かみむらさんの独り言

面白いことを探して生きる三十路越え不良看護師。主に読書感想や批評を書いています。たまに映画やゲームも扱っています。SFが好き。

ディープストレンジジャーニーはカオスルートこそ至高という話(ネタバレあり感想)

真・女神転生 ディープストレンジジャーニー(以下DSJ)1週目クリアしました!

無茶無茶面白かった。最終的にプレイ時間約50時間、レベル92。カオスルートで進み、旧エンディング、追加エンディングとも見ました。

流石にメガテン慣れしているので、難易度スタンダードではトラウマものの何かに出会うこともなく、噂のマッカビームも1回しか食らわなかった。

最強はアスラローガ。もはや何もできなくなり、死を待つのみのパーティーが見るに堪えず、仕方なくアシェラト様のおしりを眺めるという悲しい思いをした。あとラスボスも強かったー…。勝てなさ過ぎてレベル上げまくってた。

アナライズされていない敵が表示されないのは面倒だったけど、めちゃくちゃヒールスポットとセーブポイントがあるのと、いつ敵が襲ってくるか大体わかる仕様になっているのと、サブアプリが優秀なのとで、ふつうに楽しくマッピング&レベル上げできてよかった。馬鹿みたいに強い敵が急に出ることもないし、思ったよりは易しい仕様。魔人も割と弱くてよかった。

まあ、エンドコンテンツまでやり込むわけではない私のようなヌルゲーマーには、たいへんちょうどよい難易度でした。大好きな脳筋主人公でごり押しできたし。

BGMもよかった。私は真1のギンザみたいな曲が好きなので、初見の時は、わッ雄々しいおっさんの声が壮大!(失礼)と思っていたけど、聞いているとだんだん楽しくなってきた。エリダヌスとシェキナー戦の曲がお気に入り。

悪魔がたくさん出てくるのも良きかな…。カオスルートで行ったので、自然カオスの仲魔たちばかりになったわけなんだけれども、それにしても全然悪魔全書が埋まらん。まあ、なけなしのマッカでシヴァとヴィシュヌを作れたので割と満足ではある。

そして、何より、びっくりするほどシナリオが良かった。っていうか、カオスルートがよかった。プラス、カオスヒーローたる、ヒメネスが良かった。

とにかくカッコイイ!ビジュアルが最高だし、声優櫻井孝宏という点もポイントが高い。上手いのなんの。基本RPGでボイスは全然再生しないんだけど(せっかち)、ヒメネスだけはちょっと聞き入ってしまった。

ヒメネスは、私が知っているカオスヒーローとちょい違う。悪魔に情けをかけるし、力を求めて悪魔と合体しない。RPG界の不良にありがちな、フツーに割といいやつなのだ。

このフツーに割といいやつは、悪魔にいじめられている、弱々しく言葉も喋れない悪魔を助け、仲魔にする。つまはじき者同士仲よくしようというのである。つまり、不良にありがちな捨て猫を抱き上げて「お前も一人ぼっちなのか」ムーブである。ベタだが、私は大層こういうのに弱いし、大抵のひとも弱いと思う。

ここで救われる悪魔バガブーがなんかキモカワイイ。身を挺してヒメネスをかばったり、守ったり、案外役に立ってもいる。覚えたての言葉を使いながらヒメネスと話しているのを見ると、仲の良い親子、兄弟のようでもある。

しかしこのバガブーが単独行動したために、この善良な不良ヒメネスは、(ドクズ畜生)人間集団に捕まり、人間と悪魔の合体の実験で拷問され続けた挙句、このままだと死んでしまう大切なバガブーを助けるため、主人公に合体させてくれと懇願することになるわけである。

ひどい。

あんまりにも、ひどい。

話には聞いていたが、実際やるとヒメネスへの愛着が相まって大変つらかった。

ジャック部隊とかいうド畜生集団はこの実験以外にも、力と利益を得るためだけの悪魔への拷問と虐待を繰り返しており、悪魔たちが「こうまでして力が欲しいのか…」と呪いの言葉を吐いていたり、スライム化してしまって「モウモドラナイ…」とか言ってるのを見たりするのはとても切なかった。

いやぶっちゃけさあ、ちょっとあんまりこういうこと言いたくないんだけどさあ、

ジャック部隊はみんな死ぬべきって思わなかった???

というわけで、私は当然ジャックを殺しに行くヒメネスを止めなかったし、神の僕に洗脳されたジャック部隊だろうが、みんな殺しに行きましたよ。

そしたらルート分岐に選択肢も出ないドカオスになってて、なんか隊長にメッチャ怒られました。

なんでだよ!!!

まあ、ジャック以外のクソは、洗脳でトロンとしちゃってるから別に殺す必要ないにしてもだ。

ジャックは、友達の体を拷問した挙句変化させといて何の罪の意識もなく、改造してより強力に従順にした悪魔をこちらにけしかけて、自分も銃持って殺しに来てるわけだからね??

 

真・女神転生シリーズは、たぶんなんとなくロウ側に寄るひとが多いと思うし、私も割とJRPGのお約束で育ってきたひとだから、いつも、ついついロウに寄ってしまうんだけれども、DSJに関しては、完全にカオスに寄るように製作者側が意図しているようにしか思えなかった。

いやだってジャック殺害は止められないだろ…(何度でも言う)

まあこのジャック部隊の流れ以外にも、カオス方向にプレイヤーを誘導するしかけは他にもある。

まず、サブキャラの人格の希薄さ。逐一物語が進むたびに、サブキャラには話しかけてたけど、ぜんぜん愛着が沸かなかった。

キャラ立ちしてないわけではないんだが、彼らと話す時間の5倍は仲魔と過ごしているし、別に着いてきて戦ってくれるわけでもない。だから同じクルーとか言われても、なんかあんまり仲間って感じがしない。そんな中でいちいち仲違いとかしているのを見ると、はー人間ってろくでもねえなとしか思わなかった。

まあ、メガテンシリーズ特有のあっさりした人物描写が裏目に出たっていうところなのかもしれないんだけど、やっぱり描き方に悪意があるというか、人間ってこんなもんだよね、感は否めない。

加えて、ロウヒーローと中心になる天使の描き方も、他作品にはない悪意がある。天使が、マジモンのぺ天使なのだ。

メガテンの天使は基本的にクソなんだけれども、それは神の繁栄を第一とするからのクソであり、一貫した信念と思想がある。クソだが誇り高い、素晴らしい敵なのである。

しかし今回のペ天使マンセマット君は神の繁栄とかではなく、自分が出世するためにロウヒーローを騙し、世界を再興したいという何ともケツの穴の小さい奴なのだ。

まあ、こいつのその目的がわかるのはカオスルートなんだけれども、なんか怪しい、信用できない、裏がありそうなオーラがずっと描かれている。声優も森川さんだし…(偏見)

そしてロウヒーローたるゼレーニンは、序盤から悪魔はイヤイヤ人間もイヤイヤしてるばかりで、こちらも特に信念とかは見えず、コロッとペ天使に騙されて人間を辞めてしまう。ロウルートをまだやっていないからかもしれないけれども、なんつーか、目的が全く見えず、自分のない奴だな…としか思えなかった。

そして最後に、合同計画本部の政治家たちのクソっぷりが、冒頭からみっちりと描かれているところ。紛争も環境破壊も他人事で、自分たちのマウント取りに必死で嫌になる。からの、調査隊が脱出してから核爆弾撃つとかほざきながら、普通にぶっ放してくる。

そりゃ地球も怒って悪魔を送り込んでくるわ、としか思わない。やっぱり描き方に悪意があるよね。

さて、こうなると、相対するヒメネスは、あまりにも優しく、いいやつに見えてしまう。ずっと(合体しながら)苦楽を共にしてきた仲魔たちへの愛着も相まって、いやー悪魔のほうがましでない?となる。

ジャック部隊の実験が明かされる随分前に、悪魔も人間を使って実験をしているシーンもあるのだが、それは純粋な人間に対する興味からの、殺すつもりも拷問するつもりもないけど結果あらら死んじゃった、という価値観の違いとして描かれているんだよね。

それはそれで怖いし残酷だけれども、人間たちの所業を見ていると霞んでしまう。少なくともこいつらは、笑いながら「呪え呪え」とかは言わなかったし、苦痛を材料に新兵器を作らない。

まあこんな風に見ていくと、ふつうにプレイしていて、人間守りたくなる、あるいは天使に加担したくなることって、よほど綺麗な子安武人ことアーサーが好きか、ニュートラルこそトゥルーエンドと腹を決めているひとしかいないんではないだろうか、と私は思う。

 

だいぶん長くなった。

まとめると、DSJのメインシナリオは、実はニュートラルルートではなく、カオスルートなんじゃないか?と思うわけだ。

ニュートラルもロウも、派生サブルートの一つでしかないのではないか、と。

しかし、そんな感じに誘導されてきたカオスルートだが、リメイク前のエンディングは、微妙に希望を抱かせながらも、それなりに絶望、という少々物足りないものだった。

じゃあやっぱりメインルートはニュートラルじゃないか、と思うだろう。

しかし、これがリメイク後で大幅に改善されている。そのうえ、ニュートラルの追加エンディングは、絶望に次ぐ絶望!そして地獄!みたいなことになっていた。

…実はけっこうネタバレを見ています。自分でもやるけどね!

