……?劉慈欣なのか……??と困惑した。今まで読んでいた短編はなんだったのかというくらいのサクセスストーリーである。

おはなしは簡単だ。シャボン玉がだいすきな女の子、科学を極めた先にでっかいなかなか消えないシャボン玉を作って、パパの愛する街を干魃から救いましたとさ。めでたし、めでたし。

まじで?と思ってしまう。

俺たちの大好きな劉慈欣の人間愚か節はどこへ行ってしまったのか。しかもコレ、なんか日本では人気の様子。なんだ、なんかつらい。

ということで、一度読んで以来、特にページも開いていなかった。

しかし今回、レビューを書くぞと息巻いて読み込むと、ああこれは世代交代に対する希望のおはなしなのだなあ……と納得。

だからこれは、ふわふわと地に足着かないおはなしなのだ。もはや作者が理解できない新世代の子どもたちの成功を夢見るおとぎ話。

実際、読書会で主人公の女の子に人格がないのでは、と話したら、「いや、最近の子、こういう子いるよ。むしろリアル」と言われた。

ここで思い出すのは、三体3の艾AA(あいえーえーと読む。未来過ぎてふつうのひとは読めない)である。

主人公程心が人工冬眠の先で出会った艾AA”一瞬も止まらずに飛び回る活発な小鳥のよう”と称される大学院生で、非常に頭が良く行動的で、お金をバンバン稼ぎ、程心に的確なアドバイスをし、最後まで手助けしてくれる。

非常に魅力的なキャラクターだが、ドラえもん的な都合の良さがあるために、冷静になると、ちょっと出来る人間過ぎるんじゃないの?という気持ちにはなる。

しかし、「円円のシャボン玉」の主人公円円は艾AAとほとんど同じ人格、つまり新世代の人間だ。頭が良く、行動的で、金をバンバン稼ぎ、そして、旧時代の人間に優しい。

このおはなしでは、パパはわかりやすい旧時代の人間として描かれている。古い街にこだわり、正しい人格にこだわり、人類への貢献を目標とし、苦労し、苦悩する。

対して、円円はシャボン玉という一見ただのエンタテイメントの追求を行っているが、それがトントン拍子に上手くいった結果、自己実現も人類の進歩も達成している。苦悩がなければ、過去にも特定の価値観にもこだわらない。自由で、うつくしい。

ただ彼女たちは、旧世代の人間には理解しがたい。でもそれはある意味では当たり前のことだ。私ももう10代の子のことはわからない。だから一見人格は無いように見える。でも、たぶん、あるのだ。

劉慈欣は、このような新世代の人間が、旧世代と手を取り合って世界を良くしていくことを、ひとつの希望として書いている。そして、現在ですら変わり始めている新しい世代の人格を反映し、彼らへのエールとして、この「円円のシャボン玉」を書いたのだろう。

というか、よく考えたら三体シリーズも、ずっとそういうことを描いていた。人類へ飽くなき絶望を抱く劉慈欣だからこそ、この希望は異様なほどに明るく、神々しく描かれている。

いやー老害にはなりたくないもんですね。いつまでも新しいものを受け入れていたい。

でも、人間は愚かエッセンスを絞り続ける劉慈欣もいて欲しいので、もう先生めっちゃ頑張ってください。

 

「二〇一八年四月一日」は男性ファッション誌に十年後を描くという企画で描かれた作品らしい。つまり、2009年時に想像した2018年の未来ということである。

主人公は、会社の金を横領して改延を受けようとしているが、愛する彼女のために迷っている。しかし、同僚のドッキリ企画でIT共和国の反乱を見せられ、いつまでこれがジョークとして通用するのか?と悩んだ結果、受けることにする。と、彼女の方が人生疲れたし冬眠するからバイバイとやられ、ヤッター俺は生きるぜ、というのがおはなし。

