かみむらさんの独り言

面白いことを探して生きる三十路越え不良看護師。主に読書感想や批評を書いています。たまに映画やゲームも扱っています。SFが好き。

西岸良平って別にノスタルジーだけの作家じゃないんだよという話は100回したい

とある平日に、特に何もやることがなく一人ベッドに転がっていると、久しく会っていない友人からLINEのメッセージが届いた。なんと、東京ソラマチというパリピの聖地みたいなところで、西岸良平展がやっているという。

何を隠そうこの私、小学生時代に西岸良平に惚れ込み、延々と読み漁っていたハイブリッド西岸ファンなのである。

まあ単に祖父の蔵書を読んでただけなんだけれども……。そして鎌倉ものがたりは蔵書になかったのでノータッチなんだけれども……(それでファンと言えるのかとか責めないで!)

この友人は、大学時代に西岸良平が好き!ということで意気投合した友人である。他の趣味はとんと合わないが、西岸良平の良さだけは謎に共有できた。

さて、せっかく紹介してもらったし、ファンだし、そのうち行ってみようかなと思ったら、会期があと3日しかない。そもそも9日間しかやっていない。これは夜勤に行っていたら終わってしまう。

ちょうど予定もなければ夜も夫が飲み会でいないので、慌てて家を出て、東京スカイツリーへと向かう電車へ乗り込んだ。

ということでやってきました、「西岸良平画業50周年記念展 三丁目の夕日と鎌倉物ものがたり~昭和レトロとSFミステリー~」 タイトルが長い。

二大巨頭の鎌倉ものがたり読んでないのに楽しめるのか……?という気もしたんだけれども、大好きなSF短編集や青春奇談シリーズ、蜃気郎シリーズの複製原画や、単行本未収録の短編「ラドン」(なんて挑戦的なタイトル!しかも怪獣もの)の展示もあり、とても楽しかった。やっぱり久美子はいい女だし、ワニ丸は謎の可愛さあるよな~!

実家でゴミに出されてもう見ることはないと思っていた単行本がずらっと揃っていたのも良かった。懐かしくてちょっと涙出た。何で捨てた我が家族よ……。

馴染んだ丸っこい字で書かれたネームも愛らしくて大変良かった。ほとんど絵が描き込まれていないのにも関わらず、ネームだけでも面白いのは、やはり大御所漫画家!人間国宝!(なんたって紫綬褒章授与作家)

昭和レトロということで、昭和期の映像や家具、玩具(誰かブリキの玩具で手裏剣を作って世直ししてくれ)の展示や、西岸良平自身の持ち物であるカメラや懐中時計の展示など。さすがに懐かしむには年齢が足りない私だが、これはこれで良かった。

撮影スポットや、なんか変な仕掛け(ボタンを押すとカレーのにおいがするとか、小窓から家族の姿が見えるとか)が、なんともくだらない可愛らしさがあって、西岸良平ぽくて良かった。

でも、何より良かったのは、年々忘れつつあった西岸良平への熱を思い起こさせてくれたことかな。帰宅後、思わずごちゃごちゃの本棚から西岸良平短編集を引っ張り出してきて読み漁ってしまったよね。

しかし、私が買い直していた双葉文庫の名作シリーズもすでに絶版になっており、西岸良平の短編集は、もはや古本で購入するくらいしか読む術がなくなってしまった。しかも希少なのか、ちょっと高価になっている。とても悲しい。

三丁目の夕日鎌倉物語Kindle入りしているので、その他初期短編集もぜひKindle入り、せめて復刊をお願いしたいところ……。

 

そういえば、西岸良平は、昭和ノスタルジーの作家で知られているのだが、私はぜんぜんそんな風に思っていない。

もちろん、在りし日のうつくしい風景や風俗を描いていることは間違いないだろう。昭和時代の貴重な資料といえる部分は確実にあると思う。

しかし、もし西岸良平の漫画にあるのがそれだけだとしたら、小学生の私に響くわけがない。なんたって私は平成生まれ。昭和の時代なぞ、1ミリも生きていないし、知らないし、興味がなかった。

それでも私は西岸良平の漫画を(祖父の蔵書にある分だけだが)繰り返し繰り返し読んだ。

学年は覚えていないけれども、好きな漫画を授業中にプレゼンするということがあって、「たんぽぽさんの詩」を挙げたのを今でも覚えている。

当たり前だが誰も知らないし誰にもウケなかった。たぶん先生も知らなかった。そりゃあそうだ。当時流行っていた漫画はワンピースだ。周囲で騒がれていたのはデジモンだ。そんな中、私はミステリアンになりたいなあと言っていた。我ながら嫌な小学生だ。