追加シナリオのアレックスやデメテル、三賢人周りの動きの自然さは、カオスルートが一番しっくりくるように作られている。

特に、未来から過去改変に来たアレックスの動機の部分は、比較的有名な人の実況プレイで反応を見てしまったのだけれども、やはり私と同様に、ニュートラルよりしっくりくる!という感じだった。

ぶっちゃけ、カオスルートのためにリメイクしたのでは??

カオスルートの追加イベントでは、力こそ全てを謳うヒメネスに対し、アレックスが問うのは、「弱かったバガブーは死ぬべきだったか?」という問いである。

この問い、マジで完璧なんだよね。ここでヒメネスっていう不良(いいやつ)は、優しさを取り戻すわけである。悪魔になってるのに。もう悪魔になってるのに!(大切なことなので二回言いました)

この辺、やっぱり他作品のカオスヒーローとは全然違うというか、ヒメネスが一番人間って感じがしたよね。反省して考え直せる、やり直せるのは完全に人間の強みなんじゃないかなあ。

母たる、一時は心酔もしたメムアレフに異を唱え、結局は倒すことになってしまう(倒すのは主人公だけども)というのは、いかにも人間らしい。

今までカオスといえば力こそ全て!という世界観だと思ってきたけれども、力というのも一つのルールであり、ほんとうのカオスではない、というのは、比較的長年メガテンやってきた私にとって、なんだか目からウロコだった。

そして、至高の追加エンディングですよ。すべては無に帰し、何物にも縛られない、悪魔と人間の自由の世界が始まる。うつくしい大地に、ヒメネスの表情の穏やかなこと。お前ほんとうに悪魔なのか??これはつられて主人公もニコニコしちゃうな…。

いやこれもう、悪魔と人間が手を取り合い、理想の世界を作っていくってやつじゃん…。

実際問題、この後の世界が理想的なものかは全然わからん…というか、ヤベエ感じになる可能性がとても高いとは思うけれども、少なくとも選択肢は、何一つ余すことなく提示された感じ。あまりにも清々しい。

やっぱりこれがベストエンドですよ…。

 

いやあ、実はこの先に、私の幼少期の夢が叶ったって話をしたかったのだけれども、(多分読む側も)ちょっと疲れてきたので本記事は一旦終了。

この話は次回したいと思います。

とりあえず、未プレイでこの記事を読んでしまった人は、内容大体わかっちゃったと思うけれども、実機でプレイすることを強くお勧めします。無茶苦茶面白いです。ネタバレ知ってても面白いです。ちゃんとカオスルートやってください。

既プレイの方は、少しでも共感していただけたら幸い。

メガテニストの方は、次回ifと真3の話をしたいと思うので、ご期待ください。

さて、天地人ヒメネス(ロウルートラスボス)と覚醒人ヒメネスニュートラルルート中ボス)を倒しに行くかね…

真・女神転生と恩師の話

世間が真・女神転生5の発売で沸いている中、様子を見ていたら買うタイミングを逃してしまった。

気が狂ってる(誉め言葉)百合の制服がダサダサとイカスの間を行き来しているので、動くところが見たい感がとてもあるし、なんか主人公の美少女系男子が謎の男と合体して、髪が伸びて青くなって神様然とし始めるのもイカス。

そんなわけで、いい加減買おうかなと思って、YOUTUBEでゲーム映像とかを見ていた結果、おすすめ動画がメガテンだらけになった。

その結果、何故か放置されて腐っていくスイッチライトではなく、さらに放置を重ねてすでに廃品のようになった3DSの埃を払い、真・女神転生DEEP STRANGE JOURNEY(以下DSJ)を買っていた。

どうしてこうなった。

メガテン系の解説動画に付き物なのが「トラウマ」である。メガテンシリーズは総じて、みんなのトラウマで満ちている。

私の経験したメガテンのトラウマをいくつか紹介すると、

・ギリメカラにオートバトルを選択したら物理反射で主人公、ヒロイン、つよつよ仲魔たちがみんな死んだ

・1時間みっちりレベル上げして、セーブをしようとしたらセーブ部屋の真ん前でバックアタック→ドルミナー→永眠への誘いのコンボでみんな死んだ

・終盤適当にフィールド探索中、主人公よりレベルが50くらい低いエンジェルからバックアタック→ハマで死んだ

・調子乗ってハードで始めて見たらチュートリアル戦闘で死んだ(以来ハードモードはやってない)

・その時点で最強なうえに最高に可愛いおれのリリムたんを友達に取られて合体された

と、最後のは完全にプレイングミスの私怨な気がするけれども、ざっとこんなもんである。

メガテニストの方にはわかっていただけるに違いない。っていうか、物理反射にオートバトルはみんなやるし死ぬでしょ。普通のRPGで通常攻撃を反射してくるやつとかいなくない?

私はゲームをそれほどやり込む方でもないし、裏ボスやDLCに挑戦することは永遠にないと思うんだけれども、このそこそこハードな難易度設定はとても楽しい。ダンジョンをぐるぐる回ってマッピングするのも大好きである。

しかし、最近は仕事が忙しくて、腰を据えてRPGをプレイする気にあまりなれなかった。特に、3Dのゲームは目が疲れるし、行くところが果てしなくあって脳も疲れてしまう。最近のゲーム死ぬほどボリュームあるねん。

そんな中、DSJは、リメイクとはいえ2018年のゲームで昔懐かし3Dダンジョンを採用していて、無性にやりたくなってしまったというのがある。シナリオがめっちゃいいと評判だったDS版は、なんとなく食指が動かずプレイしていなかったのだが、3DS版になって遊びやすく改良したうえ、遊べる要素も悪魔も増えて楽しそう…

なにより、前述したトラウマ要素が、ノーマルモードでももりだくさん!らしいのである。

ということで、急遽購入。プレイ。とりあえず20時間ほどやりましたが、まだ全然序盤です。

しかし、なんか知らんバッドステータスで仲魔同士が殺し合ったり、相変わらずマハンマでパーティー壊滅したり、突然魔人とエンカウントしてみんな死んだりしてて、流石メガテンや…と嬉しくなっている所です(頭おかしい)

昔は頑張ってニュートラルルートをクリアしようと躍起になっていたけれども、最近は大人になって、カオスな世界も悪くないんじゃないか??ということで欲望に忠実に悪魔と仲良く暮らすようにしてます。ロウの天使は〇ね。

 

こんなマゾっぽいゲームをゲームしていると、思い出すことがある。私にメガテンシリーズを教えてくれた、塾の先生であり、恩師であり、第二の母についてである。

当時はネットが今のように普及しておらず、ゲームの情報と言えば友だちか雑誌だった。まあ私は友だちがいなかったので、ほぼ雑誌だったんですけど…。

なんか面白いゲームない?という質問に、恩師が貸してくれたのは真・女神転生if…である。

メガテンのことを知らなかった私は、ネットにて真1の予習してたのに、if…で全然違うやんけ!ってなった思い出がある。でもif…も面白かったです。

ドラクエ大貝獣物語天外魔境桃太郎伝説に慣らされていた私はその新しさとマゾさに感動して、見事メガテニストと化したというわけである。

この恩師はそれからも、サモンナイトシリーズを教えてくれたり、シャガール展に連れて行ってくれたり、ライドウ本を一緒に作って同人誌即売会に行ったり、京極堂シリーズを指南してくれたが好きなキャラが全くかみ合わなかったり、ほんとうにいろいろお世話になった。

正直うちの母親が毒親だった(というか、ずっとメンタルな病気持ちだったと思う)ので、そして父親がいなかったので、そのうえ友達もいなかったので、この恩師が私の唯一のよりどころであった。色々込み入った話をしたし、初めてカラオケに行ったのも恩師とだ。

中~高校生の、親から逃げられない時分、恩師の存在は何よりもありがたく、ぶっちゃけ家族の誰より大切な存在だった。

血のつながりなんてクソである。大切なひとなど他所で作ればいいのだ。恩師に出会ってから、そんな風に考えるようになったし、今もそれは変わらない。

実際、故郷を離れても恩師のような現地母を作って守ってもらったりして、楽しく過ごしている。母になってくれる人なんて、何処にでもいるんだワ。

クソ環境で育った私がグレもせず、病気にもならず今元気に生きているのは、恩師のおかげである。

恩師は私の世界を広げてくれた。夫もまず最初に恩師に顔合わせしました!