短い作品だが、IT共和国という仮想国家や、改延という三百歳まで寿命を延ばす技術、人工冬眠の実用化などSF的に面白いエッセンスが詰まっている。

それにしても、やっぱりいつもの劉慈欣である。安心、安定の人間は愚か節。

しかし、その中で、繰り返されるフレーズが一つある。

それが、「時代はいつだって、だんだんよくなっていく」である。

劉慈欣は、何度も書いているが、人間という存在への絶望感が強い。人間は愚かで、取るに足りない。

しかし、そんな人間の科学や知性に関して語るとき、彼は絶大な信頼、そしてありあまる希望と祈りを乗せ続ける。

「郷村教師」では特にそれが顕著に表れているのだが、この作品では、ダイレクトに言葉にしている。繰り返して協調までしちゃっている。

それはたぶん、ふだん本を読まないような層にも伝えたいという気持ちの表れなんじゃないかなあと思う。こんなに人間は愚かだけど、それでも技術の発展には、意味があるぞ……と。

ちなみに個人的には、このフレーズよりも、凡人たる主人公が「それでもぼくは、なにかを残したい」と言う方がぐさっときた。私も凡人の一人として頑張らねば……。

 

「人生」もとても短いおはなし。

母親の記憶を宿した胎児が、母と博士に対して自らは経験していない辛い記憶を思い出して、世界を怖がり生まれたくないとごねる。そして、最後は自ら自殺してしまう。その後、月日は流れ、母親は新たな子どもを幸せそうに抱いている。おしまいである。

胎児が自殺する、というアイディアが衝撃的だが、私はそれより、胎児にあれほどお前の人生は辛い記憶ばかりで人間は怖い世界は怖いと言われた母親が、呑気に第2子を作って幸せそうにしていることに衝撃を受けた。

胎児が無垢であるために生まれることができる、そして、母親が無垢であるために、生むことができる。知識や経験が生存を妨げ、無垢の強さが勝つ。これはそういうおはなしである。

無垢は愚かとも言い換えられる。愚かさは悲劇を生むだけでなく、生存に有用だということも、劉慈欣は描いている。

数分で読めてしまうが、後味の良いような悪いような、何とも言えない気分にさせられる、非常に好きな短編です。いやーほんとうに引き出しが多いよな。

予断だが、読書会でこのおはなしをネタにしたとき、似たテーマの作品として、イーガンの「ユージーン」を挙げたら、イーガンは人の心が無いと盛り上がって面白かった。

「人生」と同じく、生まれる前の自殺が描かれる作品なのだが、全く違ったストーリー、価値観が描かれて面白いので、良ければぜひ読んでください。「TAP」という短編集に収録されています。

 

ついに最後。表題作であり、評価も高い「円」。

しかしこの短編集の中で一番感想を述べるところがない!なぜなら、奇想天外な発想でびっくり!ワハハ!というのがおはなしの肝だからである。あと三体で見た。

あらすじとしては、始皇帝暗殺に失敗した荊軻が学者として召し迎えられ、円周率の神秘を語って秦の兵士のほとんどを借りて人間計算陣形を作り、計算をする。

計算は何か月にも及ぶため、その間秦の兵力はそがれる。これを好機として、燕が入念な準備をしたうえで秦を攻め滅ぼしてしまう。これは荊軻の巧妙な暗殺計画だったのだ。しかし荊軻も未来の発想に生き過ぎたことで、始皇帝と共に殺されてしまう。今際の際に荊軻が思いついたのは、未来ではコンピュータと呼ばれる「計算機械」についてだった……。

とにかく、計算陣形起動!とか、〈入力〉くんと〈出力〉くんの旗揚げ訓練とか、故障した部品(兵隊)は首を刎ねよ!とか、そういう一つ一つがめちゃめちゃで面白い。

三体で描かれていたものに比べ、よりシンプルでわかりやすくなっており、時代的に使えない単語を置き換えて硬物(ハードウェア)、軟物(ソフトウェア)とかになっているのも笑えて良い。

中国での始皇帝暗殺の扱いについては良く知らないが、日本でいう「もし織田信長明智光秀に殺されていなかったら」のようなものなのかな~とも思うので、そういう意味では歴史ifエンタメとしても十分に楽しい。