中学に上がっても好きだったし、高校に上がっても折を見て読んだ。大学に行ったら実家の蔵書が処分されてしまって読めなくなったので、社会人になった時に好きな単行本は文庫で買い直した。

何がそれほど私の心を打ったのか。

大人になった今、明言できるものが二つある。それは含みなく描かれる世界の残酷さと、やさしくてうつくしい死生観だ。

西岸良平は、温かく優しい作風だとよく言われるし、何より絵がほのぼのとユーモアがある。しかし、良く読み込むと、そこに現実の厳しさ、残酷さが見え隠れする。

SF短編集などはそれがメインテーマとなる短編が多いし、昭和ノスタルジーで有名な三丁目の夕日でさえそうだ。

今回の西岸良平展の展示にもなっている、先にネームの写真を挙げたおはなし「ホワイトシチュー」も良い例だ。優しい大好きな姉の話だが、その姉は数ページであっけなくお嫁に行っていなくなってしまう。そして兄の嫁として家に来た義姉は料理も下手だし、恐がりで……というおはなしだ。

今となっては時代遅れの考え方なのだろうが、かつては嫁に行ったら帰ってこないのが当然だった。はずだ。私にはわからないけれども。

少年は急に姉を失い、泣いて眠る。そして、その心の変化やケアが描かれるわけでもなく、唐突に兄が結婚し、何の心の準備もできないまま、新しい義理の姉が来るのである。

今回の個人的目玉、単行本未収録の「ラドン」にしてもそうだ。パイロットである父が謎の死を遂げた少年の家は、母がホステスでなんとか生計を立てている。少年は怪獣ラドンこそが父を殺したのだと信じて生きる。そうして年月が過ぎ、母は唐突に新しい父を連れてくるが、少年にはその男がラドンに見えた……。

私の大好きな「ミステリアン」は、地球人よりはるかに優れた宇宙人が地球を調査しにくるおはなしなのだが、1話から地球に魅せられたミステリアンがその能力を駆使して女を遊び捨てるシーンが描かれる。

青春奇談シリーズは、仲睦まじい兄妹と猫又のほほえましい話かと思わせて、この兄妹は血のつながりがなく、妹は兄を恋い慕っているという設定だ。

どれもこれも、ちょっと選択を間違うとエグイだけのつまらない昼ドラになってしまいかねない。

それでも西岸良平の漫画が優しいとか温かいとか言われるし、私もそう思うのは、抜群にリアリティのある話作りと独特でカワイイ絵の魔力であろう。

世界は残酷でも残酷なことだけが延々と続きはしない。代わりに、生きていれば生き続けるしかない。その中で、小さな幸せや楽しみがある。

「ホワイトシチュー」の少年は、しょっぱいシチューしか作れない義姉を、自分がしっかりすることで、かつての姉ととは違う関係性を築こうとする。

ラドン」では、少年が優しくしてくれる男をだんだん好きになり、ラドンに思えなくなっていく。ちなみにオチは、晴れて父と認められた男が「やっとあの子の父を殺してしまった償いができそうだ」と呟き、実はほんとうにラドンだったとわかるシーンだ。

「ミステリアン」では、地球で残酷なことが起こりつつも、うつくしい人間が描かれるし、「青春奇談」では兄妹は何度も危機に陥りつつ、微妙な関係性が決定的に変わることはない。まるでそれこそが家族であるかのように。

世界は決してやさしくないが、残酷だけの現実じゃない、小学生の私には、それがあまりにも新しく、魅力的だったのだ。

まあ、西岸良平の作品の中にも、かなりエグイ、残酷なだけの作品もあるにはある。「地球最後の日」など良い例だ。

地球人は酷いから滅ぼそうと思うんだけど、少し猶予をやってもいい、超能力をあげるから悪と戦え、とか言われるおはなしだ。

しかしその超能力はちょっと物を動かすことくらいしかできず、主人公はなんとか世直しをしようとするものの、結局は職も彼女も失っただけで何もできず、ラストでなんと地球はサラッと滅亡してしまう。

