ちょっと大っぴらに「カオスの蝶」と「栄光と夢」の話はできないな……と思うわけである。
二つとも大好きな作品で、ここでも取り上げたいと思うのだけれども、流石にそれはある程度戦局が落ち着いて、Twitterで目を覆いたくなるような写真や動画が流れて来なくなった後にしたい。
この手のニュースは結構落ち込む。某疫病も何ともなっていないし、なんなら職場も酷い有様で、うつくしいのは今日日、菜の花と桜くらいである。
だから今日は楽しい話をする。
劉慈欣短編集「円」に、ちゃんと楽しいおはなしもあってよかった。
さて、ナンセンスギャグ・ショートショート「繊維」から行こう。
いわゆるパラレルワールドもので、繊維というのは、各ワールドを表す言葉らしい。
主人公は誤って自分の地球を離れ、繊維を間違える。そのまま施設で保護され、そこには主人公同様繊維を間違えた人々が……という内容だ。
隣り合った繊維は似たようでちょっと違い、主人公一行は地球がピンク色だとか、月がないとか、5進法とか20進法とか、周の文王とコンピュータとかで口論になる。
ぶっちゃけそれだけの話で、その口論をわははと眺めていると終わる、肩の力を抜いて楽しめる短編だ。劉慈欣の描く人間なので、みんな愚かだけれども、特に世界の命運もかかっておらず、ただコミカルで面白い。
一応おはなしのオチとしては、自分は元の地球に帰りはしたものの、その時一緒になった可愛い女の子と仲良くなったバージョンの自分がいくつか出現し、施設でもらったひみつ道具でそれを見ているというもの。
私は何回読んでも「いちばん教養がないのはこの娘だが、彼女がいちばんかわいい」という文面で笑ってしまうし、その娘が主人公を気に入ったきり、壊れたロボットみたいに「あなたは剣闘士」しか言わなくなってしまうのが酷過ぎて好きだ。
しかし、さてこの時代にこんな文章で、怒られないか心配だ。
三体Ⅱでも、ぼくの考えた最強に可愛い女の子とデート、子供も作っていざ新生活!というシーンがあまりに長くて辟易した人もいただろうと思う。
私の周囲でもあそこは頗る評判が悪かった。私もなんだこりゃと思って調べたら、新海誠好きと書いてあってけらけら笑った。新海オマージュなら、まあ、うん……。
まあ、見方によってはミソジニーの大家みたいにも見えるけれども、そんな風に見てもつまんないので、最後に少し面白くなる別の解釈を提示してみる。ミソジニー許せん!って思うひとに響くかは、わかんないけど。
このおはなしのオチは先に述べた通り、自分が分裂する部分である。
主人公はその女の子のことを、馬鹿だけど可愛いな、と思いつつ、作中では冷淡にあしらっているのである。しかし、最終的に自分が分裂してしまう、ということは、結局のところ、その子と一緒になるという欲望が捨てきれなかったということを示している。
そして、その欲望は、パラレルワールドとして見える形になって表れてしまったというわけだ。
ついでに、主人公がそれらの自分を生涯観察し続けるところで、おはなしは終わる。これはどういうことか。まあ書いていないので推察だけれども、これは単純に未練がましく後悔していると見るのがしっくりくるのではないか。
だって、主人公の今の人生は書かれないまま、パラレルワールドを一心に見ている、女の子を魅力的に感じるということは、つまり、パラレルワールドのほうの比重が、現実よりも大きいって、ことでしょう。
私が何を言いたいのかというと、このおはなしにメッセージがあるとしたら、人間だれしも、理性では〇〇するべきでないだとか思っていても、その裏でぼくも〇〇した~い!という欲望を抱えているよね、で、その欲望に従った方が理想的な人生だったかもね??という皮肉なんじゃないかな、ということ。
まあ、でも、劉慈欣的価値観では、どっちに転んでも人間は愚かですというおはなしになってしまいそうですけど。パラレルワールドのほうの主人公は、それはそれで後悔してるかもしれないしねえ。
色々考えると、結構面白い短編だったなと思います。
次、「メッセンジャー」
これもわかりやすい短編で、ある老人の元に未来人が現れ、老人の心を慰め去っていく、さてその老人の正体はアインシュタインだった、というおはなし。
未来人はアインシュタインに未来の技術を見せつけ、「人類に未来はある」「神はサイコロを振る」と伝え、スーパー時間航行術で去っていく。アインシュタインはかねてから不安に思っていた人類の未来がちゃんとあるとわかり、良かった~バイオリン弾こ、となるわけである。
生涯平和運動に尽力したアインシュタインを称賛し慰める、心温まる良いおはなしである。作中に出てくる演奏のエネルギーで弦が太くなる未来型バイオリンとか、コレ何の得があるんだ?とか最終的に楽器として成立しなくなるのでは??とかいろいろ考えられて面白い。