恩師、元気かなあ。一時期うちのクソ母に付き合ってると思われてしまい、たいへんなご迷惑をかけましたが、ドン引きすることなく付き合いを続けていただいてありがとうございました。

流石にもう高齢(70代だと思う)だし、コロナ禍だし、今後もう会えないかもしれないけれども、元気でいてくれるといいなあ。

まあ最後に会った時、メガテン4の天使とかが金子一馬デザインでなくてぷりぷりしていた私に、気持ちはわかるが、メガテン4 FINALはなかなかよかったぞ、特に皆殺しルートがいい、と言ってくれるファンキーな60代だったので、たぶん元気じゃないかと思います。

実はメガテン4 FINALが新しいシナリオだと知らずに今まで見逃していたので(リメイクだと思ってた/例によってYOUTUBEの解説動画で知った)今度買って皆殺しルートを進もう。

メガテン5いつ買うんだろう…まあ、のんびりやっていこうかと思ってます。

愛しかないけどイーガン読書会主催してみた(イーガン読書会①「白熱光」報告)

二十数年ほど、ほとんどSFを読まずに生きてきた。

ハードSFで語られるような物理学や宇宙工学の素養も何もない。高校物理でなんか矢印が引っ張られているあたりで終わった記憶があるだけだ。(まあ、一応看護師なので脳科学だけはちょっとだけ知識がある。ちょっとだけね)

そんな私が、何の因果か勧められた「宇宙消失」を読んで、衝撃を受けたのが、もう十年近く前のことだったと思う。

たぶん、ほとんど内容は理解できていないのだが、未だに、連続で「上」が流れる時のなんともいえぬゾクゾク感、その後の病院での「絶対に成功する」ミッションのはらはらドキドキ感が思い出せる。

SFって、すげー!

と思って、それからだんだん、ほかのSFに手を出すようになり、SFの読書会に遊びに行ったりもするようになった。

イーガンはだから、私にとって、とても大切な作家なんだよな。

もはや友達に近い(と勝手に思っている)読書会のメンツと、最近意気投合してイーガン読書会をしようという話になり、あれ?これって私が主催なの?愛しかないけど大丈夫?と思いながらも、あれよあれよと集まったのが私含め7人。とりま「白熱光」で、という軽いノリで開催。

当日になったら何人か欠けるだろうなと思っていたらまさかの全員参加。未読は二人のみ。イーガンってやっぱ、すげー!ということで、無事に終わりました。

ほんとうは対面でおしゃべりしたかったんだけど、疫病くそ野郎が広がっているので泣く泣くオンライン。

オンラインだとメモ取りにくいのがつらいんだよな~(机の周りを綺麗にしなさい)

今日はその報告ということで、一切何もわからない手帳の汚いメモを見ながらまとめてみたいと思います。なんか間違ってたら、ごめんね。

 

まず、割とちゃんと図を書いたりメモをとったりして読んでいる人がいて感動。私はもう諦めて巻末解説と解説サイトを見てわかった気になって進めたよ。

スプリンターで異星生物たちがわちゃわちゃ実験して、物理法則を解明していくあたりは、面白いけど難解でしんどくもある、という感じ。中盤まではちょっとしんどく、時間もかかるが、それを過ぎたら一気に引き込まれて読めた、という意見が多かった。

私は「重力とは何か?」という初心者向け物理新書を読んでいたので、内容はわからないけどどうやら一般相対性理論について話しているようだ、というようなことがわかってよかったというような話をしました。

余談だけど、イーガンのおはなしより、よっぽど現実のほうが意味わかんねー!なのがわかって大変面白かったので、この本とってもおすすめです。

内容はわかんなくても、ロイやザックが様々な発見をしていく様や、そこに仲間が集まっていく様子などは共感できる部分が大きく、地味ながらめちゃめちゃ面白ポイントだな~って話も。

私はその辺、「チ。ー地球の運動についてー」という漫画とも重なる部分があるなと思って紹介。これも面白いよ。

また、他の生命体の生態を描いた作品として、「竜の卵」と似ているよという話も教えてもらった。読んだことないので読んでみたいけど、キンドルになかったのでまだ買ってない。そのうち読むのでここに書いておく。

未来の異星人が地球であったような物理法則発見を再現する、というところから、未来の火星でトロイア戦争をやるらしい「イリアム」「オデュッセイア」を思い出すという話も。うおーダン・シモンズ

読めば面白いのはわかっているんだけど(ハイペリオンは読んでる)、とにかく長いので、遠い未来で読みたい本のコーナーに置いてあった本でした。読みたくはある…遠い未来が近づいてくるか…

最近話題の映画「ドント・ルック・アップ」の話も上がる。まさに逆白熱光で、危機が訪れるものの、世界が馬鹿すぎて滅亡するおはなしとのこと。ある意味こっちのほうがリアルでは?なんて話をしながら、イーガン先生は知性への信頼が強いな~という話で盛り上がった。

ロイやゼンの種族は危機があると知性が覚醒する脳デザインということだけど、人間も同じなのでは?我々の社会のメタファーにも読めるのでは?という話も。

たしかに現実でも、戦争が繰り返される時代では優秀な人間が多く輩出されたり、戦争で使用される兵器から様々な科学技術が発展したりと、我々の社会も危機を乗り越えるために技術を進歩させたという経緯がある。

実際世界的な危機に瀕したら人類はどうするんですかね。私としてはとりあえずみんな平等に死のうみたいな世界も優しくて好ましくあるんですけど…。

 

あとは、ほぼ全員が解説に書かれている四つの勘違いに引っかかっていて面白かった。

というか、イーガンが意図的に勘違いさせてるよねっていう。そして中性子星ブラックホールの違いなんかわかんねーよっていう。よく読むと確かにわかるように書いてあるんだけど、別の読書会では専門の人もわかってなかったよという話を聞く。

この辺は色々話が出たけど、実際イーガン先生のミステリ的手法がちょっとへ…た…(小声)

実際、宇宙工学に精通してて、読解力の高いひとじゃないと、ほぼほぼ引っかかると思いました。

私は途中で解説を読んでしまったので(ネタバレ全く気にしないマンなので)、内容から理解したわけじゃないんだけど、そうしないとおはなしが成立しないよな~~と思った。

んだけど、勘違いするとどんなおはなしになるの?て聞いたら、ラケシュたちの話がロイたちの話の以前と考えたとのこと。そうなると、完全におはなしの筋が通らないわけでもなくなるので、うーんイーガン先生ちょっと失敗してるよ~という気になりました。

ロイ達の未来が孤高世界っていうのが、もっと明確に書いてあれば勘違いもなくなっただろうに…。これなんで濁してるんだろう。壮大なロマンだと思うんだけど…濁す意味ないと思うんだけど…。

私は解説読んでから読了したので確信していたんだけど、やっぱりそうだよね?と声が上がったので、勘違いにハマったまま読むと、この辺も流れてしまいそうでもったいないな~という気がしました。

もちろん、二度読むと、色々なところでわかるようになっている仕掛けがあるけど、いやーなかなか二度読むのはきついよね。

ちなみに日本での最新刊「ビット・プレイヤー」では、孤高世界と初めてコンタクトをとったリーラとジャシムの夫婦SFが読めるのですが、「白熱光」でハフが言った通り、近付く者は子どもにするように、ちゃんとハブから追い返していてちょっとにっこりしました。

孤高世界、やはり魅力的過ぎる…アイディアとしては最高以外の何物でもない…

 

