かみむらさんの独り言

面白いことを探して生きる三十路越え不良看護師。主に読書感想や批評を書いています。たまに映画やゲームも扱っています。SFが好き。

異常な行為に慣れるということ(リーガルダンジョンネタバレ感想+自分語り)

当記事はゲーム「リーガルダンジョン」のネタバレを含んでおります。未プレイの方はご注意ください。

 

先月紹介記事を書いたリーガルダンジョンが、ついにPS4とXboxでも発売されるようです。おめでとうございます。ぜひプレイ人口がもっと広がって、製作者のSOMIさんにはさらに面白いゲームを開発してほしいです。

 

というわけで、先月は触れられなかったリーガルダンジョンのネタバレ感想を書いていこうと思う。とは言っても、金槌を一人称にした叙述トリックに気付いたときのアハ体験が最高だったとか、暴行事件の犯人を起訴して表彰された実績が「証拠もなく先入観で犯罪者を捕えた」で超ぐさってきたとか、まあその辺は他のブログでもたくさん語られていると思うので割愛する。

私が今回語りたいのは、このゲームの主人公、あるいは同僚たちが、あまりに普通のひとたちであるという話だ。

先月の記事で、私はこのゲームを「ゲス」警察の「クサレ」お仕事ゲームと呼んだ。普通の人はゲスではないし、腐ってもいないというふうに思われる方もいるかもしれない。しかし、私は普通の人だからこそ、ゲスでクサレになってしまうのだと思うし、それを肌で知っている。

 

今回触れるのは、END13の話だ。

介抱ドロ「釣り」の事実と殺人をもみ消そうとした蒼の行為はすべてバレて緊急逮捕となる。「釣り」に使ったホームレスが殺されてしまったことをもみ消すため、架空の殺人事件を仕立て上げ、前科のある男に擦り付けたこと。また、最高点数の連続殺人にするため、その男には妻も殺してもらうよう暗躍したこと。蒼には殺人幇助、死体遺棄、職務放棄などの様々な罪状が下され、拘留される。

エピローグでは、ホームレスが賄賂の一万円で行方不明の孫の捜索ビラを作ろうとしていたことがわかり、それを知った蒼はさめざめと泣くところで終わっている。

END13はエピローグも含めて罪悪感MAXであり、まじで誰一人として幸せにならないのだが、しかし蒼が逮捕されたことで正義が果たされ、少しだけ気が晴れる。何ともいえぬ後味の不思議なエンディングであり、大体の心あるプレイヤーはここで蒼と共に泣き崩れたはずだ。泣かないやつは人の心か読解力がない。

END13は、私が最も好き、というか、こうあるべきと感じたエンディングである。

このエンディングを見てしまうと、END12で出世する蒼の姿は虚構にしか思えなくなってしまう。賢く立ち回り権力を得る冷たい女、それは単なる理想の姿で、普通の人である蒼に待ち受けているのは、本来END13でしかないはずだ。

ゲーム側の誘導に従うと、END12が最初に、END13が最後に見るような設計になっているのも、この考えを裏付けている。初めは心地よい幻想を見せつつも、そこから真実を掘り下げた結果、現実が見えてくるという設計なのではないか。

私は根っからの善人(自画自賛ではなく、どちらかというと自虐)なので、そうあってほしいだけなのかもしれない。冷徹に計画して出世を測る女は格好いいが、1万円のビラで孫を探そうとしたホームレスを想って泣く姿のほうが、私はずっと美しいと思う。

そう、蒼はホームレスを想って泣けたのだ。

おそらくビラの話を聞くまで、蒼はこの老人は人間と思っていなかったに違いない。無下に扱っても許される何か、どうなっても構わない存在として。だからこそ死体を冷蔵庫に保管し、金槌で殴り更に破壊し、その上燃やした。改めて書くとサイコパスともいえるような凶行である。この行為を、蒼は黙々と冷徹にこなしており、イカレ女とすら呼ばれている。

そのイカレ女が急に泣き出すのだから、よほどの価値観の転換があったはずだ。そしてそれは、渡した一万円を酒にも食糧にも使わず、孫のために大切に保管していたという、あまりに普通の人間の行為だった。

蒼はハタと気が付く。気が付いてしまった。この哀れな老人も、自らと同じ人間であるということに。ずっと見えぬようにしてきた罪悪感が、突如目の前に立ち現われ、彼女の偽の冷徹さを木っ端微塵に破壊してしまった。

一度行われた価値観の転換は、蒼の今までの仕事の内容をも変えてしまっただろう。この哀れな老人に始まり、彼女は様々な人間の人生をもてあそんでしまった。自身の点数のため、出世のために。真面目にやってきたお仕事は、ただのゲスでクサレな異常行為に成り下がってしまったのだ。

だからこそ、初めて、彼女はさめざめと泣く。泣くしかなかったのだ。

境界線が消えていく。あちらとこちらの境界線が

END13にたどり着くと、この言葉が語られる。

ここでいうあちらとこちらとは、物語の流れを汲めば、犯罪者と警察の境界についてのことだろうと推測できる。エリート警察官であった蒼が、呆気なく犯罪者に成り下がり、もはや境界がなくなったことを示している。

ただ、私にはこの言葉が、人間と人間でないものとして語られているように思えてならない。

人間でないから、非道な扱いをしても特に気にならなかった存在が、突如として境界線が消失し、同じ人間として浮かびあがってくる。というEND13のエピローグを表現しているような気がするのだ。

 

一人の人間に対し、しかし彼は同じ人間ではないと思い込むことは、日常であふれている。

あなたは、重度の障害で喋ることも動くこともままならない人を人間だと思っているか?精神を病んで妄想や幻覚から犯罪を犯した人を人間だと思っているか?汚れた服で町を徘徊するホームレスを、人間だと思っているか?