そのうえ、劉慈欣特有の人間は愚か節が効いていて、始皇帝は永遠の命に魅せられ国を滅ぼし、秦を出し抜いたはずの燕王はしかしその立役者をあっさりと殺し、荊軻は伝わらぬとわかっていても「計算機械です!」と叫ばずにいられない。

文句なしに傑作である。そりゃ表題作にもなるわ。今後、劉慈欣の代表作になっていくだろう。

ただ、まとまってしまったがために、もともと三体であったシーンの滅茶苦茶さや意味不明な笑いが損なわれてしまった感じもするんだよねえ。私はそっちもめっちゃ好きなので、これはこれで別物として語り継がれてほしいなあ~~。

三体惑星という地球とは全く違う過酷な環境の中、なぜか始皇帝フォン・ノイマンニュートンが惑星環境を解明しようとするという意味不明さがもう笑えてサイコーだし、読者はそれをコンピュータなど使い慣れている汪淼の視点で面白がることができる。

計算陣形も三千万人と「円」より人数が多いから高性能だし、そのうえで計算が間違っており、始皇帝はおろか兵士全員がふわ~っと浮き上がってみんな死んでしまうラストはゲームの内容とわかっていてもグロテスクで心が躍る。

まあ展開は唐突で、特に伏線もないシーンなので、何を読まされているんだ感はあるんだけど……。そもそも三体自体がいろんなオモシロアイディアの詰め合わせみたいなところがあるので、特に深く考えずに楽しんだ方が勝ちである。

ぜひとも読み比べていただきたい。久々に読んだら三体やっぱ面白かったわ。

 

さて、これで長らく続いた劉慈欣短編集「円」全作レビューは完結!

全13作!分量と愛に差はあれど、しっかりレビューさせていただきました!

もう何回読んだんだろ……。読み込めば読み込むほど話の構造や技巧、主張などが見えてきて、解釈に幅を与えてくれて非常に面白かった。ただ、まだ細かいところまで完璧に精読できていはいない気がするので、またどこかで読む時間を作りたいなとは思う(懲りない)

全部が全部じゃないだろうけれども、結構面白いレビューもできたんじゃないかな、と。特に「栄光と夢」解説は自信作……というか、比較的面白い妄想である自信がある。

お付き合いいただいた方、ありがとうございます。このレビューが少しでも劉慈欣氏の小説の面白さを伝える手助けになったらこれほどうれしいことはありません。

というか、今年新しく短編集出るってよ!!!買うぞ!!!

あ、現在最新作の絵本「火守」も面白かったです。難しくないし絵が綺麗だし、これもみんな買おう。

仕事辞めて楽しく生きようと思っている近況報告

こんにちは、まだ仕事辞めるって言えてないかみむらさんです。

今年初めの日記に、仕事頑張るって言ってたのが嘘のよう。まあ、色々ありまして。

詳しくは身バレがあるので語れませんが、あえて話をすると……うーん……。

Nsあおいっていう漫画があるんだけど。

主人公の看護師あおいが、気管挿管(医師しかできない処置)を、緊急事態のために医師と電話しながら行い、結果患者は助かったものの、逸脱行為を咎められて左遷される、というところから始めるんだけど。

ぼかァねェ、このあおいちゃんの気持ちがちょっとわかりましたよ。

とはいっても、私は逸脱行為はしてないんだけれどもね。ちょっと職場のローカルルールから外れたのと、仕事ができない幹部候補のおじさんに立てついただけ。

たぶんあおいちゃんが後悔していないのと同じように、私も自分がやったことを後悔していない。だって患者助かったし、私は一切間違ったことはしていないのだ。

でも、気が付けば上司からめちょくそ怒られたうえ、おじさんのほうは守られ……というか、何故か私がおじさんをいじめたことになっていた。意味わからん。

あとで他の同僚に聞いたんだが、おじさんと上司はマブダチ(煽り)らしく、プライベートで何かあるたびに電話しまくっているらしい。やりたい放題かよ。

そんなわけで、こんなところにいられるか!おれは別の仕事を探すぞ!となったわけです。

まあその他にも契約書に書いてある昇給が無かったり、夜勤が多かったり、パワハラで長く居た仕事のできる先輩がみんな辞めたり、医者の方針に納得がいかずに対立したり、ちょっと無理みたいな出来事も重なっていたんだよね。