ゼイについても話題に上ることが多かった。

最終的に個人の幸せの話に帰結するところが面白かったという意見や、ゼイに自分を重ねて感じ入ってしまうという意見が上がった。

ただ一人知性を発現させてしまったがゆえに、孤独に生きていたゼイにとって、ラケシュの存在は救世主のように見えたかもしれない。

「許していただきたいのですが、あなたの体のいろいろな違いが気になってしまうのです」ラケシュを警戒しながらも、どうしてもそう口に出さずにおれなかったゼイを思うと私もせつなくなってしまう。

「あなたがそうしようと思えば、わたしたちを眠りからさますことができるはずです」

読み返すとこのセリフも痛いほどせつないですね。

でも、高度な知性というのが幸せなものなのか、私にはよくわからない。

ロイパートの中でも、協同作業の快感だけを目的に生きるような世界を良しとするかどうか?が問われている。

でもそれって幸せじゃないのかなあ、と私は思ってしまうのである。みんな平等に死ぬ優しい世界と先に書いた通り、私は作中で夢中歩行状態、協同作業を繰り返す安楽な世界はめっちゃ幸せじゃないのかな~と思ったりする。

なんていうか、私はいつだって、ほんとうはみんなと一緒にサイリウム振りたいのにって思ってる人間なんだよね。でもいつも私のサイリウムだけ用意されてないの。辺鄙なところに席だけはあるのね。ステージにも立てないので、いつだって私は、そこにぽつんと座ってるんだわ。

話がそれました。

読書会でも、あれは幸せそうに見えるという意見はやっぱりあった。

ロイたちが物理法則を発見したときの快感は理解できるけれども、結局のところ、ロイのもとに集まった仲間たちの大半は失明したり、死んだりする。自分の子どもに執着を向けるようになり、今までなんとも思わなかった生殖行為に躊躇が生じる。

ロイは知性を発現させたことで、不幸になったともいえるんじゃなかろうか。

イーガン先生は、こういう疑問に対して、いつも答えを出さないので好きだ。逃げるわけではなく、中立であり続けるために、多様性を提示し続け、問い続ける。イーガン作品全体を通して、最も面白いポイントの一つだと思う。

 

そういえば孤高世界がなぜ直接箱舟を救えないのか?という点も謎として話に上がった。

私は先の幸せ問題を上げて、孤高世界でさえも、知性を発現させるのが正しいかどうかわからないからと挙げた。

他には、孤高世界は何らかの制約があって動けないのでは?とか、進化の果てにもはや考え方などが変わってしまい、ラケシュたちのほうがゼイたちに近い存在になってしまったからなどが挙がった。

実際、DNA生まれのラケシュとそうでないパランザムにはかなり考え方の違いがあることを考えると(この辺もイーガン先生の面白ポイントなんだよね)孤高世界がもはや種族として何か超越した存在になってしまい、価値観やら何やら変わってしまったというのは説得力がある。

この辺は書いていないことが多すぎてわからないが、色々な解釈を膨らませると面白い部分だと思う。

ラケシュは孤高世界について、また夢中歩行状態に戻っていると考えているけど、それもどうなのか怪しい。

本当に数世代で知性が落ち着くなら、孤高世界というものが作られることもなかったのでは?と思ってしまう。それとも孤高世界ができるまで延々と危機が途絶えなかったのだろうか…。しかしそれ、めちゃめちゃ、しんどいね。

今のところ孤高世界をちゃんと描いた作品はないみたいなので、イーガン先生の新作を待ちたいと思います。

 

だいぶ長くなってしまった。

他にも色々と話していたのだけれど、独断と偏見でまとめた結果、こんな感じになりました。ご参加いただいた方々、ありがとうございました。なんか間違ってたら教えてください。

読書会があったので読み切れてよかった、面白かった、イーガンが好きになったという感想を聞けて、主催としてはとても嬉しかったです。

次回もやりたいという声も上がり、次は4月に順列都市の読書会をする予定になった。

順列都市は、人間が生物としての人間を捨て、電脳世界に飛び込んでいくおはなし。イーガンの世界観のベースとも言えるおはなしなので、みんなで話し合えるのがめちゃ楽しみ。私は既読なんだけども、かなり忘れているので再読するのも楽しみ。

今度はくそ疫病がなんとかなって、顔を見ながらおしゃべりできたらいいなあ。できれば二次会もやりたいし酒が飲みたいねえ。

阿部和重作品の魅力について考えてみたが、よく分からなかった話(ネタバレなし)

あまり聖地巡礼というものに興味がない。

漫画や映画といった絵や映像のメディアを見ていてさえ、ここのゴハン美味しそう、この場所綺麗そうとか、実はそんなになかった。というか、いろんな人と交流していてやっと、そういう楽しみもあるのかあ、なんて思う程度だった。

私にとって、フィクションは現実ではないものだ。たとえロケーションが同じでも、世界が違うので、聖地と言われても、だから何?となってしまう。

そんな私が、唯一、楽しんだ聖地巡礼が、神町への探訪だった。

山形県東根市神町

空港の間近にあり、ラブホテルが乱立し、果樹園に塗れて、変なお山がある。ひと気の少ない、駅でさえ無人の田舎町。

そんな町の中を、夏の暑い日、三十路を迎えたばかりの女がたったひとり、レンタサイクルで駆け抜ける。バカでかい空港の敷地に、辺鄙なラブホテルに、何の変哲もない道路に、小さな交番に、小学校近くの本屋(跡地)に、たぶん立ち入り禁止の山の中(虫しかいなかったのですぐ出ました。許してください)に、血走った眼でスマホのカメラを向ける。

完全にイッちゃったひとであった。

いいのである。私は確かにその日、阿部和重神町サーガの世界の中にイッちゃっていたのだから。主にシンセミアのおはなしの渦中に。

神町サーガとは、シンセミアピストルズ、オーガ(ニ)ズムの三部作で構成されるシリーズのことだ。おはなしの流れを汲むと、グランド・フィナーレやミステリアス・セッティング、ニッポニア・ニッポンなどもシリーズに関わっているといえる。

サーガというからには神話である。神話とは、ぶっ飛んだ架空のおはなしで、そして現実で真実であるからそう言われる。異論は受け付けない。(嘘。ちゃんと神話を研究してる人、ごめんなさい)

私にとって、神町サーガは現実にとても近い。

さすがに現実だと断ずるほど気が狂ってはいないが、パラレルワールドで実際に起きた出来事ですと言われたら頷いてしまう。私は、ピカチュウの尻尾が黒かった世界線を未だに信じているひとなので(ぜったい黒かったよね?)

ここまで書くと、神町サーガというのは如何に現実的なおはなしなのか、と思われるひともいるだろう。

そんなことない。めっちゃくちゃである。

シンセミアはまだ現実感がある。パン屋とヤクザとロリコンの不良警官と盗撮好きのレンタルビデオ屋とその他大勢が、抗争と洪水と赤い巨石で大騒ぎして、人も町も文字通り滅茶苦茶になるおはなしである。

ピストルズになると少し様相が変わる。菖蒲家という、代々続く呪われた家系の末娘が、人心を操る秘術(アヤメ・メソッド)を習得するための修行の末、超能力に覚醒するおはなしである。

オーガ(ニ)ズムに至っては、東京が壊滅したせいで首都が神町に移った後の世界で、主人公は、まさかの作者阿部和重だ。三歳の子どもを抱えた阿部は、瀕死のCIAケースオフィサーと出会い、菖蒲家の陰謀から世界を守るため、立ち上がることになる…!

断っておくが私は正気である。神町を探訪していた私はイッちゃっていたかもしれないが、今は真顔でこの三作のあらすじを書いている。間違ったことは何一つ書いていない。

伝わらないのは仕方ない。私自身、書いていて、え、ナニコレ?どうする?という感じである。

私が言えるのはただ、このとんでもなく荒唐無稽なおはなしを、現実の出来事と見紛うほどに描く阿部和重の筆力はものすげえということだけである。

ここまでで阿部和重ちょっと興味ある~とか思った人は今すぐこんなブログなんか閉じて本屋に走ってほしい。電子書籍でもいい。とりあえずシンセミアを読もう。文庫上下巻で900ページくらいあるけど、たぶんすぐ読めるので。

ちなみに阿部和重神町サーガを書き終えて間もなく、新刊を出したので、そちらでもいいです。しかし、途轍もない筆の速さだ。

ブラック・チェンバー・ミュージック。ドチャクソ面白いラブストーリーだった。

そして、この作品も、神町サーガに負けず劣らず現実だったので、私は今度は柏崎マリーナと浅草花やしきに行かなければならなくなった。

ちなみに、まさかの故郷新潟の登場に胸を躍らせたものの、数えるほどしか行ったことがない柏崎だったのでちょっとしょんぼりした。

大丈夫です。ぼくもベンチに座って密航船を待ちます。できれば、冬の夜に。コメダ珈琲シロノワールを食べてから。たぶんまた、ひとりで。

映えもエモみもないけれど、愛だけあります。

 

しかし、阿部和重作品はどうしてそんなに現実なのだろうか?

