かみむらさんの独り言

面白いことを探して生きる三十路越え不良看護師。主に読書感想や批評を書いています。たまに映画やゲームも扱っています。SFが好き。

アーサーとは「何」だったのか?(映画「ジョーカー」考察&解説)

※本記事は映画「ジョーカー」のネタバレを含んでいます。未視聴の方はご注意ください。

 

最近岡田斗司夫ゼミにだだハマりしてしまって、片っ端から動画を見る日々が続いている。恋愛観とか理解できない部分はあるのだけれど、様々な作品の見方を教えてくれる動画として非常に価値が高いと思う。

というわけで、「ジョーカー」を見たいと思ったのも、この動画きっかけなんだよね。

 


www.youtube.com

 

非常にわかりやすく素晴らしい解説なので、もし興味がある方がいたら、こんなブログなんか読んでないでとりあえず見てみて欲しい。

さて、この解説の中で、「主人公アーサーのメモは誤字脱字だらけ、それは教育の問題ではなく、知的障害があることを表すもの」と語られている。そして「知的障害だから彼は友達がおらず、まともな仕事もない」と。

ここに私はちょっとひっかかった。というのも、誤字脱字だらけ、字が下手であることは、必ずしも知的障害にはつながらないからである。たとえば、発達障害で非常に知能が高い人間は、自身の頭の回転にペンが追い付かず(発達障害では手先が不器用というのが症状としてある方も多いため)、結果的に雑で誤字脱字だらけのメモを残すこともあるのだ。

実際、コメント欄でも、アーサーは知的障害ではないのでは、というコメントも見られた。数多ある「ジョーカー」の感想ブログでも意見は分かれているようだった。

と、いうわけで、実際に、アーサーは知的障害なのか?という目線で本映画を見てみることにした。

 

結論としては、アーサーには軽度知的障害があると感じた。ただし、一見してそう見えない程度のものである。

私は医師ではないから、当然診断はできない身なので、個人的な所感でしかないのだが、おそらく彼は境界性知能、つまり、健常と障害の間、グレーゾーンにいる方ではないかと思う。

私が見つけた限りでは、三点証拠がある。三点もあれば十分だろう。ということで、今回はこれについて話していきたい。

 

・手帳が誤字脱字だらけ

これは岡田斗司夫氏が語っていたことであり、作中でも目立つように描写されている部分である。前述したとおり、私は英語が読めないので字幕を頼りにするしかないが、字幕でも誤字が強調されていた。

また、いくつか巡ったブログによれば、アーサーが使用する単語は易しいものが多く、幼稚であるということだった。何度も言って自分で傷ついているのだが、作中の英文を読もうとしても(字の汚さもあって)読めなかったので、もし間違っていたら申し訳ない。

さて、これはもう製作者が強調していることなので、特に語る必要はない。

 

・ニュースやラジオを見聞きするシーンはあれど、アーサーが社会情勢を把握しているシーンが一つもない

作中のゴッサムシティは清掃業者のストやピエロの殺人があり、結構世紀末な状況になっている。その件に触れたニュースやラジオ、新聞もたびたび登場する。

しかし、ラジオやニュースはたびたび声が遠くなる演出が入ったり、シーンがカットされたりして消えてしまう。触れられるのは主に簡単な状況と街の人の感想、市長のお気持ち表明くらいだ。新聞も基本的に見出ししか写されず、アーサーが内容を読むシーンは一度も映されない。

視聴者はアーサーの視点でしか物を見られないので、何故ストがあるのか、何故福祉サービスが閉鎖になってしまうのか、ピエロのデモはどんな規模で起こっているのか、などなど、なにもわからない。

アーサーが社会情勢について何か口に出すこともない。当然、誰かと意見交換することもない。せいぜい、ラスト、マレーに対して語る「誰もが大声で怒鳴り合ってる」とか「誰も他人のことを気に掛けない」とかそんなところだ。とても抽象的だ。

ここまで演出が徹底しているのは、一つには、どこまでが現実で、どこまでがアーサーの妄想かわからないようにするためでもあろう。また、よくわからないという状況を設定することで、一種ホラー的な面白さもある。

そしてもう一つ、アーサーがニュースなどの情報を理解していないということも示していると思う。

アーサーは、ニュースを見るし、新聞も買う。あの貧困の中で、彼は明らかに社会に興味を示している。しかし、彼には簡単な情報以外理解できない、と考えると、この演出の徹底ぶりが説明できるのではないか。

 

・アーサーはジョークを理解していない

監督はインタビューで、アーサーがほんとうに笑っているのはラストシーンのみと述べている。ということで、作中でジョークに対してアーサーが笑うシーンは、すべて作り笑いである。

