三体3が発売された時、そこに葉文潔がいないのが悲しかったのを覚えている。
三体シリーズはエンタテイメントSFとして傑作である。多くの人が時間や寝食を忘れて物語を貪り読んだはずであり、もちろん私もその一人だ。
それでも、滅茶苦茶面白かったけども、シリーズの中で私が期待したものは結局は書かれなかったなという思いがあった。
作者である劉慈欣氏が、完結後のインタビューで、こんなことを言っていたのも引っかかっていた。
もし、わたしが知っているような科学者を作品に登場させたらウケないと思います。作中の人物たちは、読者が感情移入したり理解できるように特徴を出して描いていますが、現実の人たちはもっと複雑ですからね。
私が思うに、三体シリーズの中で、葉文潔だけはほんとうに人間だった。そして、それは、たぶん、理解されなかった。ウケなかったわけだ。
……いや、私には滅茶苦茶ウケたけどね!!
まあ、ウケたのはそれこそ、象徴的・記号的な人物の極みである、史強や艾AAなどであろう。
正直私だって好きですよ。普通にこの二人最高じゃん。あと、章北海やトマス・ウェイドもいいよね。
でも、それでも私は葉文潔を愛していたし、彼女の物語のようなおはなしをずっと待ちわびていた。
ちなみに葉文潔については、ブログの一番最初の記事で書いているので、良ければぜひお読みいただきたい。
ぶっちゃけ渾身の記事である。葉文潔に言及した記事としては、いちばん説得力があると思う。
……葉文潔への言及記事とか他に見たことないけど。
当時はぜんぜんブログとかやる気もなく、そもそも才能のない文章をこれ以上書くのは無駄だと思っていたんだけど、世間の葉文潔への無理解さが許せなさ過ぎて頑張ったのだった。
まあ、こんなライターでもなければブロガーでもない人の戯言なので、反響などほとんどなかったわけだけれども、それでも世界のどこかに葉文潔についての記事があることは、何か価値があるんじゃないかと思っている。
さてはて、そんなわけで、待ちに待った、劉慈欣短編集「円」である。
遅ればせながら、先日、やっと読みました。
間違ってなかった。それが一番初めの感想。
この短編集の中には、劉慈欣の絶望と戦いが存分に詰まっている。そして、私が葉文潔に見た、複雑で深遠な人間の在り方がうつくしく描かれている。
エンタテイメント性は薄い……というわけでもないけれども(鯨歌や繊維、メッセンジャー、円はかなりエンタメ性が強い作品だろう)ただ、三体並みに面白いかと問われるとちょっと黙ってしまう。
そんなわけで、エンタメ性に特化した面白いものが読みたい人には、たぶん向かないと思う。代わりに、三体シリーズでも微かに伺える劉慈欣の信念や思想に触れたいという人には、これ以上ないほど満足していただけると思う。
自分を顧みるいい機会にもなる。私はなった。
葉文潔のために始めたこのブログで、「円」に言及しないわけにはいかない。
実はしばらくメガテンあたりを書いていこうと思っていたのだけれども、ちょっと中断して、「円」について書いていきたいと思います。
まず、最初の「鯨歌」だが、エンタメ性が強い作品にも関わらず、あまりにも人間への絶望感と自然への畏怖が強くて驚いた。
確認したらデビュー作だった。まじかよ。
出てくる人物は、探知機が進化したために麻薬を運べなくなったマフィアの親分と、生体機械化した鯨ならば麻薬を運べると請け負う科学者の二人。
この時点でSF的に面白すぎて、エンタメ作品への天才的な才能を感じるのだけれども、やはり劉慈欣特有の要素として、鯨の雄大な姿と歌、そして科学者の生き方が挙げられると思う。
鯨の体内に船を載せ、麻薬を運ぶというのがこの作品の面白さだが、なにより鯨のうつくしさに描写がかなり割かれている。
もはや生体機械化され、人間の傀儡となっているはずの鯨だが、それを物ともせず歯を鳴らして食事をし、歌を歌う。その歌は”意味が深淵すぎて、人間には理解できない”と語られる。そして、”遥かな過去の記憶を持ち、生命の歌を歌っている”
その歌は、捕鯨船に撃たれ、死に至る瞬間まで続く。人間たちに好き勝手改造され、最終的に殺されてしまうにも関わらず、鯨は決して抵抗することがないが、傷つき苦痛に悶えることも、また、ないのである。