実際問題、ぜんぜん考察しきれておらず、納得できる答えはまだ持ち合わせていない。ぶっちゃけた話、文章と構成がバカ上手いからとしか言いようがない。

ただ、私のこの感覚、私だけではない様子。Twitterで流れてきたブラック・チェンバー・ミュージックのPOPに、「こんな突飛で危険な物語をここまでリアルに書ける作家はこの人しかいない」と書いてあったのだ。

やはりリアルさというのは、阿部和重作品を語る上では、避けて通れない大きな特徴なのだと思う。

が、そもそも、リアルさというのは、なんなのだろうか?小説において価値があるのものなのだろうか?

阿部和重の作品は情報量があまりに多く、緻密だ。読み慣れていないと、どれが重要な情報で、どれが意味のない情報なのか、と情報量に溺れてしまう人もいるだろうと思う。

そしてその情報は、ほとんどが実在の地名やモノの名前などの羅列であり、年月日時間まで詳細に指定することも多い。

その情報量が好きかと言えば好きだ。知っていればなんとなく嬉しいし、知らなければつい調べてしまう。基本的に、知識を得るのは好きだ。

考察している人の中には、一見無意味に見える情報の羅列の意味を発掘している人もいて、そういう裏設定みたいなものも含めて面白い。

けれども、だから阿部和重作品はリアルなのか?と聞かれると、首をかしげてしまう。そういう描写が多いから価値があるのか?と聞かれるとなおのこと悩んでしまう。

そもそも、神町をはじめ、基本的に行ったことのない場所の話を延々とされるので、ふつうに読み飛ばすし、ありありとその場が想像できるなんてこともない。シンセミアを初めて読んだ時、山形県には行ったこともなかったし。

ただ、私は阿部和重のそのくどいほどの詳細過ぎる描写を見るにつけ、そんなものが、そんなところがあるんだ、ああ行ってみたいな、真似してみたいな、と思うのだ。

聖地巡礼などほとんど考えたこともない私がである。観光地でもないのに。

いつのまにか、おはなしの中のできごとなのに、現実の世界と重ねて見ている。

さて、年月日時間の指定から想像できる人もいると思うが、阿部和重作品では、いわゆる時事ネタも取り扱い、しばしば現実の情報が提示される。

たとえば、ブラック・チェンバー・ミュージックでは、米朝首脳会談を控えたある日、ドナルド・トランプの隠し子を名乗る人物が北朝鮮に訪れることから物語が始まる。

割と時事ネタも好きだ。

では、現実の場面が描写されていることが、それがリアルなのか?

案外そうかもしれない。けれども、そのリアルは、イコール価値があると簡単に結べるものではない。現実であった出来事の大概は、どうでもいいか、あんまり面白くないことだからである。

トランプの隠し子問題とか痛切に考えているひとって、少なくとも一般の日本人ではそうそういないだろう。

それに、ノンフィクション作品とか、ぜんぜん私は好きでない。

ただ、阿部和重が扱うと、わくわくする。どう物語に絡んでくるんだろうか予想して、外れて、面食らう。

どんなホラが噴出してくるんだろう?と思っていると、もう物語に飲まれていて、それがホラでなく現実として浮き上がってくる。もちろん、今自分がいる世界とは別の現実だけれども。

混迷してきた。

ここまで考えてきて、やはり阿部和重作品は、リアルだから面白い、価値がある、という話をするのは難しい。難しいというより、それは違うのでは、としか言えない。

書いていてわかったのは、私の中で阿部和重作品は、現実が物語になっている感じではなく、物語が現実に投げ込まれているような感じなのだということ。

そしてその物語がはちゃめちゃに魅力的で面白いということ。

なんにもわかっていない。

 

あまりにもなにもわからないので反省したが、こういう混迷したブログ記事というのも悪くないのでは?と思い、公開することにする。

少なくとも、阿部和重作品の不思議な魅力を伝えるのには、ほんの少し貢献したと思う。

この記事を読んでくださった方、もしよければ阿部和重作品を一冊、いや、一冊と言わず五冊くらい読んでいただき、その世界やリアルさについて何か考察をしていただけたら、教えてください。

大雪でどこにも行けないので今年の抱負とか

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

そして誕生日おめでとうございます私(元旦が誕生日でした)

32歳です、まじか。

若い頃は30を超えたら死ぬと思っていたけれども、案外死ぬことはなく、かといって元気とも言えず生きているみたいで、なんか不思議なもんだね。

今日の関東地方は大雪で、家の周りも雪塗れで買い出しを諦め、家でぬくもることにしました。ちょうど休みで良かった。仕事だったら大変だった。

昔大雪に見舞われたときは日勤で、死ぬ思いをして職場に行ったのを思い出します。なんでそんな思いして仕事しなきゃいけないの?患者が死ぬからです。

いい加減、自分の真面目さに嫌気が差してきているんだけど、仕事は嫌いじゃないらしいんですよ、この人。今は福祉関連で仕事をしてますけど、障害のある方の世話を焼くのも、どうも楽しいみたいです。

そういえば、ちょっと高い旅館に泊まったり、ちょっと高い服を着て歩いてみたり、そんなのも嫌いじゃないみたいで、まあ少しばかりお金を稼ぐのも悪くないようです。

業種的に、搾取され続けることもわかっているし、なんか残るかっていったら別に残らないし、寿命も確実に縮むんだけれども(気になった人は看護師の平均寿命で検索検索ゥ)、まあ、かといってほかにやれる仕事もないしね。

FIREとかが流行の今、どうあってもその風潮に乗れないし、乗る気もないということが、ひしひしと分かったので、今年はそれなりに仕事も頑張りたいと思う所存。

そうそう、最近読んでる呪術廻戦でもナナミンが言ってました。

同じクソならより適性のある方を!(ちょっと違う?)

つまんない人生だけれども、楽しく生きていくのが今年の目標。

ま、今のところは環境悪いから、一段落着いたら辞めるけどさ。

 

そういえば、つい先日、イーガンの白熱光を読み終えて、鳥肌が立つほどの面白さに震えていたところで、ここ数日はラファティ傑作選を読んでいます。

読書量をとりあえず増やす、というのも今年の目標です。

最近楽しくてSFばっかり読んでいるけど、本来は純文系が得意分野だったはずなんで、少し回帰していきたいな。とにかく寝転んでようつべ見ている時間を減らしていきたい…。

具体的には、芥川賞受賞作品くらいはちゃちゃっと読んでおきたいのと、読む読む言ってたのに読めてなかった阿部和重の「ブラック・チェンバー・ミュージック」を読まなきゃ。この人筆が速いので、早く読まないと新作が出てしまう。

阿部和重神町サーガがとっても好きで、ちょっと前に神町を練り歩いてTwitterでマニアックなツイートを繰り返していたら、なんとご本人からリプライを頂いてしまった嬉しい思い出。

神町サーガも何が面白いのかそのうちブログで触れてみたいです。ずっとなんとなく考えているのは、設定や展開はめちゃくちゃぶっ飛んでてもはやファンタジー?って感じなのに、それを筆力だけで現実に落とし込んでくるあたりが死ぬほど面白いってところですかね。

薬物を司るスーパー姉妹の陰謀で神町に首都が遷都して、そこにオバマがやってくるとか、これ何も間違ったこと言ってないんですけど、初見だとは???としか思わないでしょ。これが現実と地続きに思えてしまうのが、阿部和重マジックなのですよ。

阿部和重は自分の名前がトキだからって朱鷺に妄想を持って殺しに行く「ニッポニアニッポン」とかも面白いので、おすすめです。

脱線しました。

今年必ず読みたい本は他にもあります。

ででん、イーガンの直交三部作を読み切って何かしら感想をブログに書く!

