やっと完結編である。
正直、前回の「栄光と夢」解説で終わりでよくない?という気はしているのだけれども、せっかくここまできたので、全作語っておきたい。
ということで、今回の残った5編のレビューですっきり〆たいと思う。
さて、さっそく、今まで避けてきた「カオスの蝶」に行こう。結局現実は落ち着いていないけれども、やはり自分の中に熱があるうちに、歯を食いしばって語るしかない。
こんなほぼ見られないようなブログですけど、頑張っています。
「カオスの蝶」はバタフライ効果を利用して、半人工的に悪天候を引き起こし、空爆を止めるために奔走する父親のおはなしだ。
このおはなしは、コソボ紛争真っ只中で、戦火にあえぐユーゴスラビアをモデルに書かれたという。この紛争時、私は幼く何も覚えていない。ミリタリーに詳しくもないので、現実との関係については何も語らないでおく。
主人公アレクサンドルは、悪天候を引き起こすために計算された敏感点を探すため、妻と娘を置いて国を出ることとなる。アフリカ、琉球、果ては南極まで、夢と希望を抱いて果敢に出かけていく。
はじめは計算通り天候が変わるのだが、結局アメリカの邪魔が入り、スパコンが手に入らなくなった結果、この試みは失敗。守りたかった家族は死に、アレクサンドルも自殺してしまう……というのがあらすじだ。
劉慈欣らしく、相変わらず救いがない。
救いがない上に、突き刺すような辛いフレーズが執拗に繰り返される。
妻は「あなたは救世主じゃなかったのね」と繰り返し、最愛の娘は、父親が必死に曇天を引き起こそうとしているにも関わらず、最期まで「お天気の日が好き」と繰り返す。絶望の繰り返しである。
アレクサンドルの、”苦難の渦中にある祖国のため、わたしはいま、蝶の翅を羽ばたかせる……”という印象的なフレーズも、たびたび繰り返される。実際に天候が変わることで、一時は魔法の詠唱のようなイメージを抱いた人もいるはずだ。
しかし、最後の最後、全てを失ったアレクサンドルが自殺するシーンで唱えられることによって、その魔術的な意味合いは消し飛んでしまう。やはり、絶望の繰り返しなのである。
物語の冒頭とラストシーン手前で、カオス理論の象徴する”釘が抜ければ蹄鉄が落ちる……”という詩が繰り返されるのも、なんとも皮肉だ。戦争に抗うために利用したカオス理論だったが、結局徒労に終わり、”負けりゃお国も何もない”という文とともに、ユーゴスラビア連邦は消えてしまうのだ。
フレーズを繰り返すこと自体は、内容を強調したり、イメージの変化を楽しむという、ありふれたテクニックだ。しかし、このあまりに執拗なフレーズの繰り返しには、やはりそれ以上の意味があると思う。
戦争というもの自体を象徴し、皮肉っているのだろうか。悲しみが繰り返される人類の歴史を物語っているのだろうか。それとも、マザーグースのような、楽しくコミカルだが何となく恐ろしい効果を狙っているのだろうか。色々な解釈ができる。
非常に完成度が高く、カオス理論の使い方の面白さや、シーンやフレーズのせつなさが心に残る作品であった。まあ今はあまり読みたくないけれども……(何回も読んで結構ダメージ)
ところで、このおはなしのオチは、NATOの祝勝パーティーで、アメリカ軍人ホワイト中佐がかのウェズリー・クラークに対し、気象予報が外れ、空軍気象情報システムの予算割り当てを問題視され、どうも大事になりそうだ……と打ち明けるシーンで終わる。
このオチ、長らく意味が分からなかったのだけれども、よくよく読んでみたら、軍人が気象センターの中佐と恋仲にあり、予算を使って遊んでいたのがバレちゃうんだワ!ということだったのね、ということがわかった。
つまり、戦争の犠牲とかを全く視野に入れず、醜聞のみに終始する人間の愚かさが、ラストの余韻を突如ぶち壊すつくりになっているのだ。
同じ戦争の元で、あまりに悲劇的なアレクサンドルと、喜劇的なホワイト中佐という対比。そして、有能な科学者は理解されずに死に、不倫してまともに予算も使えない軍人が楽しく生きる対比。まあ罰は受けるんだろうけどさ……。
「地火」とも通ずるこの構図、しかしより悪趣味だ。どうも劉慈欣という人は、こういうことをしないと気が済まないらしい。流石である。
……まあでもこういうところが好きなんだよなあ。
さて、次に、この短編集の中で、異様なほどに爽やかでうつくしい「円円のシャボン玉」に移ろう。
初めて読んだ時は、こ……これはなんだ……?劉慈欣なのか……??と困惑した。今まで読んでいた短編はなんだったのかというくらいのサクセスストーリーである。
おはなしは簡単だ。シャボン玉がだいすきな女の子、科学を極めた先にでっかいなかなか消えないシャボン玉を作って、パパの愛する街を干魃から救いましたとさ。めでたし、めでたし。
まじで?と思ってしまう。