しかし、辞めると決めたはいいものの。

結局毎日職場に行き、もりもり仕事をしている。クソ真面目か。

でも明らかに体調はおかしくなっていて、結構尾を引くぎっくり腰やったり、職場に行くと耳の聞こえが悪くなったり頭痛がしたりしている。やばいのでは。

なんで、頑張って今年のどこかで辞める予定。

その後はコロナ状況を見て遊び惚けるよ!場合によっちゃ、夫に少しだけ養ってもらってもいいかなあと(バイトはするよ)

あと土日の、せめてどっちかは休める仕事に就きます。読書会とか、イベントとか、行きたいんだもーん。

看護師は向いている仕事だと思うし、やめる気はないけど、極める気もないので、自分が納得して楽しく働けるところでだらだら働けたらいいなと思ってる。

結局転職ジプシーしてるけど、まあそのために取ったような資格だし。多少貯金もできたので、少し遊んでも許されるはず。

 

そういえば最近、ハタと思い立って劉慈欣短編集「円」の全作レビューをやっていて、あと少しで終わるのだけれども、ついこの間「栄光と夢」について考えすぎてしまって、ちょっと嫌になってしまった。一回お休み。

でも、自分の中の見たくない欲望みたいな部分に目を向けて語れたので、面白いものが書けたと思っている。私が面白いんだから、他の誰かもきっと面白いだろうと思う。

このブログ、単に葉文潔について何かしら書かれたものが、ネットの片隅に一つでも転がっていたら、目に見えるものではなくとも何かしら価値があるはず、という期待みたいなもので始めた。

今年に入って、月2回の記事更新は守れている(去年は月1更新)

いわゆるブロガーとは言えないまでも、変則勤務体力仕事をやりながらこれは頑張っている。仕事辞めたらもう少し書けるかな~。

色々書きたいものはあって、そのために読み直したり、プレイし直したりしたいな~と思うものもたくさんある。

結局、何かを語るということがとても好きなんだろうな、と思う。

ただ、自分の好きなものを理解されるというビジョンが全く無いので、いつも自信がない。だからおしゃべりはほんとうは結構苦手だ。いわゆるオタクの早口喋りをしてしまって後悔することばっかりだからだ。

それでも、こうやって文章を書くようになってから、喋る方もためらいがなくなってきたように思う。

それは、自分の中で少しは面白い解釈考えられてるかも、わかりやすく伝えられてるかも、と思えるようになってきたからなんだろうなあと。

以前にもブログで触れたような気がするけれども、岡田斗司夫氏の配信が好きで、自分の触れたことない特撮やアニメの世界の話もよく聞くのだけれども、好きなことを楽しそうに気持ちよく語るので、全然知らない作品のことでも面白いし興味が持てる。

それは、彼の話し方が上手く、熱量がある、そのうえ、提示されているものが、多くの人が漠然と考えていることの言語化であったり、彼の知識や経験から得られた新しい見解だったりするからなんだと思う。

羨ましい。こんな風になれるといいのになあと思う。

私の好きなものは結構メジャーなものも多いけれども、好きポイントを語るとなんかニッチな趣味みたいになってしまうことが多くて(三体が面白いではなくて葉文潔が好きとかそういう)つい語るのに躊躇することが多いんだよね。

それでも、なんとなく話の展開が面白いよね~とか適当なことを言うよりは、〇〇の××が△△でええんや……!と言えるというのは長所でもあると思うので、上手に語れるようになったら自分の強みになるんじゃないかくらいには最近思っている。

自信をもって元気に語ることができたら、自分も相手も楽しいんじゃないかなと思うし、そうなりたい。

今後、文章だけじゃなくて、喋る配信とかもできるようになったら嬉しいですね。

っていうか、夫がやってて羨ましいんだよ(ロードレース観戦界隈で割と名が売れてるのでポッドキャストとかやってる)

読書系ポッドキャストとか一緒にやってくれるひと、絶賛募集中です!