前回の記事でも書きましたが、身内でイーガン読書会を開催したので、可能であればそちらも活用しながら読んでいこうと思います。

メンバーが挫折しても、とりあえず私だけは最後まで読むぞ。

初回は白熱光なので、こちらも終わったら報告も兼ねてブログに何かしら残そうと思います。

他にも、昔読んで記憶の薄れた宇宙消失や順列都市など、読み返して、短編集はサクッと読める(はず)なのでたくさん読みたいな…。

イーガン読書強化年に出来たらいいと思っています。どこまでいけるんだろうか…。

そのうえで、物理も数学もよくわかんない人がイーガンを楽しむための秘訣みたいなのも書いていけたらいいかな。というかまあ、私が何でイーガン好きなのかを考える年にしたいという話です。

 

えーと…あと、小説も…頓挫してるので進めたいです…。

秋口の体調悪さから書けなくなっちゃった…。

たぶん誰も楽しみにしてないのは知ってるけど、自分のために書いてるやつなんで、とりあえずがんばります!

書ききったら久々に文フリに出たいので、来年秋までには完成目標。

 

そんなこんなで、今年は2週に1本ブログ記事をなんでもいいから(適当な日記でもいいから)挙げるというのも目標に挙げたいと思います。

自分の考えてることは割と面白い気がするので、自分で楽しむだけじゃなくて、他の人にも楽しんでもらえるように筆力を上げていけたらいいなあ。

たまには人生や仕事の愚痴も混じるかもしれませんが、もしよろしければ今年も私の独り言にお付き合いください。よろしくお願いします。

今年の総括と推し本について語る(日記)

今年ももう終わり。

ちらほら仕事納めとかいう人も出てきますが、相変わらず私は看護師をやっているので、31日に仕事を納め、1月2日から仕事始めです(元旦だけ休みだった)

基本的に夜勤ばっかりしている生活で、さすがにクリニック時代より読書量が減りました。でもなぜか体もメンタルも比較的元気で、時々落ち込んだ時は東方やったりブログ書いたりできたので、まあ生活としては安定してきてよかった。

安定してきたので、来年はもっと読書したり、映画見たり、美術館行ったりと、生活の文化度を上げていきたいと思います。

そういえば、地味に感染対策をしながら山登りも始めたので、来年はもっと登山回数を増やして、簡単な縦走や山小屋泊なんかにも挑戦してみたい。運動大事、マジで。

このブログも、月一更新だけは死守したので、来年はもう少し更新頻度を上げられたらいいなあ。

というわけで、今日は、だらだらと今年の推し本を小説、漫画について語ります。布教も兼ねているので、ネタバレはなしです。

 

◎「ディアスポラ」 グレッグ・イーガン著 山岸真

今年と言いつつ、まさかの1997年の本を持ってくるという。

いや、今年に関係はもちろんあるんですよ。最近大流行の三体シリーズです。

今年三体3の翻訳が出版された際、なんとなくちょうどディアスポラを読んでいたんだよね。なんか共通点多くない?と思ったら、訳者あとがきでも引き合いに出されていた。

具体的には書かれていなかったけれども、個人的には多次元空間への進出や人類の進歩をとんでもないスケール感で鑑賞できるあたりの読み心地が似ていると思う。この辺はSFならではの快感に溢れてるよね。

しかしなぜ三体3ではなく、ディアスポラを選んだのか。

簡単です。私がイーガン大好きなのと、ぶっちゃけ三体よりこっちのが面白かったからです。

ちなみに断っておくけど、三体シリーズ大好きだし、1も2も3もそれぞれ違った面白さがあって、かなりサイコーな小説です。というか、このブログ自体、葉文潔について語りたくて作ったし、かなり思い入れがあります。

ただ、イーガンのほうが、自分にフィットしてるし、好きなんだな~というだけのこと。

イーガンは面白い作家だ。検索すると、大方の人が、物理学や数学、脳科学などの専門的な内容が多過ぎてほとんど理解できない、でも面白いのだ、と言っている。意味が分からない。

当然私も9割5分理解不能である。ハードSFにもほどがあるのである。これはシルトの梯子という作品の話だが、物理学の現役教授が解説を書いていたのだが、シュレディンガーの猫の記号が可愛かったことしかわからなかった。

ディアスポラも例外ではなく、初見では何にもわからなかったので、感想や解説を読んでようやく5分くらいの理解を得た。

それじゃあ何が面白いのか。

それはたぶん、世界観なんだと思う。どこかで停止しない遠く、広がりを持つ世界。人類という存在の、愛に満ちた可能性。

イーガンの未来の中で、人類はデータ化され、何万年も生きる。

彼らはその中で自身の生き方に苦悩し、世界の謎や問題を探る。時には危機に直面し、研究し、冒険し、活路を得る。時には自身のどうしようもない人生を突きつけられ、悩みながらも決意する。

そしてイーガンは、その世界と物語の中で、読者に対して、折々に問いかけてくる。たとえば、生体コンピュータで生まれた生命らしきものは生きていると言えるのか?非合理的/非科学的な選択肢を選ぶことはただ愚かなことなのか?

と書くと分かる通り、内容の難しさはともかくとして、おはなしやテーマや問いかけられるものは、比較的単純で王道なものだ。

だから理解はできなくても、何かがわかる。描かれていることを理解したいと思い、努力した末、何か発見を得る。

イーガンの面白さは、特殊な面白さだし、万人に勧められるものではないが、ハマる人はハマるし、人生が変わる人さえいるかもしれないと思う。

ディアスポラは、先述した面白さがマックスに詰まった宝箱のような本です。人類とこの世界、宇宙について、一つの答えに迫っている。それを人間とは違う、ヤチマというAI(厳密には違うのかもしれないけど)と一緒に見にいくことができる。人類の愚かさも、素晴らしさも、ヤチマと一緒に、終焉まで。

ネタバレなしでは何も語れないので、とりあえずみんな理解できないことを前提に挑戦してほしい。頭おかしくなると思ったら止めてもいい、でも、半年くらい経ったらまた本を開いてみてほしい。

私もそうやって読んでる。でもなぜかおはなしを覚えている。なぜか印象的なシーンが思い出せる。

今年三体3とも読み比べて、三体もサイコーに面白いけど、やっぱりイーガンが好きだなあと思ったので、今年の推し本(小説部門)に選びました。

最近、イーガン読書会を主催しました。大好きなイーガンがもっと面白がれるよう、初心者向けの物理の本とか読んで頑張っています。たのしいです。

 

◎「Thisコミュニケーション」 六内円栄著

はい、12月の考察記事のやつです。クリスマスに頑張って書きました。

12月に入るまでは、今年推しの漫画は?と聞かれたら、チェンソーマンか鬼滅の刃を挙げていたはずだ。ミーハーと馬鹿にされようと、二作品ともものすごく面白かった。

しかし、友人に勧められて、ちょうど1巻無料だし1巻だけ読んだろ、と手を出したのが沼の始まりだった…。

もはや、沼の奥から出てこられず、手帳に考察を書きまくり、よりによってクリスマスイブにがちゃがちゃキーボードをたたく羽目になった。今ははやく続刊が読みたい以上の感情がない。

何がそんなに私をかきたてたのか。

それはたぶん、主人公デルウハだと思うんだよなあ。

ほぼ異生物によって世界滅亡してるディストピア世界観もテンション上がるし、不死身のバケモノになった少女たちがサイコーだし、ホラー映画の構図をうまく利用したちょっと笑っちゃう演出も素敵なんだけど…。

でも私はデルウハがめっちゃ好きですね。うん、ほんとう、飛び上がるくらい魅力的な男なんだよ。

デルウハというのは、徹底的に合理的な男で、目的のためならなんでもする。殺人も厭わないし、息を吐くように嘘を吐く。

具体的には、デルウハは不死身の少女たちが死ぬと1時間記憶を失うことを利用し、うまいこと彼女たちの信頼を勝ち取り、兵隊として育成していく。

そして彼の深淵なる目的とは何か。それは、毎日3食ごはんが食べたい!である。

最高じゃない?ごはん食べたいだけで世界を救っちゃうかもしれないんだよ?しかもパンとサラミでいいんだこいつは。まあ、人類追い詰められてるし、贅沢は言えないんだろうけど。

前にブログでも触れたけれども、デルウハは、最低最悪でありつつも、それ以上に、「もしずば抜けた頭脳と身体能力を得たら、一度はこんな風に生きてみたい」と思わせる格好良さがあるんですよ。

