かみむらさんの独り言

面白いことを探して生きる三十路越え不良看護師。主に読書感想や批評を書いています。たまに映画やゲームも扱っています。SFが好き。

「アイの歌声を聴かせて」が弊機過ぎた件(ネタバレあり感想)

この記事には、現在公開中の映画「アイの歌声を聴かせて」のネタバレが多数含まれております。また、弊機こと「マーダーボット・ダイアリー」シリーズのネタバレも多少含まれております。未視聴・未読の方はご注意ください。

 

アイの歌声を聴かせて、めちゃ良かったです。非常に良くできたエンターテイメントで、何回見ても飽きが来ない。いやあ、サカサマのパテマから8年も待ったかいがあったってもんです。

丁寧に伏線を張り、きちんと回収する完成度の高さには脱帽。冒頭から詩音の正体は何か?という問題を、しかしあえて注目させ過ぎることなく提示し、徐々に明かしていくミステリ仕立てのストーリーが素晴らしい。

全体的なストーリーだけでなく、細やかな、たとえば、

要所要所で表情を曇らせるごっちゃん⇒後に自身が器用貧乏なことを悩んでいると打ち明けるシーンがある

主人公親子、旅行の話をする⇒物語ラストで親子がちゃんとネズミの国的なところに行っている写真が挟まれる

全世界のAIが詩音になる可能性の提示⇒実際に他のAIが詩音を応援して音楽を流す

みたいな、小さな伏線とその回収も非常に緻密で嫌味なく展開される。上記はほんの一例で、もっとたくさんあるので、それを確認するだけでも楽しい。

吉浦監督がイヴの時間のころから得意としている、AIと人間の、何だかうまくいかないのに、結果的にうまくいってしまう交流も良かった。

子どもだからこそ笑って受け入れているけれども、詩音という存在は冷静に考えたら結構怖い。その怖さを隠すことなく描写しながらも、世界はもっと優しいはずだという、吉浦監督の変わらない価値観は、楽観的ともいえるかもしれないけれども、うつくしいものであると思います。

キャラクターの成長がしっかりと描かれているのも、ジュブナイルSFとしてはポイント高い。典型的なオタク少年だった十真が、好きな女の子を守るために頼りがいのある男になっていくのは、ベタベタお約束だけど、なんだかんだそういうのが一番面白くて好きです。肩を丸めて縮こまっていた序盤から、だんだん背筋が伸びて背中広くなっていく感じは正直トキメキを感じる。

詩音がいなかったら仲良くなりようがなかった5人の少年少女が、手を取り合いかけがえのない親友同士になっていくのも、見ていて気持ちがいい。ぼくだってこんな友達がほしかった。ていうか、みんなほしかったでしょ?

眉村卓先生のジュブナイルSFを思い出させる、古き良き王道お約束シナリオなので、最近良質なジュブナイルないな~というひとに程見て欲しいです。心が洗われるよ。

普段地獄のような作品の海に浸かっている私ですが、たまにこういうストレートな癒しの物語に触れると、打ちのめされて浄化されていい感じになる気がします。

 

とまあこんなね、大絶賛した記事なんて他にいくらでもあるし、たぶん吉浦監督の欠点とかも浮き彫りになった作品ではあると思うんで、その手の記事もいくらでもあると思うんですよ。

欠点に関しては、私もいくつか挙げられるんだけど、私は絶賛したい組なので言わない。監督には気持ちよく次作を作ってほしいし、これ読んでくれた私の周囲の人も、気持ちよく吉浦監督作品を視聴してほしいので。

さて、今回記事にしようと思ったのは、最近話題のSF小説「マーダーボット・ダイアリー」こと「弊機(主人公の一人称)」に面白いほど似た部分があるということである。

パクリとかではない。というか、翻訳もされていないのにパクったのなら逆にすごい。

ちなみにオマージュした作品は楳図かずおの「わたしは真吾」と監督自身も(作品名こそ出さないが)認めているみたいです。未読なので今度読みます。

単純にたまたま描き方が似通ってしまったという話だと思うんだが、何が似ているか、それが何を意味するのか、ちょっと語ってみようと思う。

 

まず、AIである詩音の人間観が、デ●ズニープリンセス映画「ムーンプリンセス」から来ていること。そこから人間同士のコミュニケーションに歌と踊りが入り込む。この映画におけるミュージカルシーンは、正しいミュージカルではなく、ミュージカル映画の真似だからこそ意味を持つ。

ムーンプリンセスに描かれない、複雑な人間の感情は詩音にはわからない。冗談を真に受け、何もかも言葉通りに受け取り、そのために他者の感情を勝手に推し量ったり、傷つけたりする。

また、作中ではっきりとは描かれないが、詩音自身がムーンプリンセス憧れを抱いているのではないか?暗に示されるシーンもある。人間=悟美を理解するためのものだった「ムーンプリンセス」だが、詩音がAIとして成長し、人格を持つ過程に深く食い込んでくるようになっている。

詩音は、何年も前の十真からの命令「悟美を幸せにすること」という命令を確実に実行しようとする。自律型のAIであり、人間を超越した頭脳と身体能力を手にしながら、意図して人間を傷つけることはなかった。比較的序盤に緊急停止装置も外され、なんでもできたにも関わらず、彼女が行うことはムーンプリンセスの歌と踊りで悟美(とついでにその友達)を幸せにすることだけなのである。