対して、人間は随分と自分勝手に描かれる。
麻薬取引を試むマフィアは、人の命や身体を弄び、益があるとわかればすぐに意見を覆す、自分勝手の極みみたいな人物として描かれている。科学者は鯨を改造して操り、自分の好きなように動かしている。
そしてこの二人の目論見は、同じ人間、それも彼らと同じような自分勝手さMAXで法律違反の捕鯨に手を染める人間たちによって挫かれるのである。
さて、自分勝手な人間が自業自得で死ぬ話は数多くある。自然と人間を対比するのも珍しくない。話の筋やオチに関しては、この話より面白く書いてあるおはなしも多いだろう。
劉慈欣が凄いのは、筋でもオチでもない。このおはなしは、さらに輪をかけて人間を語る。
科学者の人格はあまり描かれないものの、わずかな会話で、国家に貢献するために非道な研究に手を染めたはいいが、予算がなくなり、お払い箱になって放浪していたとわかる。
短編にしては、ぶっちゃけ情報量が多い。だからこのおはなしの構造が、意図したとおりの成果が上がっているかと言えば疑問だと思う。
ただ、ここから劉慈欣が狙ったのは、たぶん、反道徳・反体制たるマフィアやマッド科学者だけが自分勝手なのではなく、国家も自分勝手、ひいては人間全部が自分勝手で道徳がないという構造なんじゃないかなあと思うのだ。
ここまで徹底した人間嫌いっぷりが、劉慈欣なのである。と、私は勝手に思っている。
ぶっちゃけ、かなりごちゃついた作品だと思うし、短編にしては情報を詰め込み過ぎと言わざるを得ないんだけど、エンタメSF短編の中に、自身の人間観、自然観を入れ込んでしまうメッセージ性の強さが私は結構好きです。無印の三体と通ずるところがあるよね。
「地火」もやっぱり「鯨歌」と同じで、人間の愚かさ、どうしようもなさに焦点が当たっている。
この二つを短編集の最初に持ってくる編集者、上手い。劉慈欣の自己紹介として、この二作品はあまりに的確過ぎる。
「地火」はエンタメ性が薄くなり、SF設定にも薄く(石炭地下ガス化って実際に行われている事業だよね?)どちらかというとドキュメンタリーのようなタッチで語られる。
ので、読んでいて結構辛い。主人公たる劉欣が、炭鉱で働く人たちを救うための技術を生み出し、数々の失敗フラグを立て、そして失敗してたくさんの人が死ぬ災害を作り出し、ろくに責任も取れずに死ぬ話だ。
「鯨歌」と異なり、ここには正しいことを為そうとする人間たちが数多く出てくる。自分勝手に生命や自然を弄ぼうとする人間は一人も出てこない。国や未来のために尽力する人間たちばかりだ。
しかし人間は愚かなのである。
「鯨歌」と同様に、この作品のドキュメンタリー的な部分を、もっとうまく書ける作家は多くいるだろう。しかし、これほどまでに徹底した人間への絶望は、劉慈欣ならではである。
このおはなしは事業が失敗してたくさん人が死んだというおはなしが肝ではない。
正しいことを為そうとした結果ドツボにハマっていく人間たちの葛藤や戦いはもちろん面白い。
もう駄目だとわかっていてなお坑道の人間を救いに行かざるを得なかった李民生の笑顔があまりにうつくしくて涙ぐんでしまったし、何もかも失った劉欣が皮肉な形で父との再会を果たすラストシーンは救いがなさ過ぎて唸ってしまった。
しかし劉慈欣はこの胸に突き刺さる棘を、あまりに意外な形で抜いてしまう。
昔の人はほんとにバカで、昔の人はほんとに苦労した
百二十年後がこのおはなしのエピローグだ。
中学生が授業で炭鉱を見学し、歴史を聞いて退屈だと日記に記す。それまで描かれていたことは歴史には残っておらず、一顧だにしない。
炭鉱の体験をしようと防塵マスクを外した少年は、称賛されることなく、規範から外れたことを責められ、入院させられる。
名実ともに、”ぼくらは”古きよき時代”を懐かしむ必要はない”のである。
もう一度言う。このおはなしには、自分勝手な悪人はいない。しかし、人間は愚かなのである。
「鯨歌」「地火」二つ合わせて読むと、こんなにも人間への絶望で満ち溢れた作家はいないのではないかとすら思える。