俺たちの大好きな劉慈欣の人間愚か節はどこへ行ってしまったのか。しかもコレ、なんか日本では人気の様子。なんだ、なんかつらい。
ということで、一度読んで以来、特にページも開いていなかった。
しかし今回、レビューを書くぞと息巻いて読み込むと、ああこれは世代交代に対する希望のおはなしなのだなあ……と納得。
だからこれは、ふわふわと地に足着かないおはなしなのだ。もはや作者が理解できない新世代の子どもたちの成功を夢見るおとぎ話。
実際、読書会で主人公の女の子に人格がないのでは、と話したら、「いや、最近の子、こういう子いるよ。むしろリアル」と言われた。
ここで思い出すのは、三体3の艾AA(あいえーえーと読む。未来過ぎてふつうのひとは読めない)である。
主人公程心が人工冬眠の先で出会った艾AA”一瞬も止まらずに飛び回る活発な小鳥のよう”と称される大学院生で、非常に頭が良く行動的で、お金をバンバン稼ぎ、程心に的確なアドバイスをし、最後まで手助けしてくれる。
非常に魅力的なキャラクターだが、ドラえもん的な都合の良さがあるために、冷静になると、ちょっと出来る人間過ぎるんじゃないの?という気持ちにはなる。
しかし、「円円のシャボン玉」の主人公円円は艾AAとほとんど同じ人格、つまり新世代の人間だ。頭が良く、行動的で、金をバンバン稼ぎ、そして、旧時代の人間に優しい。
このおはなしでは、パパはわかりやすい旧時代の人間として描かれている。古い街にこだわり、正しい人格にこだわり、人類への貢献を目標とし、苦労し、苦悩する。
対して、円円はシャボン玉という一見ただのエンタテイメントの追求を行っているが、それがトントン拍子に上手くいった結果、自己実現も人類の進歩も達成している。苦悩がなければ、過去にも特定の価値観にもこだわらない。自由で、うつくしい。
ただ彼女たちは、旧世代の人間には理解しがたい。でもそれはある意味では当たり前のことだ。私ももう10代の子のことはわからない。だから一見人格は無いように見える。でも、たぶん、あるのだ。
劉慈欣は、このような新世代の人間が、旧世代と手を取り合って世界を良くしていくことを、ひとつの希望として書いている。そして、現在ですら変わり始めている新しい世代の人格を反映し、彼らへのエールとして、この「円円のシャボン玉」を書いたのだろう。
というか、よく考えたら三体シリーズも、ずっとそういうことを描いていた。人類へ飽くなき絶望を抱く劉慈欣だからこそ、この希望は異様なほどに明るく、神々しく描かれている。
いやー老害にはなりたくないもんですね。いつまでも新しいものを受け入れていたい。
でも、人間は愚かエッセンスを絞り続ける劉慈欣もいて欲しいので、もう先生めっちゃ頑張ってください。
「二〇一八年四月一日」は男性ファッション誌に十年後を描くという企画で描かれた作品らしい。つまり、2009年時に想像した2018年の未来ということである。
主人公は、会社の金を横領して改延を受けようとしているが、愛する彼女のために迷っている。しかし、同僚のドッキリ企画でIT共和国の反乱を見せられ、いつまでこれがジョークとして通用するのか?と悩んだ結果、受けることにする。と、彼女の方が人生疲れたし冬眠するからバイバイとやられ、ヤッター俺は生きるぜ、というのがおはなし。
短い作品だが、IT共和国という仮想国家や、改延という三百歳まで寿命を延ばす技術、人工冬眠の実用化などSF的に面白いエッセンスが詰まっている。
それにしても、やっぱりいつもの劉慈欣である。安心、安定の人間は愚か節。
しかし、その中で、繰り返されるフレーズが一つある。
それが、「時代はいつだって、だんだんよくなっていく」である。
劉慈欣は、何度も書いているが、人間という存在への絶望感が強い。人間は愚かで、取るに足りない。
しかし、そんな人間の科学や知性に関して語るとき、彼は絶大な信頼、そしてありあまる希望と祈りを乗せ続ける。
「郷村教師」では特にそれが顕著に表れているのだが、この作品では、ダイレクトに言葉にしている。繰り返して協調までしちゃっている。
それはたぶん、ふだん本を読まないような層にも伝えたいという気持ちの表れなんじゃないかなあと思う。こんなに人間は愚かだけど、それでも技術の発展には、意味があるぞ……と。
ちなみに個人的には、このフレーズよりも、凡人たる主人公が「それでもぼくは、なにかを残したい」と言う方がぐさっときた。私も凡人の一人として頑張らねば……。
「人生」もとても短いおはなし。
母親の記憶を宿した胎児が、母と博士に対して自らは経験していない辛い記憶を思い出して、世界を怖がり生まれたくないとごねる。そして、最後は自ら自殺してしまう。その後、月日は流れ、母親は新たな子どもを幸せそうに抱いている。おしまいである。
胎児が自殺する、というアイディアが衝撃的だが、私はそれより、胎児にあれほどお前の人生は辛い記憶ばかりで人間は怖い世界は怖いと言われた母親が、呑気に第2子を作って幸せそうにしていることに衝撃を受けた。
