当記事は三体及び三体2のネタバレを含んでいます。未読の方はご注意ください。
葉文潔が好きだ(2回目)
前回の記事では葉文潔の謎ポイントを解説してみた。みんな、葉文潔がただの地球滅ぼしたいウーマンではないことに気付いてくれたと信じている。
できれば三体を読み返して、私と一緒に葉文潔辛い…好き…になろう。
さて、前回、葉文潔はなぜ、「人生のほとんどを、これについて考えてきた」のかということを謎ポイント①に挙げた。「これ」とは宇宙社会学のことだ。
前回の記事を読んでいない人は、なんのことだかわからないと思うので、読んでから戻ってきていただきたい。
前回、この謎①への解答として、彼女は理想から外れた三体文明に立ち向かおうとしていたと挙げた。つまり宇宙社会学=三体文明に脅威を与える鍵ということだ。
しかし、実は、この解答には一つ突っ込みどころがある。それは、人生のほとんどというには短いんじゃないか?ということだ。
葉文潔が三体文明に立ち向かわなければならなかったのは、少なくとも三体協会の総帥になってしばらく後でなくてはならない。年月を追っていくと、三体協会が設立されたのは1986、7年くらいで、文潔は1943年生まれなので、43、4歳くらいである。
現在の文潔の年齢は不明であるが、1969年から40数年後ということで、大体70歳前後くらいかと推測される。ちなみに汪淼の見立てでは60代くらいだ。
私のようなアラサーが25,6年を人生のほとんどと言えば、まあそりゃそうだろうなという気がするが、60~70代のおばあさまが人生のほとんどというには、ちょっと無理があるのではないか?
この疑問に対して、宇宙社会学は地球外生命体探査に関わったころから考えていて、それがたまたま三体文明への脅威になる理論だったと解答を与えることは容易い。実際のところそうなのかもしれない。けれども、私には違う解答がある。
妄想乙と言われる隙が若干ある気がするけど、解決できるはずだ。
地球生命は、宇宙にあまたある偶然の中のひとつだと思った。宇宙は空っぽの大宮殿で、人類はその宮殿の中に、たった一匹だけいる小さな蟻。こういう考えは、わたしの後半生に、相矛盾する精神状態をもたらした。生命にははかりしれない価値があり、すべてが泰山のように重い存在だと思うこともあれば、人間なんかとるにたりないもので、そもそも価値のあるものなんかこの世に存在しないと思うこともあった。ともかく、わたしの人生は、この奇妙な感覚とともに、一日また一日と過ぎて行って、知らぬ間に年をとっていた……
葉文潔が汪淼に対し、自身の人生について語る場面だ。だが、彼女はここで嘘を吐いている。宇宙には人類の他に生命体がいることを彼女は既に知っているはずだし、おそらく宇宙社会学理論も築き上げているはずだ。
しかし、この言葉たち全てが嘘なのだろうか?
彼女の生命の価値に関わる発言は、もう一つある。
葉文潔 冷静でした。なんの感情も交えずに行動しました。わたしはついに、自分を捧げることのできる目標を見出したのです。自分であれ他人であれ、そのためにどんな代償を払うことになってもかまいませんでした。この目標のために、全人類が前代未聞の大きな代償を支払うことになるのもわかっていました。この一件は、そのごく小さなはじまりでしかなかったのです。
これは、文潔が雷志成と楊衛寧を殺した時、どんな感じがしたか聞かれた時の調書だ。目標と理想に燃えていた彼女の片鱗が垣間見える。しかし、彼女はこの感覚をずっと持っていられたのだろうか?三体文明が理想の文明でないと知るまで、彼女は殺人を後悔することがなかっただろうか?
仮に三体文明がまさに理想の文明だったなら、彼女は全く悩まず、殺人をものともせず突き進んでいけたのだろうか?