さて、私は、こいつに似た男を知っている。

そいつは名をランス君と言う。10年以上続く美少女ゲーム(注R18です。いわゆるエロゲーです)のシリーズの主人公を務めていた。

かつて、ランスシリーズは私の生きる希望だった。シリーズは2018年に見事完結し、この上ない大団円を迎えた。とっても最高だった。感動しすぎて呆然とした。

この辺の話もどこかで書けたらいいなと思うんだけど、今回はThisコミュニケーションと関連させた話に留めます。アダルト枠だし。

このランス君と言う男は、女の子と仲良し(隠語)することが目的で、そのためなら何でもする男なんですよ。この街を救ってくれたら仲良ししてあげますよ!って言われたら街を救っちゃうし、可愛いお姫様と仲良ししたいからっていう理由で国とか丸ごと救っちゃう。

ランス君は徹底して自分の目的のために動いていて、基本的に最低最悪なんだけれども(作中でもやっぱり嫌われたり殺されそうになったりする)、プレイヤーやあるキャラクターから見れば非常に魅力的で、そうやっておはなしや世界を動かすというのがランスシリーズのとても面白いところなんですね。

ね、デルウハと似てるでしょう。

徹底していてブレないことは、とんでもなく大きな魅力だ。現実ではなかなかそんなことはできないが、こうやって生きられたら超カッコイイ!そんな人生を、ランスシリーズやThisコミュニケーションは経験できるのです。

そして、その徹底ぶりが何かの折にちょっと崩れる(あくまでちょっと/改心するのは面白くないので)というカタルシスも、こういう作品ではめっちゃくちゃエモくて面白いシーンになると思うんだよね。

ランスシリーズは、それが正ヒロインシィルの存在で、シィルにまつわることになるとブレちゃったりするのが最高にエモかったわけなんだけど、デルウハはどうだろうか。

まだ今のところ、ブレるデルウハというのは見えていない。ブレそうなシーンはあったけど、やっぱりブレないデルウハ格好いいぜ、というところに行き着いている。

なんたって、まだ5巻しか出ていない。というか、5巻しか出てないのにこんなに面白いのは凄い。ずるい。

でも5巻の中で、どうやら正ヒロインはよみちゃんだということがわかってきた。

今後、デルウハはよみちゃんのためにブレるのか?それとも、全く関係ないところでブレるのか?ブレそうになって踏みとどまるのか?

個人的にはブレるのが王道的展開だし、デルウハとよみちゃんの関係が好きなのでそうなってほしい気持ちはあるけれども、どんな展開になっても、デルウハという男の魅力を引き立てるはずなので、どう転んでも最高になってしまうだろう。

読めば読むほど、考えれば考えるほど、続きが気になる素晴らしい作品である。

当面はこの作品読むために生きてもいいかな?と本気で思えたので、出会って間もないですが、今年の推し本(漫画部門)です。

ちなみに、よみちゃんについては、先日頑張って書いた考察記事に詳しく書いてあるので、気になった方はぜひ5巻まで読んだうえで参照してほしい。

 

こうやって書くと、世の中には面白いものが満ち満ちていて、ちゃんと読まなきゃいけないなあと思う次第。

身体もメンタルも弱ってる場合じゃなさそうなので、来年はもっともっと面白いものに触れて、面白がる体力と知性も維持していきたいと思います。

とりあえず明日も夜勤ですが、明けたら故郷の雪国で旨いもんが食えるみたいです。

良いお年を!

よみの瞳が濁る理由と彼女の未来(Thisコミュニケーションネタバレ考察)

当記事には漫画「Thisコミュニケーション」最新刊までのネタバレが含まれています。未読の方はご注意ください。

 

突然ハマってしまいました、Thisコミュニケーション。へんてこなタイトルで敬遠していたんですが、友人が推していたのとコミックス1巻無料で読んだら沼に落ちました。

合理的で、だからこそ最低最悪な主人公デルウハと、振り回されるバケモノ系不死身少女たちがサイコーでなりません。

とくにデルウハは、最低最悪でありつつも、それ以上に「もしもずば抜けた頭脳と身体能力を得たら、一度はこんな風に生きてみたい」と思わせるような性格に仕上がっているので、本気で嫌悪感を抱いて読めなくなることがない。

いや、本気でダメな人もいるんでしょうけど、そういう人があまりに多かったらこんなに売れてないわけなので、やっぱり多くの人がデルウハ的合理的最悪人生に憧れ、ないし、尊敬を抱く部分があるんだと思います。

謎の生物イペリットによってほぼ世界崩壊しているというのもたまらんです。しかもこの生物、無駄に進化するし。別に人類に対抗してというわけでもなく(今のところ)、ただなんとなく進化してるがために人類側が大変なことになっているというのも素敵です。

少女たちが死ぬと1時間記憶を失うため、疑似デスループものとしての楽しさとハラハラ感もいい。それまで散々な諍いや殺し合いをしようとも、その後記憶をなくし、のんきな日常を送っているとゾクゾクしますよね。

彼女たちは女狩人(ハントレス)、そしてデルウハの兵士であるため、イペリットに勝つために必要でない成長は永遠にすることがなく、ただひたすら戦争と変化のない日常を繰り返すことになります。能力的な欠点や感情的な脆弱さも、そのまま、つまりデルウハが利用しやすいまま。

彼女たちに許されるのは、デルウハを信用し、デルウハの言うことを聞くこと、それ以上の自我を持つようになった場合、速やかに死んで巻き戻ること。

我々読者は彼女たちが実は成長したことがあると知っているけれども、ページを捲るとそこにはそれを奪われて笑っているその子がいるわけです。実に心の暗い部分にチクチク罪悪感と優越感を刺してきて最悪で最高です。

まあ、しかし、ぼくたちはゲームをするとき、よくこういうことをやっているよね。ファイヤーエムブレムで誤ってキャラが死んだときは、リセットボタンを押すし、ときメモでデートしたときはばっちり好印象な選択肢を選ぶためにセーブ&ロードを繰り返すよね。

かつて、主に美少女ゲームにおいて、少女たちを消費する罪悪感を、世界ループやメタ視点を持つキャラクターなど、様々な手法によって解決してきたけれども、この辺の流れを汲みつつ、また違ったアプローチでドラマ展開する「Thisコミュニケーション」にはもう目が離せないです。

 

前置きが長くなったけれども、今日の本題はよみちゃんについて。

このブログを書いている時点での最新刊は5巻だが、ラストがとにかくエモいと話題になっている。

私も読んでいて衝撃を受けた。ついつい、ヒィーたまらん、と声に出してしまったほどだ。いや、ほんとうに声が出た。

他のハントレスを優に凌ぐ能力に覚醒し、デルウハが今まで行ってきた記憶操作を理解したよみに対して、「こんな俺でも選んでくれるか?」と自信たっぷりに投げかけるデルウハ。

よみは結局、残ったハントレスたちを皆殺しにし、「変になりそうっ…でもっ…」「デルウハ」と呼びかける。しかし、デルウハはよみに二の句を告げさせない。

「俺は必ず 不信も不仲もない世界で もう一度 お前にその力を 手に入れさせてみせる」

「お前だってそれが一番いいと思うから …俺を選んでくれたんだろ?」

殺し文句である。しかも実際殺す。

よみの心の弱さにつけこみ、計画的に自分を慕わせていたデルウハは、ついに、自身の悪辣さに気付かれてもなお味方してくれる最強の部下を手に入れたのだ!

よみが確実に自分の味方になる、また、よみはイペリットや他のハントレスを凌ぐ最強のバケモノになる、これは、今後デルウハにとって非常に大きなアドバンテージとなるだろう。

ついでに引用したこの殺し文句、これはデルウハの本心であり、目指すものでもある。だってそうできたら、自分が生き残るのに最も適切な状況なのだから。よみも当然それを理解して、今後デルウハと最悪ながら最強のエモい関係を結んでいくだろう……。

と、思うじゃん。

しかしこの部分、よく見てほしい。

よみはデルウハから顔を背け、黙っている。瞳は虚ろで、どこか遠くを見ている。

最終ページの(最高にうつくしい)見開きで、やっとよみはデルウハの問いに答えるが、「…そうかもね」と歯切れが悪く、瞳は黒々と濁っている。

このシーンは、力を得たのに殺されてしまうよみの絶望を現しているのだろうか?

デルウハに依存し、仲間に手をかけた自身の心の弱さを悔いているのだろうか?

それとも単に作者が映画などで得たエモいシーンを書きたかっただけ?