 

イーガン読書会のほうも、無事2回目が終わり、まとめも挙げられて、次回も決まって順調に進んでいるので嬉しい。

というか、まとめ書くの楽しいなあ。自分の解像度が上がるというのもあるし、こんな読書会やってますと提示するのにもちょうどよさそう。

もともと要約とかは得意な方だし、他の読書会やイベントとかでやってと言われたらプイプイ喜んでやるよ。

いずれコロナが問題なくなったら、対面開催で、知り合い以外の参加者も募集するというのもアリかなあと思っている。特に、直交三部作に関しては広く意見を聞きたい。

というのも、クロックワーク・ロケットを最近読み終わって、「クロロケはいいぞ……」という境地になっているのだが、扱われているテーマがあまりに多くて複雑で、ついでにイーガンなので回転物理学というNEW物理なんかを持ちだしてきたりするもんで、とにかくおはなしの密度が濃いのである。

ネタバレにならない範囲で書くと、異宇宙シミュレーションのハードSFで、キャラクターはみんな不定形のバーバパパみたいなやつなのに、フェミニズム文学であり、人間賛歌であり、世界の危機を救う王道ファンタジー(?)であり、一人の女の人生記録なのである。

回転物理学も勉強して、世界観も見直して、あと何回か読もうとも思っているんだけど、どう考えても一人の頭の中で捏ね繰り回すにはむつかしすぎる。

こんなものを一人で作り上げちゃうイーガン先生ってなんなの神様なの?

人によって注目するポイントも違いそうだし、エモーショナルなシーンがめっちゃたくさんあるのに、描写がかなり淡白なこともあって、かなり解釈の幅も分かれそう。二次創作もできそう。

主人公ヤルダの人生を思うたびに、未だに涙が流れてくる。ウウ……ヤルダ……。

面白過ぎて、もう2巻目のエターナル・フレイムも買っちゃったもんね。相変わらずほとんど理解できないけど、頑張って読みたいと思う。

一応、私の読書会では、来年位に直交三部作やりたいねと話しています。来年まで私主催でやらせてくれるとかみんな優しいかよ……と思いつつ、参加してくれる人が退屈しないように楽しくやっていけたらいいかなと思います。

 

あっあと、しばらく前ですが、Thisコミュニケーションの6巻も無事出ましたね!

5巻までの内容とまた変わった面白展開なのと、そうきたかァー!っていうのがあったので、こちらもそのうち記事に上げられたらいいなあと思う。

よみちゃんも可愛いけど、むつちゃんも可愛いよね。

劉慈欣とイーガンで忙しい日々だけれども、漫画部門はThisコミュニケーションを圧倒的に推しているのと、最近完結したチ。ー地球の回転についてーや、絶賛連載中のハイパーインフレーションも面白がって読んでいます。

漫画は全然読めていないので、何かオススメあったら教えてほしいなあ。金カム以外で……(色々思いがあり読めていない奴)

ゲームもやろうやろうと思いつつできていない……。とりあえずはやくメガテン5買わないと、あっというまにソウルハッカーズ2が発売になってしまう……。

ソウルハッカーズ2も、ペルソナ系シャレオツ路線で、ちょっと心配ではあるけど楽しみにしています。

金子一馬ァー!帰ってきてくれー!と思うこともあるけれども、やはり時代の移り変わりを楽しむ、幼少期に触れたものだけサイコーと言い続けないというのは大事なのかなと思うので、常に新しくて面白いものに触れていきたいなあと。

音楽とかも、元々さほど好きじゃないのもあるけれども、気を抜くと20年前の奴しか聞かなくなっちゃうからなあ。

無批判に昔のほうが良かったはNGにしとかないとね。

しかし、こうやって書いていくと、面白いもんが世の中にはたくさんあるなあと思うし、とりあえず生きていこう感が出てきて良き良き。

とりあえず仕事を辞めるまでは、ちょっと精神削られながら生きていると思うので、うまく仕事のことから気を反らして、自分が面白いことを黙々とやっていきたいと思います。

頑張って生きるぞー