ただ、多少物理学に理解がある読者であれば、この老人がアインシュタインだということはすぐにわかってしまい、あんまりミステリとしては成立してなくない?とも思える。
物理学を知らなくても、「神はサイコロを振らない」というカッチョイイ台詞でわかる人も多いんじゃないか。
未来人についても、早々にアインシュタインの未来の予定を把握していることから、小説を読み慣れていない人でも、あっこいつ未来から来たなとわかるようになっている。
ミステリというよりは、何か聞いたことがある感じの老人だと思ったら、アインシュタインだったか~というおはなし、となってしまっていて、その部分は若干惜しいと思う。
あと、これは私の個人的な偏見だけれども、、こんな人間は等しく愚かみたいな価値観の人間嫌い劉慈欣が、「アインシュタイン君、人類の未来は明るく素晴らしい!安心してくれ!」というメッセージだけを考えるだろうかという気持ちになった。
未来人の語らない200年の間、マジで戦争とか起こらなかったのかね。エネルギーを質量に変換できるレベルの技術なら、核兵器とはまた違うスーパー兵器ができそうだけど……。
三体Ⅱでも、平和になるまでの大峡谷時代という暗黒時代が存在したので、劉慈欣的未来が明るいとはあんまり思えないんだよな……。
こうやって考えると、ラスト、未来人の「神はサイコロを振りますよ」というセリフはなんか不思議と怖い言葉にも感じられる。今のところ未来はいい時代だけど、結局いつどうなるかわからないんですよ、みたいな。
アインシュタインが最後、寂しくバイオリンを弾くのも、ひと時の安心は得られたものの、結局、絶対の安寧、恒久の平和が得られないという諦観もあるのかなあなんて思ったり。
現実でも、そこそこいい時代だと思っていたら、コロナとか、全く予想だにしない事態が発生したわけで、未来は必ずしもうつくしいとは限らない、んだよなあ。
さて、ここで少し飛んで「月の光」の話をしよう。
何故かというと、「メッセンジャー」とかなり似た題材なのに、読み口が180度違うからである。
どのルートを辿ってもハッピーエンドが用意されていないゲームを、マルチバッドエンディング、どうあがいても絶望、などと呼ぶことがあるけれども、この短編はまさにそれである。
「メッセンジャー」で読者を安心させておきながら、割と終盤のこの短編で、「いや~アインシュタイン君、やっぱり人類に未来とかなかったわメンゴメンゴ」とか言ってくるわけである。劉慈欣も趣味が悪いけど、こっちのほうを最後付近に持ってくる日本の編集者、かなり趣味が悪い(めっちゃ褒めてます)
未来の自分から、未来ヤバいからなんとかしてくれ!と電話が来る。そして主人公は未来の問題を解決する方法を考える。すると未来の自分からまた電話が来て、その方法だとヤバいから別のに変えてくれと頼まれ、さらに別の解決法を考えるとまた電話が来て、結局何をやっても無駄だし、むしろどんどん悪くなっていくので諦めた、というおはなし。
特に解釈の幅もなく、マジで絶望しかなく、いやあ、劉慈欣的未来の最高峰だと思います。絶望の未来がそれぞれ妙な美しさがあるのも良いし、それを解決するためのエネルギー技術が、たぶん大ぼらなんだろうけど、夢があって面白い。
でもそんな中、さらに炸裂する劉慈欣節が、主人公の人物造詣であある。
主人公、世界のヤバさとかより自分の恋とか家族とか出世のほうが気になっていて、ひたすら質問し続けるのである。それは明かせないって言ってるだろ。
最終的に、もう二度と恋とかしないとか絶望的なことを、他でもない未来の自分に言われてショックを受ける。もう、愚かすぎて可愛いまである。
未来の自分はとにかく世界を救おうと必死で、絶望と希望の中で頑張っているのに、主人公はとりあえず今困っていないので、どこか他人事で危機感に乏しいというのは、まあ劉慈欣氏が今の人類に感じていること、そのままなんだろうと思います。
タイトルの「月の光」は、冒頭で語られていて、イルミネーションのない、廃墟のような暗い街並みを照らす光。主人公は、片思いの女の子が結婚してしまった夜、そこに終末の安らぎを感じている。
これも酷い皮肉で、結局主人公は随分先の未来で、安らぎどころではない終末の地球で苦しむことになるわけだ。ついでにやっぱり恋人もいない。
「月の光」は非常に完成度の高い短編で、色々な面で面白いのと、この短編集の中ではかなりオススメです。ちょっと地味だけど。
最後に「詩雲」だけれども、これがまた、レベルの高い短編である。
「郷村教師」や「繊維」のような、妙ちきりん宇宙空間のおはなしで、人間は過去からパワーアップしてやってきた恐竜たちに家畜化されている。今や太陽系は恐竜たちの帝国、吞食帝国となった。そんな中、より高次の存在たる神がやってきて……というおはなし。