私はこの疑問に力強く、否!と答えたい。葉文潔は苦しみながら、傷つきながら生きた、優しいひとだった。理想に燃えつつも、決して盲目になることはなかった。だからこそ三体、そして三体Ⅱの物語は成立しえたのだ。
文潔は仕事に没頭することで心を麻痺させ、過去を忘れようとつとめ、ある程度までそれに成功した。ある種の奇妙な自己防衛本能が働いて、過去を回想すること、かつて自分がおこなった異星文明との通信について考えることにストップがかかったのだった。
紅岸基地を辞した文潔は、自身の行いは夢だったのではないかという思いを募らせる。そして、忘れようとつとめるのだ。これは、一片たりとも後悔のない人間の行動とはとても思えない。後悔しているからこそ、彼女は夢と思いたい、忘れたいと思ったのだ。
先に引用したような強固な信念を得てなお、彼女には後悔があった。
その後、再び理想に燃え、疑念を振り払う彼女の姿が描かれる。しかし、一度でも抱いた疑念を全く振り払うことは困難だったに違いない。実際、彼女は盲目的に三体文明を慕うことなく、三体文明に反旗を翻している。
ラストシーンでも、彼女はレーダー峰で自身の殺人現場に立ち、自身を暖かく迎えてくれた斉家屯をじっと見つめる。
文潔の心臓が苦しくなり、いまにも切れそうな琴の弦のように鳴り始めた。目の前に黒い霧がかかったような気がした。文潔は生命の最後のエネルギーをふりしぼってなんとか耐えた。すべてが永久に暗闇へ入ってしまう前に、もう一度、紅岸基地の日の入りを見たいと思った。
三体だけを読むと、このシーンは三体文明の真実を知って、自身の行いを後悔するシーンに読めるだろう。しかし、三体Ⅱを読破し、葉文潔の行動を理解した我々にとって、このシーンの意味は変わってくる。三体協会を崩壊させ、三体文明に脅威を与えた彼女は、立派に自身の責任を果たした彼女は、それでもなお、深い後悔に沈んでいる。
最初で引用した「相矛盾する精神状態」を語る部分。それは、嘘ではなく、真実だったのだと思う。彼女は、理想に燃え、人類を矯正したいという願いと、己の行動により犠牲にした、あるいは今後犠牲になる人々に対する悔恨の間で、苦しみ続ける人生を送っていたのだ。きっとそれは、三体文明が理想の文明だったとしても、同じことだったのだと私は信じている。
苦しみ傷ついた葉文潔はどうしたか。
たいていの人なら、こういう心の傷は、たぶん時間が癒してくれたかもしれない。文革のあいだに文潔のような目に遭った人間はおおぜいいたし、その多くと比べたら、文潔はまだしも幸運な方だった。しかし、文潔は、科学者としての習い性から、忘れることを拒絶し、自分を傷つけた狂気と憎しみを、理性の目をもって眺めようとした。
考えたはずだ。文革の苦しみを考えた時のように、己の殺人について、理性的に考えようとしたはずだ。学問を考えるように……。
ところで、諸君は三体を読破したとき、葉文潔がなぜ雷志成を殺したか疑問に思わなかっただろうか?