胎児が無垢であるために生まれることができる、そして、母親が無垢であるために、生むことができる。知識や経験が生存を妨げ、無垢の強さが勝つ。これはそういうおはなしである。
無垢は愚かとも言い換えられる。愚かさは悲劇を生むだけでなく、生存に有用だということも、劉慈欣は描いている。
数分で読めてしまうが、後味の良いような悪いような、何とも言えない気分にさせられる、非常に好きな短編です。いやーほんとうに引き出しが多いよな。
予断だが、読書会でこのおはなしをネタにしたとき、似たテーマの作品として、イーガンの「ユージーン」を挙げたら、イーガンは人の心が無いと盛り上がって面白かった。
「人生」と同じく、生まれる前の自殺が描かれる作品なのだが、全く違ったストーリー、価値観が描かれて面白いので、良ければぜひ読んでください。「TAP」という短編集に収録されています。
ついに最後。表題作であり、評価も高い「円」。
しかしこの短編集の中で一番感想を述べるところがない!なぜなら、奇想天外な発想でびっくり!ワハハ!というのがおはなしの肝だからである。あと三体で見た。
あらすじとしては、始皇帝暗殺に失敗した荊軻が学者として召し迎えられ、円周率の神秘を語って秦の兵士のほとんどを借りて人間計算陣形を作り、計算をする。
計算は何か月にも及ぶため、その間秦の兵力はそがれる。これを好機として、燕が入念な準備をしたうえで秦を攻め滅ぼしてしまう。これは荊軻の巧妙な暗殺計画だったのだ。しかし荊軻も未来の発想に生き過ぎたことで、始皇帝と共に殺されてしまう。今際の際に荊軻が思いついたのは、未来ではコンピュータと呼ばれる「計算機械」についてだった……。
とにかく、計算陣形起動!とか、〈入力〉くんと〈出力〉くんの旗揚げ訓練とか、故障した部品(兵隊)は首を刎ねよ!とか、そういう一つ一つがめちゃめちゃで面白い。
三体で描かれていたものに比べ、よりシンプルでわかりやすくなっており、時代的に使えない単語を置き換えて硬物(ハードウェア)、軟物(ソフトウェア)とかになっているのも笑えて良い。
中国での始皇帝暗殺の扱いについては良く知らないが、日本でいう「もし織田信長が明智光秀に殺されていなかったら」のようなものなのかな~とも思うので、そういう意味では歴史ifエンタメとしても十分に楽しい。
そのうえ、劉慈欣特有の人間は愚か節が効いていて、始皇帝は永遠の命に魅せられ国を滅ぼし、秦を出し抜いたはずの燕王はしかしその立役者をあっさりと殺し、荊軻は伝わらぬとわかっていても「計算機械です!」と叫ばずにいられない。
文句なしに傑作である。そりゃ表題作にもなるわ。今後、劉慈欣の代表作になっていくだろう。
ただ、まとまってしまったがために、もともと三体であったシーンの滅茶苦茶さや意味不明な笑いが損なわれてしまった感じもするんだよねえ。私はそっちもめっちゃ好きなので、これはこれで別物として語り継がれてほしいなあ~~。
三体惑星という地球とは全く違う過酷な環境の中、なぜか始皇帝とフォン・ノイマンとニュートンが惑星環境を解明しようとするという意味不明さがもう笑えてサイコーだし、読者はそれをコンピュータなど使い慣れている汪淼の視点で面白がることができる。
計算陣形も三千万人と「円」より人数が多いから高性能だし、そのうえで計算が間違っており、始皇帝はおろか兵士全員がふわ~っと浮き上がってみんな死んでしまうラストはゲームの内容とわかっていてもグロテスクで心が躍る。
まあ展開は唐突で、特に伏線もないシーンなので、何を読まされているんだ感はあるんだけど……。そもそも三体自体がいろんなオモシロアイディアの詰め合わせみたいなところがあるので、特に深く考えずに楽しんだ方が勝ちである。
ぜひとも読み比べていただきたい。久々に読んだら三体やっぱ面白かったわ。
さて、これで長らく続いた劉慈欣短編集「円」全作レビューは完結!
全13作!分量と愛に差はあれど、しっかりレビューさせていただきました!
もう何回読んだんだろ……。読み込めば読み込むほど話の構造や技巧、主張などが見えてきて、解釈に幅を与えてくれて非常に面白かった。ただ、まだ細かいところまで完璧に精読できていはいない気がするので、またどこかで読む時間を作りたいなとは思う(懲りない)
全部が全部じゃないだろうけれども、結構面白いレビューもできたんじゃないかな、と。特に「栄光と夢」解説は自信作……というか、比較的面白い妄想である自信がある。
お付き合いいただいた方、ありがとうございます。このレビューが少しでも劉慈欣氏の小説の面白さを伝える手助けになったらこれほどうれしいことはありません。
というか、今年新しく短編集出るってよ!!!買うぞ!!!
あ、現在最新作の絵本「火守」も面白かったです。難しくないし絵が綺麗だし、これもみんな買おう。