いやあ、もうこの時点で割と最高、と思っていたら、恐竜に家畜化されるまでは別に「吞食者」という短編があるらしい。この作品は、その後日談というわけだ。
「呑食者」は日本で今後発売される短編集に載るらしいので、それもそれで楽しみですね。
さて、まず最初の面白ポイントは、恐竜が神に人間を捧げに行ったときの神の反応。とにかく悪し様に言われるのである。
「我が好むのは完璧な小さい生き物だ。そんなみっともない虫けらを連れてきてどうする」
からはじまり、
「その小さな生きものの猥雑な思想、下劣な行動、そして混乱と汚辱にまみれた歴史は、すべてが嫌悪に値する。(中略)ただちに捨ててしまうがいい」
と続く。言いたい放題なのである。
そのうえ、この意見は神だけのものではなく、人類が知的生命体とコンタクトできなかった理由として書かれている。恐竜が現れて支配されるまで、どうやら人類は宇宙人たちから嫌悪されていたらしい。
宇宙規模で嫌われる人類、どんだけヤバいんだよと笑ってしまう。
しかし、捧げられる人間は詩人であり、漢詩の書かれた紙をたくさん持っていた。神はそれをうっかり拾って、うっかり感銘を受けて、李白になる。
なんでだよ。
神はテクノロジーの力で何でもなれるし、何でもできる、李白を超える芸術を作り出すことも可能と告げるが、詩人はそんなのは無理、李白は超えられない、人間の芸術はすごいと喧嘩。こうして始まる、テクノロジーVS芸術。
ここから第二の面白ポイントに入る。
李白になった神は、とりあえず人間のまねごとをして、酒飲んでゲロ吐いたり、旅をしてボロボロになったり、尿を蒸発させた後の白いやつで肉を煮たり(伝統的な製法らしいですね)、なんかめちゃめちゃがんばっている。
結果、素晴らしい詩は書けるけど李白は超えられない……とか言う。
なんてストイックなんだ神。努力の化身すぎるぞ神。
しかしそんな神に、詩人は、やっぱりテクノロジーは芸術に勝てないじゃないかと説教して煽る。こいつ、人間の中ではちょっと特別扱いされていて、食料化されず悠々自適にお一人様牧場物語してるくせに、なんか偉そうなのだ。
そんな煽ったら神様怒っちゃうだろ、と読者は思うのだが、ここでついに神が神たる真髄を露わにすることになる。
最後にして最大の面白ポイントである。
詩、全部書いて、保存する。あらゆる漢字の組み合わせパターンをすべて試みれば、そこに李白の最高傑作も含まれている。
詩歌、終了のお知らせ。神ちょっといくらなんでもキレすぎでは?
そしてその膨大な詩を記録するにはどうするのかというと、「いまあるものを使う」ということで、太陽系に保存することとなる。
つまり、世界は滅亡する!ヤッター!
ここ、恐竜のほうがマジギレしているのに、詩人のほうは、恐竜の支配から逃れられるということで、めっちゃニコニコして楽しんでるのが最高に面白い。
そしてオチだが、この素晴らしい詩歌プロジェクトは完遂され、あらゆる詩が保存された詩雲として姿を変えた太陽系を、何故か生きている詩人と恐竜が見つめている中、神が登場する。
泣きながら。
「わしには芸術におけるテクノロジーの限界が見えてきた。わしは……」彼はすすり泣きながら言った。「わしは敗残者だ……ああ」
結局、あらゆる詩は書いたものの、傑作を識別するテクノロジーが作れませんでした、ちゃんちゃん。
神、ストイックすぎるぞ。そういうところだぞ。っていうか太陽系滅ぼす前に気付けよ。おっちょこちょいか。
話の大筋はこんなところなのだが、ここに書ききれなかったツッコミどころも要所要所にあって、それもとても面白い。家畜化された人間が詩を学ぶと美味しくなるとか意味わからん設定過ぎて好き。
もしまだ読んでいないという方は、ちゃんと本編もお楽しみいただきたい。たぶん、想像以上に滅茶苦茶で面白いですよ。
また長くなった。
今回は、エンタメ感が強く、いつもの(?)劉慈欣的人間は愚か節も多大に含まれている4作を選んでレビュー(解説?)してみた。
個人的にはやはり「詩雲」が全編ぼけ倒しのツッコミ待ちで、笑えるし面白いし好きです。あんまり絶望感がないけど、よく考えるとうすら寒いおはなし「月の光」も、劉慈欣らしくて好き。
「詩雲」は色々感想を漁っている中でもかなり人気なので、いちばん最初に読むのにいいかもしれない。
次は、これまた人気な「円円のシャボン玉」周辺をレビューしてみたい。
でも、ほんとうは一番語りたいの「栄光と夢」なんだよなあ……。
しかし流石に今読み直すと自分にもダメージ来そうだし、今の状況でレビューを読んでもらって、読者に誤解されても嫌だし、しばらくはやめておきます。
そういえば、今月の後半はイーガン読書会(身内でやってるやつ)があるので、終わったらそのまとめも書きたいと思います。良かったらそちらもよろしく。