私はわからなかった。三体Ⅱ読む前から文潔推しだったけど、急に文潔の世界から締め出された気がしたな。だって、殺す意味あんまりなかったようにしか思えなかったんだよね。
文潔はすでにメッセージに返信をし、人類への裏切りは果たしていた。雷の本心は異星文明の発見の第一人者になることと彼女は語っていたけれども、果たしてそれは殺人に繋がるのか?文潔は異星文明を地球に招いて人類を矯正したかったのであり、発見者になりたかったわけではないはずだ。
腹が立ったから殺した、憎かったから殺したというのも、文潔の人格からは考えにくい。案外こっちが真実なのかもしれないけど、個人的には除外したい。この論考終わっちゃうし。
そして、何より、彼女は雷の本心の推測や自身の理想は語っているが、肝心の殺した動機については語っていないのだ。えって思った人は読み直してくれ。書いてないから。
そもそも、雷と楊を殺した場面だけ、なぜ文潔の一人称で語られるのか?彼女が過去を語るとき、このシーン以外すべて三人称で語られていたのに。
しかし、この疑問を持って三体Ⅱを読み、黒暗森林理論の、猜疑連鎖の説明を羅輯から受けた時、霧が晴れたような感じがした。
葉文潔の殺人の動機は、これなんじゃないか。黒暗森林理論はあくまで宇宙の真理なので、簡単に地球上の出来事に結び付けることはできないが、葉文潔の置かれた環境は、この暗い宇宙に似ている状況にあったのではないかと思った。
羅は、くりかえし、人間同士はコミュニケーションが可能であり、猜疑連鎖が起こることはないと語っている。しかし、文潔は雷とコミュニケーションできただろうか?彼女は文革で完膚なきまでに痛めつけられ、人類に絶望している。夫である楊衛寧に対しても完全に心を開くことができず、ましてや雷は政治委員だ。この状況でコミュニケーションが取れると思う方がどうかしている。
そして彼女は、やっと生きたいと思ったのだ。生きるべき希望を見出したのだ。
雷はもしかしたら、言葉通り、ほんとうに文潔を助けてあげたいと思ったかもしれない。文潔を利用して自身の地位を高めようとしたのかもしれない。しかし、コミュニケーションできない彼女はそれを確かめる術を持たない。しかも、うかうかしていたら異星文明とコンタクトする術を奪われてしまいかねない。
彼女が確実に生き残り目標を達成するためには、雷を殺すしかなかったのだ。それは、彼女の意志というより、宇宙の原理に近い何かがあったのだという気がする。
ここでやっと本題に戻ってくる。彼女は自身の殺人について考え抜いたはずだ。そこから、猜疑連鎖という言葉が生まれた。そしてこの猜疑連鎖は、人間同士であるにもかかわらず全くコミュニケーションが成り立たなかった文革にも通ずるものがあった。
かくして彼女は、自身の殺人について、そして文革での悲惨な状況についても一つの解答を得、フェルミのパラドックスの解答でもあることに気が付いたのだろう。
三体文明の真実を知るまで、三体文明が危機に瀕していたことを知らなかったと思うので、三体文明がなぜ全くコミュニケーションをしないままに侵略してきたのかという解答にもなったのかもしれない。
そして、三体文明に対抗する唯一の手段であることにも気が付いたのだろう。
自身の殺人の動機を語る際、明言を避けたのは、宇宙社会学を誰彼構わずに告げることができなかったからだと思う。羅にしか告げなかった、そして詳細な説明を避けたのは、それが対抗手段だと気づいていないふりをしなければならなかったからだ。
ここまで考えると、葉文潔こそが、真の面壁者だったのかもしれないと思えてくる。
さて、結論をまとめる。葉文潔は文革、そして自身の殺人について、人生のほとんどを使って考えてきた。その結果もたらされたのが、宇宙社会学だ。長くなったが、これで今回の疑問は解決となる。
ここまで読んでいただいた方、ほんとうにありがとうございます。
前回に引き続き何回も言うけど、この記事を読んで少しでも葉文潔を好きになってもらえたら嬉しい。また、当記事の考察について、反論や新解釈があればたくさん聞かせて欲しい。今回は前回と違って、少し私の妄想が入っている気もするが、これが今の私の精一杯だ。
今回の記事を書くにあたって葉文潔が出ている箇所をくまなくチェックしたつもりなのだけれども、抜け漏れがあったら教えて欲しい。もっと考えるから。むしろもっと考えたいのでみんなも一緒に考えて欲しい。自分でもこれ違うじゃんと思ったらまた新たな記事を上げようと思う。
余談だけども、三体のラストで、三体文明が危機に瀕して地球を求めていることを知った葉文潔が、宇宙社会学について疑問を感じて色々考えているからこそ喋らなくなってしまったのなら、なんかとても切ないな…と思いました。
何はともあれラストシーンは映像的で、うつくしくてとても好きです。
西の地平線の向こうでは、雲海の中へゆっくりと沈む夕日が、まるで溶けていくように見えた。雲とひとつになった太陽の光が、空の大きな一画を壮大な血の赤で染める。
「これが、人類の落日――」