めちゃくちゃなバッドエンドだが、しかし、あの絵なので、なんだか悲壮感がない。

世界の終わりの直前に、幸せカップルのほのぼの日常や、カワイイ雀なんかが描かれるので、この世界もちょっとマシなものがあったのになあくらいな読後感なのだ。

あの独特でカワイイ絵は、どんなものを描いても、どこか人を優しい気持ちにさせる魔力がある。

そういえば、ちょっと前に、魔法少女まどか☆マギカがっこうぐらし!のような、カワイイ絵と残酷な描写を組み合わせた作品が流行ったのを思い出しますね。メイドインアビスとか。

作風や作者の意図は違うかもしれないけれども、これらの源流は、もしかしたら西岸良平作品にあるのかもしれない、と思うのは、私のひいき目だろうか。

 

さて、私を虜にした西岸良平の死生観、についての話もしておきたい。

「ミステリアン」に次いで好きな「青春奇談」シリーズで、たくさんの野良猫を世話していたおばあちゃんが急病で倒れるシーンがある。医者を呼ぼうと言う兄妹に対し、猫又のワニ丸は、このように言う。

ムダだニャ久美子 玄関に赤い犬がいたから…………

もう病人は助からニャーよ

これは他の話でも語られるのだが、このシリーズの世界観では、死ぬ人の戸口には赤い犬がおり、助かる場合は隣に青いアリクイがいるのだ。そしてそれは動物たちしか見えない。

さらに引用を続けよう

動物達は自分の死も 愛する者の死も いつもの少し悲しいまなざしで静かに見つめるだけだ…… 

死を恐れ 苦しみ なげくのは 人間だけなのである

それを人は動物が 死というものを理解していないからだと信じている

だが真実は動物はみな 死を予知する能力を持っているからなのだ

人には見えない赤い犬が彼等には見えるから……

そしておばあちゃんはワニ丸に手を取られ、死後の世界に送られる。一番美しい時の姿になって……

人には誰でも 一生のうち最も美しい瞬間がある

死者はみなそこへ帰り 永遠に時を止めるのだ

……………

私は、幼少期から、死ぬのがあまりに怖かった。怖すぎて夜眠れず、親に何度も「死んだらどうなるの?」と聞いたくらいだった。

そんな私にとって、このおはなしは衝撃的だった。これらの言葉はあまりにやさしく、うつくしかった。一読してストンと胸に落ちた。私のはじめての宗教だった。

死というものは、宿命的に決まっているが、それを人間は決して知り得ない。そして死というものは、決して悪いことではないのだ……。

私は未だに人が死ぬとき、その人の戸口に赤い犬がいたのだと思っている。私が死ぬときも、きっといるのだろう。私のいちばん美しい瞬間がいつなのか、死ぬ間際はそれを考えてみようと思っている。

ちなみに、「青春奇談」シリーズは、他にも死後の世界を描いたおはなしがある。そちらはまた別の死の描かれ方をしている。これらを総合して、このシリーズの世界の死については一つ考察があるのだが、ネタバレが過ぎるので、もし気になった方はぜひ読んでいただいて、私と一緒に考えて欲しい。

 

毎度のことだが好きな物語りは長くなってしまう。

しかし、今西岸良平作品を進めようとしても、膨大な巻数のある三丁目の夕日鎌倉ものがたりしかないのは辛い。大好きな「ミステリアン」も「青春奇談」も古本を買ってくれとしか言えないのは断腸の思いだ。

とりあえず興味が湧いたという方は、今回の西岸良平展の記念として「自選 鎌倉ものがたり+」というのが発売されたので、ぜひそちらを購入してほしい。

www.amazon.co.jp

タイトルにある鎌倉ものがたりは3話しか入っておらず、7話は初期短編集からのものだ。私の大好きな2作品からも1話ずつ選出されていて嬉しい。

こちらはKindle版もあるので、Kindleユーザーの方もぜひ!

そして、さらに興味を持っていただけたなら、ぜひ古本屋で初期短編集を探してみてほしい。絶対に後悔はさせないから。後悔したら10%増しの値段で私が買い取るから……。

そういえば、西岸良平展は東京ではもう終わってしまったが、3月に京都でも開催されるらしい。詳細はまだ発表されていないが、お近くの方はぜひ見に行ってみてください。

saiganryohei-50th.com

一人でも西岸良平ファンが増えると私は大変うれしいです。昭和やレトロに興味がなくたって、もう断然!面白いんだからね!

今更だけれども、私も鎌倉ものがたりをちまちま買い集める予定……。まあ、絶対面白いのわかってるしね!