当然だと発言することは簡単にできる。

でも。私はそう簡単に言うやつは信じない。

ここからはしゃらくせえ自分語りも含むので、あらかじめ言っておく。でも、ここからが今回の記事で言いたいことなので、できれば引かずに読んでほしい。

私は冒頭で蒼やその同僚は普通の人間だと述べた。それは私もまた、普通の人間であり、殺人に関わってこそいないが、蒼と同じような価値観の転換を感じた経験があるからである。

数年前、私はある精神科病棟で看護師をしていた。急性期病棟だったので、病状が芳しくない方が多かった。殴られたり、蹴られたり、噛み付かれたり、引っ掻かれたり、暴言を吐かれたり、日常茶飯事であった。当然病院なので、それらはすべて症状として扱い、治療をするために身体拘束を行うことになる。

ニュースで見たことがある人も多いかもしれない。まあ、主に批判的な内容としてのニュースがほとんどだろうけれど。

断っておくが身体拘束はただ単に医療者側が殴られないためにあるのではない。患者の身体を保護し、病状からの犯罪など不利益から保護する。そして脳の鎮静を促し、症状の悪化を防ぐためにある。

とは言っても、ほとんどの方は身体拘束に対して、非道だと感じるかと思う。

私も初めはそうだった。人道に反していると思ったし、できる限り速やかに解除すべき行為だと思っていた。

ただ、日常的に暴力を受け、上手く対処しようと努力しつつ、身体拘束を行っているという状況が続くと、不思議なことにそれが当たり前になっていくのだ。

暴力も、身体拘束も、世間にとっては異常事態だということを忘れてしまう。人間というのはほんとうに不思議な生き物だと思う。どんな異常な行為にも、なんとなく慣れていくのだ。

リーガルダンジョンの話に戻るが、彼らが点数稼ぎのために介抱ドロ「釣り」を始めるのはあまりに醜悪な場面だ。けれども、彼らは点数を稼ぐための異常な行為に慣れ切っているだけの、ただ普通の人間なのである。点数を稼がなければ食い扶持が稼げなくなるし、何より釣るのは、何もせずともどこかで犯罪を犯すはずの人々なのである。

何より、犯罪者を捕まえるというのは立派な、褒められるべき行いなのだ。

蒼の行いは、ただ、異常な行為に慣れていった結果なのだ、と思う。

慣れとは恐ろしい。善悪の境界すら麻痺していく。やっていいこと、悪いことの判断がつかなくなっていく。人間を人間と思えなくなる。

私の職場でも、ニュースでよく見るような、必要のない長期の身体拘束が行われていた、こともあった。というのが私の判断だ。身バレ的にも、患者の個人情報保護のためにも、詳細を語ることはできないし、だからどうしたというのをやることはしない。

もちろん私たちは必死で医療を提供していたと信じている。ただ、異常な行為に慣れていた。慣れていて、わからなくなったこと、感じなくなってしまったことは、たぶん、たくさんあった。

私の価値観の転換は、身体拘束の患者をトイレにお連れして、再度拘束を行う際、「ありがとう」と言われたとき、突然起こった。

なんで私はトイレに行きたいと自ら希望し、医療者に感謝の言葉を掛ける人間を、平気な顔して縛りつけているんだ?と思った。

断っておくが、当然当初は病状が悪く、暴言暴力が著しいために身体拘束を行うしかなかったた方である。精神疾患の病状は一時的に改善したり、悪化したりが著しいため、身体拘束解除の評価はとても難しい。適当に拘束し、漫然と続けているわけでは断じてない。医療批判をする意志は一片もない。

私が言いたいのは、患者をトイレにお連れするのは日常であり、それに対して感謝を述べられることも全く珍しくないのに、今まで全くそれを異常だと感じていなかったことに混乱したということである。

私はその時、患者を人間として見ていなかったことに、ハタと気が付いたのだ。

私は看護師としては比較的有能であるつもりだったし、常に患者の権利を守ろうとしていた。

なんというか、いつだって真面目にお仕事をしていたのだ。それだけだった。それだけだったのに、いつの間にか大切な何かを失っていた。異常な行為に慣れてしまったがために。

その後いろいろあって精神科からは離れたのだが、未だにあの時の衝撃は覚えている。

仕事としては離れても、ニュースで取り上げられる精神科医療批判はいつも辛くなりながら見ている。普通の人が慣れの果てに犯罪を起こしてしまった、そんなことが今もあるのかもしれない。

結局どうすればいいかって、自分で傷ついて学んで自覚して、また忘れて思い出してってやるしかねえんだろうなあって思う。それはすごく大変だし、できることならやりたくないよなあ……。

でも、精神科とか警察とか、そういう特殊な環境じゃなくても、たぶん同じことはたくさん起こっていて、そのために被害を受ける人もいれば、無意識に加害者になっている人もいるんだと思うんだよなあ。

リーガルダンジョンのやるせない末路を見るにつけて、自身のお仕事を思い出さざるを得なかったという、これはそんなしゃらくせえ思い出話である。

 

とても長くなったし、正直コレ感想なの?って気もしてきたんだけど、あんまりない経験かもしれないし、せっかくなので置いておく。

重ねて断っておくけれども、精神科医療や身体拘束の批判をするつもりも、必死に努力している医療者を貶すつもりも全くありません。

もし読んでいただいて、似たような経験あるな~とか思っていただけたら嬉しいかもしれない。

あとリーガルダンジョンやってない人はやろうな。ネタバレを見てしまったとしてもまだ面白さの余地は残っているから、できればこれ以上ネタバレ見ずにやろうな。