ジョークライブでメモを取るシーンを思い出してほしい。アーサーの笑いは他の観客と完全にタイミングがずれている。そして、アーサーは懸命にメモを取っているのだが、それは「目を合わせる」「下ネタは受ける」ということだけだ。大学教授がどうのユダヤ名がどうのという、あの場で笑いのネタとなっている部分には(少なくとも字幕と私が懸命に読み取った英文では)触れられていない。

また、その少し前でマレー・フランクリンショーを見るシーンがあるが、ここではアーサーは妄想に耽ってしまい、マレーのジョークは一つも聞いていない。

さらに、アーサーが考えたジョークはジョークの体をなしておらず(これは各人の感覚もあるかもしれないが)全く面白くない。

ここから、アーサーはジョークを理解することができないと考えられる。他者と感覚がズレていて笑いの本質がわからないとも考えられるが、彼は「Dont forget to smile」のforget toを消す、タイムカードを打つ、硬貨な人生といった簡単なダジャレは解している。他者と大きく感覚がズレている、サイコパスのような状況とも考えづらい。ごく単純な笑いのツボは理解して押さえているのだ。

ただ、ライブで披露されるような複雑なジョークについては理解が及ばず、演者の動作や自分が理解できる部分の言葉だけしかとらえることができない。

これは少し想像が入った考察だが、手帳に貼られた数々のエッチな写真は下ネタジョークのつもり、ラスト、マレーの前で披露する酔っぱらいに息子がひかれたというのも不謹慎ジョークのつもりなのだろうと感じた。

彼は複雑なジョークがわからないため、どこかでウケていたネタの、自分が理解できる一部分だけを切り取って、自分のジョークにしたつもりだったのではないか。

 

この三つの証拠から、アーサーは軽度ではあれ、知的な障害を抱えていたということがうかがえる。

その原因としては、幼いころ受けた虐待による脳障害なのかもしれないし、虐待により発育が阻害された結果なのかもしれない。

不運にも生まれつき知的障害を患っていたために、虐待される結果となったのかもしれない。知的障害児、特に未診断の境界性知能の子供は虐待されるケースが多いと聞く。

虐待と言えば、アーサーの笑いの発作は脳障害ではなく、被虐待児が恐怖におののいているのに笑ってしまうという症状ではないかという考察があった。個人的には最も腑に落ちた考察である。

脳障害やトゥレット症候群(自身の意に添わず体が動く疾患)と捉えている感想もあったが、よくよく見るとアーサーが不安や恐怖を感じる(だろうと推察できる)場面でのみ発作が発動している。例えば、攻撃性の高い会社員と電車に同乗したときや、ジョークライブで観客の前に立たされた時である。

脳障害やトゥレット症候群では、場面と関係なく症状が起こるものであるため、可能性としては低いと思われる。

岡田斗司夫氏の解説にも、笑いの発作は脳障害ではなく、自身の感情を抑え込んでいるからでは、とあった。

被虐待児は、親を刺激しないためにできるだけ笑っていることがあると言われている。「ジョーカー」本編でも、母親が「あの子いつでも笑ってるの」という描写がある。このシーンはアーサーの妄想かもしれないが、たとえそうだとしても、アーサー自身、笑っていなくてはならなかった、という記憶があったのだと思われる。母に笑っていろと言われた記憶なのかもしれないが。

被虐待児の支援の論文で、対象児が他者との信頼関係を作ることができず、他者との繋がりたいという気持ちをにやにや笑いでしか表現できない子どもの論文を読んだこともある。

トーマス・ウェインや、福祉サービスのソーシャルワーカーとの会話時の笑いは、恐怖・不安とともに、繋がりたいという必死のアピールだったのかもしれない。

アーサーの発作的な笑いは、攻撃されないための処世術であり、他者と関係を築きたい気持ちの表現であると考えると、「ジョーカー」は、それがすべて裏目に出て台無しにされる、大変残酷な映画のようにも思える。

 

少し脱線したのでまとめると、アーサーは境界性知能の青年であり、幼いころの虐待が原因で不安や恐怖を感じると笑ってしまうという障害を持っている、ということで、ある程度この映画は理解しやすくなると感じる。

長くなったので一旦これで終了としたいと思う。岡田斗司夫氏の動画で感じた疑問点は説明できたし。

しかし、私が語りたいことはもう少し続くので、後日後編を上げたいと思う。

何か、前述したアーサーの状況を鑑みてこの映画を見ると、あるシーンの感じ方が驚くほどに変わってしまい、非常に切なくなったというのがある。しかし一見するだけだとわかりづらいので、私の(そこまで深くないけれども)精神科的な知識・経験を持って解説したいと思うのだ。

この考察を興味深く読んでいただけた方なら、おそらく心に響くと思うので、よければ、後編のほうもお付き合いしていただけると幸いです。頑張って書きます。