こうして見ると、葉文潔は劉慈欣そのひとを投影した人物で、だからこそエンタメ作品の三体シリーズの中で、ただ一人人間であったのかなあ、などと、思う。
では人間には絶望しかないのか。
もちろん、そんなことはない。そんな浅はかな思想しかない作家が、あれほどの傑作を書けるはずがない。
劉慈欣は絶望し、嫌いながらも、人間という存在の魅力について、飽くなき探求を続けているはずだ。
それが分かるのが3つ目の短編「郷村教師」である。
エンタメ色は強い……ものの、結局エンタメにする気がない。読み終えてエンタメだったという人はいないだろう。三体シリーズでの三体人や歌い手などに見られた、トンデモ滅茶苦茶SFの宇宙人が絡んでくるので、エンタメっぽく見えるだけだ。
このおはなし、大変人気が高い。実際、SF部分の滅茶苦茶ささえ受け入れられれば(まあ三体読者なら大丈夫かと思うけど)この短編集の中では屈指の傑作、人によっては一番の傑作だろうと思う。
私も、通勤のバスの中で思わず涙してしまい、読むのを一旦中止せざるを得なかったほど心を動かされた。
そして、前2作品を読了したからこそ、これはより響くのである。
例によって愚かな人間の話だ。
貧すれば鈍するを体現したかのような田舎の人間たち。飲酒や祭りなどその場限りの快楽を貪るしか楽しみがなく、金を浪費し、学もなく、求めず、生活を良くしようとも、良き人間となろうともしない。
何度も読みたくないから詳しく書かないけど、出産絡みのシーンはリアルに吐き気がした。
そして、そんなクソ田舎で学問を教え続けるのが主人公の李先生だ。感謝されるどころかバッシングされ、電気すら通してもらえない学校で、死の病に侵されながら、ただ彼は死ぬまで一心に、子どもたちに学問を教え続ける。それが役に立つのか、そもそも理解できるのかもわからぬまま……。
ここまでは、前2作品と変わらない。違うのはその先が書いてあることである。
彼と彼が教える学問、そして教え子たちは、奇跡を起こす。
前述した無茶苦茶星人たちの宇宙戦争の余波で、地球を滅ぼさんとするまさにそのとき、彼の教え子たちが戦艦に召喚され、文明レベルテストを受けることになる。文明レベルが高ければその星は守られるのだ。
当然、高度な学問を彼らが習得できているはずがない。しかし、李先生が死の間際に教え、わけもわからずに暗記させられた基礎物理学の問題が、そこにあったのだ。
そして地球は保護されるというわけである。
なんとも滅茶苦茶なおはなしである。それでも、李先生に報いようと、子どもたちが力の限りに暗唱した「ある物体は……」という一説が流れたとき、バーッと吹き出るように涙が出た。
無茶苦茶だし、そのうえ筋も読める。どうなるかなんて、半分くらいで大体わかってしまう。それでもやっぱり、どうしても泣いてしまう。これはそういうおはなしなのだ。
子どもたちは、自分が地球を救ったことはわからない。大好きな李先生が死んでしまって、悲しくて辛いだけだ。李先生は世界に名を残すどころか、棺桶代も出してもらえず、子どもたちの作った小さくはかないお墓で眠る。
しかし、おはなしはこう締めくくられる。
彼らはこうして生きつづけ、この古くて痩せた土地にもわずかながらたしかに存在する希望を収穫するだろう。
人間に絶望してなお、一縷の望みを教育と学問に預ける。祈りのような、わずかな希望。それが無意味でないと信じること。いつか何か、途方もなくおおきな力になるかもしれないと、願うこと。
この「郷村教師」は、劉慈欣の思想そのものを体現した作品だと思う。だからこそ、大勢の人の胸に響くのだろう。
劉慈欣というひとは、とても情熱的で、そしてただただ、誠実なひとだ。
葉文潔が好きなのと同じに、私はその思想が好きです。
長くなったし疲れてきたので、一旦これで切りたいと思う。
全作品やりたいので、しばらく頑張って感想を書き残していきたい。無理なら「栄光と夢」だけでも書く……。「栄光と夢」も最高なので……。
けど、円はこの3編を読むだけでも2千円の価値はあると思うので、まだ読んでいない方は是非読んでください。できれば、最初3編は順番を変えずに読むのをおすすめします。