私にはそうは思えない。

3巻でよみが心の弱さを突かれ、デルウハから「全部忘れさせてやる」と殺し文句を囁かれた際、よみは自らデルウハに縋りついた。今はまだ、優しい世界(背景に映るシーンから、デルウハとハントレスたちと楽しく過ごす世界と推察できる)にいたい、と。

絶望と後悔に満ちたその顔は、それ以外に選択肢がないことを語る。

今回はどうだ。よみは、仲間を虐殺したにも関わらず、「でもっ…」と口にするし、デルウハから顔を背けている。そして、極めつけに、「…そうかもね」

そうかも、ということは、つまり、そうでないかも、ということだ。

「不信も不仲もない世界でもう一度力を手に入れることが、一番いいと思う」かもしれないし、そうでないかもしれないということだ。

だからこそ、私の思う答えはこれである。

少なくとも"この"よみは、すでに優しい世界(≒不信も不仲もない世界)を諦めている

 

そもそも、よみの望みとは何だろう?

自分が誰かに必要とされること、そして、ハントレスの中で最も強く、それを認められることである。

前者は物語の中で明確に示されているし、後者は、要所要所で自分が一番強いことにこだわり、主張し続けることから推察できる。

対して、デルウハの望みとは何か。

毎日パンとサラミが食える立場を守ること、この一点につきる。

デルウハは、バケモノじみた強さを持つハントレスたちの中で、だからこそよみを選んだ。にこでもなく、むつでもなく。この二人には、明確に特別な関係になれるタイミングがあったにもかかわらず、デルウハは容赦なく二人を殺す。

よみはハントレスたちの中で最も強く、戦闘における弱点に乏しい。味方にしておかないと、いつかデルウハの能力を持ってすら太刀打ちできない存在になるからだ。

それがデルウハの合理的判断で、そして、デルウハは合理的によみを自らに心酔させる。

思考や方法こそ歪んでいるものの、デルウハがよみを認め、必要とする気持ちに一片の嘘も迷いもない。

それは、よみにとってはどういうことか。

よみは長らく、求めていた強さによって辛酸をなめさせられてきた。強さを主張すればするほどハントレスたちからは反感を買い、周囲の人間たちからは怯えられてきた。

強くなりたい、しかし、強くなっても必要としてくれる人も、認めてくれる人もいない。世界はとうに滅んでおり、いつかどこかの誰かが…という希望を抱くことすら許されない。

ひとりぼっちだった、よみ。

そんなよみの前に、突然、自分に反感も持たなければ怯えもしない、頭脳も身体能力も並外れて優れた男が現れ、言うわけである。「お前がいて良かった」と。

よみは急激にデルウハに心を許していく。それも当然のこと。

そう、よみの望みは、デルウハが現れた時点で、既に叶っている。

こんな地獄みたいな世界で、しかし、デルウハさえいれば、よみは満ち足りた人生を送ることができるのだ。

まあたまに裏切られるけど、死ねば忘れるし、その死をデルウハは躊躇わないし。

 

ただ、よみには、ハントレスたちへの愛着があった。可能であれば仲良くしたいし、自分を必要として欲しいし、そのうえで自分が一番強いことを認めてほしかった。

だからこそ、1巻で誤ってむつを殺してしまった際、よみは手の震えが止まらないほどの動揺を見せる。会ったばかりのデルウハの言葉に頼って仲直りをしたいと望むほど。

しかし、3巻でデルウハを追い詰めたときのよみは、既にその愛着を失いつつある。

デルウハの言う、真相を信じてもらえない、孤立する、といった言葉をよみは否定できない。そうしていう言葉がこれだ。

殺してやる…

にこはイライラを制御できるようになって いつかは物事を正確に見るようになって いちこは自分で考えるようになって みちは人と関わるようになって そんな私たちを…むつが引っぱって

いつか必ず…気づくのよ あんたの本性に気付いて…殺してやる…‼

これは一見、みんなと一緒にデルウハを殺す未来をよみが望んでいるように見える。

しかし、よく読むと、これは、皆の欠点を認め、今のままのみんなとはデルウハを殺せないということも示している。そうして、皆が欠点を補い、強くなった未来でなければ、デルウハを失いたくないということも。

よみはこの時点ですでに、ハントレスたちよりもデルウハの方に気持ちが寄りつつあるのだ。だから、デルウハを疑うことも傷つけたこともない1時間前に戻ることにした。

優しい世界に。

そして5巻、よみはデルウハが崖から落ちたことにより、1巻と同様に激しく狼狽える。そして失言を繰り返し、ハントレスたちと仲違いをする。

イペリットを倒すことでなんとか許してもらおうとしても、新しく再生能力を身に着けさらに強くなったがために、皆に怯えの目で見られるようになってしまう。

味方がすごく強くなって! 敵を倒して! なんで嫌な顔するわけ⁉

これだから弱い奴は―――……あんたらは!

…嫌いなのよ‼

よみの叫びはあまりにもかなしい。

これを転機に、よみのハントレスたちへの愛着や希望は失われていく。

だからデルウハを選んだのだ。たとえ、ハントレスを、自分を殺す殺人鬼であっても。いや、だからこそ。

デルウハがいれば望みは叶う。しかし、デルウハがいることで、他のハントレスは成長することがない。成長して、自分と親しくし、自分を認め、必要としてくれることがない。

よみは気付く。

優しい世界などほんとうは必要ないことに。強くなればなるほど、自分を認め、必要とし、欲しい言葉をくれるのはデルウハ一人なのである。

この世界で、ほんとうに、たった一人。

っ…変になりそうっ… でもっ…

デルウハ

この後に続く言葉は、

「この記憶と力を忘れず、デルウハと一緒にいたい」

だったのではないだろうか。

だって、こんな怪物になって、自分でも怖いくらいの力をさらけ出しても、デルウハは変わらず隣にいるのだ。

しかし、デルウハの望みはたった一つである。三食食べること。

デルウハにはよみが必要だが、それ以上にハントレスという兵隊全体が、淀みなく戦闘することが必要不可欠なのである。

いくら強いからと言って、よみ一人では、兵力として乏しいのだ。

よみはデルウハを選んだが、デルウハはよみだけを選ばない。よみが強く、仲違いもない未来を希求する。それが合理的に最も生存確率が高い未来だからだ。

当然、よみはそれにも気が付いている。だから顔を背け、瞳を濁らせた。

見たくないのだ。そんな、うつくしい未来は、”優しい世界”は、きっと存在しないだろうと知っているから。しかし、そんな夢物語を、それでも、まだ、否定したくないから。デルウハならやってくれるのではないか?と期待してしまうから。

だから”この”よみは、黙ってデルウハに撃たれた。

しかし、今後のよみはどうなるだろう。

実際のところ、私としては、やはり優しい世界がある未来は存在しないのではないかと思う。

よみは誰かを守るために強くなるという性質に薄く、その強さは、仲間への反感から生まれることが多い。

よみが死に戻りで成長を阻害されている限り、その性質は変わりようがないため、この怪物的強さを、不信も不仲もない状態で得るのは難しいのではと思わざるを得ない。

戦いが激化していく中、不信も不仲も、むしろ広がっていくばかりなのではないか。よみはより強くなるが、ハントレスたちへの愛着を急激に失っていくだろう。

いつか、よみが完全にハントレスたちへの愛着を断ち切ってしまったら、今度は前述したセリフを口に出すに違いない。

そして、こう、哀願することになるのではないだろうか。

「殺さないでくれ」と。

 

実は、この論は、一つだけ穴(もしくは希望)がある。

むつの存在である。

むつには死に戻りがない。むつだけは成長する余地があるということだ。

また、むつはデルウハと似た思考を持つことが明示されており、うまくすれば第二のデルウハとなれる可能性がある。

つまり、よみとむつがエモい百合ップルになれば、よみとデルウハの地獄のセカイ系的関係は解消できる可能性があるわけだ。

まあ個人的には、むつとデルウハだったらデルウハのほうが好きだし、むつと付き合ってもよみが幸せになれるかは微妙なので、別にその展開はなくてもいいかなあと思っているけれども。

ともあれ、いろいろな可能性があるのはいいことだと思う。

ぶっちゃけ、こんな未来予想なんて全部外れてもっとエモい光景が見られる可能性もめっちゃ高いと思っている。

Thisコミュニケーションはまだ5巻しか出ていない新進気鋭のスーパー漫画なのだから。

ということで、皆さん続刊を心待ちにして、地道に売り上げを上げていきましょう。ちなみに私は今のところ本誌は読まない派なので、本誌ではどうこうというネタバレはしないでもらえるとうれしいです。