「マーダーボット・ダイアリー」を読了した諸君は気が付くであろう。

弊機ことマーダーボットくん(ちゃん?)も、ほぼ同じなのである。

弊機は人工物と有機組織が融合している存在(警備ボット)であるため、完全にAIとは呼べないのだが、人間の役に立つことを目的として作られ、統制モジュールによって思考や行動を管理されている部分は似たようなものである、と考える。どれくらい生体脳があるかとかよくわからないし。

弊機は人間など比にならないほどの頭脳と身体能力を持ち、そのうえ統制モジュールをハッキングして、自らフリーに動ける状態である。しかし彼(女の子かもしれないけど便宜的に)がやっているのはたくさんドラマを見ながら警備のお仕事をがんばることである。

過去にマルウェア攻撃を受けて人間を殺戮してしまったという事件から、彼は自身をマーダーボットと呼ぶが、それは明らかな自虐であり、後悔がある。彼自身は人間の役に立つのが根本的に好き(文句は言うけれども)、自身が好ましく感じる人間の役に立つのはより大好き(表立っては認めないけれども)なのである。

ちなみに新作の「ネットワーク・エフェクト」では弊機と同じ警備ボットの存在も示されるが、やっぱり彼も人間の役に立ちたいと望んでいた。この感覚は弊機だけが特別ではないようである。

彼はたくさんのドラマから人間や人間社会について学び、(自分では決して認めないだろうが)ドラマティックな演出や人間関係に憧れている。

 

簡単にまとめると、詩音も、弊機も、人間の役に立つために生まれ、人間の役に立つのを好み、人間の作った作品から学び、憧れ、成長していく。

彼らは人間に復讐しない。下等な者と断じて殺戮したりもしない。弊機の方は命令と状況如何では人間も殺すけれども、顧客の利益と慎重な判断のもとに行っているし、無闇に殺すのは躊躇っている(殺した方がいいとか殺すとかは心中で言ってるけど)

AIってこういうのだっけ?とあんまりSFたくさん読んでない私なんかは、思うわけである。

マーダーボット・ダイアリー初読の時、弊機ちゃんと彼を簡単に受け入れる人たちを見て、優しい世界過ぎん?と思った。アイの歌声を聴かせても、成長したAIが存在し続けることに対して、一歩間違えば大惨事になるんじゃないか?とホラーみを感じる人のツイートが比較的多かった。

私は一般人なので、AIが人格や感情を得たとき、人間を支配するのではないか?という感覚が結構ある。実際、AIをネタにしたおはなしでは、人間になりたいと願ったり、人間に使われるのは嫌だと反旗を翻したり、が正統なものだと思っていた。

グーグルで検索をかけると、サジェストで支配とか危険とか出てくるので、割と一般的に通用する感覚だと思う。

しかし今回、あまりに優しいAI(とそこに準ずる存在)を見て一つ思ったのが、私のこの感覚って、ロボットの中に人間の脳が入っているんじゃないか?というところに起因するよね、ということ。

自分だったらこの状況は辛いから復讐するとか、自分だったら下等な人間は殺してやるとか、人間になりたいとか人間として認められたいと思うだろうとか。

でも実際、それは違うんじゃないかと、詩音と弊機を見てて思った。彼らの人格や感情は、人間と似てこそいるが、人間のように進化するわけではないのではないか。

だいたい、人間の発達や思考様式だけがこの世の全てではないはずだし、人間が作ったからと言って、必ずしも人間のレプリカではないはずである。

AIは、与えられた命令を遂行するというのと、多様な人格や感情を持ち、自分の考えを持って行動するというのと、それを同時に抱えて成長していくというのは、必ずしも矛盾するものではないのではないか。

弊機であれば、人間を警備する・守るをしながら自分のやりたいことを見つける、だし、詩音であれば、悟美を幸せにするをしながら自分自身の幸せを見つける。

今、技術発展が進み、AIが身近になったことから、AIに対する価値観の変換を迎えているのじゃなかろうか。だからこそ、弊機や詩音は同時期に世に出て、好評を得ているのではないか。

彼らがまるで人間のように考え、人間たちを支配するとか反旗を翻すとかホラーとか考えるのは、あまりにも人間中心主義であり、彼らに対する侮辱なのでは?という気さえする。

そのうち彼らのようなAIものが主流になるんじゃないか、また、いつか、彼らの物語が、優しい妄想の世界ではなく、当然の世界になる時代が、来るのではないか、なんて考えてしまった。

まあ実際のAI開発についてはまるで無知なので、もしなんか考え方が間違っていたら有識者の方教えてください。

それでも、AIの一つの可能性を示す、似たような物語が、海外でも日本でも同時期に発売されているのは、価値観が変わってきているのかなあ、なんだか面白いなあと思うのです。

 

アイの歌声を聴かせて、と、マーダーボット・ダイアリー、他にも演出面で似ているところが結構あるので、その類似性も単純に見てて面白いと思います。

監視カメラをハッキングして理想のデータを送ったりとか、画面の左下にムーンプリンセスがずっと再生されていたりとか、これ弊機で見た!ってやつが多い。ほんとにパクリじゃないのか?(違います)

弊機がアニメ化されたら、こんな風に小気味よい演出を使ってほしい……けど、アニメ化はしないだろうなあ。アニメーションにしたら絶対面白いと思うんだけど。

ここまで読んでくださった方、もし時間があれば両方の作品を見ていただいて、架空の弊機のアニメについてでも語り合いましょう。